第十三章 生命の樹海
「…そうですか。今度こそムーさんの故郷に帰られるのですね。」
 いかにも固そうな木の椅子に腰掛けながら頭に白いターバンを巻いた中年の男は何処か寂しそうにそう言った。
「そうだな…。いよいよってトコか。」
 開拓地…否、既に移民の町と呼べるレベルに至ったこの地をまとめる大役を努めている者の家とはとても思えないほどの質素さながら、実用的な物が一通りそろえられた執務室の中にカンダタ達は集まっていた。
「まぁ言うほど時は経っちゃいねえけど、色々あったからなぁ。」
 気の遠くなるような船旅の中でも一日として気の休まる日は無く、開拓の最中でも現地の者達と共に多くの作業をこなしてきた。何よりも海賊の襲撃は自分達の守るべき者の命の危険にまで達しただけに、当分は忘れる事は出来ないだろう…。
  「しかし…お元気そうで何よりです。」
「ああ、旦那もな。しっかし、随分と発展したじゃねえか。見違えたぜ?」
 窓の外からのぞかせる風景にカンダタは感心したように…否、事実心底感心しながらそう言った。
「ええ。これもメリッサさんのご助言のお陰ですよ。」
「あら?それほど多くは送ってなかったでしょう?」
 町の発展の中で嬉しそうなハンの言葉に、メリッサは首を傾げながらそう返した。
「いえいえ。魔法の手紙のこともありますが、あなたが書いてくださった多くの書類…ここで大いに役に立つ事になりまして。」
「ああ、あれ?…そう、意外と役に立っていたのね。小難しい事ばかり書いてあったと思っていたけど。」
 苦笑しながらメリッサは棚に収められた書類の内の一枚を手にとった。
「……成る程な。こりゃあ…常人に理解できる内容じゃあないな。」
 それを覗き込んだマリウスもまた苦笑していた。書いてあったのはおそらく皆が予想外であろう事であった。
「よく付いて行ったモンだな…オッサン達も…」
「あ?漢ならどんな仕事だって黙ってやれるだろうが。」
「………ああ、そうかい。」
 ある意味で難解な仕事をなし続けて尚平然とした答えを返してくるカンダタに…マリウスは嘆息しながらも…”ある意味”で感心した。
「ホントに驚いてるよ。これが一ヶ月前まで小さな町のようなモンだったなんてね。」
 ふと、部屋の隅にいた長身の黒い影の主が声を発した。
「そうだなぁ…。けどよ…まぁあんたが携わってるトコも大きいみてぇだな。」
「おぉ、嬉しい事言ってくれるねぇ。さすがは大盗賊。人としての大きさってのが違うみたいだねぇ。」
 黒いバンダナを身につけた…血気盛んな青年の様な鋭い雰囲気をもつ海賊の女首領…アヴェラはそう言いつつ満足そうに頷いた。
「……あなた達が荒らしたから皆必死に頑張った。それだけ。」
 しかし…今度は足元からの声が痛烈にアヴェラの言葉を否定した。
「お…言ってくれるじゃないの!大体…」 
「アレは私の勝ち。それと…ドラゴンの石像は?」
「…ゴホンゴホン!!…今度会ったら勝つのはアタイだ!」
「……望むところ。」
 黒い三角帽子を被った小柄な少女と長身の海賊が視線を合わせてにらみ合っている…。
「あー…分かった分かった、ケンカはまた今度な。」
「…む〜……。」
 カンダタに引き離され、ムーは無表情ながら不満そうにうめいた。
「…ともかく、お気をつけて。またご無事で会える事を祈っております。」
「あんたもな。んじゃあ、ムーが落ち着いたらまた来るぜ。じゃあな。」
 カンダタはハンと固く握手を結んだのち、背を向けて家を去った。
「これからも色々大変そうね。何かあったらまた手紙送って頂戴ね。」
「無茶はするなよ。町長どの。」
「……さよなら。」
 そして残りの三人もハンに別れを告げ、カンダタの後を追った。
「…じゃあアタイはあの四人をあの島に案内しなきゃならないから。」
「そうですね…。ルザミ…でしたか。」
「……そうさ。ヘンクツじじいがやたら多過ぎて逆に面白いトコだよ。」
 アヴェラはそう言いながら、自身もまたハンの部屋を後にした。

「……へぇ、オマエが作ったのかい。このワケ分かんない仕掛けとやらは。」
 海を走る船の上で、アヴェラは甲板の隅でぼーっと座り込んでいるムーに向けてそう言った。
「………暇つぶしにはなった。」
「…何だって?」
 目の前で繰り広げられている事を前にまるで興味無いと言った様な振る舞いと言動を見せるムーに、アヴェラは思わずあんぐりと口を開いた。
「前にもんな事言ってたな…」
 そんな彼女の後ろから、赤い覆面付きのマントを被った大男が現れて…呆れたようにそう呟いていた。
「…そうなのかい?カンダタ。」
「コイツな、…記憶喪失のせいだか何か知らねぇけどよ…自分のやる事成す事のデカさってのをまるで感じねえみてぇなんだよ。」
「ああ。まあ多少は感じて…いないね。オマエの場合…。」
 彼らは二人して目の前の乱れた赤い毛を風に揺らす少女を見て嘆息した。
「…ふふ。これでも昔はこういうところで結構な見栄っ張りだったのよねぇ。」
 柔らかな風と共に甲板に降り立ったムーの姉…メリッサは微笑を浮かべつつそう言った。
「見栄っ張り…まぁ今でもそうだけどよ…確かに自慢する気もねえみてぇだな…」
「昔のこの子なら絶対自慢してたわねぇ…ふふふ。」

―…あら?どうしたの、メドラ?
―……。
―凄いじゃない。どうやって作ったの?そのペンダント。

「…ものづくりの才能はあったみたいよ。何かと色々と作ってはすぐに私のところに持ってくるんだから。」
「……つっても…スケールが違いすぎやしねぇか…?」
 形を成すだけ…一流の細工師ならばともかく、素人の手作りのレベルであれば本人の感性によるところが大きいが、魔法技術を応用した大掛かりな仕掛けを抜かりなく仕上げるにはただ才能だけの問題ではなく、知識や経験等も必要であった。
―…これも、メドラってヤツの影響なのか…?
 無論の事、初めて会った時から数多くの呪文を使いこなしてきたのは認めていたが、最近徐々に最大の呪文などの大技を使うようになり…石像を作ろうとするなどの今までにない行動を見せ、明らかにこれまでのムーとは変わって見える部分が数多く表れていた。
―少なくとも…俺らと一緒に居たとき…大層な魔法の知識とやらを勉強する暇なんてなかったはずだろ?
 ここ数年間ムーと過ごしてきたカンダタには、この変化の顕現に…決して小さいとは言えぬ何か引っかかるものを感じてはいた。
―んん…まぁでも、だからってムーだってのは変わらねえしな。
 しかし、カンダタはごく当たり前の事を見出して…それを結論となして考えを止めた。
「…てか、お前…弁償にあのへんちくりんなポーズのドラゴンの像作らせる気なのかよ…。」
 それよりも…海賊の騒ぎによって壊された石像が気になり、ムーに尋ねた。すると…
「……?何だよコレ…?」
 彼女は突然一枚の紙をカンダタに手渡した。
「………んん?このドラゴン…お前…だよなぁ…?」
 それに描かれていたのは実に迫力あるポーズで静止しているドラゴン…ムーの化身の姿であった。
「……。」
 そして、ムーはあの時と同じポーズ…悩殺ポーズをとった…。
「………???な…なんだ…??…まさかオイ…?」
 カンダタは海賊の一員として暴れまわっていた武闘家ジンとやり合って居た時の事を思い出した。
「………。」
―…ああ、そうか…コイツ…ジェスチャーも下手なのな…。
 感情表現ができないばかりか…これはかなり致命的だとカンダタは思った。
「おかしらぁー!!島がみえてきやしたぜー!!」
 そのような中、物見台に立つ海賊の手下がそう叫ぶ声が聞こえてきた。
「着いたかい!おおし!!皆!とっとと降りる準備しな!!」
 アヴェラは彼に応えると、すぐに甲板に佇んでいる手下達に指示を出した。
「「「アイアイサーッ!!」」」

 それは海に囲まれた小さな島の集まりに作られたこれまた小さな集落だった。
「これが…ルザミか……。で、ここに何があるってんだ?」
 カンダタは辺りを見回しながらそう言った。陸地の間に所々に繋がれている橋を通して僅かな人々が行き来している…。
「何も無いよ。忘れ去られた島って言うくらいだからね。」
「……そりゃあ…そうだろうけどよ。何か一つくらいあってもいいだろ?」
「…へぇ、その辺はさすが大盗賊。欲張りなヤツだよ。」
「へっ、あんたらだって海賊じゃねぇか。」
 互いのリーダー格が話している間に、海賊達はまた別の方を見ていた。
「何見てるんだ?」
 マリウスは彼らが向く先を見やりつつ、尋ねた。
「あぁ、来たばっかのアンタらは知らねぇだろうけどな、ここには俺ら海賊にとっちゃすっげえお偉いさんが居るんよ。」
「お偉いさんだって?どんなんだ…?」
 海賊達が崇める程の者とは果たしてどのような人物なのか…。
「…ふぅん、もしかしてあの人の事かしら?」
 メリッサは細長い筒が飛び出ているのが特徴的な建物の辺りを歩き回っている中年の男を見てそう呟いた。
「あのオッサンかぁ?…おいおい、そんなワケ無いだろ。こんな連中が如何にも陰気臭いあんな奴に…なぁメドラ…ってアラ?」
 マリウスが同意を求めた相手はいつの間にか何処かへと消えていた。
「…ふふ。何も無いところと言う割に、あの子にとっては見所満載なのかしらね。」
 決まりの悪い表情をしているマリウスの傍で、メリッサは何処か楽しそうに微笑んでいた。

「……くしっ!」
 幾つもある内の一つの橋をただ一人渡っていた幼い外見の魔女は、前触れも無く突然小さくくしゃみをした。
「…まだ治らない。」
 小さく呟きながら、ムーは忘れ去られた小さな島の土へと踏み入った。
「おや、見ない顔じゃな。お主も流されてきたのかね?」
 そんな彼女に…何者かが呼びかけてきた。
「……?」
 おそらくは現地の者だろう。腰の曲がった老人がムーの目を見た。
「…ふむ、どうやらお主ではないようじゃな…。」
 しかし、すぐに見飽きたのか…彼は踵を返して立ち去ろうとした。
「……先見の目?」
 だが、ムーは特に気を悪くした様子も無く、一つの単語を口に出した。
「むむ?…ワシの力が分かったのか?」
 それを聞き、老人は一度振り返り…彼女の顔をきょとんとした面持ちで見た。
「そうとしか言い様が無かっただけ。」
「ふぅむ、…先見の目…か。良い名じゃ。これからはそう名乗る事にするかの。」
 名前すら付けていない力だったのだろうか、老人はムーの言葉を反芻して満足そうに頷いた。
「……。」
 老人が持つ独特の雰囲気を前にしても特に思う所は無いのか、ムーはただ遠くの景色ををじっと見つめていた。
「誰か…来る。」
 ふと、近寄ってくる人影に気づき…彼女は肩に担いでいた理力の杖を地面に下ろした。
「…ッ!?ア…アナタは…!?」
 しかし、その影の主はムーの顔を見るなり立ちすくんだ。
「……??」
 ムーはその女がうろたえる様子を見て首を傾げた。