孤島の王国 第二話

「……ん?」
 ホレスは見張り台の上で目を覚ました。
―…おっといけない。
 そう思いながらも、彼は特に慌てた様子も無く冷静にあたりを見回した。カリューとニージスが甲板の上のテーブルで佇んでいる…。
「…おいおい、甲板にコーヒーぶちまけてどうするん……」
 言いかけて、何か様子がおかしい事を悟った。
―動いていない…!?
「カリュー!ニージス!」
 ホレスは見張り台から軽やかに飛び降りて、甲板の上に着地した。
「おいっ!!しっかりしろ!!」
 呼びかけても返事が無い…。
―……麻痺か…!…まさか……!!
ひゅっ!!
「…!?」
 白い影がホレスの首筋を横切った。
「…やはり…!!」
―…しびれクラゲ……!!
 彼は舌打ちしつつ背中の刃のブーメランと、投擲用のナイフを抜いて襲撃者に対して身構えた。白い頭部と無数の触手を持つ、スライム族の亜種であった。
「ピキー!」
 しびれクラゲは彼らの種族独特の高い鳴き声を上げつつ触手を突き出してきた。
「…くっ!?」
―速い…!!
 スライム族の類に違わず、素早さを売りとした攻撃を繰り出してきた。
「喰らえ!!」
 ホレスは触手の連続攻撃をかわすと、投げナイフをしびれクラゲに投げつけた。
ぽよんぽよん
 白い頭部に何本かが当たり、少しめり込んだが…ポヨンポヨンと跳ね返された。同時にそれに少し怯んだのか…魔物は動きを止めた。
「そこだっ!!」
 ホレスは刃のブーメランをしびれクラゲの頭に振り下ろした。
ぼよんっ!!
 しびれクラゲの体が思い切り変形して、バランスが崩れた。
「ピ…ピキー……。」
 そして、そのまま甲板にふらふらと落下して目を回しつつ気絶した。
「……終わったか…。」
「「「ピキー!!」」」
「…!!」
 安心したのも束の間…大勢のしびれクラゲがホレスを囲んだ。
―仲間を呼んだのか!?
 ホレスはすかさず泣き声のした方向に刃のブーメランを投げた。
ガッ!!
 しかし、新手のしびれクラゲはその触手を束ねてホレスの持つ鋼鉄の得物を受け止めた。
「……な…何っ!?」
「ピピピ…ピキィーッ!!」
 一匹のしびれクラゲの頭突きが呆気に取られているホレスの腹に直撃した。
「ぐ…ッ!!?」
 彼は甲板に派手に転がり、船の壁に体をぶつけた。
「「「ピキー!」」」
「……くっ…!一筋縄じゃいかないか…!」
 ホレスは無造作に腰の袋から一つの道具を取り出した。
―…いや、コレは使えない…!!
 取り出したのは爆弾石だった。…が、ここで使える代物では無かった。
「ならば…これで……」
「ホレスさん!!」
 ホレスが何かを取り出そうとしたその時、黒髪の少女が戦いに割り込んできた。
「「「ピッ…!!?」」」
 しびれクラゲ達は彼女の出で立ちを見て、皆奇声を上げて固まった。
「……!?」
 持っていたのは肉厚の刃を持つ無骨な斧だった。ホレスもまた呆然とそれを凝視していた。
「「「ピキィーッ!!!」」」
 その物騒な得物を見るなり、しびれクラゲ達は一目散に逃げていった。
「あ……!…行っちゃった。」
 特に追うような真似はせず、レフィルは斧を下ろした。
「…レフィル……それって…」
「ハンさんに貰った武器の中で…コレが一番しっくりきましたから……。」
「…そうか。」
 鎧を軽々と着こなせる位だから斧のような重量のある得物も扱えても不思議では無かったが、ホレスは何処か引っ掛かるような気分になった。

「…大丈夫か?」
 全てが終わった後、四人は甲板のテーブルに集まった。
「いやはや…油断しました。」
 ダーマの賢者が一介のスライムに負けたと知れれば沽券に関る…といった気持ちは全く無いようだ。
「そうか…。慣れない調合だったが上手く効いて安心したよ。」
「ほぉ、その薬は君が作ったので?」
「長らくレフィルの回復呪文に頼りきりだったからな…、使う機会があまり無かった。」
 カリューとニージスは、ホレスが作った抗麻痺毒の薬によって回復していた。
「…それで、レフィルは今どうしてます?」
「ああ、…オレが気絶させたしびれクラゲを治療している。」
「止めを刺されなかったので?」
「…いや、刺す前に新手が来て追い込まれた。」
「侮れませんな…スライムも。」
 ニージス曰く、しびれクラゲの大群に遭遇して海の藻屑と消えた船団もあったという。
「…油断できないな。オレはヘルコンドルやテンタクルス辺りを警戒していたが…。」
「はっは、そうですな。こうして目の当たりにしてみると、厄介な限りで…。」
「…全くや。まさかしびれクラゲ如きに遅れを取る思わなかったわ。」
 カリューは肩を落としながらそう言った。
「…と言うかホレス、お前…ちゃんと見とったのか?」
「…ああ、すまない。」 
 ホレスは回想をしている間に意識を失ってしまった事を素直に詫びた。
「……ふぅん、ま…無理したらあかんよ。この前も酷い怪我しとったんやし。」
「稲妻…か。」
「ええ……。」
 あの銀髪の女が口笛を吹いたその時に二人を狙った雷の直撃…それを受けて今こうして元気に過ごしていられるのは奇跡と言うほどの物でなくとも…かなり幸運な事と思えた。
「ダンナが言うにはその前も怪我しまくりっちゅう話なそうやけど、お前…えらく頑丈な奴やなぁ。」 
「別に。一人の時には言い訳を聞く相手がいないだけだ。」
「ふぅん?いつも言わないように聞こえるのは気のせいか?」
「…ですな。さすが命知らずなだけの事はありますな。」
「…そんなにオレは命知らずなのか?」
 ホレスにそのような自覚が全く無い様子を見て、レフィルは以前と同じような何処か切ない気分になった。
―…わたし達の事…ホレスさんはどう見ているのかな…。
 宝物を求めて同行しているにも関らず、目的そのものよりも自分達を守る事を優先させるその姿勢がその要因なのか…。
―そう……やっぱり不安になっちゃうのよね…。この人がまた…傷つかないかって…。
 祭りの時も、女の攻撃から自分を守り通したのと引き換えに、彼自身はナイフを何本も突き立てられて深手を負ってしまった。
―…わたしが弱いのがいけないのかな…。
「…あの…ホレスさ…」
 レフィルは意を決して話を切り出そうとした。
「おっと待った、レフィルちゃん。ちょいとええか。」
「…?……何ですか?」
 そこでカリューに遮られて、レフィルは彼女の方に向き直った。
「二人だけで話しあるから待っとって。…多分すぐ終わるから。」
「え?え?…ちょっ…カリューさん……!」
 半ば強引にレフィルは引っ張られて船の中へ入って行った。
「…ふむ、カリューは何か企んでいるようで。」
「……。」
 相槌を求めるような口調でニージスが言葉を紡ぐが、相方の反応は無かった。
「?…どうしました、ホレス。」
「……。」
 しかし、彼は目を伏せて…全く微動だにしていない。
「…ホレス?」

「ええっ…!?そ…それは…」
「…せやから同い年の男の子にタメ口くらい訊けんでどないするんや。」
「…え…と……で…ですから…」
「あ?何や?ビビっとるのか?…やっぱ引っ込み思案な子やなぁ…。」
「…お…同い年じゃ……」
 レフィルの反論を軽く流してカリューは言葉を続けた。
「ええか?必ずやり通しや。出来へんかったら…の刑やからな。…あ、それホレスにな。」
「……!!!」
 レフィルはかつて無い程赤面しつつ、絶句した。
「言っとくけど、ホレスに甘えるなんて事が出来ると思わんといてな。」
「……!?」
―…ど…どういう意味……!?
 あまりに唐突な…鋭い一言にレフィルは更に動揺を深めた。
 
「……!」
「おぉぅっ!?いきなり睨まれても…!」
 突如瞠目したホレスを見て、ニージスは一瞬たじろいだ。
「……いや、睨んだつもりは無いのだがな。」
「…それにしては物凄い形相で…。何があったので?」
「実は…」
「おまたせぇ!二人共ぉっ!!」
 にやにやしながらカリューはレフィルを連れて戻ってきた。同時にホレスは顕著に嫌な顔をした。彼女は必死に隠そうとしているつもりらしいが、既に口端は歪み切っていて今にも爆発しそうだった。一方のレフィルは…歩き方一つとっても…動揺しているのが目に見えた。
「ささ、レフィル。…あ、ニージスは席外してな。上手くやれや、ホレス。」
 カリューはニージスを連れてまた船の中へと戻っていった。
「…あの……あ…そ…その…」
 レフィルは少し顔を赤らめながら…何処か躊躇っている様子で口を動かしているが…言葉にならない。
「「……。」」
 ホレスもまた…言葉に困って黙り込んでしまった。
―これじゃ、オレがこの子を困らせているみたいだな……。

「ふむ…カリュー、何をするつもりなので?」
 カリューに連れられて船室の中へと引きずり込まれた
「ええから黙って見とき!」
「…ではホレスがあのような顔しているのは…」
「ノリが悪いだけって話やろ?…何かカタブツなやっちゃなー。」
「本人達が嫌がっている事をを無理にやらせるのはあまり良くないのでは?」
「んな甘い考えばっかやから進展しないんや。ええか、男女間の関係っちゅうもんはなぁ…」
 カリューは意気込んでニージスに熱く語り始めた。
「話が間違った方向に進んでますな…。」
「何言ってるんや!これこそしっかりせなあかん問題やろ!?」

―好き勝手言ってくれるな…。
 ホレスには船の中での会話は全て聞こえていた。
―…まあ…レフィル本人が接したいと言うのなら…構わないのだが……嫌がっているだろ…。
 嘆息しそうになるのを抑えながら、ホレスは相変わらずの無表情でレフィルを見つめた。
―もっとも…断ったらあんたによる辛辣な制裁が待っているのだろうがな…。ある意味ではこの子にもな…。

―…ど…どうしよう……。
 一方のレフィルは…冷静に達観したホレスとは対照的に激しく動揺していた。
―言わなかったら……ホレスさんにまで迷惑かけちゃうし…何より……。
 カリューに吹き込まれた言葉が彼女の脳裏を過ぎる…。
―出来へんかったらキスの刑やからな。…あ、それホレスにな。…んん、でもそれだけじゃあ何か不足やなぁ…。そや!!この前の続き言うて稽古つけたろうか!うんうん、我ながらええアイディアや!
―ど…どうして…簡単に……あんな事を…。
 気の弱いレフィルには理不尽であると分かっていても…彼女の勢いに呑まれて断る事が出来なかったのだった。

―…ふぅ……だが、この子自身が言わないと話にならないのだろうな…。オレが助けても良いのだが…それでもアウトと耳にタコが出来る程繰り返していたからな…。
「…レフィル……。」
「…あ…はい…ホレスさ……っ!!」
 約束違反になりそうになって、レフィルは慌てて口を噤んだ。
「あの…ホレ……」
「……。」
―…カリュー……こんな下らない茶番は初めから止めろよ…。
「ホレスさ…」
 完全に混乱しているレフィルを見るに堪えず…ホレスは船窓の方を見た。

「!!」
 船窓越しに睨まれて、カリューはゾクッと悪寒を感じた。
「…ふむ…やはり怒ってますな…。」
 見る者をたじろがせる怒りに感づき、ニージスは小さくそう呟いた。
「…怒ってって…ホレスがか?何故に?」
「何でって…それは君が一番ご存知なのでは?…彼もまたそれを知っているからこそあのような形相で…」
「知ってって…なぬぅっ!?」
 鍛え上げられた聴力…彼の持つ盗賊…トレジャーハンターとしての力を知らなかった彼女は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「おや、薄々気が付かれていたとは思ったのですが…」
「は…いやぁ……気付かなかったわ…。アハハハハ…。ってちゃうわ!!聞き耳立ておって!」
「それが、それ程意識しなくても聞こえるそうで…」
「…へ……?ちょ……それって……。」
「地獄耳と言う奴ですな。」
 本当に彼なら地獄の底で何があったのかも分かってしまうであろうと言う位に聴力が鋭い事を知り、カリューは青ざめた。
「…は……そんじゃあ…一言一言にも気ぃ抜けないっちゅう事か…!!」
―あ…あかん……!そいなら…既にわても弱み握られてるっちゅう事に…どっげえぇぇっ!!!
「ああホレスぅ、聞こえとんなら…もう賞罰は抜きや……。もう勝手にやっとくれ……。」
 先程までの勢いは何処へやら、カリューはガックリとうな垂れながらそう呟いた。

「?」
 その言葉は確かにホレスの耳に届いた。
―…???…一体何が…?
 急に詫びる様な口調で指示のような弱弱しい言葉を吐いた彼女の声を聞き、ホレスは怪訝な顔をして窓の方を見やったが…これ以上何も聞こえてこない。
―まぁ…それならオレから言ってもいいか。
「…レフィル、もういい。少し落ち着け。」
「え……?ええ…???」
 落ち着くどころか更に混乱してしまったレフィルの肩に手を乗せて真っ直ぐに目を合わせた。
「呼び方の事なら別に気にするな。オレは所詮は一介の旅人に過ぎない。お前の上に立つ者でも何でもない。」
「え……?」

―…ホレスさんも……そう思ってたんだ…。わたしったら…自分だけで思い込んで…。
 レフィルは彼の今の言葉に…全てを忘れて今までを振り返った。
―ムーの時はできて、何で今までホレスさんに対して同じ事ができなかったんだろ…。
 おそらくは外見年齢と行動からそうする抵抗があまり無かっただけなのかもしれないが…。
「それにオレはお前の事を宝探しの為に利用しているに過ぎないんだ。」
「…!そんな事は…!」
「…それはともかく、オレはお前に散々命を助けられているんだ。お互い様…何も遠慮する事なんか無い。思うままに話せばいいさ。」
 ホレスはどう言ったら良いか正直分からなかったが、彼なりに…何処か塞ぎ込みがちなレフィルへ向けてそう言った。
「はい……ホレス。」
 レフィルは目の前に立つ銀色の髪を持つ"仲間"へ初めてそれに対する言葉を返した。
「…さて、オレはまた見張りに戻るとするか。」
「気をつけて…。」
「ああ。」
 ホレスはマストの上へと登って行くのをレフィルはただ漠然と眺めていたが、何処か彼が嬉しそうに見えた。