レフィルの帰郷 第八話

―…何してる!早く逃げ…
うがぁああああああっ!!!
―…っ!?

「…あ…あなたは…」
 レフィルは目の前に現れた大きな紫色の大猿を見て固まった。
―シンくんの両親を殺した魔物…。
「!」
 右手が失われて今では瘤のような物になってしまっていた。
―わたしが…メラで傷つけたところだ…。
 シンから見れば両親の仇であったとしても、この魔物から見れば…レフィルは右手を奪った憎い人間でしかない。魔物…キラーエイプはその痛みに疼く右腕で思い切りレフィルを叩きつけた!
「きゃっ!!」
 咄嗟に身をかわしたものの、彼女は塔の壁にぶつかって逃げ場を失った。そこに左腕が迫る…!
「待ちやぁっ!!」
ぼごんっ!
 鈍い音と共にキラーエイプの背中に鉄槌が下ろされた。
うがああああああっ!!
ブンッ!!
「どぅわっ!?」
 怒りに任せてレフィルに向けていた左腕をカリューに向かって振り回した。
「スクルト」
 ニージスが唱えた呪文と共に、四人の体に守りのオーラが発生した。
「…やれやれ。逃がしてくれそうにないですね。」
 宿屋の主人は特に焦った様子も無く、体中の力を抜いて自然体に身構えた。
「しかもこいつが居るおかげで他の魔物も集まってしまったみたいですし…。それではお客さんはそのデッカイのを頼みます。私は雑魚の相手をさせていただきますが悪しからず。」
「…分かった。無理はするなよ。」
「大丈夫ですよ。お客さんもご無理はなさらないで下さいね。」
 宿屋の主人はキラーエイプが居る方とは反対側で巻き起こる土煙の方へと走っていった。
「おおりゃああっ!!」
 大金槌を手に、カリューはキラーエイプと戦っていた…が、かなり分が悪い。
「ちぃ…!なんちゅうタフなヤツや!!」
「投げナイフも届かないな…あれでは。」
「…ふむ、ではこれで少しはマシになるでしょうかな。」
 ニージスは手にした杖をキラーエイプへと向けた。
「ルカニ!」
 杖の先から不快な雰囲気の光が迸りキラーエイプを包んだ。
「…一応少しは応えたみたいですが、あまり効き目は無いようで。」
「十分や。」
 カリューはもう一つの得物、誘惑の剣を抜き放ってキラーエイプへと突き立てた。
がぁあああああああっ!!!
「…ちぃっ!浅かったなぁ…だが、手応えありや!!」
ズビシィッ!!
ぐおおおおおおおおおっ!!
「効いてる…!いけるぞ!一気に畳み掛ける!」
 ホレスは黒いドラゴンテイルを手にキラーエイプへと疾駆した。
がぁああああああああっ!!
「くっ……!」
ドゴォッ!!
「あぎゃああああっ!!」
 キラーエイプの一撃がまともに決まり、カリューは塔の壁にめり込んだ。
「…がはっ…アイツ……ッ!?」
 毒づくのも束の間、キラーエイプの攻撃が壁に動きを封じられたままの彼女へと飛んだ。
「ぎゃああああっ!!まっ…タンマタンマあぁっ!!」
「アストロン!」
 その時、彼女の一寸先に飛び込んだ人影がその凄まじい一撃を受け止めた。
「れ…レフィルちゃん…!」
「ライデイン!!」
 そしてすぐにキラーエイプへと掌を翳して雷鳴を解き放った。その衝撃に、キラーエイプは仰け反りながら後ろへと押し返された。
「た…助かったぁ…。」
「油断できんな…。」
 ホレスは腰に下げた袋から爆弾石を取り出した。
―…ここでは使えないな。
 人の家の中でこのような物騒な物は使えない…。
―まぁいい。手は幾らでもある。問題は…
 ホレスは荷物から塗り薬を取り出すとカリューに手渡した。
「即効性の治療薬だ。あんたはさっきの一撃で洒落にならないダメージを負ったはずだ。しばらくは誘惑の剣で後方援護を頼む。」
「…うへぇ…わて、結局出番なしかあ…。」
 素直にホレスの言うとおりにしてカリューは塗り薬を攻撃を受けた箇所に塗った。
「だめ…ライデインもあまり効いてない…!」
 ポルトガで受けた雷その物であれば生物に致命的なダメージを与える事もできようが…今のレフィルの放つのは…。
「喰らえぇっ!」
 ホレスが掲げた雷の杖から電撃が迸り、キラーエイプの体に直撃した。
ぐぉおおおおおおおっ!!
 激しい痛みと怒りで、魔物と呼ぶに相応しい程の恐ろしい形相でキラーエイプは彼に突進してきた。
「ニージス!援護を頼む!」
 そう言い放ち、ホレスもドラゴンテイルを手にキラーエイプの正面に出た。
「あいさ」
 ニージスはマントを翻すと荷物をあさり始めた。
「ふんっ!!」
ごうぁああああああっ!!
 黒装束の青年と、紫の大猿がレフィル達の眼前で激しく闘っている…!ホレスが持つ雷の杖とドラゴンテイルが唸りをあげてキラーエイプに牙をむいた。

「…さて、これでよしと。」
 ニージスは羽ペンと巻物を手にとって満足そうに頷いた。
「ベホイミ…!」
 誘惑の剣から合間を見て衝撃波を放ち続けるカリューに向かってレフィルは回復呪文を唱えた。
「おっしゃ、大分楽になったで。サンキュなレフィルちゃん。」
「ふむ…皆準備はよろしいみたいで…」
「んな呑気に書きモンしてる場合か。」
「まぁまぁんな事言わないで…では、軽く時間稼ぎでもしていただけませんかね。」
 ニージスは巻物を広げると、先程まで書いていたその文を読み上げ始めた。
「其は全にして無なる白き流れ…大いなる力の源よ、今一度我が示すところへ集え!」
 そう唱えると、巻物は白い輝きを放った。
「我人の裡を捨て汝が境地へ身を委ねん。背徳の化身にして神の眷属たる其は今ここに目覚めよ!」
「!」
 聞き覚えのある詠唱にレフィルは思わずニージスの方を見た。
「導くは叡智を持ちし者…捨て去りし裡…汝が力によりて我が元へ留めん!…ドラゴラム!!」
 ニージスが巻物を読み終えると、役目を終えたのか…巻物は存在が薄れる様に消えた。

「…?」
 レフィルは何も起こった様子が無い事に首を傾げた。
―…ドラゴラムを使ったんじゃ…?
 どういう理屈かはわからないが、確かに先程そう唱えたはず。期待している物であれば竜の咆哮が辺りに響き渡るはずだった。
―…まさか……失敗?
「あ…あの……ニージスさん?」
 レフィルは恐る恐る…青いマントを羽織った青髪の男へと近寄った。
『如何なさったので?』
 ニージスはくるっと首をこちらへと回してきた。
「っ!?」
 見慣れた飄々とした顔ではなく、青いトカゲの様な顔…ドラゴンなのであろう形相でこちらを見やる様子にレフィルはびくっと肩を竦ませた。
『…ふむ、その様子だと成功の様で。』
「え…何が…どうなって……!?」
『さて、私はホレス達を助けなければ。』
「ちょ…ちょっと待っ……」
 レフィルが全てを言い終わる前にニージスの姿が掻き消えた。

「くっ…!?」
 ホレスは立て続けに受けた攻撃で徐々に動きが鈍り…劣勢に立たされていた。
がぁああああああっ!!
「ホレス!危ない!!」
「ちぃ…っ!!」
 キラーエイプが拳を振り上げてホレスへと狙いを定めた。大きな隙を晒している分、その威力は絶大だ。
―避けるのが無難か…!?
 ここで飛び込み急所を捉えられれば仕留められるが…その巨体その物に巻き込まれる可能性が高かった。ホレスがその場を跳び退こうとしたその時…!!
「!?」
 突然キラーエイプの体が真っ二つに泣き別れになった。何があったか分からぬまま、手負いの紫の大猿は絶命した。
『いやはや、確実に仕留めるにはこの方法が一番のようで…。』
「!」
 声のする方を振り向くと、何処から取り出したのか…血塗れの刃を持ったニージス…否、青い爬虫類のような男が立っていた。
「…トカゲ人間…!?」
『はっは、まぁもうすぐ戻ってしまいますが。』
 言っている傍で、ニージスの声色の生物の体が光り始めた。
「…ふむ、切り札の内の一枚を無くしたのは惜しいですが…。」
「なななな!?一体何したんや!?」
 まだ状況が分かっていないカリューは喚き散らしている…。
「…白紙の巻物か。」
「は…はくし…?」
「そう。これは只の紙では無く、……が込められている代物で……する事もできるのですな。」
「し…白き魔力ぅ!?…追加詠唱ぉ…!?う…おおおおおおっ!?」
 ニージスの説明ますますワケが分からなくなってしまい、彼女は頭を抱えてその場にのた打ち回った。
「…オレにはともかく、カリューにその話をするのは止めておけ。混乱を広げるばかりだ。」
「ふむぅ…。知っている人に話しても面白くもなんともないのですがね。」
「そうか?オレは寧ろ…」
「あ…あの…ホレス…?」
 混乱しているカリューを他所に話を続ける二人に、レフィルがうしろから声をかけた。
「…レフィルか。しかし驚いたよな…。」
「うん…ニージスさんって…剣使えたんだ…。」
 二人はニージスが右手に握っている刃を見た。柄の頭にはいつも携えている杖の頭がついている…。
「はっは、まぁああでもしないと実践じゃあ使えませんからな。バイキルトでもいいのかも知れませんが…元の力が足りないだけに。」
 細身の刃についた血を拭い、元のように収めた。
「…仕込み杖だったんだなそれ…。」
「まぁそれはさておき…」
 ニージスはキラーエイプの亡骸を後にして、主人が向かった先へと歩き出した。
「お待たせしました皆さん。」
 すぐにその主人の声が聞こえてきた。
「さて…それでは父の下へとご案内を再開させていただきます。」