8.龍神の息吹 3:超えるべき苦闘




 時を同じくして、デーモン族達の巣窟と化している魔界の僻地。幾度もの苦難を退けながら、少女はようやくその最奥へと至り、旅の扉の間へとたどり着いていた。

「…………。」

 見張りの兵達を残らず討ち果たし、踏み入った内には広大な空間が広がっていた。一挙に大勢の味方を移動させるために取られた旅の扉の間には既に何者もおらず、不気味なまでの静けさに包まれていた。

『ザキ』
「!」

 唐突に、近くで呪文が唱えられるのを聞くと同時に、少女は反射的に魔法の剣で薙ぎ払っていた。魔法力の刃によってザキを唱えた主がその言霊ごと一刀両断され、渦巻く凍気の内で土塊と帰していく。

「イオラ」

 それに息つく暇もなく、少女は即座に呪文を唱え、光の矢を旅の扉全体へと雨の如く降り注がせていた。正面で崩れ落ちている大きな土偶と同様のものが幾つも少女に向かわんとしていたが、貫く光の矢の爆発と共にその内に空間ごと押し込められていた少女の力が内側から彼らの根源を滅却し、在るべき姿へと還していた。

「……!」

 果たして先を急いで旅の扉の台座へとたどり着いたが、その上に入り口たる光の渦は存在していなかった。

「おおー、俺様の土偶戦士共を一蹴するとかやるじゃねえか。流石にたった一人でウチのモンを皆殺しにしてくれただけのことはあるな、ええ?」

 動揺する暇も、はたまた原因を推察する暇もなく、遅れてこの場に現れた者の足音が静寂の中に重々しく轟き始める。巨駆を有するデーモン族の長の一人、ギガデーモン。その圧倒的な力故に少女には太刀打ち出来ず、逃げの一手を打たずにいられなかった悪魔達の強者が一人だった。

「ふっふっふ、そうか、地上を目指していたのだな貴様? だが、我らとの戦いを避けて通ろうなどとはその真の武具が泣いておるのではないかね?」

 同時にもう一体の悪魔もまた、旅の扉の間へと入ってきていた。妄りにデーモン族の領域に足を踏み入れた少女を追跡した末、その腰に帯びた地獄のサーベルを以て死の淵の寸前にまで追い込んだ魔界の闘士・ヘルバトラー。こちらのメタルキングの剣と互角の武具を持つ以上、正面からの戦いを挑むには最初から分が悪い相手であった。

「好き勝手やってこれたオマエにも、こうなった以上はどのみちもう逃げ場はねえってことだ。観念しな!!」

 孤軍奮闘の末に多くのデーモン族を倒してきた少女も、天敵たる者達に追い詰められれば無力な娘と何も変わりはない。このまま戦えば間違いなく死は免れ得ないだろう。
 何者かの手により封じられた旅の扉。それが動かぬことには、この窮地を脱するのは限りなく不可能に近い。

「我らの手で最期を迎えられるのだ、冥府にて誇るがよい!!」
「…………。」

 地獄のサーベルを抜剣して嬉々として襲いかかるヘルバトラーを静かに見据え、少女は魔法の剣に意識を集中した。迫り来る猛者を前にも恐怖を押し殺し、極限まで魔法力を練り込み続ける。

「ふはははは、またアルテマソードか! 少しは上達したかあ!?」

 魔法戦士の持てる奥義が一つ、アルテマソード。莫大な魔法力と全霊の剣技を融合させた魔法剣の極致。
 魔法戦士の技術を持たぬ少女自身は魔法の剣の力を借りなければ操ることは出来ず、魔法力そのものも人間の域を出ない。単純明快な道理の下にある技が故に、力足りぬ少女には本来のそれを放つことは叶わなかった。

「血迷ったな! 今更それで俺らを殺せるとでも思ったか!」

 デーモン族にも十分通用するだけの奥義でこそあれ、一度その手の内を明かしてしまった以上は上位種である彼ら相手への決定打とはなり得ない。
 それでも、正面から叩き潰さんと二体の悪魔が迫り来て少女は動揺を億尾にも出さず、全霊で研ぎ澄ました魔法力の刃を以て一心に辺り全てを斬り払った。

「ちっ……! 悪足掻きをしやがって!!」
「ふはは!! そうでなくてはな!!」

 不完全ながらも奥義を尽くした少女の一撃に、流石の悪魔の長達も一度は退けられていた。だが、間合いを取らせて仕切り直させるだけに留まった結果を前に、ギガデーモンは苛立ちを露わにし、ヘルバトラーはその戦いに更に狂喜している。
 二体の大悪魔を討つには、少女はあまりにも非力だった。


「ぬ……!?」


 だが、少女がうっすらと笑みを浮かべたその直前、不意に辺りの空気の流れが台座を中心に明確に変わり始めた。

「旅の扉が! てめえ、何をしやがった!?」

 少女の立つ台座の中心に、青い光の渦が現れ始める。少女の放ったアルテマソードの余波が、その生成を妨害していたものを掻き消して、再び旅の扉を顕現させていく。

「待てい! 逃げるかあ!!」

 形振り構わぬヘルバトラーを振り切り、少女は足下に現れた旅の扉に身を委ね、その場から消え去っていた。程なくして、彼の猛追も空しく光の渦が再び薄れて完全に消え失せていく。

「おい待て、何で今更あっさり開いてんだよ。まさかアレだけで動いたとか馬鹿げてんぞ?」
「……むむ、奴の力を見誤ったか??」

 封じられたまま今に至り、一時的に開かれた旅の扉。デーモン族の技術でどう足掻いても開かなかったものが、少女の奥義一つで開放されている様に、悪魔の長達は納得がいかぬ様子であった。

「もしやヤツが、エビルプリーストが言っていた女なのか? だが……」

 デーモン族の特質すらも覆す程度の魔法力の剣を操っただけではあのような結果にはなっていない。そのような中で、かつて信じられずにいた同格の輩・エビルプリーストから小耳に挟まれた話が不意に思い浮かぶ。
 かの魔王軍の軍団長ですら着目するだけの秘めたる力。闘気や魔法力など様々な力を無力化する凍てつく波動を始めとした特異な資質。それを思い起こして尚も、今の奇跡じみた状況が彼女一人の手で起こせたかを疑わずにはいられない様子だった。




 焼き尽くされた瓦礫の中から幾条もの黒煙が立ち昇る中で、カンダタ達は白銀の戦人形達と交戦し、今も互いに様子を窺い対峙していた。元が一介の魔王軍の兵士と言えどオリハルコンの強度は伊達ではなく、生半可な攻撃では返って己が手傷を負う程に厄介な敵だった。
 兵士ヒムの誇るメラゾーマを宿した左拳の一撃・ヒートナックル、疾風の早さと知謀を強みとする騎士シグマが有する伝説の武具……マホカンタの力を付加されたオリハルコンの盾・シャハルの鏡、城兵ブロックの無双の剛力と巨駆、僧正フェンブレンの全身の刃による地中すらも削り崩す縦横無尽の奇襲攻撃、そして女王アルビナスの持てるベギラゴンの奥義・ニードルサウザンドと女王に恥じぬ圧倒的な強さ。
 各自の強さも並の兵士の練度ではなく、それも五体からの同時攻撃をいなすのは決して容易なことではない。流石のカンダタも致命傷こそ負うことこそなくも一方的に追い込まれ続けていた。

「旅の扉が!? いや、あれは……」

 その中で、不意に瓦礫の内から渦巻く青い光が顕現したのを目にし、カンダタは思わず目を見開いた。戦いの中で突如として開いた旅の扉に一度は歓喜したが、それが纏う異質な雰囲気を経験的に察して怪訝に眉を顰める。

「いけないっ、罠よ!」
「!」

 その危惧が的中したのか、メリッサが注意を呼びかけて来るのを察し、すぐにその声に耳を傾けていた。

「これ、私が通ってきた時と明らかに様子が違うわ! 誰かに歪められて……」
「勝手に飛び込んで来たのはてめえらじゃねえか、今更下らん妄言垂れてんじゃねえ!!」

 通ってきた経緯を持つメリッサだからこそ、この旅の扉の異変を即座かつ明確に知ることが出来た。
 そのまま言葉を続けようとする中で、兵士の駒・ヒムがその不可解に苛立ち、白竜イースに乗るメリッサへと踊りかかる。

「邪魔だぁっ!!」
「……!?」

 イースが飛び上がってかわそうとするより先に、カンダタが魔神の斧を手に突進し、ヒムへと強烈な体当たりを繰り出していた。行く手を阻む他の駒の攻撃をもまとめて弾き返し、衝突と共にヒムを大きく吹き飛ばしていく。

「やっぱりか……? くそっ、完全に誘い込まれたか……!!」

 先の言葉通りの結果となったことに頷きながら、カンダタはこの状況もまたキルバーンの思惑通りと推察して悔しげに歯噛みしていた。かの少女だけでなく、既にそれを救うべき者達にも魔の手が伸びつつあるというのか。

「……まだ、手は残されているわ。この程度なら、私でも……。」

 完璧なまでに対策された死神の謀略に焦燥が募る中で、メリッサが一縷の希望を告げる。
 彼らも完全には異界の旅の扉については理解していない。異変に気づかぬ親衛騎団は元よりこの策を放ったキルバーンとて例外ではなく、幸いにしてメリッサもそれを解く術を会得していた。
 その目的の下に、旅の扉に仕掛けられた見えざる呪いの罠を見据える。

「何をコソコソ企んでるか知りませんが、逃がしませんよ。」

 カンダタ達の作戦が定まったのを垣間見るも、女王・アルビナスは気にも留めぬ様子で仲間をけしかける。

「覚悟しやがれ!!」

 オリハルコンを貫く力を持たぬ人間相手に最早策も何も不要と見て、力ずくで制圧せんと迫ってくる。兵士ヒム、騎士シグマ、城兵ブロック、僧正フェンブレンが同時にカンダタへと殺到し、その息の根を止めんと襲いかかってきた。

「ふん、端っから逃げるつもりなんてねえさ。大体コツも掴めてきた頃だしな。」
「何い? ……っ!!?」

 だが、カンダタはかわすどころか全く恐れずに前進し、不敵に笑いかけていた。同時に、真っ先に地中から急襲してきたフェンブレンの両腕がへし折れて宙を舞っていた。

「な…………っ!!?」

 その瞬間、親衛騎団全員が、唐突に引き起こされた信じられぬ破壊を前にして驚愕に凍り付いていた。オリハルコンを力任せに砕いた現実は、コツを掴んだと言う言葉にしては衝撃的なまでにあまりに重すぎた。
 その視線の先では、カンダタが振り上げた魔神の斧を大上段に構えて突撃していた。

「いかん!! 皆離れ……!!」
「遅い!!」

 フェンブレンを斬った一撃の危険性を察するも、既にかわせる間合いではなく、シグマの警告も空しくその奇襲をまともに受けることは避けられなかった。

『ブ、ブローム!!』
「な……ブロック!?」

 そのまま四体まとめて一刀両断にされようとしようとしたその時、不意に城兵ブロックが皆を庇うようにして押し退けて、前に進み出てカンダタを殴り飛ばそうと拳を突き出してくる。

「いい度胸だ!! どりゃああああああ!!」
『!!!』

 その形振り構わぬまでの姿から、自らの身を賭しても刺し違えようという覚悟を汲んで心底の感銘を叫びに乗せて、カンダタは魔神の斧で全力で斬りかかった。刃がその城壁の如き拳に立つと共に吸い込まれるように斬り裂き、体を袈裟がけに真っ二つにしていた。

「ブ、ブロック!!!」
「悪いが俺らも先を急いでるんでな。死にたくなければとっととどいてくれや。」

 他の兵達の悲哀の叫びを尻目に、カンダタは再び魔神の斧を構え、踊りかかりながら威嚇するように挑発していた。先程までの歯が立たぬ程の認識を覆す程の迷い人最強の戦士の名に恥じぬ圧倒的な力。それを振るうは全ては愛する娘がため。
 それを邪魔立てする者に対しては容赦の欠片も必要ない。今のカンダタを前には、オリハルコンとて割るのに手慣れた薪に過ぎなかった。

「てめえ、よくもブロックを……!! 人間如きが、一人で調子に乗るな!!」
「……侮りはやはり大敵だな。最早誰も君に容赦はするまい、覚悟!」

 両腕を力任せに落とされたフェンブレンと上下を泣き別れにされたブロックの無惨な姿を前に、ヒムは凄絶なまでの怒りをカンダタへと向け、シグマも慢心を捨てた友を見てようやく己の土俵に立ったと冷静に振る舞い、れっきとした仇敵と改めて見なして襲いかかる。
 人間一人に手ひどくやられて親衛騎団全体に誇りを傷つけられた憤怒が行き渡り、本気にさせている。

「……そうね、おじさま一人だけに働かせちゃダメね。」
「!!」

 傷ついたフェンブレンとアルビナスも戦列に加わり、再びカンダタを集中攻撃する構えに移ったその時、メリッサの擲った炎の鞭が彼らの間を疾風の如く過り、すれ違い様に彼らを強かに打ちつけた。

「邪魔だ!! すっこんで……っ!!?」

 魔法使いの女と言う全く予想外の者からの攻撃に気づくも、その無力な一撃による無粋な介入に苛立ち、矛先を向けようとしたその瞬間、炎が打ち据えた騎団全員の体に一筋の裂傷が走っていた。
 力任せに砕かれたわけでもなく、鞭に纏われた炎に溶かされた形跡もない。異質な力を付加された高密度の魔法力により分解されて、部位そのものを消失されている。

「オリハルコンだろうと、貴方達も禁呪生命体には変わりなくてよ。無理矢理作られたその体を過信しないことね。」
「てめえ……一体何者だ!?」

 神授の鉱石たるオリハルコンで構成されているとは言え、本来は禁呪によって生まれてきた不完全な生命体に過ぎない。その触媒たる物の結びつきに綻びを生む一閃。それは、禁呪生命体の弱所と弱点を熟知し、更にそれを突く手段を持ち合わせているからこそ許されている技だった。

「ただの魔法使いよ。ちょっと錬金術をかじっているだけの、ね。」

 全く思わぬ伏兵に当たって面食らう親衛騎団に対し、メリッサは妖艶に笑いかけながらそう言い放っていた。
 異界・現世を問わぬ様々な英知を糧にして、磨き抜かれた知恵を最大の武器とする知者の真骨頂。太刀打ち出来ぬ程の相手であれその本質を即座に知り、数多の魔法と知謀で優勢へと持ち込む魔女メリッサの機転。解呪に専念させてくれないとあれば、一か八かで自らその障害を排除しにかかるのもまた、一つの可能性としての選択だった。

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