第六章 拓かれし道
地平線一杯にまで広がる大海原…深い蒼に彩られた何も無い波の音のみの静寂の場…。その場の中に浮かぶハンの帆船の先端で、赤毛の少女は佇んでいた。
「…お別れ。」
先端に座り、ムーは空を飛ぶ海鳥の群れを目で追っていた。
「名残惜しい?」
いつの間にか隣には空飛ぶ箒に腰掛けて向かい合う形で併行する自身を姉と呼ぶ女性の姿があった。
「…寂しいだけ。」
「そうだったわね…昔から。そう…あの時も……。」
その女性…メリッサもまた海鳥達を見ながら昔を思い出していた。
「…。」
―…気にならないのね…。本当にまだ…。
自分の妹が目の前にいる…姿も仕草も昔見たそれと変わらない…。しかし、肝心の記憶は失われて…彼女の内なる心の何処かに忘れ去られてしまっている…。
「…あらら、見事に黒コゲですな…。」
話は遡り出航直前…ニージスは爆発に巻き込まれた四人を見下ろして嘆息した。
「………ホ…ホレスさん…。カリューさん……。」
レフィルはホレスとカリューに呼びかけたが返事が無い…。完全に気を失っているようだ…。
「…は…ははは……まさか間近で花火を受けることになるとは思いませんでしたよ…。」
仰向けに倒れている商人ハンは、呂律が回っていないものの辛うじて意識をとどめていた。隣で緑の覆面とパンツのみという奇天烈な格好をした巨漢が見事にのびている傍で…。
「…あぁ…面目ねぇ…。」
赤い全身鎧に身を包んだ青年…マリウスは頬をぼりぼりと掻きながらそうぼやいた。
「……。」
がしっ ずるずるずるずる…
何を思ったか、ムーはカンダタのマントを掴み、引き摺りはじめた。
「…ちょっ…ム…ムー…?」
少女の細腕でカンダタの巨体を引っ張っている様は…何処か奇妙に思えた。そして、桟橋を伝ってそのまま船へ入っていった。
「い…行っちゃった…。」
一同はそんなムーの様子を呆気に取られてみていた。
「……それにしても…、あのバクサンって人……一体…」
「…妖怪…とか言ってたな、メドラは。」
「よ…?」
妖怪と言うよりは寧ろ怪物と言ったほうが妥当なのは気のせいだろうか…?と本人含めて誰もが思った。
「それより商人さん。倒れている所悪いけれど、ホレス君に渡すものがあるって言ってなかった?」
傷ついたハンの様子を気遣いながらも、メリッサはハンに何かを促した。
「…お…お…おお、わ…わすれて…おり…ました…。」
それを聞くと何処か危なっかしい様子でハンは立ち上がった。
「だ…大丈夫ですか…?」
「ベホイミ」
メリッサの癒しの光が黒コゲのハンに降り注いだ。しかし…フラフラと成っている様子は止まらなかった。
「…あまり…効いてないみたいね…。」
「………いえいえいえ…ありがとうございます…は…ははは…」
足が笑っている…未だにダメージが深刻であるのは間違いない。
「こ…これを……」
ハンは殆ど消し炭状態の包みを取り出した。
―…うわ……中身…大丈夫なのかな?
差し出された物を受け取り、レフィルはその中身を見た。
「…よかった…どうやら中身は無事みたい…。…これって…何です…」
どさっ
レフィルが全てを言い終わる前に、全ての力を出し切った商人の男は力なく倒れた。
「ハンさん!?」
「…あ~…無理すっから…。」
マリウスは彼が地面に倒れこむ前に支えて抱え込んだ。
「ホント、凄い根性よね。」
「まぁ…根性と言えば…彼の方に勝てたらもはや…」
根性を信条としている例の男…バクサン…。一体彼は何者なのだろう…。
「時にメリッサ。貴女は何故ムーがダーマから追放されたかご存知で?」
「…いいえ?でも、あの子なら何か無茶しそうだわ…。昔っからハチャメチャだから。」
「……ふむ。それを知る術は無いようで?」
「占い位ならできるけど…それじゃ何も分からないわね。お聞かせ願えるかしら。」
「あなたは覚えてないかもしれないけど…昔から色々無茶してお父様に迷惑かけてたのよね。」
「…そう。」
特に残念とも思わず、ムーは只そう返した。
「でも、悪い事じゃなかったわ。」
「…どうして?」
「私達の面倒を見ている時…お父様は何処か楽しそうだったわ。…マリウスと私、そしてあなたの三人で遊んでた時なんか特に。」
「……楽しかった?」
「ええ、それはもう。お父様がオルテガ様と一緒に旅に出るまで毎日遊んでた位だから。メドラったらいっつも服を泥だらけにして…っと、ここからは言っちゃいけないわね…。」
「???」
意味深に話を切ったのに対し、ムーは首を傾げた。
「今となっては楽しい思い出…でも無いわね…アレは…。」
遠い目をしてそう呟くメリッサにムーはまた尋ねた。
「お父さんが旅に出てからはどうなったの?」
「……後?そうねぇ…今は時期が早いと思うの。あなたの魔術で知る事ができるなら話は早いのだけど…。」
「無理。」
ムーはメリッサの様に占いに用いる様な魔術には詳しくは無い。あくまで旅人の導き手…賢者に似た物としての魔法なら十分使えると言った所でどうでも良い雑学と言えるような魔術に関してはあまり深くは触れていない様だ。
「……でしょうね。あなたって昔からそういうの苦手だったものね。…だって今も空飛べないんでしょ?」
「……ドラゴラムがあるから要らない。」
「ふふ…そうね。でも…基本的にあなたの魔法の盾を飛ばすのと原理は変わらないから出来ない事は無いとおもうわ。…やってみる?」
「だから要らない。」
「……やっぱりね。」
少しもドラゴラムを使う事に躊躇しないムーを見て、メリッサは僅かに失笑した。
「…いやぁ…アレはホントに凄かった…。」
「凄えなんてモンじゃねぇだろ…。つーか大迷惑だろうが…。」
航海を始めて一日が経った。カンダタとハンはメリッサとムーの回復呪文のおかげですっかり全快し、甲板で手合わせをしていた。
「しかし…あんた、商人のクセにやったら強えな。一対一ならホレスといい勝負じゃねえか?」
「ははは…流石に彼の凄みには勝てませんよ。確実に敵を仕留めるといったあの気迫にはね。」
「…ていうには随分鋭い一撃出してきやがって…。」
「槍を嗜んでたのが生きてるみたいですよ。」
「…ああ、やってたのか。道理で。」
槍と言う一対一と言うより多対多とか多対少数の戦いに使いそうな得物で、カンダタと稽古を成立させているあたり、やはり只者では無い…そのような気がしてきた。
「しっかし随分慣れてくれたみてぇで嬉しいぜ、旦那。」
「いえ…初めは本当に失礼しました。」
「んな細けぇ事なんか気にすんなって!楽しくやろうぜ!どおりゃあ!!」
「そうですね…せいやぁっ!!」
二人が激しく打ち合っているのを見て"真紅の鎧"マリウスが歩み寄ってきた。
「精が出るな、俺も混ぜてくれないか?」
「おお、俺ら二人でマンネリで退屈してたとこだ。どんと来いや!!」
この光景をホレスが見ていたらどのように思うだろうか、三人は甲板を揺らさんとする勢いで戦いを楽しんでいる…。
「……。」
「ん?…何だよ、こんなの見ててもつまんねえだろ。」
ムーが右手に理力の杖、左手に魔法の盾を手に歩み寄ってきた。
「私も。」
「…あ~ダメダメ。お前だと何か船ぶっ壊しそうだし。」
バハラタ発の船で前科があるのに随分な言い振りである…。まして、船の上で仕合とは反省の色が見えていない…。もっとも、船長たるハンが許可した事であり上、魔物が現れる際の良いウォーミングアップにはなるのだろうが。
「…あなた達だって。」
「んだよ、俺らはんな事ちゃんと弁えてんだよ。お前、まだ子供だろうが。」
「……。」
ムーは諦めたのか、彼らの脇を通り過ぎていった。
「さぁて、じゃあ順番どうするよ?」
「んじゃオッサン、早速やろうぜ。」
「だぁれがオッサンだぁ!!」
カンダタは昨日のように再びマリウスに蹴りを入れようとした。
「まぁまぁ、そのアツい気持ちを勝負にぶつけ合いましょう。」
「「そうだな。」」
「んじゃ行くぜえ、オッサン!」
「俺はまだ若ぇっていってんだよぉッ!!」
ズガッ!!ガキィッ!!
剣戟の音を聞きつけ、いつしか見物人が集った。ハンの目的地に便乗してきた海の男達である。
「頑張れ赤鎧!!」
「負けんな変態仮面!!」
―だぁれが変態仮面だ!!
―赤鎧…まんまじゃねぇかぁっ!!
互いに野次に心中で毒づきながら武器を振るう勢いを増した。
「どおおおおおおおお!!!」
「せええええええ!!!」
グオオオオオオオゥゥゥゥン!!!!!
しかし、激戦を楽しんでいた二人の近くに緑色の糸切れのような何かの破片が風に乗って飛んできた。…同時に…辺りに黒い影が差し込む…。
「「ハ!!?」」
「ド…ドラゴンだぁ~ッ!!!!!」
金色の竜が戦いに集う者たちを空から見下ろしていた。
「ぎぃやああああああああっ!!イオラぁ!!」
「…ま…待て!!」
反射的に呪文を唱えた男を止めようとしたが、既に遅かった。爆発が金の竜を飲み込んだ。
『…む~……』
顔付近で爆発を受け、ムーは何処か不機嫌そうにうめき声を上げた。
「き…効いてない!!?おおおおっ!?イオ…」
ごん!
「ぎゃーっ!!」
ムーの…金色の竜の鉄拳を受け、呪文を唱えた奴はまるで釘のように甲板に沈んだ。
「…だから言わんこっちゃない…」
カンダタは肩を竦めてそう言った。男にでは無く、空を飛んでいる雌ドラゴンに…。
『お腹空いてるだけだから邪魔しないで。』
「「「!!??」」」
「…オ…オイ、俺達喰うつもりかよ…!?」
『…不味いから食べない。』
そう言い放つとムーは海の中に飛び込んだ。激しい水しぶきが巻き上げられ、甲板に降り注いだ。
「ま…不味いからって…美味ければ喰うつもりなのかよ…」
「い…いや、それは無いんじゃ…?」
「つーかあいつ…泳げるのか…?」
「一応。どこで覚えやがったのか知らねぇけど。」
両雄の戦いよりも、突如現れた金色の竜の方に皆の注意が行ってしまい、勝負はお開きとなった。