第七章 孤島の王国


 時折揺れるのが感じられる木造の船室…特に飾り気も無い個室の中で、ホレスは目を覚ました。
「……朝か。」
 無造作に敷かれた質素な布団から起き上がり、彼は船窓を見た。
「天候は特に悪くない…か。」
 思わずホッ…とため息をつき、壁に立て掛けた大きな刃のブーメランを取り、ホレスは外へ出た。

「…おお…ホレス、おはよう。」
「ああ…。」
 外に出ると、露出の高い金属製の鎧を身に付けている紫の髪の女が眠たそうに出迎えた。
「悪いな。寝ずの番はオレの役割だったところを。」
「平気平気、こないな事であれこれ言うてる場合違うやろ。」
 その女、カリューは口ではそう言っているが…随分と疲れているようだ。
「後でレフィルかニージスに治療してもらえ。」
「へ…?ああ、コレか…。」
 ホレスに突然指摘されて、カリューは足に付いた引っかかれた痕を見た。僅かに血が滲んでいる。
「そないにケガに気ぃ使わん方かと思うたケド…」
「そうか?」
「ま、気ぃ使ってくれてありがとな。ほな、飯食おうか。」
「そうだな。」
 
「おはようございます。」
 船内に戻ると、レフィルが木の机に次々と、簡単な食事を並べていた。
「おはよう、レフィルちゃん。」
「…ふぁああ…いやはや……皆さん早起きで…。」
 奥の方からニージスが寝巻き姿でやってきた。
「神殿での生活が長かったからだろうな。まぁ、仕方ないだろ。」
「そう言っていただけるなら嬉しい限りで。」
 四人はそれぞれ席に座り、向き合った。
「そんにしても…何か違和感ありまくりな気ぃするのは…」
「ですな。」
 ニージスとカリューは居間のレフィルの姿を見てそう言った。勇者オルテガの娘である事は既にカンダタから聞いていただけに、エプロンと三角巾を身に付けて料理を嗜んでいる様子が何処か奇妙に見えたのだろう。
「…さて、じゃあ食べようか。」
「そうですね、いただきます。」
 ホレスが切り出したのを機に、四人は料理に手を付け始めた。あらかじめ船に積まれた食料は、決して数は少なくないが…多くが保存食ばかりだったので多様性には乏しいはずだったが、思いのほか品数が多かった。
「…やっぱ美味いわ…。」
「ふむ…ダーマで料理人を極めんとしている友人には悪いですが…。」
「…?どういう意味だ?」
「こちらの方が断然美味い言いたいっちゅう事か?」
 穏やかで悠長な口調とは正反対にハッキリと言い切るニージス…或いはそう言わせる程のレフィルの作った料理の数々がそうさせたのか…。
「…て言うかホレス、お前…何パクパク喰っとるんや!!」
「…??」
 既にホレスは与えられた分の殆ど全てを食べ終えていた。
「こないに美味いモンを味あわずに喰ってるって…どないな味覚しとるんや!!」
「……別に。味覚が悪かろうと食べられないわけじゃない。寧ろ美味い物だからこそ食が進むというものだと思うが。」
「……そ…そやかて…まだわてら…半分も喰い終えとらんって!!」
 言われてホレスは他の皆の食事の進行具合を見た。
「…成る程。確かに食事を満足に味わう事を忘れているのは否定できないな。」
 そう言いながら、彼は最後の一切れのパンを口に放り込んだ。
「言ってるそばで完食すな!!」
 カリューは手刀でツッコミを入れようとした…が…ホレスは素早く後ろに飛び退いて身をかわした。
「何故よける…。」
「…条件反射……ですな。」
 ここ暫く戦いが続いてきたせいか、ホレスの体内にそういった感覚が身についてしまったようだ。
「成る程…そないな考えも……ってちゃうやろ!!空気読めや!!」
「…いや、一流の戦士の一撃を受けて大怪我をしたくはないからな。」
 あっさりとそう言うホレスに…カリューの中で何かが切れた…!!
ヒュッ…!!ガシャーン!!!
「……!?」
「か…カリューさんっ!!」

「…いや〜…言葉には気を付けた方がいいのでは…?」
「……困ったな。未だにカリューが怒った理由がよく分からん…。」
 ホレスとニージスは皿の破片が散らばった床を掃いていた。
「事情が飲み込めないまま言うのも難だが…すまない、レフィル。」
「…は…、はい…。それより…足……気をつけて下さい。見えない破片もありますから…。」
「ああ…。」
 額に拳の痕がくっきりと残る顔をさすりながら、ホレスは嘆息した。

 あの後…カリューは突然手当たり次第に物をホレスに投げつけ始めたのだ。彼女の怒りの真意を察する事が出来ず、半ば混乱した様子だったが…投擲された全ての物を辛くも避け切り、最後に発狂しながら突進してきた彼女と止む得ず戦う事になってしまった。無論、素手では有るのだが…戦士を生業としてきた彼女の強さ…単純に腕力だけでも…カンダタには遠く及ばないものの、十分な強さであった。経験の差が有る為か、速さを除けばホレスよりも一回り上手だった。

「しかし、先程の戦いは名勝負でしたな…。」
「…手加減してたらこちらがやられるだろう……。あの時レフィルがラリホーで止めてくれなかったら…。」
 そして、ホレスに一発喰らわせた当の本人は…ハンから貰ったふかふかのソファーの上で気持ち良さそうに眠っている。
んがあああああ…キリキリキリ…ごおおおおおおお……かーん……
 それはもう…いびきかどうかも怪しい音も立てながら…。もちろん…先程の戦いでは全くの無傷である。
「流石に殺す気ではやらなかったが…一発も入ってなかったぞ…。」
「ほぉ。悔しいので?」
「……いや、二度と戦いたくないだけだ。ある意味ムーより怖い…。」
「ですな。」
―…まぁ…いずれはまた戦う事になるでしょ〜。
 はっは…と乾いた笑いを無意識に出しつつ、ニージスは…あらゆる事に鋭いホレスが…時にどうして鈍さが顕著に出ているのか…それに興味が尽きなかった。

ごごごごごご…パチンッ!
「…いやぁ…よう寝たわ…。」
「……気が付かれましたか?カリューさん。」
 一方のレフィルは眠らせたカリューの介抱にあたっていた。
「ああ…スマンな。…何か無性にハラ立ってもうて…。」
「…そうですか……。」
 レフィルは傍に置いてあるコップをカリューに差し出した。
「コレ何や?」
 そう言いつつ、カリューは中身に口をつけた。直後、僅かに顔をしかめて…
「…苦……。でも…何っちゅーか…おもろい味やね。」
 そう呟いた。
「す…すみません…。でも…体に少しでも良い物を…」
「ええよええよ。…何か気も楽にのうて来たしな。」
 カリューは俯くレフィルの頭を撫でつつ満足そうな口調でそう言った。
「そいで…ホレスは何処行った?」
「ホレスさんですか?外で見張りをされてる様です。」
「…さよか。……しかし、何であいつに敬語つかっとるんや?わてらにも遠慮せんでええっちゅうに?」
「…あ。」
 カンダタにもされた質問をカリューの口から聞き、レフィルは固まった。

―……静かだな…。
 船の物見に佇んでいるホレスの耳は、かつて無い平穏の中にあった。
「波音…に、海鳥の鳴き声か……。悪くないな。」
 顔に当たる風の流れからは潮の香りが漂ってくる。それは彼にとって別段悪いものでは無かった。
―……ポルトガの北……つまりはノアニール西部を通るのか…。

―…下らないな。
―あ…貴方に何が分かるというのです!?
―勘違いするな。別にお前らに限った話ではない。オレが言いたいのは人間もお前達も所詮はその程度の存在でしか無いって事だ。
―…な…何を……。
―……そう言った意味では人語を話すスライムの方がよっぽど利口に見える。
―よ…世迷言を……!!
―…じゃあ訊くが、お前は一体そいつの為に何をした?ただ秘宝が返ってこないと嘆いていただけで本当にそいつの事を思っていたのか?
―……そ…それは…!
―結局は何もしていない…ただ現実から目を背けたい…逃げたいだけだろう。そうするのは勝手だが、それをオレ達への復讐にまで勝手に繋げるな。
―……下賎な!!言葉を慎め!!
―……ふん、今更そのような大仰な態度を取った所でオレは別にひれ伏す事は無い。貴様がまともに掛け合う気が無いのと同じでオレも別に貴様らの事など何とも思っちゃいない。
―…き…きさま……!!
―……獣相手に随分と執心な事だな。…まあお前らがそこまでしてオレを殺したいと言うのなら相手になってやってもいいが、オレはそうして生きてきた。綺麗事を並べて生きているお前等と食い違って当然だ。

―……バカな話だ。
 ホレスはそう心の中で自嘲した。
―……綺麗事…オレだってレフィルを守る事で遺跡荒らしを正当化しているに過ぎないだろうに。
 大空を見上げながら、彼は回想した過去の中の呵責で自分が言った言葉を反芻していた。
―気付いた時にはこうなっていた…か。言い訳にも聞こえないことも無いが…どうしたものだろうな。
 レフィルを守る事…それも結局は独善に過ぎない…。カンダタが言うように、自分で勝手にやっていたことだ。それが他人の目にどう映るのかに関らず。
―…目的が済んだらオレはあの子と一緒に居る意味が無い…。だが…。
 ムーとの一時の別れから、目的を果たしたその時には…自分は彼女らと別れてしまうであろう事を初めて意識した。
―ずっと後の話になってくれる事を願うばかりだな。
 自然とそう思う様になった自分に何処か違和感を覚えながらも、ホレスはそれを抵抗無く受け入れていた。

「いやぁ…ここまで魔物も荒れた天候にもさほど遭わずに来れたのは幸運ですな。」
 ニージスは甲板の外で分厚い本を読みながら向かい側に座る、マリウスとは違った赤の兜と軽装の鎧から覗かせる筋肉が付いていながらも艶かしい肌をさらした女戦士にそう言った。
「…せやなぁ。こうまで快適な船旅はホンマ久しぶりや。オマケにわてら四人しかおらんのにな。」
 船員を沢山雇ったハン達とは違い、この船には四人しかいない。必然的に一人一人への負担は大きくなるのは間違いない。
「ま、食事中に大王イカに襲われでもしたら…少し危ないでしょう。」
「確かに。」
 カリューが船の操り方を教えたお陰でそれなりに臨機応変な対応は出来るようにはなっていたが…三人にとってはこうした自分達で船を管理する旅が初めてなので、まだ不慣れな部分も多かった。
「…しっかしレフィルちゃんを食事番にしたのは正解やったな。」
 船の中の掃除や三度の食事の支度をレフィルに任せ、ホレスが基本的に不寝番、カリューは時折その交代役と船の調整、ニージスは不思議な地図を使っての進路確認との役になっていた。
「…成る程、どちらかと言うと家政婦さんにでも転職させたい所ですが…」
「…んん…せやけどあの歳にしちゃあなかなか強いやん。あのどでかい音出すあの呪文…マーマン一発で沈めたやろ。」
 カリューがレフィルの戦いぶりを賞賛しているのに対し、ニージスは頷いたが…
「ふむ…確かに。ですが…」
チクッ
「……」
 突然彼は言葉と挙動を止めた。
「?どないした?ニージス?」
 いつもの穏やかな表情のまま、彼は微動だにしなかった。
「……お〜い…。」
 目の前で手を振っても反応が無い…。
「………んんん??」
パァンッ!!ビシィッ!!
 思い切り頬を張ってもてんで動かない…。それも渾身の一撃を二発やったにも関らず…。
「…???一体何が…」
チクッ
「「……」」
 カリューの目に最後に映った物は……陸で何度も見かけたふわふわと浮いている生物の亜種だった…!