拓かれし道 第五話
 翌朝…。
「初めまして、皆さん。私、黒胡椒の貿易商のハンと申します。」
 朝礼で、ハンは開拓者達の前に立って軽く自己紹介をした。
「以後、宜しくお願いします。」
 そして、深々と頭を下げた。
「おいおい聞いたか!!貿易商だって!?」
「しかも黒胡椒だとよ!!ポルトガが高値で買い取るってあの代物の…!」
 辺りが喧騒に包まれた。今の立場を聞くに、財力と航海の術を併せ持つ…一大貿易商はこの開拓において、この上ない協力者である。
「何か凄い事になってきたな…!」
「俺らも負けちゃいられないぞ…!」
 同時に、昔からの開拓者達の強大なライバルともなり得たのだが、その張り合いで更に良い影響が出た。もっとも、村長の少女はその辺りの事を意図しては居なかったが…。
「…お疲れ様、商人さん。」
「いやぁ…緊張しましたよ…!私達以前にもアレだけの方が街づくりに携われているなんて…。」
 そう言いながらも、今にも何かをしでかしそうな程にうずうずしているようにも見えた。
「初めて来たときも確かにそれらしく感じましたが、改めて見てみると…実感がわきますね…。」
「……。」
 ムーは体中に震えが来ている彼の様子を…ぼーっと見ていた。
「…しかし、あのビシャスさんの偉業を継ぐことになるとは…何とも感慨深い…。」
「そうだな。…しかし、ハンの旦那。このまま俺らと旅を続けるぬのは無理じゃねぇか?」
「大丈夫ですよ。一応その為に多く人を雇ってるんですから。」
「…イヤ、俺らの事は良いから残っとけ。…今のあんたはもう一介の行商人とは違う。」
 あの後ハンは、船に乗せてきた者とは別に代行人を雇い、黒胡椒の貿易を始めていた。それだけに留まらず今回の人材の何人かも金で雇った者であった。
「今や多くの雇われ者のスポンサーなんだ。ある意味武具チェーン店の社長と同じようなモンだろ。」
「……そうでしたね。…すみません。すっかり自分の立場を見失ってしまって…。」
 義理を返そうと夢中になっている余り、熱くなりすぎた自分を省みて、ハンは俯いた。
「気にすんなって。俺らもどの道しばらく此処であんたの作業手伝うつもりなんだからよ。だよな、ムー?」
「ええ?」
 どうやらムーは、街づくりに協力するつもりらしい。
「でもあなたには…」
「急いでも仕方ない。」
 ムーの旅の目的は、彼女の過去の記憶を取り戻す事にある。その為に実家に帰る事になったのだが、彼女自身はそれよりもこちらに興味を持ったようだ。大切な旅である事には変わりないが此処に面白いと思えるものを見出せたのならば、遅らせるのは彼女にとって何ら問題は無いみたいだ。
「ムーがそう言っているなら別に良いだろ。」
 カンダタも特に反論する気は無いらしい。
「今回の旅はコイツの旅だ。自分がどうするのかはムーが決める事だ。」
 実質ムーがリーダーのパーティと同じような物だった。
「ええ…まぁ…それじゃあしばらく宜しくお願いします。」
 ハンが手を差し出すと、ムーは払い上げる様に掌をぶつけた。ぱぁん!と軽快な音が鳴った。
「あたたた…思ったより力強いですね…。」
「頑張る。」
「おっし!!そんじゃあ俺らもやるぜぇっ!!」
「…張り切ってるなぁ…。ま、俺は適当に休ませて貰うぜ、メドラ。」
 マリウスは一足先に用意された部屋へと入って行った。
「つれねぇヤツ…。ま、良いけどよ。さて、まぁぼちぼちやろうぜ。」
 一行は長旅に慣れている面子であったためさほど疲れた様子は無かった。
「ありがとう、メドラ。あなたの事も忘れない。」
「……。」
 ムーは村長の言葉に僅かに肩を竦ませた。
―…メドラ…私の本当の名前……。
 誰にも気付かれない程度に、ムーは自問していた。
―……でも、そう言われても…私はムー。…それ以外の何者でもない。
 メリッサもマリウスも過去の自分と重ね合わせてメドラと呼ぶが、カンダタが付けてくれた単純かつチンケな名前ながら、親しみを感じる今の名前、"ムー"の方が根強く聞こえた。
―そう思えるのは時間が経ったから?それとも記憶を失ったから?
 今の旅だって、記憶を取り戻すとは言っているが、彼女自身は自分がメリッサの妹だという事自体を疑っていた。
―この度が行き着くのも手がかりの一つに過ぎない。
 ムーには既に周りが雑談をしている事など既に頭から抜けていた。
「……お〜い…ムー?…ダメだ、また上の空になってやがる。」
「ふふふ。いつもの事よ。…悩んでるのか只の白昼夢なのかは分からないけど。」
「よくわからない。でも、面白いヤツ。気に入った。」
 そしてこの後、村長の少女はムーにスー流の悪戯を色々試してみたが…まるで人形になっているかの様に無反応である。
「ぶ…あははははは…っ!!!」
 余りに滑稽なムーの様子に少女は遂に笑い出した。両の頬には洗濯バサミ、頭は鶏の鶏冠の様に結い上げられ…等諸々のとにかくアナログな悪戯だった。
「……?」
 笑い出した少女と、その傍で腹を抱えている青タイツに赤マントの男と赤毛の魔女を見て、ムーは首を傾げた。

「じゃあ早速仕事に取り掛かるわね。」
 メリッサは大量の書類用の紙と、羽ペンとインクを持って、木造の小屋の机に座った。街の設計を見て、彼女の悟りの書の知識をフルに使ってより良い物へと昇華させる事になったのだ。
「…やや、何とお礼を言ったら良い物か…。」
「気にしないで。好きでやってる事だから。どちらかというと…大変なのは商人さんの方じゃないかしら?」
「え?…いやいや、それ程でも。メリッサさんこそご無理をなさらないで下さいね。」
「ありがとう。私も体力には自信ないから、適度に休ませて貰うわ。」
 そう言うと、メリッサは書類に目を通し始めた。すると、傍らにいた少女ムーがハンに歩み寄った。
「さて…では行きましょうかムーさん。」
「…ルーラ」
 ムーが唱えた呪文により、二人は宙に浮かび始めた…。そして、勢い良く上に向かって飛び出していった。
バキッ!!
「あらあら…。もう…しょうがない子ね…。」
 薄い木板で出来た屋根を突き破って外へ飛び出したムーを見て、メリッサは苦笑した。

―ルーラ
ごちんっ!!
―…まぁ、洞窟の中でルーラなんて…大丈夫…?
―…む〜……。
―……血が滲んでるわ。大丈夫。お姉ちゃんが治してあげるから。
―……。
―ちょっと痛いけど我慢してね。

「さてと…。街のレイアウトは大体こんな物かしら…。」
 二時間後、メリッサは椅子から立ち上がって軽く伸びをした。
「休憩時間…ね。悔しいけど…自分で軽食さえ作る事も出来ないのよねぇ…。」
 メリッサは自嘲の笑みを浮かべながら近くにあった長椅子へと腰掛けた。
「お?やってるねぇ、メリッサちゃん。」
「あら、マリウスじゃない。…ふふ、その格好も似合ってるわよ。」
「…おいおい、好きでこんな格好してるんじゃないって…」
 マリウスは…エプロンを着用していた。例によって鎧の上から…。
「殊勝な心がけよね、戦士としての本分を忘れてないんだから。」
「はぁ…もう何とでも言ってくれ…。」
 諦めたように肩を落としながら机の上に何かを置いた。
「まぁ、コロッケじゃない。ありがとう、気が利くわね。」
「この辺じゃああんまり穀類が作れないそうだぜ。その分イモ類がたくさん採れるってんで少しばかり分けてもらってきた。」
「うんうん、流石はお父様のお弟子さんよね。」
「…俺がおやっさんの弟子なら、メリッサちゃんはお袋さんの娘って言ったところだろうぜ。」
「ふふ…そこの所だけ似ちゃったのよね…。」
 人攫いの洞窟で再会は果たしたのだが、思ってみれば二人だけの時間を取る機会はあまり無かった。別れてから初めての旧友同士の話であった。
「…ホントなら…メドラも一緒にこの話の輪に入っていたんだろうにな…。」
「あら、そんな変わらないんじゃなくて?」
「そりゃそうか。いっつもあいつ、だんまりだったからなぁ…ははは。」
「でも、昔に比べれば随分喋るようになってるわよ、あの子。」
 その言葉を聞き、マリウスはポルトガでの祭りの思い出に返った。以前の彼女からは考えられない…とまではまずいかないが、それでも比較的人間らしい言動があった…ような気がした。
「オッサンのおかげって事かね…。」
「ええ。人間らしい温かみって物を持っていたわ。…お父様と同じ位…もしかしたらもっとあるかも…。」
「人は見かけに因らないってホントだったな…。」
「そうよねぇ…あの人…見た目がアレだからねぇ…ふふふ。」
 ムー曰く…"一歩間違えたら変態"と言われる程の奇抜というより奇怪な出で立ちをしているだけに、人格よりもそちらの方に注目されてしまうようだ…。それに、格好で大体の人物像が判ると信じられている世の中なので、そうなるとさらに不利になるのは間違いない。
「でも、あなたも同じ位怪しいわよ?」
「うげ…オッサンと同レベル…?…ガーン…。」
 鎧の上にエプロン…デザインがデザインなので尚更…。
「そう落ち込まないの。…そろそろ休憩終わり。今度は外で働いてる人たちにも差し入れあげたら?」
「そ…そうだな…。」
「…変な噂が立たない事を祈っているわよ。」
「…え…縁起でもない事を…。」
 この後、冒険者のリストが改訂されて…その中の一つの人物の二つ名が…"鎧エプロン"とついてしまったのはまた別のお話である…。