氷海の祠 第二話


「…地図にはこの辺りの情報は何も載ってないのですが、まぁ現在地が分かるだけで十分ですかな?」
 ニージスは無造作に広げた地図と羽ペンを見てそう呟いた。
「まだ昼…これが…。」
 雪原の中を半日近く歩いているが日の暮れる様子も無く、分厚い雪雲を見えない太陽が明るく彩っている…。これが白夜と言うものだろうか…レフィルはそれを実感して興味深そうに上を見上げた。
「オレも初めて見るな…と言うより皆か。」
「ですな。」
 冒険の初心者に過ぎないレフィルやダーマの神殿にこもっていたニージスはもちろん、ホレスやカリュー等の流浪の身の者でもレイアムランドやグリンラッド等の極地に来る事はまず無い…。
「…この辺り一帯には何も無いようで…」
「……そうだな。」
 空の様子は全く変化が無い事から時間経過を忘れそうではあるが、確かにかなりの時間を彷徨っていた。
「一応食料は確保出来たんやし、一度戻るのはどうや?」
「…確かに、長居は無用ですかな。…ふむ、もう寒くは無いので?」
「ハッ、慣れればんな寒さ…」
「…人間じゃないな。」
―君も同類では…?
 明らかに場違いな出で立ちのカリューはともかく、ホレスも特に防寒具等は羽織っておらず、いつもの黒装束だけでこの極寒の中に立っている様を見て、ニージスは失笑しそうになった。
「で、レフィル…どうします?」
 ニージスは先程から話に入るに入れなかったレフィルに話を振った。
「…そうですね。それじゃ…今日は戻りましょうか…。」
 自信無さげな口調で、レフィルは三人に告げた後、目を閉じて集中した。
「ルー…」
「!」
ドッ
 しかし、詠唱の途中でホレスが突然レフィルの体を突き飛ばした。
「えっ…?ホレ…」
ドゴォッ!!
「ぐっ!!」
 倒れこむレフィルを横目に、ホレスは闖入者からの攻撃を体で受け止めて、その衝撃で後ろに滑り込んだ。
「あ……!」
―…我等…古より封ぜられし道を護る者…汝等は招かれざる客、氷の淵へ堕ちよ…!
 吹雪で姿は見えないが、確かな存在感をその中より感じ取り…ホレスは身構えた。
「…く…!魔物か…!!」
 先程自分を打ち据えたのは氷の塊…拳と言うのが的確だろうか、徐々に目が慣れてきて相手の姿のシルエットが段々と見えてきた。
「…氷河魔人…!!」
 半身だけの氷の巨人が、こちらを鋭い眼差しで見据えてくるのがはっきりと見えて、ホレスは背負った武器を構えた。
ギィンッ!!
「…くっ!!」

「ホレス!?何処!?」
 一方のレフィル達は…吹雪の中へ消えたホレスを探していた。
「…駄目、吹雪で何も聞こえない…!」
 三人は先程にも増して激しく吹きつける吹雪に身動きが取れなかった。
「…むぅ…、穏やかなる流れ…其をもたらすもまた光なり…フバーハ!」
 口語の詠唱を交えて発動したフバーハの呪文が三人を覆った。
「えらいこっちゃなぁ…こら皆離れたらアカンな…。」
 近くで辛うじて会話が聞こえる程度にまで、吹雪の風鳴りが激しく唸りを上げた。
「さて、どうしたものか…、ッ!?」
ズガァッ!!
「おおぅッ!!?」
「ニージスさん!!」
 突然氷の大地から出てきた氷の腕をあわやと言う所でかわして、ニージスは尻餅をついた。
「…あたた、こっちにも来ましたな…。」
―彼の地へ行く闖入者に死を!
「彼の地…?ま…待って!!わたし達は…!」
 レフィルは地面より現れた氷の巨人に必死に語りかけようとした…
「あかん!下がるんや!」
「…え?」
 カリューが警告するも遅く、レフィルの背後に巨人の掌が迫った。
「っ!?」
ギィンッ!!
 身に付けていた斧を突っかえ棒に、レフィルは自分を握りつぶさんとする氷の手を受け止めた。
「うっ…!!」
「レフィルちゃん!んなろぉっ!!」
 カリューは背中に担いだ大きな金槌を持ち上げて、一心に氷の巨人へと振り下ろした。
ズガァッ!!
 しかし、当たる直前に巨人は地面に潜ってその一撃を回避した。
「チィッ!速い!」
「何かえらくまずい事になってきましたな…!」
 三人は一定の間隔を保ちながら来るべき敵に身構えた。

「…ハァッ……ハァッ……!!」
 崩れた氷の塊を前にホレスは肩で息をしながら片膝をついていた。
「……まずいぞ…!相手が氷河魔人なら…確か…」
 ホレスは持っている鞄から一つの本を取り出して開いた。
「…どうする……!」
 戦いを繰り広げている内に三人と引き離されて彼等の行方も掴めない…!しかも…
―…愚かな、我等は滅びぬ…。氷海にある限り…我等が朽ちる事は無い。
「ちぃっ…!!」
 徐々に体が元に戻っていく氷河魔人が抑揚無く告げてくる…!
―聖地へ足を踏み入れる事は叶わぬ。汝はここで永劫の眠りにつくが良い…!
―我等は古より聖地を護りし者。
―…何人たりとも逃さぬ。
 先程より数が増えている巨人の群れを見て、ホレスは舌打ちしつつ腰から残り少ない爆弾石を取り出して彼等に投げつけた。
―…せめて一瞬でも、隙さえ作れれば…!!
 
「キリが無い…!!」
 カリューは大金槌で迫り来る氷河魔人の群れを叩き伏せたり薙ぎ払ったりと豪快な連撃を繰り出していたが、一向に魔物の群れの数が減る気配が無い。
「…く…!」
 レフィルも両手で斧を握り締めながら必死に身を守っていた。鍛え上げられた斧の刃と、レフィルの無意識のうちの戦いのセンスが幸いして、受け止めながらも相手の腕を傷つけ…しっかりと反撃に転じられた。
「ホイミ!」
 ニージスの回復呪文が唱えられて二人に癒しの光が降り注いだ。
「ニージスぅ!!何か良い手は無いんか!!?」
「…ふむ、今の所手の内ようが…おおぅっ!!」
 会話するにも氷河魔人の猛攻は凄まじく、せいぜい距離を保つのが精一杯だった。
「ギラッ!!」
 レフィルの目の前から炎の壁が出現し、二人の前へ迫る氷河魔人へと立ちはだかった。
「無事かぁ!?ニージスぅ!!」
「はっは…おかげさまで。」
「…元気そうやな…」
「君こそバテてるのでは?」
「何言うとんのや!!わてはまだまだやれるわ!!」
―ふ…二人ともそんな事している場合じゃ…
 レフィルは…自分が放った炎の壁の向こうで言い合いをしているニージスとカリューに何か言おうにも状況が状況で全く言い出せずにいた…。
「だが、どうします?ホレスを置いていく訳にも行かないでしょう。」
「あ……」
 ニージスの言葉にレフィルは一瞬動きを止めた。
―…わたしを庇ってこんな事になっちゃったのに…置いていける筈も無い…。でも…
「危ない!後ろや!!」 
 物思いに耽るレフィルにカリューの呼び声は届かなかった…。

ビュオオオオオオッ!!
 黒装束の青年に四方から寒波が吹き付けた。そのまま彼は氷の中に閉ざされた。
―まずは一人。
 寒波に抗おうと身を屈めた姿勢のまま、ホレスは凍り付いていた。
ガシャアアアアン!!!
 氷河魔人の拳がホレスを閉じ込めた氷を砕いた…!