新たなる旅路へ 第九話
「胡椒一粒金一粒…か。」
 早朝…目の前の二つの帆船を見て、ホレスは感慨深そうにそう呟いた。
「ここまで準備が良いと…何か逆に引っかかる物があったりしますな。」
 ハンの黒胡椒貿易は大当たりで、莫大な利益を得る事に成功した。礼金を二隻の船の代金に回し、一つはレフィル、ホレス、ニージスが…もう一つはハンの船としてムー、カンダタ、マリウス…そしてメリッサが乗り込む事になった。
「…そろそろ出航するか?」
「あ、少し待ってて下さい。…あと少しだけ…。」
「…そうか。…いや、船を動かした事がある奴がいない事には話にならないな…。」
「「あ」」
 ホレスの言葉に、ニージスとレフィルの二人共が固まった。

 日が昇る少し前、カリューはカルロスに呼ばれて彼の家の庭に来ていた。
「いひぃぃいいっ…!せ…せやから…そこはダメ…!!」
 鎧の隙間から露出した肌を舐め回されて、カリューは悶絶していた。
「…サブリナ…!しょうがないな…。」
 見ていた青年が呆れた様子で猫とカリューを引き離す。
「ふぅ…。んで…カルロスはん、ホンマにこの剣…借りてってよろしいんで?」
「…もちろんですよ、カリューさん。今のボクにはもう使えないみたいですし…。」
 ドルイドから受けた呪い…それは魔王の力を借りた禁断の呪術の一つだった。そのため、魔王を倒さない限りは解ける事は無い…。それが不完全な物であったとしても…。
「……。」
「そう辛気臭い顔しないでくださいよ。…あのまま呪われていたらボクらは…本当に会えなくなってしまったのですから。」
 今でも会えなくなったのと同じ事態だった。なまじ呪いが不完全だった為に、獣化の時間がずれて、昼はカルロスが馬に、夜はサブリナが猫になってしまう…半分だけの呪いだった。
「……えぐっ…!」
「カリューさん…?」
「…あんた…ホンマに強いんやな…。わては…」
 見ればカリューは鼻水まで垂らして隠す事無く泣いていた。
「…あの人に失恋して以来…生きていても会えない…っちゅうだけの事で気ぃおかしゅうなりそうやった…。」
「……そういうものですよ。…本当の彼女には今は会えない…でも、嫌われたわけじゃありませんから…。」
「…忘れられへん……忘れられへんのや…。」
 目の前の涙が似合わぬ紫髪の女戦士が泣いているのを見て、カルロスは彼女の悲しみを感じ取った。
「……。」
「スマン…あんさん達の方が大変な時に…」
「いいんですよ。…誘惑の剣、お持ち下さい。」
 カルロスはハンカチを差し出しつつ、そう言った。
「誘惑の剣は本来女にしか使えぬ魔剣。貴女ならきっと使いこなせる事でしょう。」
「使いこなして見せます!…ほな…レフィルちゃん待たせてんで…。」
「…お気をつけて…。」
 カリューは誘惑の剣を受け取ると、港の方まで走っていった。
―…魔王だか何だか知らんけど、絶対わてがコテンパンにしたる…!

「…行ったねサブリナ……。」
「ええ…。」
 去り行くカリューを、一頭の馬と若い女性が見守っていた。
「……彼女の旅路に幸あらんことを…。」
 サブリナは細い指を組み、そう呟いた。馬となったカルロスも嘶き一つせず、静かにカリューを見送った。

 息を切らして走り続け、カリューは船付き場まで辿り着いた。
「ゴメンゴメン!待った?」
「おお、待っていたぞ。用事は済んだのか?」
 ホレスの言葉にカリューは頷いた。
「こないな船を貰えるなんて、ツいとるのぉ…。」
 決して大型とも言えないが、個人の船としては十分なサイズである。食料もバッチリ積んである。
「…一つ聞きたい。」
「ほぇ?」
 神妙な面持ちで訊かれて、カリューは思わず間の抜けた声を出した。
「あんた…船については…?」
「ああ、任しとき。よっぽど変な船でも無い限り、バッチリや。」
「そうか…それなら良かった。ニージスも動かし方だけは知っているみたいだが、一回も経験が無いと言っていたからな。」
 既に船に乗り込み内部を見回している二人を見て、ホレスは手を振った。

「…エジンベアへ向かうのね。」
「はい。」
 出航間際、九人はハンの船の桟橋の前に集った。
「…そう、じゃあ方向は違う事になるわね。」
「…ですな。ルートによっては行けなくも無いでしょうけど、ハンの都合もありますからな。」
 ハンは船を手に入れたらとりあえず西に向かう予定のようだ。エジンベアは北の方角にあるため、丁度90度違う方向に旅立つ事になる。
「ていうか、ホレス。エジンベアまで何しに行くんだよ?…俺も一度行った事があるけどよ、あそこは出来れば止めといた方が…」
 カンダタは間が悪そうにそう言った。
「?」
「ほほぉ、やはりあの噂は本当でしたか。…世界を股にかける大盗賊が知り合いで良かったですな。」
「…??」
 ホレスは揃って同じような反応を見せる二人を見て怪訝な顔をした。
「…エジンベアに一つ、至宝があると訊いたが…まさか厳重管理されているというのか…?」
「…ある意味正しい…と言えば正しいか…。」
―ある意味…?
ぎゅっ…
「?」
 考え込むホレスの黒装束を引っ張っているムーに向き直った。
「…今まで世話になったな…。」
「今まで…じゃない。これからも。」
「…そうだったな。」
「ムー…。」
 レフィルとホレス…そしてムーの三人が向かい合った。
「…また会えるよね……。きっと…。」
「…レフィル。」
 ムーはレフィルにしがみ付き、その胸に顔をうずめた。
「ちょっ……、…ムー?」
 胸元に生暖かい物がポタポタと落ちてくるのを感じて、レフィルはムーを見下ろした。
―…泣いてる…?
「……寂しい。」
「おいおいおい?俺がいるだろうが?」
 珍しく鼻声で話すムーに、カンダタが彼なりの慰めらしい言葉を言ったが、ムーは顔を見せないまま首を振った。
「…でも、レフィルもホレスもいない。」
「……悪ぃ。」
―…そうか。そうだったな。
 短い間の付き合いとは言え、記憶を失ってからの初めての同年代の親友と別れるのは辛いようだ。
「うう〜……。」
「泣くなよ…。…普段ぼーっとしてるくせにな…。」
「…こいつに泣いてもらえる存在になったのか。オレ達は。」
「そういうお前も何泣いてるんだよ。」
 カンダタ自身もまた目頭が熱くなるのを感じながら、別れの前の一時の空気を感じていた。
「泣けるわ…ごっつう泣けるわぁ!!」
 カリューもまた、周りを気にする事無く号泣した。
「ウワーハッハッハッハー!!感動の一場面とは正に今じゃなァッ!!!」
「「「「「「「「「……!!!」」」」」」」」」
…ピカッ…ド……ドン…!!
 爆音が朝のポルトガに響き渡り、町中の鶏のお株を奪った。

「大丈夫ですか?ホレス?」
「…無事に見えるか……?」
「全くや……。」
 ボロボロになって、カリューとホレスは仲良く甲板に突っ伏していた。ニージスの言葉にも弱弱しく返事を返すだけだった。
「ベホイミ」
 レフィルの回復呪文が二人に降り注いだ。
「…しんどいわ…あれは。」
「イヤ…そのレベルを超越してるな…。」
 
「…ムー…てめぇ…また俺を盾にしやがって…。」
「適任。」
 さっきまで泣いていた少女は、今はなにくわぬ顔でカンダタの罵声を聞き流していた。
「は…はははは…。花火と言うものも一歩間違えればちと大変なものですね…。」
「大丈夫?もう一度ベホイミかけておく?」
「…普通ここは俺が盾になる場面だろうに…。」
 マリウスはそう言いつつ…仰向けに倒れているハンの変わり果てた姿と言うべき有様に嘆息した。

「だ〜!!うるっさいわねぇ!!朝からぁっ!!」
「そう言うお前もうるせえよ…。」
 ポルトガの宿で、住民達は皆、なんだなんだと言わんばかりに右往左往している。
「…この前の花火と同じ匂いがするわね…。この趣味の悪い煙は…。」
 そうぼやくキリカにはキノコの形をした雲が窓の外から見えた。
「む…??目覚し時計にしては…随分と変わった音じゃのぉ…。」
「「目覚ましに聞こえるかいっ!?」」

 レフィル達が去った後の船着場で、サイアスは嘆息しつつこう呟いた。
「や〜れやれ。やっぱりこの船使うしか無いのかよ。」
 目の前にあるのは、四人がようやく乗れる程度の風を受けて進む…ヨットのような構造の小さな船だった。
「せまっ苦しいのはイヤなのに…。」
「あらぁ、アタシはサイアス様に近づけて幸せよぉ…。」
「アンタと一緒にしないで…!」
 顔を赤らめて一人自分の世界に入り込んでいるキリカの姿を見て、レンの苛立ちは徐々に強まっていた。
「アツいのう…。」
「…まあいい。乗るぞ。」
 サイアスは他の三人を促しつつ船に乗った。
「バギマ!!」
 レンが巻き起こした真空の渦が船に繋がれていた鉄の鎖を裂き、その風圧が推進力となって一気に船を押し進めた。
「…ドロボー!!!」
 兵士の一人がそう叫ぶのを無視して四人は出航した。…この後に待ち受ける真なる脅威も知らずに…。

 これが自ら道を切り開く者達の旅立ちだった。
(第五章 新たなる旅路へ 完)