東にて 第八話
「てめぇ…ッ!」
 男はわき腹に刺さったナイフを掴み…それを引き抜いた。
「ガッ……くつ……ベホイミ!」
 回復呪文を唱えて傷を塞ぎ、闖入者に向き直った。
「許さねぇ…!!許さねぇぞ…!!」
 男は腰から大振りのナイフを抜き放った。

「……。」
 ホレスは黙って背中に担いだ刃のブーメランを構えた。
「死にくされぇっ!!」
 ナイフを腰だめにして男は突進してきた。同時にホレスも武器を振り上げてそれに応じた。互いに一撃を繰り出しすれ違った。
「…ッ!!…てめぇっ!!」
 致命傷を僅かに避けたが男は体を一文字に斬りつけられた。
「…この程度か?」
 ホレスは僅かに黒装束を傷つけられただけで、ダメージは無かった。
「なめるなっ!!ベホイミ!」
 再び傷を癒しつつ、また挑んできた。
「いつまでも調子に乗ってんじゃねえぞぉっ!!」
「…ふざけるな……!!」
 互いに激情を剥き出しにして攻防を繰り返していた。だが…。
「ぐあああぁっ!!」
 気持ちの強さでホレスが勝り、男は地面に屈した。
「…殺してやる……!!」
 ホレスは刃のブーメランを振り上げた。
「ッ…この野郎ぉおおおおおっ!!!ベギラマぁーーッ!!」
 男は自らの傷を癒す代わりに、ホレスに向けて灼熱の炎を放った。
「ふん」
 しかし、ホレスは空いた左手で事も無げに何かを取り出すと、ベギラマの熱波に向けて投げた。
ドカーンッ!!
「な…なにっ!?」
 男は目の前で起こった光景を呆然と見ていた。爆弾石の発した爆発で、ベギラマの威力を殺されたようだ。
ザシュッ!!
「ぐああっ!!」
 ホレスの刃のブーメランが男の体を引き裂いた。
「がっ…ベホイ…あああっ!!」
 回復呪文の詠唱の暇も与えずにホレスはただひたすら男を切り刻み続けた。返り血は黒装束の布地に染み込み…黒の中に吸い込まれていった。
「ぎゃああああっ!!」
 血飛沫が舞い、男の断末魔が辺りに響いた。
 
「何だとぉっ!?進入を許したってのかぁっ!?」
 青い覆面を付けた男が驚愕の声をあげた。
「へ…へぇ、黒装束のガキと…赤い鎧を着た戦士が…」
「馬鹿野郎がぁっ!!」
ドォォーン!!
 突然凄まじい轟音が辺りにこだました。
「「「…ヒィィィッ!!!」」」
 同僚の血を被った頭領の姿を見て…居合わせた者達は引き攣った悲鳴をあげた。
「だったらぁ…とっととそいつら始末しやがれぇぇッ!!」
「「「はいいいいぃっ!!」」」
 緑色の覆面を被った子分達は、逃げるようにして部屋から出て行った。

「が…ぐぁぁ…。」
「…まだ息があるのか。」
 ホレスは目の前の血溜まりの中に沈んでいる男を…憎しみに満ちた形相で睨みつつ…その背中に足を乗せた。
「ごっ…う…うぅ……」
「……これで終わりにしてやる…!!」
 ホレスは刃のブーメランを振り上げた。
「…ま…待って!!」
「!!!」
 聞き覚えのある少女の叫びがホレスの耳に届いた。
―ま…待って!!
―……!!
―…おいっ!!
―……ひどい怪我だ…放っておいたら死んでしまうぞ…!!
「…ッ!!」
ガッ!!
 刃のブーメランは男の目の前の床に突き刺さった。
「ホ…ホレスさんッ!!」
 レフィルがハンとニージスを伴い走ってきた。
「…もう止めて!!こんな事してもムーは…!!」
「!!」
 怒りで我を忘れてムーの事より、目の前の男を殺したいという衝動が強くなってしまっていたようだ。
「ムーッ!!!」
 拘束されたまま倒れている赤毛の少女に駆け寄り、半身を抱え上げた。体中痣だらけで、ところどころに痛々しい生傷も出来ている…。何より…死相が浮かんでいる…。
「起きろ…!!しっかりしろっ!!」
 いつになくホレスは取り乱していた
。 ―オレがこんな奴に構っていたから…!!
「お…落ち着いて!!ホレスさん!!」
「…!!」
「大丈夫…!!大丈夫だから……!!」
 レフィルになだめられ、ホレスはとりあえず喚くのを止めた。
「ベホイミ…!」
 レフィルは上位の回復呪文…ベホイミを唱えた。しかし…ムーの傷は癒えるどころか…更に血が滲み始めた。
「ホレス君!」
「!?…あんた…メリッサ!」
 アッサラームで情報を交換し合った赤毛の麗人、メリッサの姿を見て、ホレスは目を見開いた。
「アバカム…!」
 メリッサは開錠呪文アバカムを唱えて牢の扉を開け、ムーの元へ駆け寄った。
「魔法の聖水無い?魔力が尽きちゃったけど…それがあれば…!」
 魔法の聖水…呪文の発動で失われた魔力を回復する事で知られる魔法使いご用達のアイテムである。
「それなら私が出します、受け取ってください!」
 ハンは水のような液体の入った壜を投げてよこした。メリッサはそれを難なく受け取ると、それを少し飲んだ。
「ザオラル!」
 メリッサは蘇生呪文ザオラルを唱えた。死に瀕した者に再び生きる力を与える限定的な条件下での回復呪文である。
「…む……」
「!」
 僅かにムーから呻き声が聞こえてきた。
「いいぞ!この調子で回復を!」
 ホレスはムーの小さな手を握った。傷が癒え…少しずつ生気が戻ってくるのを感じた。ザオラルの呪文で注がれる生命力は順調にムーの体に浸透している…。そして、レフィルのベホイミも効果が現れ始めた。

「…む…む〜……。」
 気が付くと、ムーは辺りを仲間達に囲まれていた。
「アバカム!」
 女性の声がすると同時に自分を縛り付けていた鎖などの拘束具が外れた。ゆっくり起き上がると、目の前には黒装束を身に纏った青年が居た。
「……ホレ…ス…。」
 何故か言葉が上手く続かない。
「……。」
 ホレスは何かを言いたそうな顔をしているが…言葉にならないようだ。
「…ムー…ごめんね…。あの時…」
 レフィルは涙を流しながらムーの体を抱きしめた。

「…ぐ……うぅぅ…っ…!」
 ホレスに徹底的に切り刻まれて、全身血まみれの男の呻き声を聞き、ホレスはナイフを引き抜いた。
「…べ…ベホイ…むぐっ!」
「おっと、大人しくして頂かないと困りますな。」
 ニージスは呪文の詠唱が完成する前に男の口を塞ぎ、その発動を止めた。
「レフィル」
 彼はそのままレフィルに促した。
「マホトーン」
 男の周りにレフィルから発せられた魔力の産物が集い、彼の魔力を封じ込めた。
「…ち……!」
 男が舌打ちしている間に、ホレスは彼の目の前に立った。
「…さて、どうしてくれようか。」
 ホレスはナイフを引き抜き、男の眉間に突きつけた。
「!…まっ…」
 レフィルは慌てて止めようと声を絞り出そうとした。そこに…
ぎゅっ…
「?」
 彼の腕を握ったのは、ムーの小さな白い手だった。回復呪文のおかげか、白いというわりには血色は良かった。
「ムー…?」
「ベホマ」
 ムーは最高の回復呪文を唱えた。男の傷がみるみる内に癒えていく…。
「おい…。」
 ホレスは怪訝な顔をしてムーを見た。…ムーはその男をじーっと見つめている…。
「お…お前…」
 男は思わず身じろぎした。
「…。」
「ムー…。」
 レフィルは安堵の表情を浮かべた。
―…ムーって…意外と優しいのね…。
 あれだけの仕打ちをした相手に回復呪文をかけてやる程の情け深さにその場の誰もが感心した。…二人を除いて。
「「…。」」
「…召喚。」
 ムーは右手を掲げた。すると、何も無いはずの空間から何かが現れた。
「「…やっぱり」」「な…」「ね…」
 ホレスとメリッサは納得したようにそろって嘆息した。
「り…理力の杖…。」
「ふむ…その様ですな。」
 出てきたのは、ムーのいつもの服装と装備だった。それを一瞬で身に付け…。
「「「まさか…」」」
ゴンッ!!
「あぎぁあああっ!」
 男の絶叫が辺りにこだました。