赤の月 第四話


「ハン、気をつけて。」
 ここハンバークの元村長にして創始者たる少女はターバンを巻いた男に一言そう言った。
「心配するなよ村長さん。旦那が海賊如きに遅れを取るはずがねえだろ?」
「あ…いやいやいや…私はそこまで強くない気が…。」
 苦笑しているハンを見て彼女は物憂げな顔で見つめた。
「まぁ大丈夫ですよ。無茶はしませんので。」
「ならいいが、危険なったら戻って。」
 少女はキメラの翼の束をハンに渡した。
「お気遣い有難う御座います。…それでは、参りましょうか皆さん。」
「野郎ども!!錨を上げろ!!出航だぁ!!」
 カンダタの号令と共に船はゆっくりと動き出し、大海原へと出発した。

「…あんたも捕まったのか?」
 石造りの地下室の中で、一人の初老の男に問い掛けられてメリッサはそちらを見やった。
「……。」
 しかし、猿轡を噛まされていて喋る事が出来ない。彼女は頷くだけだった。
―…喋れないだけなら良いのだけれど…呪文も使えないんじゃ困るわねぇ…。
 胸中に自然と恐怖心は無い。だが、拘束具の効果で魔法を封じられていてオマケに意思疎通もまともに出来ない。アバカムが使えれば猿轡も拘束具も簡単に外れるのだが…。
「惨い事をする物だな。あんたの様な可愛い嬢ちゃんに何だってこんな事を。」
 男もまた拘束具に縛られて動けないようだ。かなりやつれてはいるが…恰幅の良さの面影が残っている。どうやら何処かの貴族か大商人の類らしい。
「…さてはて、何とかしてやりたいが…ワシ程度の術者じゃこの鎖は解けんからな…。せめて傷の治療くらい出来ればいいのだが…。」
 特に拷問を受けたわけでもないが…赤の月と戦ってやられた時に受けた傷は致命傷では無かったものの見るからに痛々しく、艶のあった髪もパサパサに痛んでいる…。
―……眠りたいけど…こんなんじゃ寝るにしても寝付けないのよねぇ…。
 状況から考えるにあまりに呑気な思考を繰り返しながら、メリッサはただその場に佇んでいた…。

 そして、時は流れて二週間後…。
「…初めから出してくれれば良いのに。呪文が使えない私が暴れたところであなた達をどうにもできないわよ。」
 メリッサは封呪の拘束具を付けられたまま、赤の月首領…アヴェラの元に呼び出されていた。
「それが13日4時間45分27秒も人を閉じ込めといてとる態度?」
「…はは、余程退屈だったんだな。」
 周りの手下達はメリッサの笑顔から溢れるどす黒い物を感じて思わず身を竦ませた。
「…ふふふ。それで、その赤い宝石を?」
 彼女は差し出された物を手にとってじっくりと眺めた。
「んー、見ただけじゃ一概には何とも言えないのよねぇ…。だって魔力使えないし。」
「そうか、それは残念だな。」
 数多くの知識を持っていても、ただ少し触れただけでは何も分からない事など幾らでもある。
「…こんな分厚い本何か持ってるからてっきり知ってるものかと期待していたんだがね。」
 アヴェラはテーブルにおもむろにズンッとその…メリッサの本を乗せた。
「あら?半分も読み切れてないわよ、それ。ところで…山彦の笛ある?…まさか捨てちゃったりしてないわよね?」
ぎくっ
「ゴホンゴホン。宝物庫を探しな、お前達!」
「「「へ…へいっ!!」」」
 アヴェラが何処かもったいぶった様子で手下達に指示を出すのを見て、メリッサは苦笑した。
―ふふ、カワイイものね。
 
「…ようやく見えてきたぜ…あれが海賊のアジトとやらがある森ってか…?」
 カンダタは望遠鏡を覗きながら傍らに座るムーに尋ねた。
「地図上では間違いなくここ。アレが嘘じゃなければ。」
 彼女はマストの傍でびくびくしながら此方を見ている男を指差してそう言った。
「まぁ嘘言えるわけねえよな。」 
 彼の体中に包帯やら湿布やらがこれでもかと言わんばかりに貼り付けられていて露出している部分は皆無に等しかった。
「これから地獄を見る事になるぜぇ、テメェら。首を洗って待ってやがれ、けっけっけ。」
「オッサン、それ悪役のセリフ…。」
「そ…そうですよ!だって貴方は…!」
 ハンが何か言いたげにカンダタに詰め寄った…その一方で…
「…人の裡を捨て……我が身を糧に…目覚めよ…!」
 ムーが言葉を紡いで意識を集中していた…。
「お…おい…!」
 カンダタが止める間もなく彼女は唱えた。
「ドラゴラム」
 …体から噴き出す魔力が烈風の如き奔流と化して辺りを震撼させた。
「うぉおおおっ!?」

「グ…ググググ…!!」
ブチブチブチブチブチッ!!!
グオオオオオオオゥゥゥゥゥゥゥン!!!!!

 そしていつもの様に…身の毛もよだつ様な咆哮と共にその巨大な…それでいて美しい金色の体を現した。
「おいおい……!そんなトコで変身したら…!!」
『来るなら来るで臨む所。まとめてやっつければいい。』
 言っている傍で…森の方が少しずつ騒がしくなってきた。

―…お…おいっ!?何だ今の音は…!!
―……まずいんじゃねえか!?とりあえず大砲に弾込めとけ!!
―それとお頭に報告だ!!
 
「…わっちゃあ……だから言わんこっちゃねぇ…。」
 そう言いながらも何処か楽しそうにカンダタはそう呟いた。
「つーかアイツに全部獲物取られてたまるか!俺らも行くぞ!!」
「と言うか…メドラの奴、向こうに人質がいるの分かってるのか…?」
「細かい事気にしてる場合じゃねえだろ。おっしゃ、手始めに…」
 カンダタは勢い良く自慢の得物を投げた。相当な重量を持つ分厚い斧の刃が辺りの木々を一気に薙ぎ払った。その向こうで男の悲鳴が複数聞こえてくる…。
「そらぁっ!!アイツらを捕まえろ!!」
 彼らは倒れた木々に道を阻まれ…或いはその下敷きになって動けないようだ…。カンダタ達はその隙に一気に畳み掛けて難無く海賊の斥候達を捕らえた。
「よっしゃ、一丁上がり。」
 マリウスは剣を鞘に収めて一息ついてそう言った。ハンも槍を地面に差して捕らえた者達を眺めながら一休みしている…全く疲れている様子では無かったが。
「…まだ近くに居やがるかもしれねえな。…こういう時に、レミーラ使える奴がいりゃあな。そうじゃなくてもホレスの奴がいれば使えるんだろうな。」
「あの銀髪の兄ちゃんか?そういや俺、あいつがどんな奴なのかまだ知らないのな。」
 顔に複数の傷が付いた目つきの悪い男…そしてメドラの伴侶。表面には表わさないものの…彼女もまた彼の事がかなり気になっている様だ。命知らずの代名詞を持つ彼は一体何者なのだろう…。
「まぁまた会えますよ、きっと。それよりこれを使っては?」
「おっ!聖水じゃねえか!気が利くなぁ旦那!!」
 ハンが機転を利かせて取り出した代物を受け取り、カンダタはその栓を開いた。

ドッカーン!!
「ぎゃあああっ!!」
「…くっ……こんなハズじゃ……!!」
 大砲の音が空に轟き、爆発の閃光が地面を照らした。
『イオラ』
 深い闇に包まれた大空から呪文の詠唱が囁かれ、同時に辺りで爆発が何度も巻き起こった。
「どわっ!!引火した!!離れ…」
ドッカーン!!
「どわぁーっ!!!」
「うげぇっ!?」
「…が…っ!!」
 雷にも迫る凄まじい轟音と衝撃が撒き散らされて海賊達はその場から弾き飛ばされた。
「……ぐ…何だってこんなデカブツが…!!」
「し…しかもあんな呪文使うドラゴンなんて…!!」
「ひ…怯むんじゃねぇっ!!此処で引いたら赤の月の名折れだろうがっ!!」
「…って言っても……あんなバケモノ相手に……」
ずぅうううん!!
 海賊達が言い合っている間にドラゴンはのっしのっしとこちらに近寄ってくる…!!
「来やがった…!!」
「くそ…!喰らえ!!メラミ!!」
 海賊の誰かが大きな火球を作りだしてゆっくりと歩いてくる金色の竜に向けて放った。
びゅおおおおおっ!!
 しかし、それはドラゴンが吐いた冷気に容易く掻き消されて霧散した。
「え…ええい!!何でも良い!!とにかく攻撃だあ!!」
 リーダー格らしき男がそう叫ぶと弓やら呪文やらはたまた爆弾石やらが半狂乱にばら撒かれた。
『効かない。』 
 柔肌にも見える金色の壮麗な鱗はその柔らかな外見に反して磐石の城壁の如く毒が塗られた矢をあっさり弾き返した。
『……。』
 竜は全ての攻撃を受け切ると…口を大きく開いた。
「やば…!ブレスだ!!」
 代名詞とも言っても過言で無い程に…ドラゴンの攻撃で一番良く知られる攻撃手段、高熱の息吹を体内で作り出し一気に吐き出すそれは、まともに受ければ骨まで燃やし尽くされると言われている。言われるまでも無く全員がその場から離れた。
ゴォオオオオオッ!!
 竜の口から炎と化したブレスが吐き出されて地面にぶつかり、辺りの温度を上昇させた。彼女を含めた全員に熱気が吹き付ける…!
「あちちちっ!!!」
『イオラ』
「!?」
―…なっ!?
ドガーンッ!!
 炎の直撃を避けて身構えようと思った瞬間、すぐに呪文が発動されてその場にいた海賊達をまとめて吹き飛ばした。
「は…早すぎる……!!」
 イオラはまともに受けてしまい、彼らはその場に膝を屈した。
「や…やべぇぞオイ…!!俺達このまま…」 
 万事休すとはこの事だろうか…。目の前には巨大なドラゴン、そして囲うは炎の渦…!
―…な…何だって…ドラゴンなんかに…!
 亜種こそ確認されているものの伝説の種族とも言われる程の希少度と絶大な力を持つ生物…それが何故ここに現れたのか…。