東にて 第四話
 夜も更けて、魔物の遠吠えだけが辺りに微かに響く時間になった頃、レフィル達はバハラタへ到着した。清き川と黒胡椒で知られる街と言えば理解が早い。
「…バハラタか……懐かしい……とも言えないな…。」
―…たった三年で忘れるなんてな…。
「もう……駄目………。」
 レフィルは糸が切れたように脱力し、地面にへたり込んだ。半ば強行軍はかなり厳しかったらしい。
「……さすがにオレも…確かに魔物も以前より強い…。」
 うなだれているレフィルと珍しく弱音を吐くホレスを残りの二人は何の疲れもなさそうなけろりとした顔で見ていた。
「ハン、あんた……疲れてないのか…?」
「私は大丈夫ですよ。ですが、むしろあなたはそれだけ疲労していてよくここまで…。」
「…あんたも遊んでいたわけじゃないだろう。…少なくとも魔物を倒した数じゃあオレより上だろうが。」
「体力馬鹿。」
「…いやぁ、確かによく言われますね…。」
 馬鹿とはご挨拶だが、他人目から見ても彼が一番体力が有り余っているように見えた。パーティで一番体力があると思われていたホレスが辛そうな表情を浮かべている一方で、ハンはまるで散歩を満喫しているかのような挙動で真夜中のバハラタの街を眺めていた。
―……あんたひとりでもここまで来れたんじゃないのか…?

「ふぁああ……。」
 翌朝、レフィルはまだ眠たそうにあくびをかいた。
「…起きたか。」
「あ…おはようございます…、ホレスさん。」
 ホレスもまた、眠りが浅かったようだ。いかにも二度寝してしまいそうな程、眠そうな顔をしている。
「昨日は…お疲れ様です。」
「…ああ。」
―特にそう言われる様な事もしていないけどな…。
 そのはずなのだが、実はかなりハードな行程を辿ってきたのだろうか…と思いつつ、ホレスはドアを開けた。既に部屋にはムーもハンもいないようだ。
―…ハンはともかく…ムーは何で大丈夫なんだ…?

「おお、おはようございます、お二人とも。」
 宿にある食堂に、ムーとハンが向かい合って座っていた。
「さあさあ、あなた方もこちらへ…」
 言われるままに席に着き、しばらくすると、四人分の食事が運ばれてきた。
「おお…これが…黒胡椒を使った料理…ですか。」
 肉の臭みを消し、独特の風味を出す調味料…黒胡椒が惜しげもなく使われているその料理の数々を見て、ハンは興味深そうに頷いた。
「そういえば…アリアハンを出て以来、あまり料理を作ったことなかったな…。」
「しかし…私が欲しいのは…食べるための黒胡椒なんです。」
「え?…食べる?」
 黒胡椒は本来香辛料として使うはずのもので、そのまま食べるという話はあまり聞かない。全く聞かないわけでも無い気はするが。
「いずれにせよ、あんたは黒胡椒が欲しいんだな。…店のあては?」
「ええ、こちらに。」
 ハンは手帳を取り出し、そのうちの一つのページを開いた。
「…これか。“胡椒屋”とは随分ダイレクトだな…。」
「ええ、ですが売れ行きはいいみたいですよ。」
 一つの品で勝負できているということは、よほどサービスが良いという事だろうか。
「あの…」
「?…どうしました?」
 レフィルはハンに言い難そうな口調で話した。
「…そんなに沢山食べて…大丈夫なのですか…?」
 明らかに常人に食べられる量ではない。まして、旅路で疲れた体がその量を受け入れられないかもしれない。
「いやぁ…これくらい食べとかんと後で動けませんから。」
「そ…そうですか。」
―…逆に動けなくならないのかな…。
「ごちそうさま。」
 ムーは不意にごちそうさまを言って…席を立った。ほかの三人がまだ半分も食べ終わらないうちに、彼女は自分の分け前をすっかり平らげていた。
「ム…ムー…そんなにあわてて食べなくても…」

「どうでした?」
「…いえ、どうやら品切れのようでして…、あと十日程待つ必要があるようです。」
 食事を終えた一行は、紹介にあった胡椒屋を訪ねた。ハンはポルトガ王の紹介を受けた旨を伝えたが、胡椒屋は、品物…胡椒の準備にまだ時間がかかると言った。
「…なるほど、ここに十日間足止めだな。」
「そのようで…、ですがせっかく時間があるのでしたらダーマの方にでも…」
「いや…少なくともあんたはここに残らなければならないだろ?一応当事者だからな…。…それに、オレ達は…」
「ああ、その事ならば大丈夫ですよ。私のことならお気になさらず行ってください。その間バハラタで稼がせていただきますから。」
 ハンは商売道具を取り出し、胸を張った。
「…すまない。じゃあ十日後に…」
「お気をつけて。聞いた話では最近人攫いが出没するそうですよ。」
ハンは三人の方を…特にムーの方を向いて忠告した。
「?」
「なんでも、か弱い女子供を攫っていくそうで…。」
 いかに腕が立つとしても、外見はその女子供にあたるムーを見て、ハンは心配そうな面持ちで告げた。
「…レフィルが心配。」
「え…?」
 レフィルはきょとんとしてムーの方を向いた。
「……その様な輩が出てきたら容赦なくつぶすだけだ。」
「…ホレスさん…。」
 ホレスのその言葉を聞き、レフィルはサイアスに言われた事を思い出した。
―無理しちゃ駄目…。
「いずれにせよ、魔物も強いそうですからくれぐれもお気をつけて。」
「ああ、また会おう。」
ホレス達は十日後に会う約束を交わした後、一旦ハンと別れた。

―ハンにも来てもらえれば心強かったのだがな…
 ホレスは討ち損ねた魔物からの手痛い反撃を受けながら、あの商人の男の戦いにおける存在感の大きさを改めて思い知った。
―ゲンブ程強いわけじゃないが…かなり場慣れしていたようだからな…。
 反撃してきた魔物の急所に刃のブーメランを突き立てて止めを刺したところで、レフィルが駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか?…ホイミ!」
 レフィルはひたすら回復呪文によるサポートに徹し、ムーは強力な呪文の洗礼を魔物たちに施していた。
「ヒャダイン」
 無数の氷の刃が大きな紫色の類人猿…キラーエイプの毛皮を貫き深々と突き刺さり、芯から凍りつかせて粉砕した。
「終わりだ…!!」
 ホレスはナイフを引き抜き、堕落した魔道士の成れの果て…幻術士の喉元を引き裂いた。魔物は鮮血を撒き散らし、痙攣した後息絶えた。
「……はぁ…はぁ……さすがはダーマ…これだけ魔物が強ければいやでも修行にもなるな…。」
「ええ…。」
 ホレスとレフィルは息を切らせながら、ダーマに軽々しく行こうというのが甘い考えであったことを思い知った。
「もうすぐ。」
 ムーがそう呟いたのを聞いて、先を見た。
「ああ…あれが……。」
 山奥にある石壁に囲まれた質素ながら荘厳な神殿…それがダーマであった。

「……!!」
「「「?」」」
 神殿に足を踏み入れた一行は、入り口に立つ初老の男性が引きつった顔をしているのを見て首を傾げた。
「オレ達が…何か?」
「…!…失礼した。…ダーマによくぞ来た、若者よ。」
 男は歯切れの悪い声色でレフィル達を出迎えた。
「…そうじゃなくて、なんであんたはそんな顔をしていたんだ?」
 ホレスが問いただすと、男はムーの方を見た。
「…。」
―ムー…か。
 考えてみれば、ムー本人曰く…彼女はダーマから追放されてきたと言うのだ。彼女の顔を知っている者も多いかもしれない。
「いや…わかった。もういい。」
 ホレスはそう告げると、二人を促して神殿の奥の方に進んでいった。
「…なんと…あの魔女が…、よく変わったものじゃな…。」
 男はムーの後姿を見てそう呟いた。

「…しかし、…随分とあからさまだな…。」
 神殿内の一部の人間は、過去のムーのことを知っているらしく、ある者は恐怖が張り付いた、またある者は申し訳なさそうな表情で三人の脇を逸れて行った。追放までされる程の事をしてきたのだからある意味当然と言えば当然なのかもしれないが。
「ムー…。」
「?」
 レフィルは記憶を失ったために訳も分からず避けられているムーに軽く哀れみにも似た感情を持った。当の本人は何ら興味の無い事であったが。
「いや〜…まさか本当に戻ってくるとは思いませんでしたな…。」
「「「!」」」
 突然聞こえてきた声に、三人は動きを止めた。見回すが、何者の姿も無い。しかし、ホレスは声のした方向を認識した。
「誰だお前は…」
 ホレスは抑揚の無い声で尋ねながら、何も無いはずの空間を掴んだ。マントのような物の感触がある…。
「ああ…今は姿を見せられないのでご勘弁を。とりあえず、本殿の私の部屋までおいで下さい。話はそこで…。」
 掴んでいた手を丁寧にはがされ、声もそれっきり聞こえなくなった。
「…今の声は…?」
 ムーは首を傾げつつ呟いた。

「こっちだ。」
 感触が無くなっても、ホレスには足音は聞こえていたので彼はその何者かの後をついて歩いていた。そして話にあった本殿に行き着いた。
「お…お前は…!?」
 入り口を守る男がムーの姿を見て戦慄した。
「…い…いや…し…失礼しました。」
「いや、気にするな。」
 もうホレスにはいちいち突っ込む気も失せていた。
―何をしでかしたんだ…?こいつは。
 ホレスはただ虚ろに前を見ている赤毛の少女を見ながら首を傾げた。
「悪いが、急いでいるんだ。」
 足音を追って…ホレス達はまた奥へと進んでいった。