東にて 第五話
「…ここか。」
 何者かの足音を追って進んでいった先は、書斎と言うにふさわしい蔵書の宝庫であった。そして、ここで足音が途切れた。
「いや〜…思っていたより要領が良いみたいですな…。」
 先程神殿内を物色していた時に聞いた声がこの部屋の奥の方から発せられた。
「!」
 その声の主の姿を見て、ムーは目を僅かに見開いた。ホレスとレフィルもその者の姿を見て動きを止めた。
「…ふむ、記憶の片隅には覚えて下さったようで。」
「……ニージス。」
 冒険者のリストにも載っていた目の前の人物の名をムーは呟いた。
「成程…、有名人だからか…。…で、さっきはレムオルの呪文でも使ったわけだ。」
「良くご存知で。あなたも賢者に興味がおありなので?」
「…いや、オレは呪文の適性がまるで無いからそんな事は関係ない。ただ、旅をするにも色々な敵と当たるからな…。」
 ホレスの言葉に、その男…賢者ニージスはふむ…と頷いた。ぼさぼさの長い紫髪を書き上げて、穏やかな表情で三人の方に向き直った。手にはかなり分厚い本がある。
「あ…あの……話って…ムーの事で…?」
「…ふむ、今はムーと名乗られていると?」
「あなたはこの子の事をどこまでご存知なのですか?」
 レフィルはニージスに質問した。
「…良く知っておりますよ。ただ、もどかしい事に私が全てを話してしまう訳にはいかないのですがねぇ…。」
「何故?」
「君をバシルーラで飛ばし、記憶を失わせた張本人だからでして…。」
 表情とは裏腹に、おどけた口調でニージスはムーに問いかけた。
「さてはて…ムー、今君は自分の事をどこまでご存知か私には分かり兼ねますが…」
「ダーマから追放…?」
「おや…やはりそれは分かってるみたいで…。それで…何故ここから追放されたかはご存知で?」
「………禁を破って…?む〜……?」
「おぼろげですな。まぁそんなものでしょう。」
 ニージスの言葉に首を傾げつつ、ムーは逆にニージスに尋ねた。
「あなたは…本当に…賢者?」
「いや〜…一歩間違えると愚者にもなりますな。」
「…愚者…?」
 愚者…賢者の逆の意であるただそれだけの言葉である。…しかし、ムーは目の前の青年と話していると、一つ一つの言葉が頭の片隅に働きかけているような気がしてならなかった。
「ふむ…今気分はいかがなもので?」
「…変。」
「…実に君らしいですな。」
 ニージスは長年付き合ってきた学友であるかの如く言葉を紡いだ。もっとも、実際に顔見知りではあったようだが…。
「変って…何か思い出せたか?」
「…まだ。」
 ホレスはムーの発言に変化が生じたものと感じ取り彼女にその事を尋ねたが、満足のいく答えは得られなかった。
「…まぁ…ダーマから追放されて記憶を消された理由というのは…北のガルナの塔にあるわけですが…。」
「ああ、そういえばそんなものがあったな。」
 賢者を志す者だけが入ることを許されるダーマ北の尖塔…ガルナの名がここに出た。
「ムーはそこに入ったから追放されたって事…?」
 レフィルは自分の考えをニージスに告げた。
「まぁ…そのとおりです。」
「…何故?」
「……う〜む…そこから話すのは…。」
「何か問題が…?」
「…良いでしょう、話します。」
 ニージスが告げた内容はおおよそ以下のようなものだった。
 それはムーが12歳の時の事だった。悟りの書を求めてガルナの塔に入ったムーだったが、これを良しとしないダーマの神官達が追手として差し向けられた。しかし、この歳にして既にずば抜けた才能を持つ彼女の魔力と体術を持つにより呆気なく退けられた。

―…邪魔。
―……いや〜…君の邪魔をしたくないのは山々なんですがねぇ。
―……イオラ
―おおぅっ!!?…こんなところでそんな呪文使っちゃ駄目でしょうが!?
―力を以って全てを統べんと欲し…我…人の裡を棄て…其の域へ踏み出さん
―!

 激しい戦いの末、ニージスはムーを辛うじて取り押さえ、バシルーラでダーマから追放した。その際、ダーマでの記憶を奪ってルーラやキメラの翼で戻ってこれない様にするつもりが多くの記憶を奪ってしまったようだ…と彼は付け足した。
「…何故カザーブに?」
 バシルーラは相手の記憶を元に、転移先を決めるのだが、記憶が不鮮明ならば…飛ばされた者も無事では済まない。
「そこは…専門知識の羅列にでもなり兼ねませんが…」
「…そうか。」
 ホレスもある程度呪文の知識をかじっていたが、専門家の話についていけるほど深く触れてはいなかった。
「いずれにせよ…ダーマで一騒動起こしたと言うことか。」
「…ですな。まぁ、今のムーにはおそらくは悟りの書を欲する動機もないのですが。」
 ニージスの言葉にムーはこくりと頷いた。
―…でも、それって追放した意味って無いんじゃ…?
 レフィルはふと疑問に思った。
―悟りの書を求めていた頃の記憶が無くなってしまったんだったら…追放しても罪を悔やむ事なんかできないのに…。

「ごちそうさま。」
 ムーはバハラタの時同様、真っ先に食事を終えた。
「…いやはや、記憶が無くても健啖ぶりは相変わらずですな。」
 ニージス曰く、かつても無駄に早く食べ終わり、他の者達が食事を終えるのをただぼー…と見ていたようだ。
―……悟りの書を手に入れて何がしたかったんだ?
「…あの…ニージスさん。」
 レフィルは食事の手を休め、ニージスに呼びかけた。
「…ん?どうしました?」
旅の目的は分かっていても、そのために何をするべきかが自分達だけでは見えない。そのために、ダーマの賢者の力を借りに来たのだ。
「…なるほど。……確かに魔王討伐の旅だけに、その道は困難を極めそうですな。…私は寧ろ是非ご一緒したいと思っておりますが。」
「本当ですか?」
「ええ、…まぁ大神官の許可は必要なんですがねぇ…。」
 ニージスは手を広げて首を横に振った。
「…ああ、成程。」

 果たしてホレスの予想通り…
「……。」
 ダーマの神殿の本殿…中央の祭壇の前に…大神官…歳の割に肥大した筋肉を身に纏った老人…否、巨人が鋭い眼光で睨み付けてきた。
「ニージス……か…?」
 重々しい声でニージスに話しかけてきた。
「…はいはい、んで…私は勇者レフィルさんの一行に同行のお誘いを受けたのですが行ってよろしいですかね?」
 全くたじろがないばかりか、寧ろ半分馬鹿にしているかのような口調で大神官に気安く話しかけた。
どんっ!!
「「!?」」
「……。」
「おや。」
 大神官が杖をつくと、辺りが一瞬揺れたようにも思えた。
「……行け。」
「「?」」
「……。」
「どうも。」
 実にあっけない駆け引きだったが、レフィルとホレスには場の空気がやたら重く感じた。

「まさかこうもすんなり許可をくれるとは…いやはや。」
「よく張り倒されなかったな…。」
 大神官にあそこまで飄々とした態度を取りながらお咎めなし…、ホレスはその事実に心底驚かされていた。
「いや〜…前にあの方の鉄拳食らって石壁にめり込んだ武闘家の方を見たときは…それはもう…」
「「…。」」
 ホレスとレフィルは…あまりの人間離れしたあの外見に見覚えがある気がしてならなかった。
「レフィル。」
 ホレスは冒険者のリストをレフィルから受け取った。そして…その最後辺りのページを開いた。
「おや…この方は…。」
 ニージスは興味深そうな面持ちでそのページの男を見た。バクサン…彼もまた、尋常ならざる体躯を持つ男である。
「…他人でない気がするのはどうしてだろうな…。」
「まぁ…確かに。それで、どうします…ホレス?」
 ニージスはホレスに今後の予定を尋ねた。
「一度バハラタに戻ろうと思うが、あんた、ルーラは使えるか?」
「お安い御用で。準備ができ次第出発しましょうか。」
「そうだな。それじゃあ、ダーマの正門前に集合でいいか。」
 ホレスの言葉に一同は頷いた。