8.龍神の息吹 1:暗黒回廊を抜けて


 その場から投げ出されて視界が暗転すると共に襲いかかってきた黒い濁流。暗黒回廊と呼ばれた空間の歪みの内を満たす魔法力により呼び起こされるそれは、この場に生命の存在を許さぬかの如く渦巻き続ける。
 かつてザボエラの手の内より救い出された折りに目にした、神父が呼び起こせし不完全な旅の扉。迷い込んだ侵入者を呑み込み噛み砕かんと牙を剥く魔法力の奔流は、そこで見たものと奇しくも酷似しており、そう感じた少女は即座にマホステの呪文を唱えて身を守っていた。
 無の平衡を保たんと迫る魔法力とマホステとの干渉により火花が散り、その瞬間にも飛び火しそうなまでの危うい状況でこそあれ、一歩遅れていれば少女自身がその火の内に消えていたことだろう。

「逃がさないよ。キミには大事な用があるんだ。」

 暗黒回廊に陥れた張本人・キルバーンの使い魔が意味深に告げた言葉。その彼の目的のために少女を誘うが如く、一点を目指して押し流し続けていく。もがく間も与えられずやがて終着点に至り、何処とも知れぬ地へと投げ出されていた。

 降り立った一面に広がる荒れ果てた大地。天日の届かぬその地の気配は居心地悪くも少女にも馴染み深いものだった。見慣れぬ地でこそあれ、それが魔界の辺境に位置する場であると容易に知ることが出来た。

「またバカなニンゲンが一匹紛れ込んで来やがったか。」
「…………。」

 同時にこちらに迫る気配を察して魔法の剣を取りつつ静かに身構えると共に、小馬鹿にしたような声が投げかけられる。切っ先を向けた先に見えたのは大鎌を携えた悪魔、地獄の門番と呼ばれる種類のモンスターだった。

「どいつもこいつも、んな錬金術もどきで作られたオモチャを振り回すしか出来ねえガキばっかとか、拍子抜けも良いとこだぜ。」

 出で立ち、特に魔法の剣を一目見てこちらの正体を推察したのか、地獄の門番は侮蔑するように笑っていた。

 様々な魑魅魍魎の類がこの世界に流れ着く中で、錬金術に基づく武具を始め、偶然強い力や情報を手にしただけの有象無象が幅を利かせている噂は少女も常々耳にしていた。だが、彼らも手にした力が通じぬ相手を前にすれば結局は何も出来ずに呆気ない末路を辿ることが殆どであり、大きな脅威として現れることは稀な事例に過ぎなかった。

 少女自身も修行の旅の最中で時折そうした騒動に巻き込まれることもあり、時に勇者に仇なす存在であることを理由に剣を向けられたことさえもあった。が、それも殆どが与えられた力を振るって戦うことしか出来ぬ無法者の域を出ず、その本分すら発揮させぬまま鎧袖一触していた。
 力を封じられる恐怖は迷い人の町から脱出する際の魔法戦士達を初めとする強者達の犠牲からも学んでおり、凍てつく波動やマホステなどの力を以て、図らずもそれを無法者達に思い知らせる形となっていた。

「少しは心当たりがあるようじゃねえか、殊勝な心がけなこった!!」

 悪魔の言葉を否定することもそれに憤ることもなく真っ直ぐに見据える少女の姿勢に不敵に笑いながら、地獄の門番は手にした大鎌を振り上げて襲いかかってきた。
 すぐさま少女も魔法の剣に意識を集中して巨大な魔法力の刃を形成しつつ迎え撃った。間合いに入ってきた地獄の門番の攻撃ごとまとめて叩き伏せる勢いで光の大剣を一心に打ち下ろすと共に、大鎌を強引に弾き返してその勢いのまま一刀両断した。

「効かねえってわっかんねえのかよ、間抜け!!」
「!」

 だが、地獄の門番はその渾身の一撃を真正面から受け止めるどころか、完全に素通りして少女へと肉薄してきた。豪快に刈り取らんと振るわれる大鎌をとっさに盾で受け止めるも、思わぬ奇襲により大きく体勢を崩して更なる追撃を許してしまう。
 地獄の門番を初め、高位の悪魔とされるデーモン族が有する強力無比な魔法への耐性。魔法の剣による攻撃を完全に無力化したその生まれ持った特質で、これまでも錬金術より生まれた異界の力を退けてきたのだろうか。

 地獄の門番の猛攻を力任せに退けながら、少女はそうした一つの、一人だけの力を拠り所にした者達の末路を垣間見ていた。そして、今の己自身の危うさにも繋がると実感せずにいられなかった。




 首脳会議を狙った魔王軍のパプニカ襲撃を辛くも退けた後、世界各国は荒廃を極めながらも大魔王バーンや世界を取り巻く新たな脅威と戦う意思を新たに動き始めていた。最早自国の堅持すら許されぬ状況が返って民意を動かし、追い風となるように大魔王バーンの居城の位置も戻ってきた勇者ダイらによってもたらされていた。

 最北に位置する不毛の孤島、死の大地。その一角に刻まれた巨大な穿孔の跡から覗かせる白亜の城塞を目の当たりにして、確信したとの話だった。
 ミストバーン・キルバーンの両名をその場で討とうとするも、かつて倒したはずの魔軍司令ハドラーが心身共に強大に変貌して彼らの前に立ちはだかった。魔界の様々な科学や英知の粋を惜しげもなく注いだ究極の戦士・超魔生物へと己自身を改造し、更にオリハルコンで作られた伝説の武器・覇者の剣をも手にして戻ってきた彼の戦闘力は竜の騎士すらも上回り、流石のダイも撤退を余儀なくされていた。
 束の間の勝利に酔いしれる間もなく次々と現れる新たな脅威と諸悪の根源。一度退けられたと言えど勇者へ抱く変わらぬ期待に後押しされ、勇者とアバンの使徒達は更なる激闘に身を投じようとしていた。


 パプニカの地下を中心に身を潜めていた迷い人達。彼らもまた再び戦禍に巻き込まれ、混迷を極めていた。
 旅の扉による迅速な避難と戦士達の獅子奮迅の活躍により多くの人々が各地に落ち延びることに成功していたが、彼らを導くべき者達が代わりに彼らの前から姿を消してしまった。旅の扉の管理者にして並ぶ者なき呪文の使い手たる大神官はキルバーンの呼び寄せた溶岩流の内に消え、皆を束ねる王も敵勢とその罠より皆を守るために、禁呪に身をやつし怪異と化して地の底深くに沈んでいった。

 素性を隠してこの世界の人間達が設立した大魔王討伐の戦列に加わる者、己の力が及ばぬと前線を引いて隠れ住む者。だが、彼らのいずれも、王の最期の言葉を聞き届け、何処に行くべき道があるかを朧気ながらも知ることとなっていた。
 大魔王の脅威にさらされた上で更に異界の悪魔達の介入の受けた一触即発での滅びすらあり得る程の危機。王自身すらもその一つとなってしまったが、それを含む全ての災厄を払った時にこそ希望があると確かに言い残していた。

 殆どの者達がこの途方もない問題を前に困惑と諦観を露わにしていたが、このまま手をこまねいていればどの道大魔王に地上ごと滅ぼされてしまうとも皆理解している。散り散りになりながらも、人々の陰で己の役割を果たし続けていた。


 パプニカの地下にて神父によって秘密裏に管理されていた旅の扉の間。冷え固まった溶岩の中に埋もれた台座の上に幾つかの青白い光、旅の扉が渦巻いている。
 異界の技術の粋を凝らされているのか、何れの台座もキルバーンの罠による溶岩に呑まれて尚も全く損傷した様子もなかったが、幾つかのものについては旅の扉が消え失せている様子だった。

「ここも、ダメか。」

 目当ての台座を巡ってはその尽くが機能していないと知り、カンダタはあてが外れたとばかりに嘆息していた。

「全部魔界への入り口ね。やっぱりあの一つ目ピエロの差し金かしら。」

 共に旅の扉の台座を確認しながら、メリッサはその通れなくなった物の共通点をすぐに察していた。
 暗黒回廊の内に放り込まれた少女の行く先をすぐに予見しようと試みて、向かうことになった目的地たる魔界。だが、かの地に至るいずれの道も閉ざされている。キルバーンの手下たるあのピエロのような小悪魔、もしくはその思惑で動いた何者かの仕業であると窺い知るも、そこから道を開く術は持ち得ていない。

『ドースル?』

 手をこまねくしかない状況の中で、傍らで控えていたイースが暢気な様子で尋ねてくる。主をさらわれたにも関わらず危機感とは相変わらず無縁の様子で振る舞っていた。

「仕方ねえ、あそこには出来れば近づきたかあなかったが……」
「死の大地……ね。」

 期待していた道が閉ざされている以上、最早真っ当な手段を選んでいる場合ではない。それが例え危険な場所であろうとも、一刻の猶予の無い今はそこをまかり通るのが最良の状況だった。

 かつて迷い人の町の近郊から繋がっていた幾つかの旅の扉。その一つがかつて少女を救い出した死の大地と呼ばれた孤島の近くに存在していた。その落日まで何者の目にも留まらずに人々の道を作っていたその旅の扉も、既にフレイザードの手の者によって発見されており魔王軍の手の者達によって厳重に守られている。
 既に注意を向けられている以上、歴戦の勇士であるカンダタとしても出来れば避けたい茨道であった。




 魔界に迷い込んで程なくして急襲してきたデーモン族の先兵を迎え撃ち、武器を交えること数合。最初こそ追い込まれたものの次第に反撃に転じつつあり、流れは少女へと一気に傾いていた。

「……ふん、俺らじゃ勝てんか。」

 地獄の門番も様々な手を尽くして少女を倒そうと試みていたが、ただの武器と同然の魔法の剣でも地獄の門番の鎌と打ち合うには充分であり、呪文も身に纏った防具を上手く扱えば然したる痛手を受けることもなかった。
 暫くはその動きに追従しようとしていたが、最早これ以上足掻いた所で勝てぬと判断したのか、地獄の門番は押し返される勢いを生かしてそのまま後退していた。

 己の力を明確に知り、その役割に的確な働きをこなす忠実な兵士さながらの判断。少女もまた、力に溺れる異界の者達を相手にしてきたからこそ、それを理解することが出来、深追いは危険と察していた。

「前言は撤回だ。……ったく、何でオマエのような大物がんなところに飛ばされてんだよ、名無しの白竜使い。」

 的確に急所を狙い済まされた幾つもの浅手から血を滴らせ、僅かに息を荒げながらも、侮っていた相手に追い込まれて苛立った様子はない。こちらの実力を認め、その上でいたずらに恐れない姿勢はこの世界で奢り高ぶる魔王軍の手の者達には決して見られない高潔なものだった。

 名無しの白竜使い。イースを駆って戦う中で魔族や異界の人間達の間で囁かれている少女の通り名の一つだった。それがデーモン族の一員たる地獄の門番の口から出た以上、既に彼らの間でもこちらの戦いは知れ渡っているらしい。

「早々にここを去るんだな。邪魔されちゃ俺らだって困るが、オマエもまだ命は惜しいだろ?」

 力負けした上での苦し紛れの捨て台詞ともつかぬように吐き捨てながらも、地獄の門番の言葉からはやはり恐怖や偽りは感じられない。彼らもまた良からぬ思惑の下に動いている様子ではあったが、少女一人の手で止められることはないだろう、と言う自信に満ち溢れている様が窺い知れた。

 そうして去り行く敵の姿を見届けるのも束の間、少女は改めて己の置かれた状況に焦燥の念を抱いていた。イースも仲間もおらず、ルーラで脱出することさえも出来ない。この孤立無援の状況を打破するべくした答えは、すぐには見つかりそうにはなかった。
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