赤の月 第八話


「!うおおおっ!?危ねぇ!!」
どすんっ!
「きゃっ!」
「どわあああっ!」
 空から勢い良く人が落ちてくるの見てすぐにカンダタはその落下軌道上に身構えて彼女を受け止めたが、余りの勢いで彼も地面に沈んだ。
「あつつつ……。」
「ごめんなさいね、親分さん。重かったでしょ?」
「んなトコで謙遜されても…あ〜…つーか俺だって男なんだ。さっさと離れてくれねえか?」
 真正面から抱きとめている形で完全に体が密着しあっている…。
「あら、ごめんあそばせ。」
 カンダタが頬を掻きながら不器用に言うのを見てクスクスと笑いつつ、メリッサはゆっくりと彼の上から離れた。特に気負いも何も無いようだ。
「…たく、そこんとこはムーに似てやがるな…。」
「あの子と一緒にしないでくれる?これでも結構恥ずかしかったつもりだけど?」
「笑いながら言われても説得力ねえよ、メリッサちゃん。」
「ふふ。……しかし、面倒な事になったものよねぇ…。」
 メリッサはここまでに起こった事の仔細をカンダタ達に説明した。
「…おいおいおい!?」
「一体どうなってるんですか!?」
 カンダタとハンは驚愕に眼を見開きつつ狼狽した。
「どうなってる…って言われても、そうとしか言い様がないのよねぇ…。」
「…はぁ、何か凄ぇ事になってるな。…っても俺にも正直サッパリだがな。」
「驚かないのね、マリウス。」
「…はは、とんでもないガリ勉に付き合わされた甲斐あったな。」
 彼女の持つ賢者にも劣らぬ程の知識…それはやはり弛まぬ努力…或いは尽きる事無き好奇心によって蓄えられた物であるようだ…が、カンダタ達にはそれよりもムーの身に一体何が降りかかったのか…それが気になって仕方が無かった。
「…何にしても、アイツには一度ガツンと言ってやんないとならねえじゃねえか。」
 よっこらせと立ち上がり、カンダタは燃え盛る炎の方へと歩いていった。

ギィン!ガッ!
 あれから何度打ち合った事だろうか。体力が尽きる事が無いのか、アヴェラは未だに攻撃の手を休めていない。魔法の盾を使っても満足に隙を作れず、ムーはひたすらそれに応じていた。
「そらぁっ!!」
 気合がこもった一撃が魔法の盾の守りを弾き、ムーの柔肌を傷つけた。
「ベギラマ」
「!」
 しかし、それに全く痛みを感じていないかのごとく、反撃の呪文を唱えた。
「せぇええっ!」
 もう一本のドラゴンキラーが呪文の熱波を薙ぎ払い、剣圧ごとムーに返した。炎の刃が彼女自身を傷つけた。
「惜しかったねぇ!もっと威力があれば腕の一本は持っていかれたかもしれないのにねぇ!」
 熱を帯びた刃を掲げながら、アヴェラはニヤリと笑った。
「…だから?」
 しかし、ムーの反応は極めて味気ないものだった。痛々しい傷が刻み込まれたにも関わらず、ムーには怯むどころか…痛みに喘ぐ様子も無い。
「気に入らないねぇ…!このアヴェラ様をここまでコケにしてくれるなんてねぇ!!」
 苛立たしげにそう叫ぶと、アヴェラは一対のドラゴンキラーを構えた。呪文を物理的に返すという無茶な芸当をしたにも関わらず、彼女のドラゴンキラーは傷んだ様子は無い。
「いい加減黙って。」
 抑揚無いその言葉が紡がれると、辺りの空気が急に静まり返った。激しく燃え盛る炎は風が消えた事で…唸りを止めた。
「私は…まだ……てない。下らない時間を過ごしてる暇なんか無い。」
 ムーの体から魔力が湧き出て陽炎の様に静かに周りを歪めた。
「それはこっちのセリフだよ!!」
 急な雰囲気の変化に戸惑う気持ちを抑えて、アヴェラはドラゴンキラーを組んだ。
「喰らいなっ!!」
 刃が振り切られると、二筋の衝撃波がムーに迫った。ムーは咄嗟に手をそれに向けて翳した。静寂の中で余りに凄まじい唸りを上げながら迫る凶暴な攻撃をまともに受ければ…ドラゴンならともかく、生身の少女の体などバラバラに四散してしまう事だろう。
「此に集いし…」
「!?」
 しかし、そのような中でムーは突如として呪文の詠唱を始めた。
「ハッ!血迷ったのかい!?」
 詠唱に集中しているはずのムーの視線は…衝撃波に遅れて自身も突進してくるアヴェラを…あどけない少女に不相応な鋭い視線で見据えている…。
「力の権化……『イオ』」
「…何?」
ドドドドッ…!
 小さな爆発が巻き起こり、衝撃波の威力を減殺した。
「…くっ!?…何が…」
 弱まったそれらはムーの体に当たるなり、傷を与える事すら敵わず霧散した。
「…滅びの光……」
「…な…!?」
 呪文の詠唱は止まっておらず、…最後にムーはこう唱えた。
「ベギラゴン!!」

シュゴオオオオオオオオオッ!!!!
「…っ!!!」
 突如目の前に現れた巨大な炎の壁がアヴェラへと迫る…!先程のベギラマとは比較にならない程の凄まじい熱気を孕みつつ、全てを焼き尽くしていく…!
「ちっ!とんでもない奴だな、オマエ!!」
 舌打ちしながらアヴェラは全力で炎の壁に向かって両方の剣を振り切った。
「おおおおおおっ!!」
 その攻撃によって壁の一部が裂け、アヴェラは空高く飛び上がり、切り開かれたその活路へと飛び込んだ。
ガキィッ!!!
「!!」
「逃がさない。」
 しかし、炎の壁をすり抜けた直後、あの魔女の杖がドラゴンキラーとぶつかった。
「くっ…!」
 魔女は浮遊する盾に乗っている…。どうやら初めからこれが狙いだったようだ。
ガンッ!!
「がっ…!!」
 振り下ろされた杖はドラゴンキラーごと一気にアヴェラを下へと叩きつけた。
ドゴォッ!!
 ベギラゴンの炎の少し手前に落下して、受身を取ることも敵わず…そのまま地面に沈んだ。
「…外した。」
 その様子を見て、ムーはただポツリとそう呟いた。初めから火の海へと放り込み、灰燼と帰すつもりであったのか…。
「…ハッ…!ざまあないね…このアタイが……。」
「ザキ」
 最期の言葉も許さず、ムーは無慈悲に死の呪文を唱えた。黒い波動が一気にアヴェラを覆い尽くす…!
「マホトラ」
「!!」
 しかし、その効力が発揮される前に魔力を吸い取られて霧散した。同時に魔法の盾の浮力が失われてムーはゆっくりと地面へと降り立った。
「……だから何で邪魔するの?」
 ムーは振り向かずに後ろから現れた闖入者…メリッサに尋ねた。
「…昔のあなたに戻っちゃ駄目よ。ホレス君達と旅していた頃の優しいあなたは何処へ行ったの?」
「……?」
 ようやくここでムーは振り向き、メリッサの顔を見て首を傾げた。
「…たく…何してやがんだ…。今度ばかりはやりすぎだろ…。」
 更に後ろには赤と青の鮮やかなコントラストの服装の大男がどかどかと歩み寄って来た。怒りの混じった抑揚で話し掛けつつ、頭を抱えている。
「……。」
「お前な……人間にザキ使うなってアレだけ言ったのによ…」
「敵を殺して何が悪いの?」
「……ッ!?」
 殺気の様な物さえ感じる冷たい視線を受けて、カンダタは一瞬肩を竦ませた。
「…ふざけんなぁっ!!」
ぱぁーん!!
「ッ!?」
 カンダタはムーの態度に怒り、その頬を張った。あまりの勢いに、彼女は思い切り吹き飛ばされて地面に転がった。
「人殺して何が悪いだぁ!?世迷言も大概にしやがれ!!ンな事言って…敵なんてのはな…探さしゃ幾らでもいるもんなんだよ!!」
 ムーは倒れたまま起き上がる気配さえ見せない…。完全に消し炭と化した海賊のアジトの上でうつ伏せに倒れている…。
「そんなんいちいち殺してたらお前の生きる目的ってのは一体何になるってんだ!!それじゃあ只の下らねぇ人殺しじゃねえか!!オラ!ちゃんと聞いてやがるのか!?ああ!?」
 地面に転がったムーの肩を摘み、自分の前まで引き寄せた。
「待って親分さん。」
「姐ちゃんは黙ってな!!これは俺らの問題だ!!」
「違うの。その子は…」
 メリッサが反論しかけたその時…。
「…む〜……??」
 カンダタに掴まれているムーが頭を掻きながら首を傾げた。
「"むー"じゃねえ!お前…何したのか分かってるのか!?」
 余計に苛立ったのか、カンダタは再び怒声を上げた。
「………こ?」
 ムーは小さく呟く様に尋ねた。
「あぁ!?聞こえねえよ!!」
「ここは…何処?」
「はぁ!?」
 予期せぬ言葉にカンダタは素っ頓狂な声を上げた。
「…何処って……お前…」
「生きてる?」
「な…ななな…??」
―何言ってるんだ??…お…おい…??
 只話題を逸らしている様には見えないが…彼女の言いたい事がまるで理解できず、カンダタは固まった。
「だから違うって言ってるでしょ?親分さん。」
「ど…どういう事だよ…?」
「さっきまでのあの子は…あなた達が知るあの子じゃないの。」
「な…だから何なんだ…!?うぉおお…!!」
 すっかり訳が分からなくなって、カンダタは頭を抱えながらうめきだした。
「…痛い。」
 ムーは張られた頬をさすりながらそう呟いた。
「あらあら。すっかり腫れちゃって…。強く叩きすぎよぉ、親分さん。」
 メリッサは頭を抱えているカンダタにそう告げながら微笑みかけた。
「…あなたがやったの?」
「な…何だよ…?お前が…」
ブンッ!!
「ってどわぁっ!?」
 突然ムーは理力の杖をカンダタ目掛けて振り回した。
「コ…コラァ!八つ当たりしてんじゃ…」
「この子、何も覚えてないみたいよ。だから何言っても駄目ね。」
「そういう問題じゃ…」
ゴンッ!!
「あだだ!!止めろって…ぐえっ!」
ドカッ!!バキッ!!ズゴッ!!
 カンダタに弁解する暇さえ与えず、ムーはまた彼を理力の杖で殴り続けた。