深淵への道 第九話

「全く…よくそんな体でここまで頑張れるわねぇ。」
「……。」
 距離を置いて、ホレスはキリカに構えていた。
―…悔しいが、防戦一方だな…。
 肩にナイフが刺さったまま動き回っている為か、自分で思っていたよりも体力や道具の消耗が激しく、殺気が篭った銀髪の女の攻撃を凌ぐのが殆どだった。
―だが…隙は必ずある…!
 イオラの呪文で魔物をけしかけたり、壁の仕掛けを解くのを静観したりと体力は余りあるようで、かなり積極的な攻めを仕掛けてきた。
「いい加減死んだら?…どの道そんな体じゃここから帰るのだって無理あるじゃない。」
「…下らない。死に行く者の心配など、オレには何の慰めにはならないな。」
「死に行くって…まだ状況を理解してないのね。」
 キリカは嘆息すると、既に疲労の色が濃いホレスに向けて数本のナイフを投擲した。
「く…!」
 飛んできたナイフを、ホレスは反射的にドラゴンテイルで払った。
「遅い!」
「…!」
 足音も無く…キリカはホレスの背後を取った。なけなしの力を振り絞って後ろに飛びのくが…今度はキリカも執拗に追って来た。
「あははははは!全く無様じゃない。」
 後ろに下がる事しか出来ないホレスにひたすら大振りのナイフを振り下ろし続け、彼女はあからさまに嘲笑した。
「くそ…!」
「全然変わってないじゃない。あの子も助けに来ないからすぐに終わりそうね。」
 微かに…しかし着実にナイフはホレスの体を傷つけていった。
「…なめるな!」
ゴゥッ!!
 ホレスは下がりつつも荷物から赤い色の珠を取り出して…それから迸る火炎をキリカに放った。
「!」
「そこだ!」
 一瞬怯んだのを突いて、ホレスは更に雷の杖を振り翳した。
ピシャーンッ!!
 紫電が迸り、闇に溶け込む黒衣の女に牙を剥いた。
「っう…ッ!」
 その衝撃に…キリカは思い切り吹き飛ばされて壁に体を打ちつけた。
「止めだ…!」
 ホレスは手にした雷の杖の先端でそのまま真っ直ぐにキリカを突いた。
「…ふざけないで!」
 奇襲を受け、暫くは呆けた様な表情をしていた女の目が…不意に怒りに光った。
シュゴォッ!!
「…なっ!?」
 突然正面に大きな火の玉が現れ…成すすべも無くホレスはそれに衝突した。
「ぐぉおおおおおおおっ!!?」
 直前で強引な体制でかわしたが…その熱量にあてられて僅かに身を焦がした。
「アッタマに来た!」
 キリカはいきり立った様子でそう吐き捨てて、ホレスに向けて掌を翳した。
「させるか!」
 その意を察し…ホレスもすぐに身構えた。
「イオ!」
「…く……!」
 呪文が唱えられたのを聞き、ホレスはすぐにその場を離れようとした…
ガクン!
「……っ!?」
 しかし、突然足に力が入らなくなり…膝を屈した。
―こんな時に…!
ドガーンッ!!
「がぁあああっ!!」
 ホレスは成すすべも無く爆炎に飲まれた。
―…これ…ま…で……か……!?
 薄れ行く意識…だが、それに反してホレスは再び立ち上がっていた。
「……ゾンビみたいね。」
 骨が幾つか砕けたのか…血を吐き…既に全身に洒落にならない傷を負って尚立つ男に、キリカは嘆息した。
「ぐ…ま…まだだ……!」
―……まだ生きている…!
「……何か冗談抜きで死なないみたいね。だったら…」
 キリカは腰に巻きつけたトゲ付きの鞭をしならせてホレスに放った。
「な…なに…っ!?」
 それはホレスの体に巻きついた。
「そぉれっと!」
 鞭が敵を捕らえた事を確認すると、キリカはそれを思い切り引いた。ホレスは地面に叩きつけられ…トゲが体に食い込んだ。
「ぐぁああっ!」
「これで動けないでしょう?…はぁ、何か殺すのも面倒になってきたわ。」
 鋼の茨の中でのた打ち回るホレスを一瞥し、キリカは蒼い光を湛えた珠を抱く竜の石像へと向かった。
「……これで、アタシもようやく…サイアス様に…」
 胸鳴りが高まるのを感じながら…キリカはその珠に手を伸ばした。それが手に触れようとしたそのとき…!!
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!
「…!?」
 突然地震が起こり、その手が一瞬珠から離れた。
「もぅ…なんなのよ…。折角人が幸せを手にする時が来たっていうのに。」
 揺れは収まる様子を見せず、暫しの間続いた。
「今下手に取ったら落としちゃうじゃない…。だからキライよ、地震なん……」
ゴッ!!
「っ!!?」
 揺れる中で呟くキリカの背中に鈍い衝撃が走った。激しく揺れる間、オーブに夢中でキリカは背後から迫る影に全く気付かなかった。
「……あ…アナタ!?まだ…」
 振り返った先にいたのは…両の掌から血を滴らせている銀髪の青年の姿だった。
「…!」
 激しく揺れる中でホレスは取り憑かれたに蒼い珠に手を伸ばし始めた。
「……来ないで!」
 キリカは今のホレスの只ならぬものを感じ取り、初めて彼に恐れを抱いた。
ドッ!!
 無意識に突き出したナイフはホレスの体を貫き…その血を纏って赤く染まった。
「……!!」
 しかし、その状態でも尚ホレスの手は止まらず…蒼い珠に触れて…やがてそれを手にしてその場に倒れた。
「く……この子…一体…」
 既に瞼は閉じられて…刃に貫かれた胸は赤く染まっている…。それでも…蒼い光を湛えた珠を持つ手はしっかりと握り締められて…落とす気配が無い。
ガシャン!!
「…!」
 突如として、辺りの天井が崩れ始めて…キリカはその場を飛びのいた。
「く…!ここは…もう諦めるしか…!」
 瓦礫によってホレスは彼女の手の届く所から隔絶された。天井は崩れ続け…もはやここは長くは持ちそうに無かった。
「リレミト!」
 ホレスが灯したレミーラの光が消えると同時に…キリカの気配もその場から消え去った。

 そして…外に出た時、それを握る手共々血みどろの短剣を見て、黒髪の少女が抜剣して斬りかかってきた。
「…っ!?」
 それは想像を絶する軌道で自分に迫ってきた。
―…氷の刃…!?
 剣先から迸る魔力がその延長上に更なる刃を形成し、キリカを襲った。
「く…!」
 その一撃で…手にしたナイフを砕かれながらも紙一重でかわし、素早く神殿内を駆け抜けた。
「相手にしている暇なんか無くてよ!」
 前回会った時とは比べ物にならない程強くなっている自分の怨敵にそう吐き捨てつつキリカは遁走した。
「……逃がさない。」
 しかし、少女…レフィルは吹雪の剣を目の前に構え、その力を発動した。辺りの空気が急速に冷却され、雪の様な白い粒子を伴った気流が辺りを包んだ。
―…これは……
 それは逃げるキリカにも及び、彼女は一瞬顔をしかめた。
「…ライデイン!!」
 そして…レフィルは呪文を唱えた。同時に振り下ろされた刃から雷鳴が轟き…衝撃波となってキリカへと飛んだ。
―…あの出来損ないの呪文…!?
 出来損ないとは言え…自分は前回その呪文によって捕らえられた。
「…だけどそんなもの、避けられれば…!」
 キリカはその衝撃波の軌道を読み、身を逸らしてかわした。…しかし、そのとき変化が起こった。
バチバチバチッ!!
「…!!」
 突然衝撃波に紫電が帯び始め、程なくしてそれは四方八方に弾け飛んだ。
バシュゥッ!!
「きゃあああっ!!?」
 予想外の電撃に、キリカは悲鳴を上げてのた打ち回った。
「…く…!…こんな事が…!?」
 不完全な呪文が…魔法の剣によって全く別の威力ある攻撃に変貌した事実をその身を以って味わい、彼女は驚愕に目を見開いていた。
「……どこ…」
「…!」
 いつの間にか、黒髪の少女が自分に冷厳かつ鋭利な切先を突きつけてそう告げてきた。
「………ホレスは…何処……!?」
 髪に隠れて表情を伺う事は出来なかったが、その眼からは涙が流れ続けている…。
―…危ないわね…これは……
 秘めていた潜在能力も…今の精神状態も…キリカには危険性が大きすぎた。
「…悪いけどね、アタシはまだ死ねないの。言ったでしょう?邪魔しないでって。」
 もはや何も言わずに、レフィルは黒い女に向かって蒼い剣を振り下ろした。
「マヌーサ!」
 しかし、キリカが呪文を唱えると同時に剣は空を切り、別の場所にその女の姿が現れた。
「さよなら。次に会うときはその恨みごと消し去ってあげるわ。」
 キリカは神殿の天井の隙間を見上げると、キメラの翼を空に向けて放った。彼女の体は浮き上がり、その隙間を通ってその場から離れた。

「……姉さま。」
 全てが終わった神殿の大広間に、レフィルは只呆然と座り込んでいた。
「ホレスが……死んじゃう…」
 血濡れの刃を手にしていたポルトガで遭遇した刺客…帰ってきたのが彼女だけと言うのであれば…結果はおおよそ知れた物である…。
「……。」
 既に流すべき涙は枯れ、レフィルは虚ろな目を地面へと向けていた。
―…だけど、一体どうして…地球のへそには一人しか入れないはずじゃ…?
 マテルアは地球のへそから突然現れた女に疑問を抱いた。
「…あいつが……出てきたから……?」
 今は結界の存在を感じられない。どうやら先程の女が出てきたのを探知して封が解かれたらしい。
「……。」
 レフィルは黙って入り口を見た。そして…
「姉さま!?」
 マテルアが驚いて素っ頓狂な声を上げているのにも振り返らず、彼女は地球のへそへと入っていった。
―…こんな所に置いて行きたくない……。
 レフィルの背中に…マテルアは何処か暗い雰囲気を感じた…。それはホレスへの心配の気持ちの強さ故か…或いは…。