深淵への道 第十二話

「オードさん…、ホレスは…?」
 一行は宿の一室にホレスを運び、神官オードが彼の具合を診た。
「急所を幾つか傷つけられていますな…。そのせいで回復呪文が効かなかったのでしょう。」
「そんな…。」
 おそらくはあの刺客の女によって刻まれた傷だろう。
「ふむ…では、命に関わる深手を負ってしまわれたので?」
「それが……本当に主要な器官…心臓や肝臓なども狙われていたみたいですが…と言うより心臓は既に貫かれていた…はずなのです。」
「「はず?」」
 オードの意味深な言葉に、ニージスとレフィルは同時に聞き返した。
「本来心臓とは…この辺りにあると聞くでしょう?」
 彼は左胸に手をあてて二人にそう尋ねた。
「え…ええ。」
「ふむ…間違いではありませんな。」
「ホレスどのは…丁度ここを貫かれていたのです。ですが彼の心臓は傷つかずに済んでいたのです。」
「…え?」
「ここから僅かに右にずれていた為、ナイフが触れる事が無かったのでしょうなぁ。それはもう奇跡と言わずして何と申せばよろしいでしょうな。」
「そうだったんだ…。」
 もし少しでも狙いがずれていたら、逆に心臓を傷つける事になり…ホレスは間違いなく死んでいた…とオードは語った。
「運の良い奴や…。心配したで…全く…。」
 後ろを向きながら、カリューはぼそりとそう呟いた…微かに震えた声で…。
「……何か安心したら眠くなってきたわ。…スマンけど…先休ませてもらうわ…。」
 彼女はそう言うと、目をさすりながらその場を去っていった。
「……やっぱり心配してたんだね…。」
 レフィルはその後姿を見て微かに笑った。彼女もまた…ホレスが生きていた事に安堵していたのだ。
「…いや、それが…全てが終わったわけではないのです…。」
「……え?」
 しかし、オードは尚も言葉を続けた。
「いずれにせよ…相変わらず回復呪文による回復が受け付けられない程弱っています。その他に負った傷も深く…いつ悪化してしまうか分からない状態なのです…。」
「そ…そんな……。」
 黒い女に傷つけられた所が。突きつけられた残酷な事実に、レフィルは顔を青くした。
「……長引けば長引くほど…彼は命の危険に晒される事でしょう。」
「……。」
 彼女はもう何も言わなかった…いや、何も言えなかった。
―…助かったと思ったのに……死んじゃいやだ…ホレス…
「…それと…意識を失ってなお…これを手放す事無く持ってました。あなたにお渡ししておきます…。」
 オードはレフィルに蒼い色の珠を手渡した。
「……これが…オーブ……。」
―でも…ホレスは……これの為に…
 レフィル自身もまた求めていた秘宝…それがホレスの命の危険と引き換えとなってしまった事に彼女は複雑な気持ちを抱いていた。

 三日後…
「ホレス……。」
 地球のへそから生還して以来…彼は目を覚ます事は無かった。レフィルは一人彼の傍について世話をしていた。
「…熱が…下がらない……。」
 時々うなされて…肌の色も徐々に悪くなっていくばかりで回復の兆しは見えない…。オードの言っていた最悪の展開がレフィルの頭を過ぎった…。
「……もう…迷ってる暇なんか無い……。」
 虚ろにホレスを見つめていた彼女の闇色の双眸に…意志の篭った光が宿った。喜びの時の輝きとはかけ離れていても…それは見る者を勇気付ける美しさがあった。
「………わたしの命…それを削ってでも…あなたを救ってみせる…。」
 目を閉じ…レフィルは両手をホレスに翳した。
「あなたがわたし達を助けてくれたように…。」
 イシスのピラミッドでの苦境が思い出される…あの時ホレスは気を失った自分とムーを見捨てるどころか…自らの身を犠牲に外まで自分達を脱出させた。
「私の魔力…尽きるまで……生命力に換えてあなたに送る…。」
 レフィルの掌がホレスの体へとあてられた。そして…
「ザオラル…!」
 掌を通じて…ホレスに暖かな息吹の様な見えざる力が送り込まれた。
「……。」
 時折彼の体から吸い切れなかった力が漏れ出ていたが…それに構わずレフィルはザオラルを唱え続けた。
「……ザオ…ラ……ル…」

―…フィル…
「………ん…。」
―レフィル…
「……う……ん…。」
 何度も呼びかけられ…レフィルは目を覚ました。
「……ホレス…?…!!」
 彼女を起こしたのは…銀髪の青年だった。…その細い体に所狭しと刻まれた傷を見てレフィルは思わず口を噤んだ。
「オレは……一体…。」
 そのようなレフィルに、ホレスは自らの体を改めながら呟いていた。
「…………」
「……レフィル…?」
 レフィルはただ…呆然とホレスを見上げていた…。
「…………う……う……」
「お…おい……!」
 不意に…レフィルが顔を赤くしながら泣き出すのを見て、ホレスは目を見開いた。
ガチャッ
「…?」
 見た目に帯びた雰囲気とは裏腹に、子供のように泣きじゃくる目の前の少女を前にどうしたものかと困惑していた時、蒼い髪の青年が部屋に入ってきた。
「……おや?ホレス?…一体どうなさったので?」
 何を不思議に思ったのか、ニージスはホレスに尋ねてきた。
「……ニージスか…、いや…オレにも……。」
「ふむ……これは一度状況を整理したほうが良さそうですな…。」
「それは…いいが……この子はどうして泣いている……?」
「おおぅっ!?そっちかい!!?」
 相変わらずの論点の食い違いに、ニージスはまたもや大仰に仰け反った。

「……そうか、オレは…一度死にかけて…」
 レフィルが落ち着いたところで、三人は話をまとめた。
「回復呪文をかけても全く効果が無く、ホレスの体の崩壊は徐々に進んでいたわけでして。」
 キリカに幾つかの急所を貫かれたためか自然治癒力が働かなくなり回復を受け付けず…ホレスの状態は日に日に悪化していた事、それに耐えられず…レフィルが自身へのリスクの大きい蘇生呪文を使った事…
「……もう大丈夫なので?」
「ああ。」
 既にこれらの事を聞いて更に多くを知れるいつもの冴えが戻る程、ホレスは回復していた。
「…しかし驚いたな…。ザオラルなんて誰が教えたんだ…?やはりあんたか…?」
「ふむ…教えたというよりは私が差し上げた魔道書を随分と読まれていたようで。」
「……何…?」
 旅するうちに、レフィルはライデイン、アストロン等の幾つかの新しい呪文を使って見せた。別にその事自体はホレスにとって何の不思議でもなかったが、ザオラルはかなりの高位の回復呪文である。適性があっても短期間に使いこなせるものではないはずだと彼は考えていた。
「君の知らないところでの努力の賜物というものでしょうな。」
「……なるほどな。だが…すまなかった。オレのためにお前まで危険にさらしてしまってな…」
「………ううん、…いいの。」
 ホレスがレフィルに向き直り謝ると、彼女は首を振った。
「だって…わたしは……」
 俯きながら語り始めるレフィル…
 
―ほら、やっぱり。さっきまで沢山殺してきた癖に。

 しかし、それは…頭の中に過ぎった言葉によって遮られた。
「レフィル…?」
 突然動きを止めたレフィルを心配そうな面持ちで見ながらホレスは彼女に声をかけた。
「……あ……。」
「…大丈夫か?」
「お前だってザオラル唱えた反動で不安定なんだ。…今日はもう休んだ方が良い。」
 蘇生呪文…それによって死んだといっても過言では無いホレスの体の内部を再生させただけの代償は逃れられる物ではない。
「……うん。」
 だが…レフィルが言葉を止めたのは…また別のところにあった。
―誰かが死ぬのが怖い……でも…

 そして…一週間の時が経った。
「本当にもう大丈夫なんか?二人とも?」
 カリューはホレスとレフィルに向けてそう尋ねた。
「は…はい。大丈夫です。」
「……あの後すぐに発っても良かったと思うがな。」
「どあほぉッ!!わてらがどないに心配したと思っとるんや!!」
「はっは。死にかけても…豪胆なのは変わらぬことで。」
 一行は船の甲板に集っていた。ホレスは補修された跡が目立つ黒装束を着込み、その面構えからは…少し前まで半死人だったとは思えなかった。
「しかし…一週間も探してこれだけかいな。」
 カリューはレフィルが手にしている蒼い珠を見てそう言った。
「これだけ…と言ってはホレスに失礼では?」
「……別に。それが現実ならば仕方が無いだろう。」
「…仕方無い言って…目怖いで…。」
 何処か不機嫌な様子のホレスの仏頂面を見て、カリューは肩を竦めた。
「……強いてあげればあとは…これだけか。」
 ホレスは荷物から一つの木片を取り出した。
「…杖……の欠片やな…。」
「ラリホーに近い魔力が込められていたみたいだ。…散々使ってきたから今では殆どカラみたいだけどな。」
「…ダメやん。」
「……あと一回か二回くらいなら使えそうだけどな。」
 カリューに呆れた様な目を向けられ、ホレスは嘆息しながら魔杖だった木片を弄んだ。
「ほほぉ。これは良い研究対象になりそうで。…あの子が居れば喜ぶでしょうな。」
 しかし、ニージスはその杖に対して興味を示したのか…納得したように頷きながらそう言葉をもらした。
「「あの子?」」
「ムー…否、”メドラ”と言えばよろしいですかな?」
 わざわざ言い直している所から見て、レフィル達と旅していた頃ではなく…記憶を失う前のムーの事と強調しているのだろう。 
「魔法使いと名乗っておきながら、昔から好奇心だけはありましたからな。」
「?」
「ラリホーと言う事は…今流通している眠りの杖とほぼ同じと考えて良いでしょう。古代に既にその様な技術があった…そう聞いたらあの子はどう思うでしょうな?」
「……”メドラ”もそう言った事に興味があるのか?」
 イシスでもムーはホレスの持つ古文書を覗き込んできた。その好奇心は記憶を失う前からもっていたものであるのか…。
「それはさておき、…これで、一つ揃いましたな。」
「あと…五つ。」
 蒼い光…ブルーオーブを手に入れた。
「…これが本物であればの話だがな。」
「はっは。ここは素直に本物と思っておいた方が長生きできるでしょう。」
「……関係無いな。だが、残りの五つは何処に…?」
 ホレスはレフィルの手の中にある蒼い珠を見やりつつ、手帳を読み返した。
「六の光とはあるが…やはり何処にあるのかは記されてはいないな。」
「ふむ…ならば既に他の集落などで宝玉として祭られている物もあるかも知れませんな。」
「もしくは……何処ぞの王家の家宝になっている可能性もあるな。」
 あれこれ話している二人の青年を見ていたカリューは頭をもたげて嫌そうな顔をしていた。
「むむう…面倒な事話とらんで出発せんの?」
 一方…レフィルは、穏やかな表情でその三人を見守っていた。
―またこうしていられるなんて思わなかったな…。
 地球のへそでの苦境で命にも関わるほどのかつて無い危険にさらされ、その中でレフィルの心にもひびが入り…砕けそうになった。だが…またこの様な日々が戻って来た…それだけでレフィルは十分に満足していた。魔王討伐の旅が未だに終わらずとも…。
『待ってよーっ!!』
「「「?」」」
 何処からとも無く声が聞こえて、三人は辺りを見回した。
「……。」
 しかし…一人は無言で空を見上げて爆弾石を放り投げた。
ドガーンッ!!
『……ケホ…こらぁーっ!?またやりやがったな!!』
「…ふん、今更何の用だ。」
 殺意が篭った目で…爆弾石を投げ上げた張本人…ホレスは目に見えない遅れてきた者を見た。
「姉さま達が出発するって聞いたから慌てて飛んできたのにぃ!!」
「……なるほど、用件はそれだけか…。」
 ホレスは凍りついたような無表情で目の前のスライムを見下ろし…武器をとった。
「ままま…待ってください!!」
「…!」
 ドタドタと音を立てながら、もう一人誰かが船の中に入ってきた。
「あんたは…オード?どうしたんだ?」
「六の光…その中の一つが…ジパングにあるかもしれませんぞ!!」
「……何!?」
 オードが息を切らしながら放った言葉に、全員が目を見張った。

 黄金の国

 世界の何処かに海神に守られるが如く海に囲まれた黄金の国が存在するらしい。
 またの名を日の本の国…ジパング。
 闇夜に溶け込む紫の光が彼の国に落ちたという伝説…日が出ずる国とは思えないが、その云われが正しければ遥か東にあるはずだ。

「…ふむ、ジパングですか。なるほど…確かにそんな話を聞いた事がありましたな。」
 オードが持ってきた文献を見て、ニージスは納得したような口調でそう呟いた。
「ですが…目的はそれだけではないでしょう。」
「おお、さすがは賢者どの!そうです!私も勇者どのの一行に加えてはいただけないでしょうか!?」
 ニージスの言葉に対して特に気後れした様子も無く、オードは自分の思う所を告げた。
「え……?あ…わたしは…良いですけど…皆は…?」
 唐突な申し出に、レフィルは後じさりしながら皆に振り返った。
「わてはええけど。」
「はっは、奇跡の心得がある方に来ていただくのは大いに結構ですな。」
 カリュ―とニージスは快く承諾した。
「…ですが、ホレスが何と言うか…。」
「オレか。…そうだな。別に止めはしないが。」
 ホレスは意外にも反対はしなかった。地球のへそに入る前日にいさかいを起こしたが…別にその後嫌悪感を持ったわけでは無いようだ。
「左様ですか!おお、これで私はジパングへ赴き…初めて神の教えを伝える事ができる…!何という光栄…!」
「……。」
 オードの大仰な動作と言葉に…ホレスは閉口した。
―絵に描いた様な敬虔な信徒…悪く言えば狂信者だな…。
 オルテガやレフィルの事を盲目的に勇者と呼んだり、聖地に執着するなど…尋常ならざる信仰心と崇拝心…ここまで熱心な聖職者も珍しい。
「ジパングか…さて、どう行くか…。」
「……ふむ、それよりもまずはアッサラームへ向かうのでは?」
「そうだな…。」
 まずは場合によっては一番入手困難な場所にある市場に赴いてみる。それが一行がオーブ探求の手段として出した答えだった。
「買えなかったらどうしよう…。」 
 レフィルは物憂げな顔でそう呟いた。
「あ!お金に困ってる?…だったら、コレ持っていきなよ。」
 マテルアは稽古の時に身につけていた銀色のサークレットを顕現させてそう言った。
「…え?それって珍しい物なんじゃ…?」
「ああ、大丈夫大丈夫。それ、ダブってたから。」
「ダブってた…?」
 サークレット…と言うよりは兜ともいえるのだろうか…
「これなら大体20000ゴールドはするでしょ。」
「に…にまん…。」
 その様な高価な物を二つも持っていて、おまけに少し前まで見ず知らずだった自分に易々と寄越している…レフィルはそこまで気前の良いマテルアに感謝を通り越して…申し訳なさでいっぱいだった。
「それじゃ、気を付けてね。」
 マテルアはサークレットをレフィルに渡すと、ルーラの呪文を唱えて船から飛び去った。
「……良いのかな…。こんな物貰っちゃって…。」
 スライムを思わせる意匠が所々にあるサークレット…それを目の前に持ってきてレフィルはそう呟いた。
「気にするな。ヤツの意志だ。オレだったら…流石にこんな珍しい物を売る気にはなれないがな。」
「……そうだよね。わたしも…。」
 レフィルはサークレットを頭に乗せ、船の舵を握った。
「じゃあ行くか。」
 ホレスの言葉に頷きながら、レフィルは詠唱を始めた。
「ルーラ!!」
 船全体が光に包まれ、少し浮遊した後…光そのものとなって北へ向かって飛んでいった。


(第十二章 深淵への道 完)