東にて 第十二話
 どうにか人攫いの手から女達を救い出し、その大元たる魔物を断ったレフィル達は、ひとまずバハラタへ戻った。ハンとニージスと合流し、一行はグプタ夫妻と共に、胡椒屋に帰ってきた。
「…これはひどい…。」
 グプタは胡椒屋の荒れ様を見て嘆息した。
「…父は…何処へ…?」
「神父様にお願いして村の墓地に…。」
「そうですか…。ありがとうございます。…それと…ハンさんでしたね。」
 レフィルに感謝の気持ちを伝えた後、グプタは商人の男…ハンに向き直った。
「胡椒の件、遅れてしまい申し訳ございません。…積み込み作業は明日の夕方までに終わらせますので、確認をお願いします。」
「いやぁ…すみませんねぇ、こんな時に無理をしていただいて。」
 立ち直りが早いのは商売人の前向き根性か、あのような目に遭いながらも健気に働く夫妻の姿が、レフィルはどこか悲しくも…力強く見えた。

「貨物船の出航は明後日なので、どうです?皆さんもご一緒に…?」
 胡椒屋での一件を済ませた後、レフィル達は酒場の大きなテーブルを囲むように座って食事をとっていた。そこでハンが話題を切り出した。
「行き先は…ポルトガだったな。」
「ええ。」
 ハンの目的はポルトガ王の求める黒胡椒を大量に輸出することであった。
「胡椒貿易?これはがっぽり儲かる事は間違いないですな。」
「しかし…こういう事業には先客がいるものではないか?」
「ああ、それなら大丈夫ですよ。貨物船自体が魔物の襲撃なんかもあって、そもそもそんなに出る事がありませんから…。今回はどうやら強力な助っ人さんがいらしているみたいなので久方ぶりの出航だそうですよ。」 
「…助っ人?……まさか…」
 ホレスは先刻…人攫いが根城にしていた遺跡を自爆で破壊したあのもはや人間離れしている外見の男…バクサンを思い浮かべた…。
「あのオヤジがいるなら…絶対降りておこう…。」
 船上で呪文やら張り手だかをやられたら、沈没確定である。
「安心しな、そんな物騒な頑固親父じゃないぜ。」
「…!…あなたは……!」
 後から食事の席に入ってきたのは、顔面を覆う赤い兜と赤い鎧に全身を包んだ屈強の戦士と魔女の出で立ちをした麗人だった。
「俺はマリウスって言うんだ。よろしくな。」
 洞窟で一足先に怪異と戦っていた戦士…マリウスはニカッと笑みを浮かべた。
「…と言うかメドラ…お前も付いてきてたんだな。久しぶりだな。」
 しかし、ムーは親しげに話しかけてくるマリウスを見て首を傾げた。
「…ああ、そういえばお前、記憶喪失だったか。」
「その事で少しお願いがあるの。」
 メリッサの言葉にその場に居合わせた皆は彼女の方を見た。
「この子を一度私の家に連れて行きたいのだけれど…」
「…え?」
 レフィルは真っ先に反応した。
「…あの…その場所は…?」
「ここね。」
 メリッサは地図を広げて魔法の羽ペンを軽く投げた。それはバハラタの遥か北の位置を指し示した。
「随分遠いですね…。」
「おや、そこは…世界樹ですな。」
 ニージスの出した地名に皆が振り返った。
「世界樹?」
ガタンッ!
「…!」
「……ムー?どうしたの?」
 ムーは皆が予期せぬ所で思わずテーブルを叩き、ニージスに詰め寄った。目を僅かに大きく見開き、彼の双眸を凝視した。
「まあそんなに慌てない、慌てない。世界を支えているとの伝説がある大木ですな。この辺りの樹海はその世界樹から与えられる大いなる力によって作られたと一説にありましたが…」
「…!!」
 いつに無くムーは身じろぎを繰り返していた。特に…彼が世界樹と言う度に反応している事からそれと何か関係があるのかもしれない。
「で…あんたはムーを世界樹近くにある、故郷に連れ帰りたい…そういう事だな?」
 メリッサはホレスの問いに頷いた。
「ええ。でもあそこ…ルーラが上手く効かないから…船か箒を使うしかないのよ。…でも、この子…箒で空飛ぶ事なんか出来ないから…。」
 箒や絨毯を自らの魔力を使って浮遊させる技術は、魔法使いがよく使う移動手段として人気があった。場合によってはルーラよりも役立つので、実力の程度の差はあれ…彼らの多くがその技術を身に付けていた。
「そうなの?ムー?」
 レフィルに尋ねられると、ムーはあっさり頷いた。どうやら箒の話にはあまり興味が無いらしい。
「だから、私がこの子を案内してあげなきゃならないの。でも…箒で飛べる時間は流石に二人乗ると随分重くなっちゃうし、私はこの子を守れる程強くないから…。」
「だったら俺が付いていくぜ。別に急ぐ旅じゃあないんだろ?船の護衛を終わったらすぐ行けるぜ。」
 問題点を挙げているメリッサに対して、マリウスが同行する意思を示した。
「あ、それもあるのだけれど…箒が使えないなら他の大陸に渡る手段が必要でしょ?」
「…そう言えばそうだな。じゃあどうする?」
「あ…あの…」
 今後の事を話し合っている二人に対してレフィルは声をかけた。
「…ん?どうした、レフィルちゃん?」
「ポルトガの王様に頼んで船を出してもらうのはどうですか?」
「おお、そいつはいいな。まあ結構値は張りそうだが…」
「ならば、私の黒胡椒の件の際に王様にお伝えしておきましょう。実際、あなた方の協力が無ければ胡椒を手に入れる事も叶わなかったでしょうから。」
「マジか!?助かるぜ、おっさん!」
 いやいや…と照れながら、ハンは頭を覆うターバンを撫でた。
「しかし、ムーが抜けるのは大きいな…。」
 ホレスがそう呟くとムーはすぐに彼にこう告げた
「…大丈夫。あなたが居れば。」
「オレが?」
 ホレスは首を傾げたが、ムーはこくこくと頷いた。
「でも、生きて。」
「ああ。」
 未だに死に急ぐ戦い方をしている自分に対しての言葉と改めて思い、ホレスはムーの目を真っ直ぐ見て頷いた。心なしか、彼女の目は少し寂しそうだった。
「また会えるわよ。」
「…メリッサ?」
「…?」
 早い段階で別れを惜しむ二人に歩み寄り、メリッサは彼らに告げた。
「まぁ、私の簡単な占いに因れば…の話だけれど。」
「どんな占いだ?」
「ふふふ…。聞きたい?」
「…いや、逆に聞くのが怖くなった。」
「あら…ホレス君って命知らずとばかり思っていたけど、こういう時に少し引いちゃうタチなのねぇ…。」
「…オレはそんなに命知らずなのか?」
「「「でしょう!!」」」
「100%」
「え…あの……皆さん…?」
「…おいおい。その戦いぶり一度拝んでみたいぜ…。」
「…いや、普通に戦っていたつもりだったんだがな…。」
 ホレスの話題を筆頭に次々と面白い流れが生まれ、宴会さながらの和気藹々とした空気が辺りを覆った。
「…う〜ん……。」
 しかし、その中で突然レフィルが苦しそうに俯いた。息が荒く、顔が少し赤くなっていた。
「!?…レフィル、大丈夫か?…酒の香りに中てられたのか…。」
「…すみません……。」
「…とにかく外へ…。ああ、皆そのまま続けていてくれ。」
 ホレスはレフィルに肩を貸し、酒場の外へと出て行った。

「…じゃあ、ゆっくり休んでおけよ。」
 ホレスは宿の近くまでレフィルを連れて行ったところで、酒場へと戻っていった。
「……静かだな…。」
 バハラタの夜…先日は人攫いの一団が現れてそれを感じる間もなかったが…今は静寂に包まれている…。
「……。」
―…海か。
 聞いた話によれば、船でも酔う人はいるらしい。レフィルは少々不安になった。
「……。」
「おのれらぁ………ッ!」
「!」
「俺だけあの場に置き去りにして行きやがって…。今度会ったらただじゃ…」
 目の前をとぼとぼと歩くボロを纏った巨漢の姿を見て、レフィルは絶句した。
「あ…あの…!」
「んあぁっ!?」
 あまりにも深い傷を負っていたのでレフィルは助けようと駆け寄ったが、男の一喝でびくっと体を竦ませた。
「何だてめぇは…!俺は今…マジで…、ん?」
「あ…!」
「あ…あんた!!」

「ベホイミ!」
 レフィルはカンダタの大きな背中に掌を当てて、回復呪文を唱えた。ボロボロになって、覆面も辛うじて顔を覆い隠せている程度の状態だった。
「…くぅ…効くぅ…!」
「如何ですか?カンダタさん。」
「マジで助かったぜ…。あんがとよ、嬢ちゃん。」
 カンダタは、その大きな手でレフィルの頭を撫でた。未だにダメージの大半は残っていたが、それでも先程よりは元気な様子だ。
「良かったです。…あの時……カンダタさんだけ置いて…」
「あ〜…あんたは悪かねぇよ。ムカついたのはわざわざこんな所まで呼びつけて、仕舞いには置き去りにしやがったあのクソガキの方だよ。」
「…ムー……に…?」
「…イタズラ決められた時の事を思い出すぜ…。さりげなく頭良いってのが手に負えねぇ…。だから余計に腹立つぜ。」
「い…いたずら…?」
 仲間達が酒場で楽しんでいる間、レフィルはカンダタの苦労話の聞き手になっていた。
「……まぁ、こんなもんか。」
「……。」
 語られたとんでもない内容に、レフィルは言葉が出なかった。塞がらない開いた口元を右手で抑えている。
「何であんたに話す気になったかはさっぱりだけどよ、なんつうか…すっきりしたぜ。」
「そうですか…。」
「でもまぁ、あんたには随分懐いてやがるみてぇだな。」
「…え?」
 懐いている…あたかもムーが猛獣であるかのような言い方がまんざら間違いじゃないのを感じ、レフィルはまた固まった。…ははは、と苦笑をもらしながらカンダタはまた話を切り出した。
「…ところでよ、今日はあんなんだったけどよ、それまであいつ…ホレスとはどうよ?」
「え…?ホレスさん…と?…いや…特には…。」
「おいおい、ちょっと声が震えてんじゃねぇか。」
「え…?…あ…あの…」
 カンダタの言葉に、レフィルは混乱したらしく、言葉を失った。
「…ははは、悪い悪い。ちっとからかいすぎたか。」
「もうっ……。」
 レフィルは嘆息してカンダタの目を見た。先程見かけた時の怒気のこもった光は無く、妹を見守る兄のような穏やかな視線を感じた。
「…ていうかよ、あんたももう少し堂々としたらどうだい?…仮にも勇者なんだからよ。あんたの親父さん…オルテガぐらいまでいくとさすがにやりすぎだがな。…ちょうどホレスの奴を…」
「!?…ち…父の事をご存知なのですか!?」
 珍しく強い抑揚でレフィルはカンダタに詰め寄った。
「おっ?…おいおい…、そんなに驚いたか?」
「…は…はい。…カンダタさんが父と会っているとは思いませんでしたから…。」
「ああ。あいつ、とんでもねえ方向音痴でな…、俺らのとこまで迷い込んで来やがった。何でも…魔物の大演隊とぶち当たったらしく、そいつらを全滅させたはいいが、仲間とはぐれちまったって言いやがった。」
「……。」
「…そこんとこ、ホレスの奴とそっくりと思わねぇか?」
「…あ、はい……確かに。」
「外見は、ゴリラのあいつと似つかねぇくせにな。」
「…ご…ゴリラ…」
 そう言われて、レフィルは思わずカンダタの全身を眺めてしまった。
「?…まぁ、あんたは親父さんとは真逆だろうな。…それはいいんだけどよ、最近仲間に置いてかれていやしないか。」
「え…?」
「…なんつーか、いざという時に結構あんたは出て来れるんだけどよ、それまであいつらに戦闘任せっきりだったじゃねえか。」
「!」
 エリミネーターとの戦いでは結局、最後にホレスを庇う事しかできなかった。
「ああ、戦闘はむしろそれで良いんだ。いわば命のやり取りの本番なんだから慣れねえことをやるこたぁない。そこんとこは徐々に練習を積み重ねてやってきな。」
「………。」
「むしろ俺が心配したのは普段のあんたの事だ。まだ距離置いてんじゃねぇか?…さん付けしてるだけにな。あんまあんたと年変わらないんだぜあいつ。」
「…そ…その…」
「実力差とかそう言うこと以前に、命を預けあう仲間に遠慮なんかしてたらいつかつまづくと思うぜ。…だからその辺もしっかりしときな。でなきゃ、最後には一人になっちまうかもしれないぜ。」
 カンダタにそう告げられて、レフィルは今の自分の立場…更なる危険な場所に赴かねばならない状況を予感し、少し胸が締め付けられるような気がした。
―…これからなんだよね…。
 今までは比較的魔物も自分程度の力量でも辛うじて追い払うこと出来たが、船で世界を巡る事になるであろうこれからの旅路に立ちはだかる魔物…そして行き着く先の魔王などは自分一人で戦って勝てる相手ではない。オルテガでさえ志半ばで火山に消えた。旅の目的を果たす…そして、生きて帰るには、どうしても仲間の支えが必要な事と理解し、レフィルは俯いた。

 翌朝、船の甲板の上に皆が集まった。
「おいこら、ムー。何か言ったらどうなんだ?ああん?」
 カンダタはムーの頭を拳でぐりぐりといじくり、彼女の顔を覗き込んでいた。目にはささやかな殺意がこもっている…。にも関わらず、ムーは顔色ひとつ変えずに彼の覆面越しの顔を見つめていた。
「手伝って欲しかった。」
「んあ?だったらあんなとこに置いてくんじゃねえよ、コラ。」
 一同は、赤毛の少女と話している、全身包帯を巻いた覆面の巨漢を見て…彼の言葉に共感した。
「…んで、何手伝って欲しいって?」
「この子の故郷への旅に、力を貸して欲しいの。」
 ムーの代わりにメリッサがカンダタの質問に答えた。
「あ?誰だあんたは?…つーかムーの姉ちゃんみてぇだが。」
「そういう事。私の家に来てくれたら…育ての親になってくれた貴方も精一杯もてなしてあげるつもりよ。」
「お、マジか?そいつはありがてぇ。」
 カンダタは「よっしゃ、ついてってやるぜ」と付け加えて右腕を上げた。
「お…おいおい?いいのかメリッサ?このオッサン、一応大盗賊…犯罪者なんだぜ…?」
「だぁれがオッサンだっ!?」
ドゴオッ!!
「ぐえっ!?」
 カンダタの蹴りがマリウスを鎧ごと甲板に叩き付けた。
「…気にしてる。」
 ムーはそんなカンダタをさりげなく指差し、そう呟いた。傍らに居たホレスもそれを聞き、頷いた。
「大丈夫よマリウス。大盗賊って肩書きもあるし見た目が…アレだけど、悪い人じゃないわ。」
「アレって何だよ!?」
「いや…どう見てもそんなので街中歩いてたら一歩間違えたら変態だろうが!?」
「なぁにが変態だ!!」
 一歩間違えたらでは無く、間違いなく…だが。目の前で朝から大声で叫んでいる漢達を見て、ニージスはニコニコと笑顔を浮かべつつこう言った。
「…いやはや…随分と仲がよろしい事で。」
「確かにな…。」
「と言いますか…船壊さないでくれませんかね…。」
「…準備体操とでも思って、大目に見てあげましょ〜。」
「「待て!」」
 ニージスがおどけて紡いだ冗談に、ホレスとハンは同時に突っ込んだ。
「粉骨砕身…?」
 そして、ムーも首を傾げながら意味深に呟いた。
「あ…あの…」
 レフィルはあちこちで起こっている騒動から取り残され、その間を一人右往左往していた。
―…どうしよう…。
 孤独感は元より無いがカンダタの言葉を思い出し、レフィルは少し焦りを感じていた。
「出航する!各員、持ち場に付け!!」
「「「「アイアイサー!」」」」
 そして、船は東の地を出てポルトガへ向けて出航した。
―…本当に付いていけなくなるかも…。

(第四章 東にて 完)