8.龍神の息吹 2:浄炎の魔女



 魔界の僻地に位置する険しい山脈。数多くの爪痕を岩肌に残していながらも、その主たる竜の気配がないばかりかその亡骸たる遺骨さえも残されている程の不毛の地と化しており、魔物の巣窟とは程遠いまでの静けさに満ちている。
 かつてこの地を闊歩していた竜達に代わり、デーモン族と呼ばれる強大な悪魔達が暗躍しており、不用意に迷い込んだ者達の成れの果てが散見出来る。無力を思い知らされるが如く惨たらしく殺された者の亡骸の傍らには、ほぼ例外無く特殊な趣の武具や道具の残骸が散らばっていた。如何なる腕前の者とも知る由もなかったが、その過ぎた力を以てしても生き抜けぬ死地と知らしめている。

「…………。」

 少女自身も幾度と無く凄惨な光景を目にし、時には窮地に陥りながらも、それでも最奥を目指して歩き続けていた。幾度かの戦いの内で彼らが魔王軍に与する者であってその拠点に地上への入り口となる旅の扉を擁していることを知った故のことであった。

 今もまた、哨戒していたデーモン族の兵士達と遭遇し、即座に全滅させた所だった。既にこちらが侵入したという
報せは彼らすべてに行き届いており確実にこちらへ注意を向けていることが窺えたが、幸いにも厳重な警備体制を敷く余裕が無いらしく少女一人の手でも制圧可能な場面も少なくはなかった。
 悪魔の目玉を初めとする監視者の視線を掻い潜り、時には見つかる前に先制して封殺し、敵地内での徹底した潜伏を厳として進み続けていく。

「レムオル」

 その中で不意に、少女は呪文を唱えてその姿を消していた。消え去り草と起源を同じくするレムオルの呪文。魔法力により呼び起こされた透明化の力が少女を覆い、辺りの風景へと溶け込ませていく。
 虚空に消えるが如く気配を絶ち、何者の目にも映らぬまま、少女は早々にその場を後にした。



「……遅かったか。」


 暫くして、二つの大柄な影が駆けつけて、辺りを見渡していた。 
 デーモン族達が何者かと戦っていた形跡は見て取れたがそれを為した張本人は既に立ち去った後であった。

「まさか、このような場まで踏み入るとはな。ニンゲンの小娘の分際でとんだ跳ねっ返りよ。」
「確かにお前から逃げ仰せるとか大したガキだよなあ、ヘルバトラー。」
「全くだなギガデーモンよ。我らまで引きずり出そうなど、流石ニンゲンと言えども名のある戦士か。」

 取り逃がした仇敵の無謀な進行に対して苛立ちを通り越して呆れやら感心すらも覚えた様子で、この状況を悠然と眺めていた。
 腰に長剣を帯びた紫の体毛と蒼い肌を持つヘルバトラーと呼ばれた半人半牛の魁偉と、巨大な戦棍を抱え蒼い鱗に覆われた巨漢の悪魔・ギガデーモン。この場に倒れているデーモン族とは一線を画する程の威圧感を居ながらにして振りまいていた。

「我らを滅ぼしに来たわけではないと見える。身の程は弁えていると見える。」
「……っても、ヤツ一人にどんだけやられてんだよ。下手な勇者もどきのガキどもよりもよっぽど厄介だぞオイ。」

 勇者を嘯く者達、時には勇者そのものをも手にかけて来たデーモン族の兵士達。だが、使い魔と言えども数々の異界の技や武具を封殺してきた歴戦の兵とも言える程の練度を持った彼らも、それに対抗する力と戦術を持った侵入者には分が悪く、敢えなく敗れ去っていた。


「この地獄のサーベルの錆にしてくれようと思ったのだがな。まさか玩具の武器などではなかったとは驚いたわい。」

 デーモン族達を退けて、その長である自分達を引きずり出して一戦交えた上で逃げ延びるという形でこそあれ生き延びた力を前に、ヘルバトラーは血湧き肉踊るような悦楽を感じている様子だった。

「それはヤツとて同じだろうよ。あのメタルキングの剣が本物だろうと、そいつのように同格の真なる武具なんざ幾らでもあるからな。くくく……。」

 その手に取られている滴り落ちる血を表すが如き赤い紋様が刻まれた漆黒の軍刀・地獄のサーベル。その強度はオリハルコンに匹敵し、あの少女の持つメタルキングの剣を受けても全く応えぬ程の頑強さを誇っていた。
 剣の力が互角である以上、彼女も人間の身では高位の魔族相手に武具の力だけで押し切ることはかなわず、その追跡を逃れるだけが精一杯だった。デーモン族の例に漏れず、呪文も魔法の剣も通じず最後の頼みたる剣でも勝てぬその心中が頭に浮かび、ギガデーモンは下卑じみた笑いを浮かべていた。




 地上界の極北に位置し、魔王軍最大の拠点と噂される死の大地。大魔王バーンの膝元とも言うには手薄ながらも、その名に恥じぬまでにその周辺の諸島を含み氷と荒野の岩肌が続くまさに不毛の地だった。


「随分乱暴な作りだなあオイ。あんな立派な城を作ってる大魔王サマにしちゃ少々ずぼらなんじゃねえのかね。」

 その一角に位置する孤島に建てられた小さくも頑強な城壁を備えた砦。芸術性の欠片もないシンプルな城塞を眺めて、カンダタはすぐに違和感を覚えていた。

「確かにこの世界じゃあまり見ない造形だわ。彼らも……デーモン族もバーンに下ったみたいね。」

 彼の呟きに込められた疑問に答えるように、メリッサはその状況を省みていた。威圧的な風貌こそあれ、外装内装共に大魔王バーンの作った鬼岩城のそれとは全く異なる様式を有する無骨な景観。それは砦を守っているデーモン族の手によるものと推察出来た。

「デーモン族なあ。奴らまで来てちゃやりづらいったらねえぜ。旅の扉があの中にあるってのによ。」

 暗黒回廊にさらわれた少女を追うべく魔界を目指す中でたどり着いた目的の場所、迷い人達の手により死の大地に建てられた旅の扉。だが、それは既に敵が築いた城塞の内に閉ざされていた。
 高い戦闘力を有する上に堅牢な呪文耐性まで併せ持つ異界の悪魔・デーモン族。彼らが魔王軍に与する以上、戦いは避けられないことだろう。
 この世界に至る以前にも会いまみえて脅威を目の当たりにしてきたからか、カンダタはその油断ならぬ状況を前に面倒臭そうに嘆息していた。 

「でも時間もないし……仕方ないわね、ちょっと強引に行かせてもらおうかしら。」
「!」

 慎重を期す必要がある相手であるために暫く様子を見るも強固な警護態勢に大きな隙を見い出すことが出来ずにいた。それに痺れを切らしたように立ち上がり、メリッサはゆっくりと歩き出していた。

「人間……っ!?」

 全く隠れる素振りすら見せぬまま堂々と姿を現した彼女を捕捉するのも束の間、不意に番人のデーモン族達の表情が恐怖に凍り付いていた。

「うお……!?」
『魔力ヲ練リ上ゲタ……?』

 おもむろに差し出されるメリッサの右手に莫大な力が集い、その周囲の空間そのものが炎の如く灼かれ始める。淑やかな歩みと対照的な魔法力の奔流の余波に、カンダタ達はただただ圧倒されていた。

「馬鹿め! のこのこやって来ると……ぎゃああああああ!!!」
「なっ……!?」

 呪文を唱えるべく無防備に気を練り続けているメリッサへと一体のデーモン族が襲いかかろうと肉薄したその時、取り巻く魔法力の流れが牙を剥いて瞬く間に焼き尽くし、断末魔の悲鳴を残して完全に塵と化していた。

「……これぐらいで、良いわね。」

 満足げに呟く様とは裏腹に、メリッサは妖艶ながらも笑みの一つも浮かべぬ冷厳な面持ちで燃え尽きた敵を一瞥し、意識を彼らの守る城塞へと向けていく。

「や、やめ……」
「ベギラゴン」

 そして、危険性を体現されて恐慌に陥った彼らの叫びも聞き届けず、彼女は右手に束ねた力を呪文と共に一心に解き放った。
 この世界において極大閃熱呪文と呼ばれる極致たる力。その残滓だけでも悪魔一人を滅する程の焦熱の波が、城塞ごと全てを纏めて呑み込み、焼き払い続けていく。

「き、貴様……!! 人間如きが何故……!!!」

 デーモン族たる自分達の持つ呪文が通用しない特質。それすらも完全に凌駕する由縁こそ知れども、如何にしてそれを御する術を……堅牢な耐性すら貫く程の魔法力を、それも片手のみで操る術を得たと言うのか。

「あまり力押しはしたくなかったけれど、先を急いでるの。……仕方がないわよね?」

 城塞もデーモン族も何もかもが灼熱の炎の内に消し炭と化していく。それを看取るように静かに眺めながら、メリッサはどこか自嘲げに彼らへとそう告げていた。
 理を覆す程の分不相応な力を振るう傲慢故に、こちらを無力な人間と侮った彼らを蔑むつもりはなく最初からその資格などもない。全ては奇妙な縁で巡り会った親友、その身に厄災の禍根を有するが故に様々な魑魅魍魎に付け狙われし少女の下に向かうための火遊びだった。

「だが……あの新参者共の前では貴様は無力だ、如何にこれ程の力を秘めた魔女と言えども、な……!」
「!」

 崩れ落ちる城塞の内から旅の扉の台座を見出そうとする側で、デーモン族達は嘲笑しながら、塵へと還っていた。その戦いが無駄に終わると確信しているかのように言い遺したその言葉と共に、轟々と燃える音に混じり金属が地面を踏みしめる音が聞こえてくる。


「いつも大口を叩いている割にだらしのないこと。デーモン族など所詮はその程度ですか?」


 正面の焦熱地獄より迫り来る気配に身構えている中で、やがてそこに映る五つの影の一つから、死したデーモン族への侮蔑の言葉を吐きかける女性の声が聞こえてきた。
 優美な外套を纏い、ティアラを身につけたような貴婦人然とした姿。歪なまでに神々しい銀白の照り返しもあって、その高貴さを強調している。

「違ぇねえ。この程度の呪文であっさり死んじまうんだからな。」
 
 彼女の言葉に頷くように粗暴に答える男性のあざ笑う声が聞こえると共に、城塞の炎が纏めて吹き払われ、彼らの姿が明確にメリッサ達の目に映っていた。

「バギの呪文……それに、あの姿は……」
「おいおい、ありゃあ女王に僧正、騎士ってとこか? こいつはもしや?」

 風を呼び起こした先に、先に語った女性と同じ光沢を有する刃の鎧を纏った僧正の姿の人形が後ろに控える仲間と共にこちらに向かってくるのが見える。
 それらは、本能的に強く訴えかける雰囲気の白銀の金属で拵えられた、人間に近い等身の戦人形であり、全員がチェスで使われる駒を起源とした意匠と力を有した存在であった。

『ちぇすデモ始メル気? きんぐハドコ?』
「キング……? フフッ、ハドラー様にお目見えする機会があなた方にあるとでも思って?」

 全貌を現すも、探しても彼らチェスの駒たる戦士達を統括する王たる存在を見つけることが出来ない。それに疑問を抱いたイース達に答えを返すように、女王の駒は嘲りを露わにしながら告げていた。
 親衛騎団を統括する親衛騎団王、かつての魔軍司令ハドラー。彼こそがここに集う駒達を束ねる王であり、死の大地を警護する魔王軍の要であるとすぐに伺い知ることができた。

「貴様が異界最強の戦士であろうが、ワシらの体に傷一つ付けることも叶わん!」
「オレ達親衛騎団がいるとも知らずご苦労なこったな。生かしちゃ返さんぜ、カンダタさんよぉ!!」
「……まあ、死ぬ前にせめて名乗りぐらいはさせて貰いましょうか。」

 勝利への絶対の自信を胸にチェスの駒の戦士・親衛騎団達が、対峙する哀れな人間達を待ち受ける命運……傷一つつける間もなく倒される末路を確信しつつ、戦士の儀礼とばかりに次々と名乗り出ていた。
 貴婦人然とした姿の女王・アルビナス、全身を刃物で覆い尽くした鋭角的な姿の僧正・フェンブレン、馬上槍を手にして自らも馬頭を有する軽快なる騎士・シグマ、城塞を思わせる風貌の巨漢の城兵・ブロック、そして己の拳で闘う兵士・ヒム。彼らが死の大地を守護する新たな要、ハドラー親衛騎団だった。

「リビングピース、っつったっけか……。だが、こいつらは……?」
「ええ、厳密には誰かの禁呪生命体みたいだけれど……あの金属、間違いないわよね?」

 チェスの駒の要素を多分に含む外見と能力。その類のモンスターの情報も由来不明の話ながらも耳にしていた。王のための駒として奮迅する物質生命体・リビングピース。それをヒントとしてハドラーの手で生成された禁呪生命体であることまでは然程の驚きはなかった。

「……まさか、バーンがオリハルコンまで持ってるなんて、参ったわね。」

 だが、その身を形作る白銀の金属は驚嘆に値するというどころの話ではなかった。
 神授のものとされる至高の物質・オリハルコン。本来一介の魔物に過ぎにかの種を無敵の軍団となす程の絶対的な強度を有することを今この場で明確に示している。

「全く飛んだ歓迎だな?」
『素敵ナさぷらいずニモ程ガアルヨネ。』

 大魔王の手先という思わぬ形で立ちはだかる神の力を前に、流石のカンダタも予想外の脅威に対して苦笑いするしかなかった。メリッサの放った全霊の大呪文を退ける呪文耐性を持つ上に何者にも勝る頑健な体まで持つ彼らがここに来て立ちはだかることに、更に焦りが深まるばかりだった。
 この急襲により、最早少女の心配ばかりをしている暇もない程に状況が悪化させられたのは果たして偶然なのか。
それを考える暇もなく、親衛騎団達が一気に殺到してきた。


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