深淵への道 第六話


 ホレスが地球のへそに突入してから一日…
「…凄いな、これは。」
 深い闇をぼんやりと照らすレミーラの光を頼りに、ホレスは石作りの遺跡の隅々を調べていた。
「本当に前人未踏の地に足を踏み入れたみたいだな…オレは。」
 近くでは魔物が突然の来訪者を驚きを隠せない様子で見つめていた。彼らに目もくれず…手近にある最早原型を留めていない碑文や彫像を見た。
「一人しか入れないと言うのは本当らしいが…一人どころか誰も立ち入ってすら居ない様だな…。」
 マテルアが何故ここには一人しか入れないと言う事を知ったのかは分からないが、今はその様な事などどうでも良かった。
「…さて、次に行くか。」
 ホレスは魔物達を刺激せぬように静かに奥へと歩き出した。しかし、その姿には試練などを受けている様子は無く…それどころかまるで観光にでも行っている様な雰囲気だった。
 
「…相手が悪かったな。」
 紫色の兎…アルミラージの群れをドラゴンテイルで一蹴し、地面へと叩きつけた。
「死にたくなければさっさと失せろ。」
 感情が篭らぬ声でホレスは彼らにそう告げた。すると、アルミラージ達はよろよろと立ち上がり…奥のほうへと逃げていった。
「しかし…すっかり魔物の巣になっているな。別にここに限った話ではないが。」
 今までもある程度の遺跡や洞窟を見てきたホレスにとって、それはありふれた光景であった。時にはスカイドラゴンの巣窟となっている所もあり、迂闊に手を出すと命を落とすような危険な場所も数多くあった。
「寧ろマシな方か。長い事放って置かれてはな。」
 ホレスは別の所にある他の魔物の巣を見やりながらそう呟いた。そこには生存競争に負けた者の骸が転がっている…。幸いそちらには見るべきものは特に無かった。
「さて…。」
 ホレスは足元にある錆び付いた物を拾い上げた。
「…剣か。」
 錆びた鞘に収まっている剣…ホレスはそれをおもむろに引き抜こうとした。
シャッ
「……抜けた。」
 外の余りに無惨な有様と違い、鋭い切っ先がレミーラの光を受けて輝いた。
「鉄では無い…朽ちない魔法金属…?まぁ持っておくに越した事は無いな。」
 錆びた鞘共々…見つけた剣を腰に差し、ホレスは更に奥へと進んでいった。
―もし…これが試練とすれば、おそらくは序の口…だろうな。
 薄々と感じる激動への予感を胸に…。
 
ヒュンッ!
 レフィルは地球のへその入り口で…蒼い刀身を持つ剣を振っていた。
「…八十八、八十九…」
 非常に地味な基本動作で、まだ少しぎこちなさを残していたが…長い間剣を執ってきたと一目でわかる様な素振りだった。
「九十九、…百…、…ふぅ。」
 練習用の木剣でも十分重く感じられるが、金属製の剣にはまた違った重みが感じられた。
「まだまだだな…。」
 今は冷気を然程纏っていない吹雪の剣を鞘に収めながら、レフィルは嘆息した。
「…へぇ、珍しい剣持ってるじゃん。」
「うん…でも、力が凄すぎて…。」
 吹雪の剣…極冷の寒波を以って敵を討つ魔剣である。その力故…厳重な封印をホレスが紐解き、当面の武器としてレフィルが持つ事になった。
「わたしにこの剣…使いこなせるかな…。」
「使いこなす?…んー…こんだけ凄い剣だったら使い方なんか幾らでもあると思うけどねえ。」
「そうだよね…。」
 海面を凍りつかせる程の氷の魔力と刀身自体の強さ…剣の達人であったとしても、恐らくはその力の半分も引き出せないだろう…。或いは氷の魔力に巻かれて自滅する事さえありうる。
「…やっぱり姉さまは偉いなぁ。こういう時でも自分を磨く事を忘れないなんて。」
「ううん、落ち着かないだけ。」
 マテルアと話しつつも…先程から吹雪の剣を弄ったり、辺りをキョロキョロと見回したりと…やはり気が治まらないようだ。
「ふぅん。…でもオイラも退屈してるし…良かったら付き合うよ。」
「…付き合うって…素振りに?」
「まぁそれもそうなんだけど…ちょっと待ってて。」
 マテルアはレフィルから距離を取ると、気を練り始めた。
「スカラ!」
 そして防御呪文を唱えた。それはレフィルに掛けられて彼女の周りを防護の結界が覆った。
「…マテルア?」
 レフィルが尋ねる暇も与えずに、マテルアは次の呪文を唱えた。
「モシャス!」。
「…!」
 そう唱えた直後…スライムの姿はそこには無く…
「…わ…わたしが居る??」
『そう、…ええっと…姉さまの姿…モシャスで借りちゃった。』
 現れたのは…苦笑を浮かべている”自分”であった。声はマテルアの物であったが、レフィルは何とも言えなくて…呆然とその場に立っている。
『…召喚!』
 続いてレフィルに変身した者が、手を空へと翳した。
「あ…」
 何処からとも無く、彼女の体に…金属色の光が纏わり付いた。そして、それはやがて銀色の鎧と盾と剣…そしてサークレットへと変化した。
「……綺麗…。」
 レフィルは目の前の自分が纏った武具を見て思わずそう呟いていた。
『ホント?結構レアモノなんだよね、コレ。』
「そうなんだ…。」
 武具を褒められて、レフィルの姿を取ったマテルアはにこっと笑った。
―…何か…不思議な気持ち…
 自分では絶対にあの様には笑わない…というより心の底から笑った事が無いからだろうか…。
「それで…これからどうするの?」
 スカラを掛けられて自らに張られた結界越しにレフィルはマテルアに尋ねた。
『一種の稽古だよ。…自分自身と向き合う事のね。』
「自分自身?」
 マテルアの言葉に、レフィルは首を傾げた。
 
「……特に魔境らしきものではないらしいな…。」
 ”迷いの森”や”悠久の回廊”の様な超自然現象が起こりうる場所を魔境と呼ぶが、この地球のへそは…どうやらその様な特別な仕掛けや地形では無いようだ。
「…となると、この階層は残るはあの部屋だけか。」
 ホレスは手帳に一階層の地図を書き込みながら、その最後の一部屋を見やった。
「……これは…。」
 そこにあったのは四つの宝箱だった。
―…明らかな罠だな。恐らくこの全てか…一部が人食い箱やミミックだろうな。
 しかし、ホレスの本当の興味はその奥にあった。
「魔杖だ…。」
 何かの力で宙に浮いている杖を見て、ホレスは目を見張った。が…それに触れようとすると見えない力によって阻まれた。
―これも罠か…?だが…それも面白い!
「よし…!」
 ホレスは宝箱の一つに手をかけた。
「……。」
 中には僅かな金塊が入っていただけだった。
―なるほど…或いは躍らされているだけかもしれんが…
 二つ目の宝箱も三つ目の宝箱も…中身は魔物等では無く、古からの遺物であった。
「…ある意味凄いな…。」
 その中の一つ…星型のマークが目立つ…金色のメダルを見て思わずそう呟いていた。
「…残るは一つか…。」
 宝を三つ漁っても、魔杖には何の変化も現れない…。それを守る力も収まらなかった。
「さて…」
 ホレスは最後の宝箱を開けた。
ガタンッ!!
「!」
 突然宝箱が跳ねてガチャガチャと嫌な音を立て始めた。
「行くぞぉっ!!」
 ホレスは宝箱の正体…ミミックへドラゴンテイルを放った。
「喰らえっ!!」
 黒い鎖状の武器が真っ直ぐにミミックへと飛んだ…
『メラミ』
 が、魔物は素早く飛び上がり…そのままの勢いで呪文を唱えてきた。
「…くっ!」
 ミミックが放った大きな火の玉を前に間合いを切らざるを得なくなり、ホレスは後ろへと後退した。
『マホトラ』
 続いて唱えられた呪文によって、ホレスが持つ魔力が奪われて…レミーラの光も消失した。
「ちっ…!」
『ザキ』
 そして、死の呪文がホレスへと放たれた。

「…どういう事?」
 レフィルはきょとんとしながらマテルアに尋ねた。
『今オイラは姉さまの姿をとってるけど、能力も姉さまと同じ状態なんだよ。』
「…同じ状態?」
『意識は全く別モノだけど、使える呪文とか力とかがね。』
 銀色の鎧を纏った自分と同じ体を持つ存在の話に、レフィルはなるほど…と頷いた。
『いい機会だと思わない?』
 自分自身と戦う事で、より多くの事を学べる…マテルアはそう言っていた。
「うん…でもいいの?…わたしもあなたも…手加減とか出来ないと思うし…」
『だからスカラをかけたのさ。当たっても傷つかない様にね。』
「…だったら初めから普通の木刀でやった方が…?」
『姉さまの吹雪の剣の使い方を確かめる意味でもこっちの方が良いよ。』
 銀色の剣と盾を構えながら、マテルアはどこか楽しそうにそう告げた。
「そう…。」
 レフィルも吹雪の剣を引き抜き、背負った水鏡の盾を左手に持った。
『始めるよ!』


「…っ!?」
 ミミックのザキの呪文で…耳障りな雑音がホレスの頭の中に直接響いてきた。
「…効かんな!!」
 だが、それだけの話であった。彼は腰の袋から爆弾石を取り出すと…開きっ放しのミミックの口へと放り投げた。
ドガーンッ!!
 中からの爆発を受け、ミミックは粉々に砕け散った。
「死霊の呼び声に惑わされなければザキなど効果は無い。」
 ホレスはそう呟くと、部屋から踵を返して次の階層へと向かった。