第十二章 深淵への道


「…ん…んん…。」
 レフィルはベッドから起き上がり、まだ目覚め切れていない体を軽く伸ばした。
「よく寝た…。ホレス達は大丈夫かな?」
 あちこち跳ねている癖の強い長い黒髪を軽く梳かしながら、レフィルは外へ出た。

「起きたか。」
 甲板に出ると、朝日を受けた黒装束の青年の背中が見えた。
「あ、ホレス。おはよう。」
 船の後ろには船が押しのけた水が波の形をとって後ろへと流れている。
「陸地が見えた。あと十分もしない内に付くだろう。」
「…そうなの?じゃあすぐに船を…」
「ああ。悪いが一度戻って二人を起こしてくれ。オレはすぐに帆を畳んで舵取りを続ける。」
「はい。」
 ホレスはロープを伝って軽々とマストの上へと昇った。

「…陸地か。…大体どの辺りで?」
「…ランシール周辺か。」
 アリアハンを出て十日が経ち、レフィル達が乗る船は、アリアハン大陸の西にある…世界の中心にあると言われる、ランシールの町のある大陸へと至った。
「ランシールって言うたら深い森があるトコちゃう?」
「……そう言えば、ここにも大きな遺跡があると聞いたな…。」
「ん?そうなん?」
「ふむ…古に守護者を名乗る部族があっただけの事はありますな。」
 ランシールが地球の中心と言われていたのは今に始まった話ではなく、今の町が出来る前から…この地に生きた者達によって語り継がれてきた事であった。
「とりあえず町に行こうか。」
「そうね。」
 レフィル達は船を下りて、地図が指し示す町へ向かって歩き出した。

「…この辺りの魔物は見覚えがあるな。……確か、ロマリア辺りで見なかったか?」
 数体の魔物をドラゴンテイルで切り裂き、ホレスはレフィルに話し掛けた。
「……うん。前に戦った事がある魔物だから…そんなに苦戦はしないね…。」
「そうだな…。」
 難なく同胞をいなし、或いは一撃の元に斬り伏せる冒険者四人を前に、魔物の群れの中に動揺が走った。
「無駄だ。死にたくなければ早々に失せろ。」
 魔物達に向かってホレスは命じるようにそう告げた。
「ふむ…どうやら効いているみたいですな。」
 既に戦意を失った者が真っ先にホレスの前から姿を消した。
「…まだやる気か。」
ブンッ!!
 ホレスは未だに踏みとどまる魔物に向けて黒い武器を振るった。それは地面を抉り、土埃を魔物達に撒き散らした。
「……逃げおったか。」
 カリューは赤い刀身を持つ妖剣…誘惑の剣を鞘に収めつつ、去り行く魔物達を一瞥した。
「随分と場慣れされましたな。」
 杖に仕込まれた刃を収めながら、ニージスはホレスに歩み寄りながらそう言った。
「今更何を…」
「…無駄な戦いを避ける術を知った。それだけの事でこう言うのは浅い根拠ですかな?」
「……敵から逃げ回ればそれで良いと思うが?」
「まぁ一人ならそれで良いでしょう。…ですが、四人ならば今のように追い払う方が被害が少なくて済むのでは?」
「成る程な…。」
 一人の時にもある程度使った芸当ではあったが、その時は主に…持ち前の気配察知能力と、身のこなしの軽さで隠れるなり逃げるなりして魔物をやり過ごす事も少なくなかった。だが、仲間と共に行動する内に…彼の最大の資質である聴力以外にも色々な感覚を使うようになり、戦い方も含めて様々な面で洗練されていた。
「戦意を失いかけた敵に圧力をかけて追い払う。上出来ですな。」
「…ああ。」
―…言われて初めて分かる事もあるものだな。
 自分の無意識の内の行動が意味する所…それは他者から見れば時に致命的な愚行…はたまた奇跡の布石と見える…。ホレスはふと…そう考えさせられた。

「ランシールへようこそ!」
 森の中を分け入り、町の門をくぐった四人に住人の一人が出迎えた。
「…開拓されているみたいだが…随分静かな町だな。」
「ですな。」
 敷石が敷き詰められた道と、先進の王国に負けない技術で立てられた建造物…そのくせ森林地帯と調和し、穏やかな町並みを作り出していた。
「神殿って…どこにあるのかな…?」
 レフィルはそう言いながら…都会へ来た地方の村からの移住者の如く辺りを見回した。
「…そうだな。少し聞き込みでもしてみるか?」
 特別隠すような事で無ければ町の者も気軽に話してくれるはずである。ホレスは宿の看板に一瞬目を留めると、そちらへと歩き出した。
「待ちやっ!?いきなり歩き出すヤツがあるかい!?」
 不意に宿へと踵を返したホレスをカリューは慌てて追いかけた。
「…ふむ、まあいずれにせよ、私達も行きますかね。」
「……。」

「…むむむ…神殿があると聞いたのだが…何処にもありませんぞ…!」
「…無い?」
 宿で昼食をとっていた口ひげを生やした中年の神官の言葉に、ホレスは眉を潜めた。
「あんた、町の者には聞いたのか?」
「おお、聞きましたぞ…!…それでも見つからんのです!」
「……そうなのか…。」
 彼が言うには、森中を歩き回ったが…何処を探しても森しかなく、道に迷った挙句…キメラの翼で泣く泣く戻って来た…との話だった。
「神よ…私はここまで自らの道を進んで参りました…。そして…遂にこの聖地と呼ばれし地まで至ったのです…!どうか…私に道を指し示したまえ…!」
 話している内に感極まったのか、神官は 話が終わるとそう祈りの言葉を口ずさんだ。
「…もしかして、迷いの森…かもしれないな。」
「迷いの森…?」
 深い樹海…ただそれだけで十分人を迷わせ…その懐に骨を埋めさせるには十分であったが、時々超自然現象として…迷いの森の名を冠した魔境が生まれる事があると言う…。
「迷いの森如きで屈する訳には参らんのです!私は…彼の聖地へ巡礼するまで…決して諦められぬのです!」
 神官は”迷いの森”の言葉に屈する事無く堂々とそう言い放った。
「はっは。随分熱心ですな。それが本職である筈の私が負けてどうするのでしょうな。」
「本職…?…貴方も神官ですかな?」
「…コイツ、一応ダーマの賢者らしいで。」
 カリューの一言に、神官は大きく目を見開いて飛び上がった。
「なんとっ!?こ…これは失礼を致しました!!」
「はっは、まだ何もしてないでしょうに。…何れにせよ私達もその神殿とやらに行きたいと思うのですが…」
 大袈裟とまで言えるほどに驚く神官を見て笑いを浮かべながらニージスは話を持ちかけた。
「左様でしたか!」
「あんた…一度は探しには行ったんだな。もし良かったらオレ達と一緒に神殿探しを手伝ってくれないか?…寧ろあんたを手伝うと言う形でも良い。」
「いいですとも!魔物が棲み着いていて一人では手におえずに困っていた所です!」
 神官はぱぁっと明るい表情と言葉で快諾の意を示した。
「あ…申し遅れておりましたな、私は巡回僧のオードと申します。」
 そして、思い立った様に…四人へと名乗った。
「そうか…。オレはホレス。」
「ニージスです。」
「カリューや、よろしゅう。」
「レフィルです…。」
 四人もまた簡単に自己紹介をして、神官オードと握手を交わした。

「おーほっほっほっほ!!全く、情けない子達ねぇっ!!」
 眼下で十人十色の倒れ方をしている魔物達を見下ろして、彼女は大声で笑い出した。
「それともあの子がサボっているのかしら!?何れにせよダメな子達ねぇっ!!おほほほほほほほっ!!」
 高笑いは次第に小さくなり…やがて、その山彦が辺りに響き渡った。