山彦の塔 第五話

「……ふぅむ、出来はどうかの?」
 アープの塔についてから二日後、メリッサは老人の部屋を訪れていた。
「ごめんなさいね。またなくしちゃって。」
「ふぇっふぇ、そなたの物忘れは相変わらずじゃのお。ともあれ一曲吹いてみたらどうじゃ?」
 老人から山彦の笛を受け取り、メリッサは吹き口を唇に添えた。

 晴れ渡った村の一角で、一頭の馬が村の子供達と佇んでいた。
「エド、今日は何を話してくれる?」
 子供の一人がその馬に語りかけた。
「そうですね、それでは今日はかつてこの村にあった渇きの壷のお話をして差し上げましょう。」
 すると、あろう事か馬は丁寧な言葉を子供達へと返した。
「かつて?じゃあ昔はあった?」
「はい。この村の力ある者が作り出した伝説に相応しい力を秘めた秘宝なのです。」
「伝説?凄いのか?」
 伝説に相応しいと言われて、子供の一人が身を乗り出してその馬…エドに尋ねた。
「ええ、この村に降りかかる災いをことごとく退けてきた守り神の様な物です。」
 語る術を持つ馬は、子供達に穏やかな口調で話をしていた。
『守り神?』
「「「「「!!?」」」」」
 突如、ぬっ…と金色の竜の頭が皆の視界に現れた。
「いーひっひひひひーん!!!!?」
 ドラゴンの姿を見て驚いたのか、エドは普通の馬と変わらぬ挙動と声で暴れ出した。
「!!エドが狂った!」
「化け物、あっち行け!」
「わたし達食べてもおいしくない!」
 地面に寝転んでいる金色の竜の顔面に、にスーの子供達からの石や木の枝が投げつけられた。
『…痛くも痒くもない。』
 しかし、竜には埃がついた程度にしか感じられていないらしく、どっしりと佇んでいる。
『食べる気は無いから安心して。』
 竜の口からその様な言葉が出たのに対し、子供達はきょとんとして彼女を見た。
「…喋った?」
「ヒン?」
 それはエドも同じだった。落ち着きを取り戻し、つぶらな瞳を竜へと向けてこう尋ねた。
「…喋るドラゴンさん…ですか?」
『ムー。』
「…ムーさん、ですか。」
 エドは納得したように頷きながら目の前に居る竜の顔を見た。
「喋るドラゴン?」
「エドとおんなじ?」
 ようやく大人しくなったエドを見て安心したのか、子供達は地面に伏せている金色の竜の体を触り始めた。
『逆鱗には触らないで。痛いから。』
 淡々とそう告げて、ムーは馬に緑色の目を向けた。
『話の続き、聞きたい。』
「渇きの壷のお話を?どうやら興味を持たれたみたいですね。」

「あいやー、これは一体どうした事あるか…?」
 ドラゴンと馬が向き合って話しているというおそらく滅多に見られないであろう光景が目の前で繰り広げられているのを見て、二つ編みの小柄な少女は目を丸くした。 
―しかし、こいつがメドラあるね。記憶が失ってるというのは本当あるか?
 先日に戦った金色の竜…そして赤毛の魔女、その時の圧倒的な存在感そのままにずっしりと地面に伏せているが、どこか穏やかな様子だった。
「今更ながら…目を疑うあるね…。」
 これがこの前の戦いで武闘家たる自分の攻撃を難なくいなし、痛恨の一撃を喰らわせてきた謎の魔女と同一の存在とは未だに信じられずにいた。
「よぉ、まだこの村に居るみてぇだな?」
「!」
 突然後ろから声をかけられてサイはすぐさまそちらへと身構えた。
「あいやー!変態あるね!!」
「ッ!?」
ドッ!
「ゴラァ!!いきなり殴るなぁ!!」
「あ…、ついつい…。」
 その余りに奇抜な出で立ちに今も少し馴れないのか、サイはぎこちなく赤の覆面マントと青タイツの大男に謝った。
「…いってぇ…。まぁムーに殴られるよかマシだがな…。」
「ムー?あのドラゴンに変身してる娘あるか?」
「おうよ。…なんっつーか…何故かアイツ、怒った時は呪文よりか杖で殴ってくる方が多いんだよな…。」
「あいやー…変わってるあるね…。この前も一発もらったあるけど、あんなに強いとは思わなかったね。」
「そうなんだよ。チビガキだと思ったら馬鹿みてぇに力あんだよ…ってあんたもか?」
「チビガキ……」
 相当失礼な事をさらりと言われ、サイはがっくりとうなだれた。
「…しかし、あれでも手加減されていたあるね…。そうでなければ死んでたかもしれないある。理力の杖使ってる言っても魔法使いが戦士並みの力持ってるのは驚いたね。」
「あ?やっぱりそうなんか?」
 ムーと同性の戦いの専門家の話を聞き、カンダタは目を丸くした。
「力と速さだけならワタシら武闘家の方が断然上ある。でも、アレだけの力があって、型もしっかりしていれば呪文が無くても十分やっていけるね。」
「型?」
「ワタシが最後に受けた一撃、アレ…戦士としての基本動作ね。相当修練されてたあるね。」
「へぇ…。ダーマの咎人言うだけの事はあるじゃねえか。」

―なぁムー、お前…本当に何処から来たのか憶えてねえのか?
―ダーマから追放された…多分。
―多分かよ!?

―…相当絞られたんだろうな。記憶失っても体に残るだけやるってどれだけだよ?
 ダーマの神殿が様々な学や武術の促進の場であるとは言え、身にしみるまでの厳しい修練を積まされていると思うと、それはそれで考え物だとカンダタはふと、そう思っていた。
―やりすぎは良くねえだろうからな。
「アナタがあの娘を育てたあるか?」
「…ん?」
 考え事の最中に話しかけられ、カンダタは少し遅れて反応した。
「ああ、わりぃ。…まぁそうなんだがな…。育て方間違えちまったみてぇでよ…。」
「間違えた?…そうあるか?」
 サイは先日と打って変わって穏やかに子供達や馬と戯れている金色の竜とカンダタを交互に見て首を傾げた。
「記憶を失っているとは言え…あんな事をした後とはとても思えないある。」
「ッ!!?」
 ムーは記憶を失っている…その言葉を聞き、カンダタは目を見開いた。 
「アナタの育て方が悪ければ…」
「ちょと待て!!あんた…何でムーが記憶ねぇ事知ってるんだ!?」
 そして、掴みかからんばかりの勢いでサイに詰め寄った。
「わわ…!近いね…、落ち着くあるよ。へんた…えっと…」
「さりげなく何言ってやがる!!?…ってそうじゃねえ!!一体何処で聞いた、んな話!」
 カンダタの剣幕に、サイは後じさりしながら口をぱくぱくさせながら必死に言葉を紡ごうとした。
ぽつ…
「「…雨?」」
 しかし、突然雨が降り始めて二人の話を切った。
「…あ〜…とりあえずどっかで雨宿りしながら聞かせてもらえるか?」
 カンダタは我に返ってばつが悪そうに目の前の武道着を身につけた少女に告げた。

「…あら、随分と風が強いわね。…皆大丈夫かしら?」
「ふむ…。これは荒れそうじゃな。」
 アープの塔の上で、メリッサはスーの方面に黒雲が浮いているのを見た。
「まぁ…さほど大きな問題にはならないと思うし、今日は吉と出ているから…大丈夫ね。」
「占いか?…ふむ、そうあってくれればいいがの。」
 手にした水晶玉が妖しく光るのを…神妙な面持ちで見つめる老人に、彼女は宥めるように微笑みかけた。
「そうね。ふふ…全く根拠が無いワケでも無いけどね。じゃあ、そろそろ行くわね。ありがとう、お爺ちゃん。」
 水晶玉を鞄の中へとしまい、箒を下へと立てて、メリッサは意識を集中した。
「ルーラ!」
 アープの塔より、真紅の光が…黒雲の中へと入って行った。

『雨…。』
 強風と豪雨に見舞われて誰も居なくなった村で、ムーはただ一匹で佇んでいた。
『……暇。』
 退屈そうに身を横たえて空を仰いだ。
『…でも、気持ち良い。』
 長い首を持ち上げて、目を閉じ、降り注ぐ雨をその顔で受けていた。
「寒くないのですか?」
 馬小屋の中に入っている馬のエドが話し掛けてきた。
『人間と違って鱗があるから平気。』
「…鱗…ですか。トカゲは体が冷えやすいと聞きましたが?」
『ドラゴンとトカゲは少し違う。』
「そうなのですか?」
 へぇ…と嘆息しながら、エドは馬小屋の外に居るムーをまじまじと見た。
『雨、多いの?』
 村の周りを覆う木と土で固められた外壁を見て彼女はエドにそう尋ねた。
「そうですね。先の渇きの壺のお話があったように、河川の氾濫とか良く起こりますから。」
『氾濫?』
 ムーが言葉を反芻した…その時、雨が突如として止んだ。
「…おや、にわか雨だったようですねぇ。」
 エドが意外に思ったような口ぶりでそう呟いたのに対して、ムーも僅かに頷いた。しかし…
『……!』
 突如彼女の耳がぴくっと動いた。そして、次の瞬間には地面を蹴って空高く飛び上がっていた。
『…言ってるそばで起きた。』
 程なくして、轟音が次第にこちらへ近づいてくるのを感じ取り、物見台の守人が慌てて下に大声で危険を知らせた。

「おいおいおい、何かすげえ事になってるんじゃねぇか?」
 騒ぎを聞きつけて外へ集まった一行は、右往左往しているスーの守人の様子を見て、自分達もまた…何とも言えない不安に駆られていた。
「お…オッサン、戻ったか。どうだったい?状況は?」
 マリウスは村の入り口の方から戻って来たカンダタに向き直り、尋ねた。
「一応船は問題無いみてぇだ。…だがまぁ…このままじゃあ堤防が崩れてスーの村はメチャクチャになるだろうよ…」
「おいおい、そいつはやばいんじゃないか?」
「そうね。」
「メリッサちゃん…相変わらずいきなり帰って来るのな…。」
「ふふ。でもまずいわねぇ…。増水しすぎて今にもスー丸ごと流されそうよ。」
「あ〜…そうなんか。どうにかできねえモンかな。」
 聞くにとんでもない状況にも関わらず、カンダタは落ち着いた様子で頭を掻いていた。
グォォオオン…
「…?」
 遠くから竜の咆哮が聞こえたのを受けて、三人はその方向を見た。
「ムーじゃねえか。何やってんだ?」
「…んん?」
 未だに雲が覆っている白い空を飛んでいる金色の影を見て、カンダタ達は首を傾げた。
ビュオオオオオオオッ!!
「…吹雪!」
「止めようとしてやがるのか?」
 ムーの吐いた冷気が押し寄せてきた激流をそのまま巨大な氷の壁と化した。
ビキビキビキ…ッ!!
『!』
「おいおいおい!!…あれでもダメだってか!?」
 超低温のドラゴンの凍てつくブレスでも、凌ぎきれない程の奔流に、カンダタは肩を竦めた。
「まずい…!皆逃げろ!!」
 ついでその場にいる全員に向かって叫んだ。