深淵への道 第四話

「これは……。」
 ホレスは神殿の中へと続く巨大な門をくぐり、内部を見回した。
「ランシールの神殿…か。」
 魔物の巣窟と化しているためか…既に大半が荒れ果てていた。柱の何本かが折れて、その破片が地面に散らばり…随所に爪跡が無惨に刻まれていた。
「…前人未踏の地…と言えるかもしれないな…。」
 随所に置かれた石碑には埃が溜まり…人がそれを払った形跡が無い事を見てそう呟いた。
「ホレス…?」
 暫く辺りを探索していると、後ろから聞き慣れた少女の声がした。
「レフィルか…どうした?」
 ホレスは振り向かずに言葉を返した。
「あ…ごめんなさい、邪魔だった…?」
「いや、突然席を立ったからな。…様子を見に来てくれたのか?」
 謝るレフィルに応えたホレスは相変わらず淡々とした語りだったが…先程抱いていた冷たい雰囲気は無かった。
「さっきは考え無しにオードの話に水を差したからな…。」
「え…?…ああ、あの事…。」
 
―……目標とするべき人物…それを勝手に父と決め付けるな。
―…子が必ずしも、親を目指すとは限らない。それが例え…偉大なる者の足跡であれ、同じ道を志す事であってもだ。…この子が目指す勇者という物が…オルテガとはまた違った物であったと知り、それを否定するならば…愚かと言えるだろう。

「…ううん、実際…ホレスの言う通りだから…。」
 あの時ホレスが語った事は…皆には話の流れを切り、不快な気持ちにさせる暴言でしか無かったが…レフィルにはまた別の物がその言葉から感じられた。
「……。」
「だって…わたしって…父さんみたいに強くも勇敢でも無い…。それに…」

―レフィルさまが魔物を一杯倒してくれてると思うとボクも落ち込んでいられないしね。

「…やっぱり皆…魔物に不幸な目に遭わされているのに…わたしは…」
 レーベの村のシン…彼を初めとする者達は家族や友人を魔物によって殺されている…。
―わたしがそう思えないのは…どうしてだろう…。
 自分もまた、魔王討伐に向かった父…オルテガを失っている…。それでも魔物を憎む事は出来ない…。
「魔物と戦う事…まっとうな人間であろうとすれば誰でも躊躇うものさ。」
「……え?」
「何しろ命の奪い合いは取り返しがつかない。どちらが死を迎えるにしてもな。」
 死に瀕したところから這い上がる者は数居れど、死そのものから蘇った者は居ない…死んだ人間は生き返ることは無い。
「……あ…。」
「…そう簡単に割り切れる物ではないさ。だから今のままで恥じる事なんか無い。」
「ホレス…。」

―…これからはオルテガの娘としてではなく、そなた自身…勇者レフィルと堂々とあれば良い。…魔物と命のやり取りを躊躇う、それもまた一つの勇者という事じゃな…。
 
 同時にレフィルは王に言われた事を思い出した。
―…勇者レフィル……か。
 数ある栄誉ある者達の中でも自分は恐らく一番逸れた道に居る事だろう…。その気持ちの弱さと非常になり切れぬ甘さ故に…。
―でも…ホレスは…
 彼は…自分の事を勇者としてはもちろんの事…一人の人間としても見ている様だ。
―…何だか嬉しいな…。
 多くの者は自分にオルテガとイメージを合わせてくるが…ホレスは自分のありのままを見てそうして接してくれる…その様にふと考え…レフィルは気持ちが少し楽になった。
「試練の場…か。」
 荒れた神殿の探索を進めている内に…ホレスは突如そう呟いた。
「試練?」
 石碑を見つめるホレスの後ろでレフィルもまた、その刻まれた文字を見た。
「此は大地の懐に通ずる深淵の道、眠りしは蒼き光を湛えし命の欠片、我誘うは…光を識り…闇を識る者。」
 光と闇を知る者のみがこの大地の懐に立ち入る事を許される…とでも言いたいのだろうか。
「蒼き光…?」
 ホレスによって読み上げられた言葉を聞き、レフィルは思わずそう呟いた。
「…六の光の一つ…かもしれないな。ブルーオーブ…と言った所か。」
「……うん。今もあるかな…?」
「ああ、…恐らくここに立ち入った者の数自体が少ないだろうから…まだここにある可能性は十分ある。明日にでも探索しよう。」
「そうね…。」
 二人はその秘境への入り口らしき大きな門から踵を返し、神殿の外へと出た。

「…ふぅん。」
 その後…誰かがそう漏らしたのはホレスの耳にも入らなかった。

「オーブ…かぁ、ホンマにこないな所にあるん?」
 翌日、神殿内にレフィル達は集まっていた。
「…オーブ?何それ?」
 マテルアはカリューの言葉に身をぷるるんと震わせながら尋ねた。
「蒼い光とあったからな…六つの光の一つがここに…。」
「オマエには訊いてな…っていうか何言ってるかさっぱり分からないし。」
「当たり前だ、レイアムランドで見た古代の文だからな。」
「…レイアムランド…って…んな寒い所で何してたんだよ…。」
 訝しげな目を向けるマテルアを見ても、ホレスは特に何も思わず話を続けた。
「或いは無駄足になるかも知れないが、地球のへそとやらがどれだけの物なのか…」
「…ふむ、少なくとも…今では魔物の巣窟となっていると言えるでしょうな。準備は行っておくに越したことはありませんな。」
「せやなぁ…。薬草の類はちゃんとあるん?」
「それは問題無い。…あの後ランシールに戻って補給してきた。」
「いつの間に…、相変わらず仕事速いのぉ…。」
 カリューはホレスが開いた荷物袋の中身を見て…思わずため息を漏らした。
―…こういう事ではええんやけど…
 昨日のオードへの暴言…それもまた彼の実直さ故の物である事はカリューにも分かっていただけに、少し複雑な気分であった。
「おーい…。」
 突入前の打ち合わせをしている四人にマテルアが何処か寂しそうに声をかけてきた。
「…ん、どうしたの?」
「盛り上がってるところ悪いんだけど…地球のへそには一人しか入れないよ。」
「……え?」
 その言葉にレフィルはきょとんとしてマテルアを見た。
「一人しか入れない…か。ならば四人入れる様にするまでだが。」
「それがそうもいかないんだよ。…強固な結界に守られてるみたいでさぁ。」
 顔を見合わせた後、四人は地球のへその入り口へと歩み寄った。
「ふむ…失われた時代に作られたものとしてはまぁまぁな出来ですな。」
 見えない壁の奥の闇の中にある白い光を湛えた球体を見て、ニージスはそう呟いた。
「…今は通れるか…。」
 ホレスは入り口をくぐった。…しかし、特に変わった様子は無い。
「え…?何も起こらない…?どうなって…」
 レフィルは首を傾げながらホレスに近づいた。
「わっ…!」
ごんっ!
「きゃっ!!」
 しかし、運悪く足元にあるくぼみに躓いて頭から見えない壁にぶつかってしまった。
「っ!?」
 ホレスは触れるか触れないかのギリギリの所でレフィルの顔が止まった事に思わず息を呑んだ。
「…レフィルちゃん!?大丈夫かぁっ!?」
 床に倒れこむレフィルに、カリューは慌てて駆け寄った。
「いたたた…、また頭打っちゃった…。これ被ってなきゃ…」
 よろめきながらゆっくりと起き上がりつつ、レフィルは頭に被ったサークレットを触った。
パキッ… 
「…あ、サークレットが…。」
カラーン…
 突然サークレットが真っ二つに割れ、床に落ちて乾いた音を響かせた。
「……随分と使い込んでいたからな…。」
 エリミネーターや氷河魔人…そしてトロル等…数々の魔物との戦いで傷つき、既に寿命が来ていたのだろう。役目を果たしたサークレットはやがてボロボロと崩れ落ちた。
「しかし…やはりここは一人でしか入れないみたいだな。」
「ふむ…それでは私はパスという事で。」
「…わても遠慮しとくわ。」
 珍しく怖気づいた様子でカリューは弱弱しくそう言った。
「はっは、君らしくないですな。臆病風にでも吹かれましたかな?」
「ん…んなワケあるかいっ!!」
「…ん?…となると…ははぁ…もしや君も方向…」
「わーっ!!わーっ!!」
 大声を張り上げながら、カリューは慌ててニージスの口を塞ぎ、ついでに首も絞めた。
「?」
「…成る程な…。」
 レフィルがジタバタしているニージスとカリューを見て首を傾げる一方、ホレスは全てを理解した。
「…となると、残るはオレとレフィルという事になるな。どうする?」
 結界をくぐり、ホレスはレフィルに尋ねた。
「ハッ、男のクセに随分と弱気だなオイ。」
「……。」
 マテルアの嘲笑にホレスは眉一つ動かさずに向き直った。
「そう言って上手い事言って、姉さまに行かせたいだけだろ!?」
「…!?」
 スライムの言葉に、レフィルはたじろいで口元を押さえた。
「やっぱりこうした場所には勇者が行くべきとか、結局オマエも同じじゃないか。これだから…」
「黙れ!!」
 今度はいつもと違い…激情を露わにして怒鳴った。
「…言ったはずだ。この子はオルテガとは違う。…勇者がこうあるべき…等とほざくのは全く以って馬鹿馬鹿しい…!!」
 いつもにも増して彼の殺気さえ篭っている鋭い視線がマテルアへと向けられた。
「じゃあ何でいちいち姉さまに尋ねた?」
 それに怯むことなくマテルアはピシャリとそう返した。
「レフィルはリーダーだ。この子の確認も無しと言うわけにはいかない。」
「じゃあオマエが行けって言われて行くか?」
「……ふん、初めからそのつもりだ。」
 忌々しげにそう言い捨てると、ホレスは結界を抜けて一人深淵への道へと消えていった。
「あり?…じゃあ寧ろアイツが行きたいだけ…?」
「ホレス……。」
 彼が魔境へと身を運ぶのは…伝説と呼ばれる代物への執着か…それとも…
―…無理はしないで……。
 レフィルは闇へと消え行く黒装束の青年を…憂いに満ちた面持ちで見送った。