東にて 第七話
「…ムーが!?」
 バシルーラにより、宿の前に飛ばされたレフィルはすぐにホレスの元へ急ぎ、起こったことを伝えた。
「魔力の使いすぎで…理力の杖も使えなかった…か。」
 万全の状態ならば、彼女が並大抵の使い手に遅れを取ることは無いが今回は…。
「だが…力だけでムーをねじ伏せたのは紛れも無い実力ということですな…。」
 ニージスは頬杖をつきながらそう言った。…過去にムーを止めた事がある彼だからこそ、彼女の体術の強さを知り尽くしている。
「……。」
 全てを伝えたレフィルは無言で俯いている。
「レフィル……。」
 ホレスは心底傷ついた彼女にかける言葉が思い当たらなかった。
「…しかし…ムーさんはどこへ連れ去られてしまったのでしょうか?」
 ハンは地図を広げ、それを眺めた。深き森と険しい山の様子が記号からでも感じられた。
「とりあえず…今日はもう遅い。ここから強行軍で追いかけても返り討ちに遭うだけだ…。皆、休んでおくといい。」
「ですな。」
 皆がそれぞれの部屋に戻る中…
「……きなかった…。」
「…レフィル?」
 レフィルの震える声を聞き、ホレスは足を止めた。
「何も…できなかった……!!」
 そう言うと…、レフィルは外へと飛び出していった。
「お…おい……!!どこへ…!?」

 そこは夜空の星さえ映す、清らかで穏やかな流れの川だった。その前でレフィルは座り込んでうなだれていた。
「……。」
 ホレスは気配を隠そうともせず…彼女の後ろへ立った。
「…ムーの事なら気に病むな。…絶対にオレが助ける。」
「……ない…!」
「……。」
 レフィルの言葉に、ホレスは只物憂げな表情をするほか無かった。
「…そうじゃない……わたしは…何もできなかった…。ムーと…メリッサさんが…わたしを守ってくれてる時…わたしは…ただ…見てるだけで…」
 剣を取って戦うのはともかく、呪文で助けることくらいは出来たはずだ。レフィルは後悔の念に駆られて涙を流していた。
「思い詰めるな…。」
「逃げたの…わたしは…。戦う事を逃げたから……ムーは…!」
 剣も鎧も身に帯びておらず、武器はナイフ一本のみだからと言って…戦えないわけではない。
「ムーが捕まるまで黙って見ている事しかできなかった…。…怖かったからって…。」
「…レフィル。」
 ホレスは声を押し殺して泣いているレフィルの正面に回り、腰を下ろした。
「…お前が悔やみたいのはよく分かっている。…だが…お前を守っているのはオレ“達”が好きでやっている事なんだ。…それに…」
「……それに?」
「…お前はそこまで細かい所まで考えが行くしそれに向き合っている、どうして逃げたなんて言える?」
 今欲しいのは慰めの言葉などではないが…レフィルの心の中で何かが外れた。そして…ホレスにしがみつくように身を委ね、彼女は声をあげて泣き出した。

 翌朝…。
「おはよう……少しは落ち着いたか?」
 井戸の前でレフィルが顔を洗っているのを見て、ホレスは彼女に声をかけた。
「…はい。」
 まだ吹っ切れていないようだが、昨日よりは幾分平常心を取り戻しているようだ。
「……。」
―無理もないな。
 ムーはレフィルが旅立ってから初めて出来た同年齢の同性の仲間であり、彼女からしてみれば大切な友であった。まだ会って二月も経っていないのにもう二度と会えないかもしれないと思うと…陰鬱な気持ちにもなるだろう。ホレスはこれ以上何も言わずにその場を去った。

 朝食を食べ終え、レフィル達はハンの野暮用を済ませるため、胡椒屋に赴いた。しかし、店のドアには閉店の文字板が吊るされたまま、沈黙を保っていた。
「様子が変だな…。」
 ホレスの耳にも何も届かなかった。
「…開店時間は過ぎている筈なのに…変ですねぇ。今日の朝に胡椒を受け取れる約束になっていたのですが…。」
「…ふむ、ドアは開いているみたいですが…?」
ガチャッ
 ドアを開けてみると、見るに凄まじい光景が飛び込んできた。
「…くしっ!」
「ななな…なんです!?は…は…はーっくしょん!!」
 鼻に飛び込む刺激を受けレフィルとハンは店に入るなりくしゃみをしてしまった。
「これは…」
「ひどいな…。」
 おそらくはレフィルの言っていた盗賊団の者達の仕業だろう。辺りに踏まれたりばら撒かれたりで滅茶苦茶になった胡椒が飛び散っている…。
「…店の者は……?」
 ホレスは音を立てずに辺りを探った。やがて…赤い染みがあるのを確認した。
「…血。」
―…奴らのか…?それとも…
 その血の跡を辿ると…
「!」
 年老いた男が一人倒れていた。
―…死んでいる……。
 頭をざっくりと割られ、既に事切れていた。
カランッ
「?」
 乾いた音がしたので床を調べてみると死体の近くに石版の様な物が落ちていた。
「……」
 それには独特の文様が刻まれていた。

「……。」
 レフィルは死んだ老人の前で祈りを捧げた。
「…むむむ、強盗とは何と…卑劣な…。」
 ハンは同業者としての仲間意識からか、肩を震わせている。
「……ニージス、それは何か分かったか?」
「…?何故私にこれを?」
「奴らのアジトはおそらく何処かの遺跡か何かだろう。カンダタ盗賊団も、シャンパーニの塔という古代遺跡の一つに陣取っていたからな。」
 犯罪者達が表に堂々と出歩いているのは…オルテガが各地の有力な魔物を退治し続け、治安が安定した今では珍しい事だった。
「ははぁ、成程…。ふむ…これは…。」
 何かが分かったらしく、ニージスは何度も頷いた。
「…其は標なり…黙するは赦す事能わず!」
 突然彼はホレスから受け取った石片を手に、詠唱を始めた。
「…ふむ…これは……。」
「どうだ?」
 ホレスが尋ねるとニージスはこう答えた。
「…どうやらムーを連れ去った輩と同じかと。場所は…この遺跡ですな。」
 今の魔術は相当高度な物らしい…。そう感じながら、ホレスは賢者の知識の高さに舌を巻いた。
「そうか。…じゃあ早速行くか?…準備が出来ていればの話だがな。」
 ホレスがそう言うと、レフィルとハンは問題無いと言わんばかりに頷いた。
「…ああ、少しお待ちを。レフィル、貴女に渡しておきたいものが…。」
「え?」

 レフィル達がバハラタを発った頃…とある石壁の牢屋の中…ムーは身包みを剥がされ薄着一枚だけの状態で全身を鎖で縛られ、猿轡を噛まされていた。それでも尚、彼女は何の表情も苦しみも顔に出さなかった。
「……。」
チャランチャラン
「うっせえ!!静かにしやがれこのクソガキ!!」
 ムーがただジタバタしていると、その音に耐えかねて牢越しに若い男が罵声を浴びせてきた。
「ごめんなさいね、この子、昔からこうなの。悪気は無いから許してあげてね。」
「てめぇも余裕こいてんじゃねぇ!」
 同じくマントとローブ…そして箒を奪われた魔女…メリッサは置かれている状況にも関らず、落ち着いた態度で男に謝った。
「言っとくが、魔法使って逃げようなんて思わないようにな。そん時はどうなるか分かってるだろうな?」
―“そん時”とやらがどれだけ凄いのか…興味あるわね。
ジャラジャラジャラ
 ムーが出している鎖の音が、他に捕まっている女達のざわめきを切り裂き、その不快な韻を石壁に響かせていた。
「てめぇ…!!いい加減に…」
 見張りの男は牢を開けて、ムーの鎖を引っ張り、外に引きずり出した。
「…ガキは大人しく寝てろ!!」
 ムー目掛けて皮製の鞭が飛び、彼女の白い肌を傷つけた。
「……。」
 同時に動きも止まったが…すぐにまた暴れだした。
「しぶてぇんだよ!!」
 メリッサは妹がただ嬲られているのをただ見ている事しか出来なかった。
―…まさか、捕まっちゃうとは思わなかったわね。そう考えるのはまだ私自身に驕りがあると言う事かしら…。

「…何だてめぇは?またダーマから来た戦士サマってか?」
「…ダーマ?……知らないな。」
 別の部屋では闖入者が入り込んでいた。
「んじゃあ何か?俺達の仲間にでもなりに来たか?」
「…ふっ。」
 男は吹き出した。
「んなワケ無いだろうが。俺は金積まれて雇われたんだ。誰の味方でもねぇ。」
「んだとぉっ!?」
「…ハッ。笑い話にもならねえな。」
 男は剣を思い切り振った。
ゴンッ!!
「ぐえっ!」
 見張りの盗賊を鞘打ちで殴り倒し、男は邪魔者を蹴飛ばし、奥へと入っていった。
「…て…てめぇ……」

「はぁ…はぁ……」
 ムーを痛みつけていた男の息は上がっていた。一方のムーは、死んだようにぐったりしていて動かない。
「…やっと…くたばりやがったか…。」
 その光景を見ていた女達の多くは恐怖から来る涙をこぼしていた。また、ある者は侮蔑の目を向けていたが…目の前の惨状に声も出なかった。
「いいか!なめた真似すればこいつのようにボロ雑巾にしてやるからな!!」
「……。」
 メリッサは冷ややかな視線を男に送っていた。しかし…彼女の右手は固く握り締められて震えていた。
―…メドラ……。
「ヒャハハハッ!!いい気味だぜ!」
 男の哄笑が牢の壁に響いた。
「ヒャハハハ…ッ!?」
 しかし、刹那…男の声が止まった。
「うぎゃああああっ!!!」
 静寂の瞬間は訪れず、男が悲鳴を上げて自らの血溜まりの中へ崩れ落ちた。女達の間に戦慄が走った。
「………。」
 暗闇に包まれた石造りの回廊の奥の方から…何者かが忍び寄ってくる…。
「…よくも…ムーを……!!」
 それは怒りに顔を歪めた…黒装束を身に纏った銀髪の青年だった。