新たなる旅路へ 第二話
「…あんたか。」
 笛の音を聞き、ホレスはそれを奏でた女の下へ歩み寄った。
「ええ。」
 その女…メリッサは唇を笛から離し、彼に向き直った。
「変わった笛だな…」
「あらそう?見た目はただの笛じゃない?」
「いや…この何の障害物…小山一つ無いところで山彦が返るなんてな…。」
「!」
 ホレスの言葉に、メリッサは一瞬動きを止めた。そしてその後彼に尋ねた。
「…本当に?」
「ああ、オレには確かに聞こえた。」
 それを聞くと、メリッサは目を伏せて笛を見つめた。
「そう…。それなら…」
「それなら…?」
 メリッサは少し間を置いてから再び尋ねた。
「音が聞こえてきたのはテドンの方角だった?」
「…テドン?…どうやらその様だが…。」
「…ありがとう。少し話があるのだけれど、いい?」
 ホレスは頷き、次の言葉を待った。
「…これは"山彦の笛"といって、何でも良いわけじゃないけど…強い力を持つ何かに反応する音色を出す代物なの。」
「…さっきオレが聞いたのもそうなのか?」
「おそらくね。気になっているようだからもう一回吹いてみましょ。」
 メリッサは再び山彦の笛を奏でた。…やはりしばらくした後…"山彦"が返ってきた。
「…!じゃあ、この近くに…!」
 "山彦"を聞いたのは二度目だが…このような不可解な現象はそう多く起こる物ではない。
「……流石にネクロゴンド近くだけにあるわね…、灯台下暗しって言ったところかしら。」
「そうだな…。しかし、どうしてテドン…」
「今となってはどちらでも良い話でしょ?…早い話が確かめに行きたいのだけれど、私一人でネクロゴンドの麓に行くっていうのならただの自殺行為と同じだから…。」
「……そうか。オレ達がついて行ければ話が早いのだろうがな…。」
 ポルトガに行ったことの無いホレス達は、船から降りる訳にも行かない。キメラの翼を使って落ち合う訳にも行かない。
「折角面白そうな話が出てきたのに残念…」
「あ……!」
 二人が話しているのを見て、黒髪の少女は目を見開いた。
「?」
「あら、レフィル。あなたも笛の音が聞こえた?」
 メリッサに尋ねられ、レフィルは曖昧に答えた。
「??…い…いえ…」
―…どうしてメリッサさんと?

「ほほぉ、それはまた面白そうな話ですな。」
 ホレスの呼びかけで、一行は船室の一つに集まった。
「しかし、そうなると行ける人数は限られてきますな。…私はポルトガに行った事はありませんしねぇ。」
「オレ達も無いな…。キメラの翼でそこまで飛べる奴は誰かいないのか…?」
 居合わせた多くの者がポルトガでの記憶が無いらしい。
「ああ、だったら俺様が行きゃあ良い話じゃねぇか。」
「カンダタ…?」
「馬鹿にすんなよ?魔法の鍵如きでこの大盗賊カンダタ様を阻めるとでも思うなよ?」
 流石は大盗賊、世界を股に駆けるだけの事はあるようだ。
「それ…犯罪…」
 レフィルは思わずそう呟いた。
「…ああ?今に始まった事じゃあねぇだろ。細けぇ事は気にすんなって。楽しくやろうぜ、な?」
「は…はい。」
「まぁ俺様が言うのも何だけどよぉ、別に今焦ってそこに行く必要なんて無ぇんじゃねえか?」
 カンダタの質問に、メリッサは言い難そうに返した。
「まぁ…そうなのよねぇ…。私の興味半分に付いて来てくれる人がいるならそれでいいのだけど。」
「そういったノリだろうな。俺は構わねぇけどよ、どうするハンの旦那。」
 カンダタはハンに話を振った。
「え…ええ?私ですか?」
 悪名高い盗賊に物を尋ねられ、彼は背筋に冷たいものが通ったような気分を感じた。
「い…いやぁ……私は…。」
「荷物ならホレス達に任せりゃ良いだろうが。あんたの商人としての力はぜってえ役に立つ。俺達としちゃあ、あんたに付いて来てくれねぇと困るんだがなぁ?」
 もっともらしい事を言われて、ハンは成る程…と思い…返した。
「…ああ、そういう事で…。良いでしょう。私も付いて行きます。」

 とりあえず、メリッサ、カンダタ、ハンがテドンの村周辺の探索をする事になった。
「どう?この面子は…」
 メリッサはホレスにそう尋ねると、ホレスは十分だ…と言った。
「へぇ…あなたベホイミ使えたの?…意外ねぇ。」
 メリッサがカンダタの全貌を眺めてそう告げた。
「あ〜…もう何とでも言ってくれ…。」
「すごいですね、私なんか呪文というよりは下らない小細工しか出来ないもので…。」
「戦えればその時点で十分よ、商人さん。」
「恐縮です…。」
 ハンは肩を竦めると箒の…メリッサの隣に跨った。
「しかし、ついてねぇな俺。無駄に筋肉付いちまったからこっちに乗るしかねえんだからよぉ…。」
 カンダタは古い小船を一つ貰ってそれを担いでいた。
「よっこらせっと!」
 担いだまま、縄梯子を下り…海面でそれを下ろした。
「じゃ、出発するわ。」
「お気をつけて…。」
 メリッサ達は航行する船を尻目に大陸へと向かった。
「…旦那方も好きですねぇ。」
 船長はそんな彼らを見てそう呟いた。

「…あの、ホレスさん…。」
「?」
 突然後ろから少し乱れた黒髪の少女が話し掛けてきたのを受けて振り返った。
「…どうした。」
「その……メリッサさんと話されて…何かわかりましたか…?」
 何を言ったら良いものかと思いつつ、出来るだけ穏やかに語りかけた。
「ん?…ああ。良くはわからんが、さっきの笛の話は分かるな?」
「は…はい。」
「後でニージスに聞いたのだが…その笛…導く先は神にさえ近づけない領域…と言わしめた代物だそうだ。…たかが"山彦"なのにな。」
 ははは…と軽く笑って、ホレスは珍しく何処か楽しそうな表情をした。
「え…?…ホレスさん…今…」
「?」
 互いに首を傾げた状態で…一瞬会話が止まった。
―笑った…よね…
―?
「どわああああっ!?助けてくれぇっ!!!」
「「!?」」
 二人は海の方から太い悲鳴が聞こえてきた方向に振り返り声の主が巨大な魔物に絡め取られているのを見た。
「カンダタさん!?…あれは…」
「テンタクルス…!!」
 緑色の体を持つ、巨大なイカ…テンタクルスの触手の一つに捕まったカンダタは、必死に己の得物を振り回しているが、自らも上下左右に揺らされて上手くいかないようだ。
「待ってろっ!!今助ける!」
 ホレスは背中に担いだブーメランをその方向に投げつけた。
「…ライデイン!!」
 レフィルはエリミネーターを吹き飛ばした珍しい響きの攻撃呪文を唱えた。レフィルの掌に雷が集い、凄まじい音と共に衝撃波を放った。
―…正直耳が壊れそうだな…。
 早い話が間近で落雷の音を聞いている様な物だったので、耳の良いホレスにとってはかなりの騒音だった。
「これでどうだ!?」
 しかし、刃のブーメランは別の触手に弾き返され、逆にこちらに向かってきた。
「何っ!?…くっ!」
 ホレスは慌てて避けたが、僅かに反応が遅れて肩口に切傷を負った。
「…!!ホイミ!」
 レフィルは傷口に手を当てて回復呪文を唱えた。
「だめ…ライデインも効いてない…。」
「…そのようだ…。くそっ!」
 ホレスは甲板に突き刺さった得物を引き抜き、再び構えた。
「待って。」
 不意に後ろから抑揚の無い静止の声が上がった。
「……ムー!カンダタが…」
「わかってる。私に任せて。」
 さらりと言ってのけて、ムーは理力の杖を構えた。
「…届かない。」
「それは……そうだよ…。」
 こんな時に不覚にも呑気にツッコミを入れているレフィルを横目に、ムーは腰に差した赤い曲がった短剣を手に取った。
「!」
―ブーメラン…!
 ホレスがその形状を満足に見入る前に、ムーは巨大なイカの魔物に向かってそれを投げつけた。ブーメランは炎を纏い、叩き落そうと阻んだ触手を焦がし、それもろともイカの頭部を真っ二つにした。イカは炎上しながらブクブクと海中へと沈んでいった。
「助かったぜムー!」
 カンダタは力の弱まった触手から逃れ、小船に再び乗りつつムーに礼を言った。
「…まだ。」
 しかし、ムーは再びブーメランを振りかぶった。
ざばああああっ!!
「「「!!」」」
「イカ三匹…。」
 仲間の死を感じ取った別のテンタクルスが次々とカンダタの小船に近寄ってきた。
「ド畜生め!!今度は三体できやがったか!」
 カンダタは斧を構えた。しかし、巨体を生かしたイカの体当たりの前にはそれは意味を成さなかった。
「どうわっ!?」
 呆気なくカンダタは海の中へと真っ逆さま…。
「ちっくしょ〜!!逃げるしかねぇのかよぉ〜!!」
「ピオリム!」
 上空からメリッサが加速呪文ピオリムをカンダタにかけた。これで逃げ切れとでも言いたいのであろうか。
―八方塞りってのはこの事じゃねえか!?
 陸上や船上ならばまずイカの群れ等に遅れを取ることは無かったが、小船からも落とされてしまい、足場が無い今、海をテリトリーとする彼らに対してもはや成すすべが無かったのである。
「…我…人の裡を捨て…」
「!」
 ムーが聞き覚えのある詠唱を始めたのを見て、ホレスとレフィルは思わず彼女の方を見た。
「身を委ねん…我が内に眠りし背徳の化身にして神の眷属たる其は今此処に目覚めん…!!」
 最後に力強く杖を甲板に打ち下ろし、こう唱えた。
「ドラゴラム」