第五章 新たなる旅路へ
「魔物が来たぞぉ!!弾込めぇっ!!」
「アイサー!」
「右舷左方…!てぇーっ!!」
ドォン!!ドォン!!
「一匹上がったぞぉー!!」
「俺の出番だな。」
「先生!やっちまってくだせぇ!」
「任せなぁ!うおおおっ!!」

 魔物の襲撃が止み、海は再び波音だけの静寂を取り戻した。
「出発だぁ!帆を張れぇ!!」
「アイアイサー!!」
 壮麗な紋が縫いこまれた帆が張られてそれで風を受けて、船は再び全身し始めた。
「…見事な統率力だな…。」
「恐れ入りやす。」
 ホレスは一連の騒ぎとそれに対する船のクルーの対応ぶりに舌を巻きつつそう言った。
「気になっていたんだが…。アイアイサー…って…海賊の掛け声だろう…?まさか…。」
「そうでさ、あっしらはその経験で船を任されてんでさ。何たって、七つの海をまたにかけるって決まり文句が付くぐらいで…。」
「成る程な。」
 自分達の事に関して決まり文句とはどこか不自然にも聞こえたが、彼らの多くが元海賊であるならばこの手際の良い仕事ぶりも納得がいく。大抵海賊には上下関係がしっかりとしていて、各々が出来ることを最大限に生かした役割分担が成されているのが理想である。ホレスが見たものはまさにそれだった。
「ところで銀髪の旦那はどちらへ向かわれるので?」  下っ端の船員がこう尋ねてきたのでホレスは少し考え込んだ。
―…そうだな…。オレ自身がやりたい事もあるが…
「…連れ…いや、リーダー次第だな。」
―レフィルがいなければオレは外に出る事はおろか、生き残ることも出来ないからな。
「へぇ、何か一人で旅なさってるようにも見えますがねぇ。何て言いますか…」
「…?」
「あまり周りに気を許されてねぇみたいで。」
―…成る程…全く心当たりが無いわけではない。
 目の前の男はかなり無粋に人の事に首を突っ込んでくるが、不思議と嫌な気はしなかった。
―こういった生き方も一つの道か…。
 先程まで慌しく動いていた船員達は、何事もなかったかのように雑談している。
「…随分と前向きだな。」
「いやぁ…何事もメリハリをキチンとつけなきゃいかんって…お頭が仰ってたんでさ。なっちまった事はしょうがねぇ、んな事でくよくよしてる暇があれば、なんも言わずに自分に出来ることをやれってさ。」
「それは同感だな。」
 ホレスは目の前の海に生きる男の話にすっかり聞き入っていた。
 
「…ホレスさん、何だか楽しそう…。」
 黒髪の少女は船員と話している黒装束の青年を見てそう呟いていた。
「あいつ、俺らのとこに押しかけて来た時は誰かとああして砕けてくっちゃべる気なんてさらさら無かったんだろうな。」
 同じく事の成り行きを見守っていた緑の覆面の大男がレフィルにそう告げた。
「…カンダタさん…。」
「あん時は…わざわざ見逃してやろうと思った矢先にケンカ吹っかけてきやがったよな、あいつ。」
「…そ……それは…!」
 彼の言葉にレフィルは肩を竦めて上擦り声で何かを言おうとしたが言葉にならなかった。
「ああ、悪ぃ悪ぃ。…別に嬢ちゃんを責めてるワケじゃねえよ。なんつーか…ホレスの奴、…自暴自棄にでもなってやがったみてぇでよ、あちこち骨が折れたザマで毒針刺してきやがった。…ありゃあ…効いたぜ。」
「……。」
 レフィルは…ホレスの振る舞いそのものから、彼が自らの死を深く考えていないように思えてならなかった。ピラミッドの黄金の爪による呪いの時も自分達を庇い、彼自身は限りなく死に至っていた。
「しぶてえ野郎だとは思っちゃいたけどな、どっからくるんだあの執念は…?」
 負けず嫌いと言っても足りないくらいの異常なまでの執着心…自らより上の立場・実力の人間にも躊躇い無く立ち向かう気概の根源…レフィルにはそれが即座に思い浮かばなかった…そして、自分もまた全く分かっていない事を改めて思い知った。
「相変わらず無鉄砲な奴で硬い奴だがよ、やっぱ変わったとこもあるよな。」
「…はい。」
「やっぱあんたのおかげなんだろうぜ。」
「え…?!…わ…わたし…?」
 レフィルはまた上擦り声をあげた。
「あんたの面倒を見ている内に、あいつは他人と関る事が多くなった。それで少しはあいつの性格も丸くなったんじゃねぇか?」
「そうでしょうか…?…場慣れはしていたみたいですが…。」
「あ〜…ありゃあ…あいつがもともと敬語下手なだけだろ?」
「あ……。」
―そういえば…。
 いつぞやのロマリアでの出来事を思い出し、レフィルは思わず納得した。
「お前さんもな…自分じゃあよく分かっちゃいねぇと思うけどよ、シャンパーニに来た時よか良い顔してんじゃねえか。」
「そ…そうですか?」
「おう。あん時より綺麗になったぜぇ?」
「!!」
 不意打ちにも似た発言にレフィルは顔を僅かに紅く染めた。
「いやマジで。」
「え…あ……あの…っ…!」
「くく…うはははははっ!やっぱ良い反応してくれるぜ嬢ちゃんよぉ!」
「……。」
 表情はあまり変わらなかったが、レフィルの頬は更に紅潮していた。
―あんまり綺麗とか考えた事無かったのにな…。
 女としての人生さえ捨ててしまわなければならない程の苛烈な旅路でそんな事を言われるとは全く思っていなかっただけに、複雑な気持ちにさせられた一時だった。
「ま…引っ込み思案なとこは変わらねぇけど勇者らしくはなったな。」
「…そうですか…。」
 正直自分は勇者になど向いていないと思っていたので、あまり良い気はしなかったが、…誰かに目をかけてもらっているのを思うと嬉しく感じた。。
「…つーかいつの間にあんな呪文覚えたんだよ?最後に使ったベホイミならともかく…ムーの奴が使ったのも見たことねえよ、あの二つはよ。」
 カンダタは、レフィルがホレスを護った際に使った"二つ"の呪文を傍から見ていた。エリミネーターの攻撃を受け止め、そして吹き飛ばした呪文…それは…。
「ライデインとアストロンですか?」
「…?…まぁ俺はベホイミとかしか使えねえからあんま知らねぇけど…マジで面白ぇ呪文だったなオイ。」
 エリミネーターの攻撃を凌げたのは鉄の鎧が一つ目の呪文の詠唱の時間を稼げたからであった。その呪文…アストロンは、体を超硬化させる事で一切の攻撃を無効化する防御呪文である。攻撃を凌ぎ続け、得物を砕いたのは絶対防御の賜物であるが、その代わり…自らも行動不能になるので使いどころが難しいとの事で有名だった。
「そういやあいつを吹っ飛ばしたのと似たような奴をオルテガが使ってたな。」
「…父さんが?」
―父さんとお友達だったっけ…。
 あの滅茶苦茶な修羅場から生還したカンダタと話していた時にも、父の知り合いであるかの様な事を話していた。
「おお、そりゃあもう……」
つんつん
 自慢話のように意気高らかに話そうとしたその時、誰かがカンダタの背中を突いた。
「ああ?突っつくなよ。誰だ?」
「……。」
 後ろを振り返ると、赤い髪の少女が杖を持って二人を見ていた。
「どうしたの?ムー。」
「ご飯。」
 レフィルが訪ねると、ムーはごく普通にそう返した。
「そうか。いつもみてぇに早まんなよ。」
「…あなた達が遅いだけ。」
「……あのなぁ。お前の言う遅いって…」
 どうとでも取れる二人のやり取りを見ながら、レフィルは海を眺めた。
―他の島や大陸にも色々な人がいるんだろうな…。
 彼らの様な平和な掛け合いをしている者もいれば、日々の生活さえどうにか維持するのがやっとという所もあるだろう。…世界を旅するとなれば…全てでなくともその多くを目にする事となる。
 時には凄惨な光景にも立ち会う事になるだろうが…おそらくはそれから目を背ける事が出来ないと思うと、レフィルは複雑な気持ちになった。
―…魔王に滅ぼされた村があるって聞いた事があったな…。

「…テドンに一つ……。」
 船室の一つの中で、片眼鏡をかけて熱心に書物に向き合っていた女性がいた。部屋は何ともしれない力で照らされている。
「レミーラじゃあまり本を読むには向かないかしら。…それにしても…」
 彼女…メリッサはおもむろに地図を広げつつ、羽ペンを投げ上げた。
「すぐ近くにあるのよねぇ。」
 羽ペンは地図上の大陸沿岸を指し示した。近くには目立ったバッテン印が刻まれている。
「ま…メドラを案内しなきゃならないから無理はできないわね。…さてと。」
 メリッサは片眼鏡を外し、軽く伸びをして、部屋の外へと出て行った。

 彼の地に六の光集いし刻…久遠の翼出でて…其に神道を拓かん…
 
「……。」
 メリッサは小さな袋から何かを取り出した。それを手に取り、唇に当てた。
 …直後、美しい音色の曲が辺りに響いた。
 
「ん?」
 食堂で雑談をしていたハンは突如聞こえてきた曲に耳を傾けた。ニージスが何かを思い出したように話した。
「おや…ここで思わぬ物に出会いましたな。」
「思わぬ物…ですか?」
 レフィルはニージスにその事を尋ねたが、彼は何も答えず、笛の音に聞き入っている。
「珍しい音色の笛ですね。高く売れないでしょうか?」
「ふむ…。使い手がいなければ真価は出ては来ないとは思いますが?」
―そう言う問題じゃ…
 
「……。」
 ホレスはただ黙って遥か下の方から聞こえる空気の震えを感じていた。
―このような笛の音なんて長い間聞いてなかったな。
 夜のアッサラームで楽曲が流れる事はあったが、賑やかを通り越して騒がしいものだったため、今のオカリナが懐かしい響きに感じられた。
「…!」
 ふと、ホレスは耳に何かが入り込んでくるのを感じた。…それは"山彦"だった。