東にて 第六話
 レフィル一行は、ニージスのルーラでバハラタへと舞い降りた。
「…さすがは賢者。」
「褒めるにはまだ早いのでは?」
 賢者が一般に評価される点は、僧侶の呪文と魔法使いの呪文の両方を使いこなせる所にある。ムーが賢者と思われがちなのは、攻撃・補助・回復…全ての種類の呪文を知り尽くし、有効な場面で行使できているからである。レフィルやホレスも一応冒険者の常識としての賢者のありかたがそうであると教わっていたので、初めて会ったときから彼女を賢者と思ったのだ。
「確か…バハラタに連れがいると?」
「ああ。」
 バハラタには、黒胡椒を求めてやってきた商人ハンがいる。予定より3日ほど早く着いたが、早すぎる分には特に問題ない。

「あれ?ホレスさんじゃないですか、もう賢者様にはお会いになったので?」
 レフィルよりも更に小柄な褐色の肌の男を見下ろして、ホレスはニージスの方を一目見て、会った事を示した後、尋ねた。
「ああ。…しかし早く帰りすぎたな…、まだ胡椒は用意できていないようだからな。」
「ええ、まあ。しかし…世の中物騒なものでして…。また若い娘さんが攫われてしまったみたいですよ。」
「…そうか。」
 このごろこのバハラタ周辺で多発する誘拐事件は以前聞いた時よりも、状況は悪化しているようだ。
「おや、その事件…まだ解決していないようですねぇ…。」
 ニージスは人事の様に事も無げな一言を呟いた。ホレスは思わず彼の方へ向き直った。
「…ん?」
「まぁ何と言いますか…、ダーマからも戦士がそのアジトらしき場所に派遣されたのですが、まだ帰らないみたいでして。」
 ダーマは学においてだけでなく、武術に長けたものを養成する事にも優れていて、戦士達の強さは少人数でも王宮の騎士団にも遅れを取らないと言わしめるほどだ。故に、賊如きに負ける事など万に一つも考えられない。
「…それって……まさか…」
 レフィルは最悪の事態を予想した。しかしハンは空気を察したのか、それを遮るかの様に言葉を紡ぎだした。
「……まぁ、そんな辛気臭い話してもなんでしょう。そうだ、ここで少し商売させてくださいよ。」
 彼は担いでいた鞄を下ろし、風呂敷を広げてそこに商売道具を並べ始めた。
「…いい品揃っているな。」
 目の前にあるのは、いずれもなかなか優れた武具だった。
「……。」
 ムーはその中の一つを手に取った。三日月を模した先端が特徴的な杖であった。ハンマーの様な形状とも言える…。
「それは理力の杖ですね。魔法力を打撃力に変えて攻撃するという代物です。…ああ、それは普通の理力の杖と形が異なるみたいですよ。」
 ハンはメモを取り出すと、素早く何かを描き始めた。出来たのは薙刀の様な形状の武器の絵である。
「…これが一般に出回っている理力の杖です。魔力を刃に通して絶大な破壊力を叩き出す仕組みのようですが…。」
 ハンの解説にニージスが付け加えた。
「まぁそんなものでしょうな。…この品は、寧ろ打撃特化と言ったところですかねぇ。」
 説明を聞いている間にも、ムーは杖に魅入られたように固まっていた。
「…打撃特化か…。」
―…鬼に金棒とはこの事か…。
 ホレスは魔法使いの癖にさりげなく直接攻撃を好む彼女の戦い方を思い出して嘆息した。そして彼もまた、ハンの商品の一つに目が行った。
「…動きやすそうな服だな、これ。」
 手にとって広げてみると、黒一色の服だった。
「それですか。…なんでも…異国の隠密が好んで使っていた物らしく…。」
 そう言いながら、ハンはもう一つ品を持ってきた。
「夜の闇に溶け込んで身を隠すことができるようですよ。」
「…黒い頭巾か。…成程、オレには合っているかもしれない。」

 結局レフィル達は理力の杖の類型の杖と黒装束一式を買った。レフィル本人は、目に入った品が無かったらしく、装備は鉄の鎧と鋼の剣…そして護身用の聖なるナイフのままであった。
「…忍び…ですな。」
 ニージスはホレスの出で立ちを見てこう呟いた。
「忍び…?さっき言っていた異国の隠密の事か?」
「…よく覚えてましたな。」
「どうでもいい話だがな…。それより…」
 ホレスはムーの方へ向き直った。無表情ながらどこか楽しそうに理力の杖を振り回している様には何とも言えなかった。後ろではレフィルが止めに入ろうとしているようだが…割り込めないでいる…。
「ム…ムー……危ないよ…そんなところで…。」
「バイキルト」
 声をかけられても…止めるどころか、更に振る気でいるのか…。そして、顕現した魔力の刃で地面を叩きつけると、どごぉっ!!と凄まじい音がした後、そこには大きな窪みができた…。
「「……。」」
 レフィルとホレスはそんな彼女を見て閉口した。
「おお、気に入って頂けたみたいで…!」
「ですな。」
 ハンは純粋に自分の商品を使ってくれている事に喜んでいるようだ。ニージスは諦めにも似た気持ちで彼の言葉に答えただけだった。

 その夜…。
「……。」
 晩飯を食べ終えたムーは理力の杖を持って、宿の外に出ていた。近くにあったベンチに腰掛け、今日手に入れたお気に入りをじっと眺めていた。
「…あ、ムー。」
 鎧とマント…そしてサークレットを外し、旅装束だけの格好のレフィルがムーの隣に座った。彼女も夜風に当たりに来たようだが、ムーは理力の杖に夢中になっていた。
「そんなに気に入ったんだ…。」
―不思議ね……。
 表情からは何一つとして読み取れないが、玩具を得た子供のようにはしゃいで居るように見えた。
―…で…でも、武器…なんだよね…。
 何かが間違っているような気がして、レフィルは物思いに耽った。
「「……。」」
 あたりは静寂に包まれた。…がそれも長く続くはずも無かった。
「…?」
 突如、一陣の風が吹き、ムーの三角帽子を巻き上げた。ムーは理力の杖を器用に使って飛んだ帽子を引っ掛けた。
「……すごい風…。」
 レフィルは乱れた髪を押さえてそう呟いた。
「…誰?」
 一方、ムーはもう一人闖入者がやってきたのを感じ取り、その者に尋ねた。
「…え?…あなたは…。」
 コツコツという靴音がだんだん大きくなってくる、そしてその主は程なくムー達の下へと姿を現した。
「…?」
 現れたのは、黒い三角帽子を被り右手に箒を持った赤く長い髪を持つ麗人だった。
「メドラ!?」
 彼女は驚きを隠せない声で思い当たった名前を呟いた。
「…違う、ムー。」
「ムー……?あ…ホレス君が言っていた…」
「え?ホレスさん?」
 どうやら目の前の魔女はホレスの知り合いのようだ。

「…そう。そんな事が…。」
「……。」
「あの…メリッサさん…でしたよね…。」
 レフィルは魔女…メリッサに何か言いたそうな顔をしながら話した。
「何?」
「…メドラ…って…」
「妹よ。でも…最後に会ったのは11歳の時だったから…それにしても…完全に記憶無くしちゃってるなんてね…。」
 メリッサは遠い目をしてふぅ…とため息をついた。
「ホレス君とは仲良くやってる?」
「……。」
 ムーは何も言わずにただ理力の杖を眺めていた。
「…相変わらず無愛想な子ねぇ…。」
 メリッサは呆れた様に首を振り、嘆息した。
「…!」
「「?」」
 不意にムーが何者かに身構えた。
「レミーラ!」
 それに何かを察したのか、メリッサも呪文を唱えた。呪文の光が辺りを照らし出す。
「おおおっ!上玉が三人もいますぜ親分!」
「…グフフ、一人も逃がすんじゃねえぞ。」
 明らかに柄の悪そうな男の影が光の中に映った。
「噂の人攫いのようね…。」
 メリッサが呟くと同時にムーが呪文を唱えた。
「イオ…」
「マホトーン」
 しかし、大きいほうの男がムーの呪文を封じ込めてしまった。
「…。」
 ムーは理力の杖を構えて突進した。
「ぐわっ!?」
 一人が一撃を受け、倒れこんだ。
「やるじゃねえか。…の割には。」
「…!」
 男の言葉を聞き、ムーは一瞬眉をひそめた。
「だが…残念だったなぁ!」
 男は斧を振り回しつつ、跳躍した。
「うおらっ!!」
ガッ!!
 渾身の一撃がムーの理力の杖と激突した。両者はしばらくは拮抗していた…しかし。
「…っ!!」
バシッ!!
 杖から迸る力が失われ、ムーは思い切り吹っ飛ばされた。その勢いを止めるすべも無く、彼女は地面に叩きつけられて、動けなくなった。
「…魔力…切れ……」
 そう言い残し、ムーは意識を手放した。
「ムー!!」
 レフィルはムーの方に駆け寄ろうとした。
「バシルーラ」
「え?」
 しかし、メリッサが唱えた呪文によってレフィルの体が宙に浮いた。
「…なんで!?」
 思わずこう叫んだレフィルに対し…
「今のあなたじゃ…ただ捕まりに行くのと同じよ。ホレス君に助けを求めるの。」
「そんな!!」
 レフィルはなすすべも無く、空高く舞い上がっていった。
「気をつけて…。」
 メリッサは最後にレフィルにそう告げた。