レフィルの帰郷 第十一話

「準備はできましたか?」
「…ああ。」
 ホレスは抑揚無くそう返した。
「……では、レフィル。」
 舵の前に立つ少女に、ニージスは呼びかけた。
「トヘロス!」
 それに答えてレフィルは舵に向かって呪文を唱えた。呪文の効果がそれを通して船中に広がっていく…。
「…これは……。」
 次第に何かが変わるのを…その場にいる全員が感じた…。
「おお……先に逝ったバァさんが…ワシを呼んどる…」
「「ちょと待てぃっ!!」」
 ブラックジョークを吐いた老人にカリューとニージスは同時に彼に突っ込んだ。
「……なるほど…。結界じゃなくて安らぎの呪文か。」
 トヘロス…魔物除けの呪文だが…そうした形で使える者は呪文の熟練者でもそう多くは無いらしく、現象の実例も明確に記されてはいないが…基本的に魔物を寄せない為に…全てを拒む結界の様な発動形態になるらしい。
「……ッ!?魔物…!?」
 レフィルの耳に、兵士達が切羽詰った声を出しているのが聞こえてきた。
「あ……」
 これまで戦ってきた種類の海の魔物達が船の周りに集まってきた。
「…武器をとれ!」
 兵士のリーダーが腰に差した立派な剣を引き抜いた。
「……いや、その必要は無い。こいつらはオレ達を襲ってくることはない。」
「……何?」
「レフィルはトヘロスの力で魔物の敵意を失わせているんだ。…こちらから手を出さない限り大丈夫だ。」
「…し…しかし…!」
「あんたも感じないのか?…この柔らかな雰囲気をな。」
 呪文に因る視覚への影響は殆ど無いが…明らかに発動前と違う空気があたりに流れている…。
「分からなければそれでいい。…まぁ一応備えはしておくに越したことは無いが、要らぬ戦いを増やす必要はないだろ?」
「そ…そうだな。分かった。だが魔物の動向が変わったらすぐに知らせるから君達もいつでも動ける様にしてくれよ。」
「了解。」

「ゆ…勇者殿!?」
「!?」
 レフィルは突然大声で呼び止められてびくっと身を竦ませた。
「い…いくら何でもそれは危険です!お下がり下さい!!」
「…あ…いや……その…。」
 兵士が必死の形相で身構える先には…半ば怯えた様子のレフィルと…宙を舞う海のスライムの姿があった。
「ピキキー」
 そのスライム…しびれクラゲには敵意など全く感じられず…レフィルにすっかり懐いていた。
ザバァアアアアアッ!!
「どうわあっ!?」
 しかし、兵士もまた…突然後ろから現れた巨大なイカの触手に絡め取られた。
「あ…!駄目…!!」
 レフィルは慌てて海から現れた白色のイカ…大王イカを諌めようとその方向に走った。
…ぶちゅっ
「っ!?」
 しかし、何を思ったか…大王イカはその巨大な口を兵士の顔に押し付けた…!
「……。」
 レフィルは兵士が離されるまでの一部始終を無言で見続けていた…。

 そして夜…兵士達が交代で夜通しの番を行っている中、レフィル達は机を囲んで集まっていた。
「…ここまで気候も上々で…ホレスが仕込んだ仕掛けもあって、いつもの五倍程のペースで航海できてますな…。」
「早くなったよね…。」
 アリアハンの最新技術とホレスの改良によって、波や海流に逆らって動く事も出来るようになり…ここまでの性能を持つに至った船に…他の三人は素直に感銘を受けていた。
「五倍か…。だったらあの航路も6日で進めると言うことになるのだが…。」
「…?」
「この小細工を導入したのは良いが…船への負荷などに関しては全く考えていなかったんだ。船大工等を交えての改良の余地は十分にあると思う。」
 下手すればこの速さと引き換えに…船が傷んで最悪一回で壊れてしまうと言うことにもなりかねない。ホレスはそれを危惧していた。
「成る程…では、落ち着いたら私が改めて船の具合などを調べてみましょうか。」
 船の点検を申し出たニージスをホレスは怪訝な顔で見た。
「……あんたがか?知識は認めるが…船にすら乗った事が無かったんだろ?」
「まぁまぁ、それでもイヤと言う程勉強させられましたし少しはアテになるかと。」
「…そうか。しかし…おい、爺さん。大丈夫か?」
 話を切り、ホレスは近くに居た老人を見た。
「うっぷ……やはり年寄りの冷や水と言うヤツじゃったかの…。」
「……だろうな。」
―最後に見たのは大渦だったか…。
 さぞや今の老人の視界はぐるぐると回っていることだろう…。

 そうした航海が続いて三日目の事…。
「…何だアレは…!?」
 ホレスは物見の上から見える海原の様子に思わずそううめいた。
「どうしたの?ホレス?」
「…こんな所に……何だってこんなモノが……!?」
 レフィルは彼が見ている先を覗き込んだ…。
「これは……。」

 船に乗り合わせた全員が、旋回する船の軌道の中心を見た。
「いやはや…これが……」
 ニージスは眼下の海に映る巨大な建造物を見て感慨深そうに呟いた。円形の外壁がところどころで海面から突き出している…。
「…たまげたのぉ。海のド真ん中にこないな遺跡があるとはなぁ。」
「なんだか…夢みたい…。」
 レフィルとカリューもまた、海に沈み…目に映る藻に覆われた遺跡の存在に驚いている様だ。
「…これは……あれの実験の意味合いの航海と思っていたが、王様へ報告する事が増えたな…。」
「海にある巨大遺跡…そんな情報は無かったからな…。」
「…だが、流石にルーラでもここまでは戻れんぞ…。」
 歴史的発見を目の前に、指をくわえていなければならないと言う事に、アリアハンの者達は何処か残念そうな様子で俯いた。
「ですな。…ふむ、まぁ彼ならこの後どうするべきか…もう全てお分かりかもしれませんな。」
「何?」
 
 皆が騒いでいる傍…ホレスは船室の中で荷物を漁っていた。
「ホレス…?」
 レフィルは彼の様子に首を傾げていた。
「……あの形状なら渇きの壷で…。…爺さんが言っていた大渦とはこいつの事だったんだ…!」
「!」
 ナジミの塔の老人の予知夢の内容…それは巻き込まれたら吸い込まれてしまいそうな大渦であった。それと今ホレスが持つ渇きの壷を見て、レフィルはハッとした。
―渦って…そういう事だったんだ…!
 レフィルもまた、いつに無く興奮してきた。
―…何だか面白そう…。ホレスが楽しんでるのが分かる気がする…!
ダッ
「あ、待って!」
 突然駆け出したホレスをレフィルはすぐに追いかけた。

「ホレス…どうなさって…」
 ニージスが全てを言い終わる前に、ホレスは手にした物を海へと投げ込んだ。
「おおぅっ!?何をしてるので!?」
「いいから黙ってみていろ。」
「ちょい待ったぁ!!ここでんなモン使ったら…」
シュゴオオオオオオオオオッ!!
 海へ投げ入れたモノ…渇きの壷が水を吸い始めたのか、投げ込んだポイントを中心とした大渦が発生した。
「…!」
 船は激しく揺れ…激流に巻かれて徐々に中心に引き寄せられていく…!
「こ…これが件の大渦というヤツですかな…!?」
「ひぃいいいいいいいっ!?間近で見取ると腰がぁ…!!」
「と…父さん!大丈夫か!?」
 乗り合わせた者は皆パニックに陥っていた。レフィルとホレスを除いては…。
「こんな事やってられるか!!」
「!」
 激しく揺れる船上を走り、一人の男が舵へと向かった。
「ルーラ!」
 そう唱えると船は少しずつ浮き上がり始めた。
「レフィル!」
 焦った調子で叫び、ホレスはレフィルを促した。そして…二人同時に船を飛び出した。
「「!」」
「レフィル殿!?」
 既に空に勢い良く浮き上がっている船から皆が騒いでいる様子がとれた。

「今だ!」
 そして、ホレスはレフィルに向けて叫んだ。同時にレフィルは腰に差した長剣を抜き放ち、海面へと投げた。
ビキビキビキッ…!!
 吹雪の剣を中心に、氷塊が形成されて一つの足場を作り、レフィル達を受け止めた。
シュゴオオオオオオッ!
 しかし…唸りを上げながら荒れ狂う大渦が巻き起こす激しい流れに氷塊も巻き込まれた。
「ホレス…!」
「心配するな。あれを見ろ。」
「…え?」
 未だに大渦の唸りは激しい事この上無かったが…ホレスの表情に焦りは無い。
「とりあえずあの遺跡の壁に張り付く様に吹雪の剣を使うんだ。」
「あ…そうか。」
 納得したようにレフィルは吹雪の剣を海面へと差し込んだ。流れ行く水の勢いを上回るペースで海面が凍りついていく…。
「さて…後は…。」
 ホレスは大渦の方を見やった。徐々に下の方に下がっていくのが見える…。そして海の流れが弱まっていくのも感じ取れた。
「これで遺跡の中の海水は殆ど抜けるはず…」
どっぽーん!!
「「!?」」
 ホレスが何かを言いかけたとき…空中から二つの影が二人の視界をよぎり…海へと落下して派手に水しぶきを上げた。直後…小さな氷塊が二つ程浮かび上がってきた。
「ゲホッゲホッ!!…何やっとんのやニージス!!危うく海の藻屑と消えるとこやったぞ!?」
「それはこちらの台詞ですな…。いきなり心中しようとしないで欲しいもので…」
 カリューとニージスはそれぞれの氷塊に掴まっている…
「しかしごっつう冷たいのぉ…!もっとちゃんとした足場つくれんのかい!?」
「…はっは、ヒャド程度ではこんなものかと…。」

 渇きの壷が遺跡の内部の水を吸い尽くし…四人はどうにか遺跡に降り立った。
「ホンマに無茶するヤツやなぁ…!しかも今回はレフィルちゃんまで…」
 同時に…カリューは苛立たしげに地面を踏みつつ…そう呟いた。
「え…?あ…その……」
「大体…ホレスもホレスや…!レフィルちゃんにんな無茶させたのはお前やろ!?」
 カリューは真剣に怒った様子でホレスに怒鳴りつけた。
「……そうだな…。否定はしないな。すまないな…レフィル。」
「あ…でも…、わたしも見てみたかったし…。あのまま帰るのはイヤだったから…。」
 謝るホレスにレフィルは少し焦った様子で彼を宥めた。
「せやからレフィルちゃんも同罪やって。何ならニージスに掛けた地獄巡りのワザ掛けたろか?」
「……っ!!…や…や…その…!」
「冗談や。」
「…は…はぁ…。」
「しかし…カリューは無茶を通り越して…バカですな。」
「…モーヤァーシィイイイ…!!」
 血走った目で睨まれ…ニージスは軽く薄ら笑いを浮かべた。目は笑っていなかったが…。
「まぁいくらホレスとは言え…いきなりあのような真似をするとは思いませんでしたがな。」
「宮廷魔道士ならルーラを使えるだろうし、一人ぐらい先走るヤツがいてもおかしくない。そういった意味では問題は無いだろう。」
「…そういう問題で…?」
チャプン…
「?」
 そんな中での突然の水音に、ホレスは辺りを見回した。
ザァアアアアア…
「…外から水が流れてきているようだな。」
 外壁の隙間から少しずつ海水が流れ込んでくるのを見て、ホレスは近くに落ちていた渇きの壷を手に取った。
「…とりあえずこれでいいだろう。だが…あまり時間は無いな。」
 渇きの壷の口を水面に付け…ホレスは皆を促した。

「……何も無いとこやなぁ…。強いてあげりゃこれだけやろ?」
 カリューは呆れたような声でそうぼやいた。
「石碑…か。」
「んなモン…何の役に立つんや…?」
「まぁ…オーブよりかはまるで役に立ちませんな。」
「…一応解読しておくか?…あんたのインパスじゃ分からないか?」
「ふむ…では試してみましょう。」
 言われたままにニージスはインパスを石碑に向けて唱えた。