新たなる旅路へ 第三話
 その瞬間、ムーの体から凄まじいまでの魔力が辺りに迸った。
「グ…グググ…!!」
 ムーは何かを押さえつけているような呻き声を上げた。
―一体何を…、…ムー…!
 傍にいた二人はその様子をただ見守っていた。
―…雰囲気が…変わる……!!
 そう思っていたのはどの位の間だっただろうか…。そして、その時は急に訪れた。
 
「グオオオオオオオオオゥゥゥゥゥンッ!!!!」

 異形と化したムーの咆哮と共に、身に付けていた衣服が張り裂け、その緑の破片が舞った。同時にムーの体が爆ぜる様に急に巨大化し、船の甲板の上に降り立ち、その巨大な体の持つ重量で船を揺らした。
「…ドラゴン…!」
 そこに立っていたのは巨大な…そのくせ美しいとも言えそうな金色の鱗を持つドラゴンであった。
「ムー?」
『……。』
 呼びかけても…ドラゴンは無反応だった。
「だぁ〜!!」
『!!』
 しかしイカに絡まれているカンダタの悲鳴を聞くなり、耳をピクッと動かした。そして程なく金色の翼で羽ばたき、空へ舞い上がった。
「うわっ!?」
 翼が巻き起こした風圧が、レフィル達に降りかかった。その時…
『イカ…』
 ドラゴンの口から言葉が聞こえた…ように感じられた。声色は元の少女の状態と同じだったが、何処か遠くから響いているような声だった。
「!」
―喋れるのか…!?
 ドラゴンの状態で言葉を話したと言うことは、少なからず自我はあるようだ。
『…美味しそう。』
 ムーは急降下して、テンタクルスの内の一匹に踊りかかった。大きな掌でイカの頭をがっちりと掴み、再び空へ上がった。
ゴオオオオオオオオッ!!
 そしてそのままドラゴンの炎を魔物に吹きかけた。更に…そのイカの丸焼きを鋭い爪で切り裂き、その欠片の一つを喰った。
『不味い。…生焼け…。』
「「……………!」」
 しかし…
ガツガツガツガツッ!!
 イカの丸焼き特大サイズ完食……しかもその間十秒…。同族があれほどまでに鮮やかに打ち負かされた…否、喰われたのを見て、残りの二体はカンダタを諦めて逃げていった。
「不味いなら初めから止めとけよ…。」
 ホレスは甲板からツッコミを入れた。
『好き嫌いは良くない。』
「いや…そう言う問題じゃ…。」
 とんでもなく食い意地が張っている少女もとい雌ドラゴンに、ホレスは呆れてため息をついた。
「おおい!ムー!わりぃんだが、向こうまで送ってくれぇ!船ぶっ壊れちまってどうしようもねぇ!」
 海上からのカンダタの声が聞こえてきたので、ムーはゆっくりと海面まで降りた。そして、口でカンダタをくわえあげて背中に乗せた。
『ベホマ』
 その直後すぐに、呪文を唱えた。どうやら竜の状態でも呪文を使えるらしい。
「お、サンキュー。」
『…無茶はだめ。』
「わーってるって。」
 それを最後に、ムーとカンダタは空を駆け、メリッサ達が待つ大地へと羽ばたいた。

「……ホントにドラゴンになるんだ…。」
 対岸まで飛んでいく金色の竜を、レフィルは呆然と見つめていた。
「…いやはや……まさかまだ使えたとは…。」
「ニージス…?」
 長く蒼い髪を後ろで束ねた青年が意味深な抑揚で呟いた。
「"まだ"…?…ということは、あんた…前にもアレを見たのか…?」
「まぁそういうことですな。…しかもあの子のドラゴラムは普通じゃあない。」
「…え?」
 ニージスが言うには、ドラゴラムは強大な竜の力を得る代わりに、自らの理性を失わせる欠点を持つことで有名だった。…つまり、我を忘れて本能だけで戦っているため、同士討ちこそは免れても…呪文詠唱はおろか、意思疎通さえもままならない状態に陥ってしまうはずなのだ。
「…だが…ムーは…」
 一方彼女は、ただがむしゃらに暴れていた訳では無く、自分の意思をもって戦っていた。テンタクルス一匹を丸焼きにして刻んで食べやすく(?)しているなど、ある程度の知恵が無ければできない事をやってのけたのだ。
「はっは…アレは彼女以外できる芸当じゃないのは確かですな。しかもどうやってそう出来ているのかさえ分かったものじゃないので…。」
「悟りの書を読んだあんたでも分からないのか?」
「呪文に関しては元々専門外でしたからなぁ…。元は…」
 ニージスが何か言いかけた時、バサッバサッ…と羽音がして、あの金色のドラゴンが目の前に降りてきた。ズンという音を立てて甲板を揺らす…。
「でっけえなぁ…お前…ホントにメドラかよ…?」
 先程の戦闘に出る幕無しのマリウスが呆然とそう呟いた。これが良く知る少女と同一の存在だという事が未だに信じられないらしいが、顔は笑っていた。
「…ムー。カンダタさんは…?」
 レフィルがそう尋ねるとムーはこう答えた。
『大丈夫、二人と合流した。』
「そう…。無事で良かったわ…。」
「…それより、いつまでその姿でいるんだ…?」
 ホレスは船員達を指差し、そう言った。皆ムーを見て顔が強張っている。
『食べないから安心して。』
 さっきのイカ騒動を見ていると…冗談には聞こえない…。
「分かったもういい、とにかく元に戻れよ…。オレとしてもその方が助かる…。」
『……。』
 ムーは何処か残念そうに空を見上げた。彼女の体は少しずつ縮み続け、最後には元の大きさと容姿に戻った…が
「「「「!!!」」」」
「……?」
 その直後、ムー本人とニージスを除く全員が固まった。
「な…なななお前…!!」
「…??」
「あら〜…そうでしたな…。いやはや…」
「…いやはやじゃないだろ!?…何で服着てないんだ!?」
 ニージスに怒鳴るホレスを見て、ムーは自らの状態を全く自覚せずに首を傾げた。
「最初に千切れ飛んでしまったのでは?」
「!!」
「……そう言えば…。」
「…くしっ!」
 ムーは肌寒さに身を震わせ軽くくしゃみをした。
「とりあえずこれを…。」
 レフィルは変身した時に外れた緑色のマントをムーに手渡した。彼女は何も言わずに黙々とそれを羽織った。
「新しい服…持ってこないとな…。」
「このままでもいいのに。」
「良くないっ!!イシスの時も…」
「…ちょっ…ふ…二人共……!」
 言い合いをしている二人の間でレフィルは中途半端な体制で止めに入ろうとしているが…。
「何処までもそこの所に無頓着なのは変わりませんな。」
「流石はおやっさんの娘だぜ…。」
 先程から喚き続けているホレスと対照的に裸を見られても身じろぎ一つしないムーを見て、ニージスとマリウスは苦笑した。
 
「動きにくい…。」
 カラン…コロン…と珍しい靴音を立てながら、ムーはそう呟いた。
「…で、ニージス…何で今度は…」
「いやあ…まぁこれなら無難と思いましてな。」
 真紅の長い髪を黒い珠の付いた髪飾りで留め、蒼い布地の着物を着ている彼女の姿を見ながらニージスはうんうんと頷いた。
「…やけに嬉しそうだな…あんた。」
「いえいえ、これはそもそも…あの時に彼女の為に作っていたものでしたので…。いやぁこうして実際に使うときが来るとは嬉しい限りで…。」
「……そうか。」
 一応元々は同僚だった事から、心の底でこのような一時を望んでいただけに、よほど嬉しかったのだろう。
「似合ってるよ…ムー。」
 レフィルは着飾ったムーにそう告げた。
「でも…動きにくい。さっきの方が良い。」
「…え?」
「また…!だから良くないって…!!…ったく…。どうしてこいつは…」
 やはりムー本人にはこの着物はどこか気に入らないようだ。"さっき"の方が良いと言うのも人間として少々問題があるが…。
「ドラゴラム…ですかねぇ…?」
 身も心もドラゴンにでも成り切ったからこそ…?
「…とりあえず、その姿でドラゴラムを唱えられない事を祈るばかりだな。」
「おおぅ!?縁起でもない事を…!」
 冗談じゃない…と呟き、ニージスはムーの方を見た。
「…頼みますからそれだけはご勘弁を…。」
 その言葉が彼女に届いたか否かは誰も知る由も無かった。