第十一章 山彦の塔

 ハンと別れ、ムー達はメリッサが常に携えていた笛…山彦の笛を求めてアープの塔を訪ねる事になった。アープの塔はスーの南部…山脈を隔てた先にあるが、人の手ではとてもそれを超える事は出来ない程の険しい行程であった。…普通の旅人であるならば。
「…どうして私は駄目なの?」
 ムーはメリッサにそう尋ねた。
「だってあなたが竜の姿で空飛んでいたら魔物達を刺激しちゃうでしょ?…あなただけなら問題無いけれど…私もかなり危なくなっちゃうから。あなたに私を守りきれる自信はある?」
 穏やかに説き伏せる様な口調でメリッサは自分の妹にそう返した。
―…この子の事だからあるとか言いそうだけど、その時はどう言い包めようかしら?
「無い。」
「……お?」
 物騒な得物をオモチャにしている位のものだから、戦いになるのを寧ろ望む性質かと思っていただけに、周りの者達は思わず目を丸くした。
「ふふ、成長したのね。」
「……あなたに死なれたら私の旅の目的が果たせないだけ。」
「そう言って…心配してくれるのは嬉しいわね。」
「……?」
 メリッサの言葉に、ムーはその意味が分からなかったのか首を傾げた。
「利己的なだけじゃねえのか…姐さんよぉ?」
「…人間そういう物じゃないの?」
「……達観してやがるな。」
 いずれにしてもこの魔女の姉妹は、対極的な意味で常軌を逸しているのは間違いないだろう…カンダタは彼女達の掛け合いを見ているうちに改めてそう思った。
「まぁいいけどよ。…本当に一人で大丈夫なのかよ?」
「ふふ、お使いに行くくらいの気持ちで行ってるけど?」
「…この前みたいにゃならねえだろうな?それこそムーが付いてった方がマシなんじゃねえか?」
 山脈が無いとしても、普通の人間であれば一週間程の行程である。
「大丈夫よ。…私だって一応賢者に匹敵するだけの呪文は使えるつもりだし、奥の手だってあるんだから。」
「……あんたがそんな事をいうとは思わなかったぜ…。」
「え?なに?」
 メリッサは微笑を崩さずにカンダタへと向き直った。
「…子供みたいに虚勢張って…」
「う〜ん…でも実際にあるからそう言うしか無いんじゃないかしら?」
「あってもワザワザ口に出すか?…賢者に匹敵するって……相当なモンだろ?」
「まぁ手荒な事は苦手なんだけど。」
「…駄目じゃねえか。」
 カンダタはそれを聞き、がっくりと肩を落とした。
「……つっても本当に必要なんだろうな?」
「ええ。でも…大体三日で事は足りると思うわ。それまでゆっくりしてなさいな。メドラだってあの時の傷まだ痛むでしょ?」
「……問題無い。でも、休みたいのは否定しない。」
「お、…何か今日は素直じゃねえか、ムー。」
「別に。」
 覆面の下でニヤニヤと笑っているのだろうか、カンダタはムーの乱れた赤い髪をわしゃわしゃとかき回した。彼女はされるがままにただぼーっと突っ立っている。

 時は流れ…幾日もの船旅の末、一行は辺境の村、スーへ至った。
「カイルのアニキ、着きましたぜ!」
「おっしゃ、皆ご苦労!暫く休んでていいぜ!只、面倒は起こさねぇようにな!」
「「「へいっ!!」」」
 船に乗り合わせた開拓仲間達は嬉々として、目の前の村へと殺到した。
「…はは、久々の陸地だもんなぁ…。」
 のどかなスーの村を眺めながら、カンダタはそう呟いていた。
「……退屈だったの?」
「…あ?お前もそうじゃねえのか?」
「…全然。寧ろ街作ってるより面白い。」
「……あのな、お前…楽しみ方間違ってねぇか…?」
 ドラゴンに変身して空を飛んで海鳥を追い掛け回したり、海に潜ってイルカにちょっかいを出したりと…余りに幼稚な様に、カンダタは嘆息した。
「これであんな複雑な魔法陣をを作り上げちまうなんて信じられねぇぜ…。」
 船の周りに二つの線の間に刻まれたルーンが随所に刻まれている…。
「…素人が聞いてもまるで分からんだろうぜ。実際俺もチンプンカンプンだしよ。」
「暇つぶしにはなった。」
「暇つぶしかよ…。それ聞いたらどっかの学者サンだかは泣くぜ、ぜってぇ。」
「泣く?」
 カンダタの言葉に、ムーはきょとんとして彼を見た。
「お前…自分がやった事の凄さ…全く分かってねえみてぇだな…。」
「カンダタは分かっているの?」
「…さぁな。……まぁ、どいつもこいつもお前の"暇つぶし"とやらには大分感銘を受けてんだよ。」
 
―まずい!魔物がきやがったぞ!!
―……。
―!?…ムー嬢ちゃん!?何してんだ!?
―や…やべぇ!!ぶつかっちまう!!
―スクルト

「大王イカの大演隊に囲まれた時はこりゃ駄目だな…と思ったけどよ…。」
 大王イカの襲撃の激しさに、船はあちこちに深い傷がついていた。それでも航海が続けられたのは、ムーのお陰であった。
「スクルトを船全体にかけるってのは大したモンだったぜ…。」
「……アレがなくても普通に出来る。」
「あ?よく分からんが、んな事してたら負荷デカ過ぎて動けなくなるんじゃねえか?」
「…む〜…。」
 専門家でなくても、魔力には限りがあり…大きな力を扱えばそれだけの代償が来る事は判らずとも、何となく感じるだろう。
「考えなしにやろうとする事に限って裏目に出るんだよな。お前も気をつけとけよ。」
 カンダタはそう言うと、開拓者達を追ってスーの村へと走っていった。
「……。」
 ムーは密かにハンから貰った封筒を荷物から取り出した。
―…未だに分からない。……私の力じゃ作れない。
 彼女は只…残念そうに俯くほかなかった。

「ここ、スーの村。旅のひと、よくきた。」 
 カンダタ達が村に入ると、変わった服装をした一人の男が独特の訛りのある言葉と共に出迎えてきた。
「おう、よろしくな。」
「…オッサン程じゃねえけど…変わってんな、この村も。」
「確かにな…って何ぬかしてやがんだてめぇっ!?」
 さりげなく刺激するような言葉を言ったマリウスに、カンダタは大声で怒鳴りつけた。
「ふふ。あなたもいい勝負じゃなくて?」
「そうだそうだ!てめぇなんか鎧にエプロンだもんなぁ!!」
「い…今は付けてねぇだろうがっ!!第一好きでやってんじゃねえぇっ!!」
 痛いところを疲れたマリウスは、全面を覆う兜の下で狼狽した。
「…メリッサ、久しぶり。」
 カンダタとマリウスがあれこれ言い合っている傍で、何人かの同じような雰囲気の服装をした者…おそらくは出迎えた男の家族達がメリッサに歩み寄ってきた。
「あら、あなたも出迎えてくれたの?ふふ、ありがとう。」
 メリッサは彼らに暖かな笑みを浮かべた。
「…今日もメドラいない?」
 家族の一人、ムーと同じ位の背丈の少年がそうメリッサに尋ねた。
「あ、そう言えばいないわね。でも、近くにいると思うわ。後で会ってあげて。」
「うん。メリッサは?」
「ごめんなさいね。私はこれからアープの塔に行かなきゃならないの。三日くらいは会えないわねぇ…。」
「アープ?…近々危なくなってきてる。気をつけて。」
「ありがとう。」
 メリッサは微笑みつつ、少年の頭を撫でてやった。
「…本当に気をつける。強い魔物、最近現れてる。」
「強い魔物…ねぇ…。そうねぇ…手荒な事は苦手なのに。さて、どうしたものかしら。」
「…だったら俺らのうちの誰か一人だけでも連れてったらどうよ?」
「そうしようにも…大きな山脈が途中にあるから箒ならともかく、徒歩で越えるのは大変よぉ。それに、箒に一緒に乗っても大丈夫な人いないし。親分さんとマリウスは問題外として、メドラを一緒に乗せるだけでも十分重いから。」
「あ?そうだっけか?」
「ええ、メドラだったら…せいぜい三時間くらいかしら?」
「…まぁ、確かに短いわな。」
 凶暴な戦い振りはともかく、仲間内では一番体格が小さいムーでも一緒に乗ったらその程度しか飛べないと聞き、カンダタは納得したように息をついた。
「あんま心配いらねぇよオッサン。こう見えても…メリッサちゃんはメドラよか怖ぇ時だってあるんだからよ。」
「あら?そぉ?」
 どこか不満そうな面持ちでメリッサはマリウスを見た。
「俺がいい手本だろうが。」
「う〜ん…それって只の事故じゃないかしら…。」
「問題はその前だっての!!」
「…お前ら、一体何の話してやがるんだ…?」
 何か不穏な空気があたりに漂うのを感じながら、カンダタは訝しげな視線を二人に向けた。一体赤い全身鎧の下にどのような受難があった事だろうかと思いつつ。
―つくづく魔女の家系にゃ災い付きってまんざらウソじゃねえみてぇだな…。
 カンダタもまた、ムーに手を焼かされたり…時には彼女自身に襲われたり…その様な過去を送ってきただけに、何処かマリウスには同情の余地がある気がした。