7.王都に集う7


 勇者を拐かさんとしたテランでの一件より、彼らが如何なる目で自分を見ているのかは最初から分かっていたことだった。だが、それ以上の殺気を以て迫る勇者に降り懸かった更なる不幸の禍根ではないと断言できる程に、己自身を知る由もない。
 町全体を覆う程の悪魔の力が、遙か遠くの勇者にまで届かないとどうして言い切れようか。今はただ、オリハルコンの剣の絶対なる切っ先を前に身構える他はなかった。

「ずっと出て来ないから本当にダメかと思ったわよ。ねえ?」

 そんな彼女を寸でのところで助けたのは、迷い人最強の戦士・カンダタだった。メリッサの言葉に頷きながら、少女もまた彼の到来に心からの安堵を露わにしていた。
 鬼岩城で起きた爆発に呑まれてより、窮地にも駆けつけることが出来ず今になってようやく現れるまで、少女は彼の生死を巡る葛藤に駆り立てられるままに戦い続けていた。彼の代わりに迷い人達を如何にして守り、そして現れた敵の主魁を討ち滅ぼすか。
 そうして張り詰めていた思いがようやく氷解し、更なる脅威たる勇者を前にしても心身共に軽くなるのを感じていた。

「そう言うお前さん方も随分ズタボロじゃねえか、どーれ。」

 カンダタもまた、死闘をくぐり抜けた傷ついた二人を労っていた。そのまま彼女達へと手のひらを向けて、呪文を唱える。

「ベホマ!」

 完治の力たる光が少女とメリッサの体へと満たされると共に、瞬時にその傷を癒して体力も回復させていく。

「相変わらずヒドい絵面よねえ。」
「へへ、個性は大事だぜ?」

 奥の手と言えども一介の魔法使いですら手に余る最大の回復呪文を事も無げに操る不可解さに、メリッサは思い出したように苦笑を零していた。
 技量すらも覆す程の怪力と巨大な戦斧による攻めも人間離れしていたが、戦士の身でありながら僅かな魔法力を練り上げてベホマの呪文まで完璧に操る様も別の意味で人間業ではない。
 軽く語る様とは裏腹に、カンダタもまた尋常ならざる過程を経て今の己を確立していると窺い知れた。


「さて、とっとと……」
「逃がすか!!」
「!」


 鬼岩城が崩れ落ち、退避する迷い人達への障害がなくなった今、これ以上の長居は無用である。すぐに仲間達の元へと帰還しようと踵を返そうとした瞬間、勇者の少年が凄まじいまでの闘気を纏って追撃をかけた。

「……っ、流石に勇者サマってか!?」

 すかさずカンダタが迎撃するも、振り下ろした魔神の斧ごと跳ね飛ばされ、瓦礫へと勢い良く叩きつけられる。体躯の差すら物ともしない突進を支える竜闘気の力。身を以て噂に違わぬ脅威を実感するのも束の間、すぐに次の標的にその矛先が向いている。

「スクルト!」

 全力のカンダタですら呆気なく弾かれた以上、あの竜闘気に巻き込まれればメリッサも無事では済まず、オリハルコンの剣を受ける手段も少女にはない。悪あがきと知りながらもすかさずスクルトの呪文で少女を補助しつつ、共に逃れるより他に為す術もなかった。

「ライデイン!!」
「……! いけない……!!」

 空跳ぶ靴の力を借りて飛び上がった瞬間、ダイは瞬時に次の手を打ってきた。上空の雷雲がダイの呪文に呼応して雷鳴を上げると同時にメリッサもまた対抗するべく呪文を唱えようとするも、最早間に合わない。

『ボース。』
「イース!?」

 雷が舞い降りんとした瞬間、気の抜けたような声と共に霧氷の壁が二人を包んでライデインの力を遮った。

「バイキルト」

 同時に、目の前に舞う鈍色の刀身を少女は何の躊躇いもなく手に取って、すぐに呪文を唱えて眼下から迫るダイを迎え討っていた。

「なにっ!?」

 バイキルトによって少女から引き出された力が刀身に纏い、ダイのオリハルコンの剣に叩きつけられる。紋章を輝かせる右手から剣に伝った竜闘気をかき消して威力を殺していく。

「あいつ、ダイの新しい剣と斬り結びやがったぞ……!?」

 驚愕する勇者の仲間の見守る中で、少女はカンダタすらも弾き飛ばしたダイの一撃を真正面から受け切っていた。敵の追撃を反撃の転機と成したことは元より、何よりも至高の強度を持つオリハルコンを退けたことが最も信じられない様子で勇者の仲間達はその戦いを見届けていた。

「……流石はメタルキングの剣。無敵と謳われただけのことはあるわね。」

 異界人達の間で無敵と囁かれる恐るべき業物、メタルキングの剣。その強度はオリハルコンにも勝るとも劣らず、無二の剛剣として知られていた。武具として互角の力を有している以上、後は使い手の優劣が勝負の明暗を分けるはずだった。

「……やっぱりあの姉ちゃん、ダイの力を……!」

 彼らの衝突はこれが初めてのことではなく、ベンガーナでもふとしたことから剣を交えており、その際にもポップは少女の異常性を目の当たりにしていた。竜闘気をかき消して、紋章の力を発揮したダイに初めて明確な傷を与えたあの時と同じように、今度は全霊の追撃を跳ね返している。
 鬼岩城を駆ってまでミストバーンが彼女を追いかけるだけの脅威というのも頷ける話だと、否応なしに知らしめていた。

「それで、あなた達は彼女に何を望むの?」

 予想外の反撃に距離を取りながらも、ダイの剣の切っ先は尚も少女に向けられている。彼を止めることもなく隙あらば加勢しようとしている仲間達へと向き直りながら、メリッサは率直に問いかけていた。

「ダイだけではない。オレ達もその娘に用があるのだ。この最近の異変と深い関わりがある様子なのでな。」
「力ずくでも捕らえたい、と。彼はその気はないみたいだけどね。」

 少女が勇者に対して為した幾つかの罪とは別に、彼女の内に眠る悪魔の力についても既にある程度把握しているらしい。それが勇者達が少女への警戒心を露わにする由縁だと知ることができたが、ダイが仲間達以上に強烈な敵意を向けていることに首を傾げながら、メリッサは一つの水晶玉を取り出していた。

「少し覗かせてもらうわ、インパス。」

 そのままダイを見据えながら呪文を唱えると共に、水晶玉の内に光が渦巻いて徐々に形を為していく。やがてそれは、金色に輝く小さな翼を映し出していた。

「これは……ゴメ!?」

 その内に微睡むようにして佇んでいるのは、モンスターの中でも希少種と名高い雫状の不思議な生き物・メタルスライムの亜種。金色の体からゴールデンメタルスライムと称されて、ゴメと言う愛称で勇者ダイと共に長い時を過ごしてきた彼の最大の親友だった。
 周りに仲間達共々苦楽を共にしてきた日々が渦巻き、やがて終焉たる暗闇の内にゴメの姿は消え失せていった。

「……この子、とんでもない力を持っていたみたいね。」
「貴様、何を知っている!?」

 インパスにより呼び起こされた水晶玉の中の光を見て、メリッサはダイの内で燃え上がる怨恨の大元を知ることができた。勇者達が知る以上に奇跡と呼ぶべき力を宿したその存在を察知した何者かが排除しにかかったのは間違いなかった。

「さあ? ひとつ言えるとすれば少なくとも彼女にこの子を殺めるような動機はないぐらいね。」

 水晶玉の知らせる情報で多くを知りながらも、少女が関連しているかの是非までは読み取ることはできない。それでもメリッサは友である少女を信じ、行動を共にしてる中からの結論を告げていた。

「それは貴様の勝手な願望だろう? 貴様もさては悪魔の……っ!?」

 勇者の仲間の一人、魔剣戦士ヒュンケルがその言葉の綻びを訝しんで手にした槍を向けようとした瞬間、その目の前を炎の軌跡が過ぎった。

「……鎧の魔槍が!?」

 その一閃により、ヒュンケルの纏った鎧に焼き斬ったような一筋の傷が刻み込まれていた。グランドクルスを放った反動で遅れを取ったとはいえ、魔装の金属が斬られるなど只事ではない。

「彼女に刃を向けている限り、私もあなた達の敵なのかもしれないわね……。」
「魔法剣……!? いや、その鞭の力か!!」

 バイキルトの加護があればデッド・アーマーすらも切り刻めるメリッサの炎の鞭。それの引き起こした現象が魔法剣に類するものであり、如何なる原理か魔装の武具に対しての特効性を有することを体現していた。
 呪文を受け付けぬはずの鎧を鎖鞭一本で牽制しながらもそれ以上仕掛けぬままに、彼女は少女の背を守るようにヒュンケル達の前に立ちはだかっていた。

「な、なんたる威圧感……!!」
「あの鞭、メラゾーマぐらいの力はあるぞ……!?」

 諍いを避けられぬことに心底の憂いを浮かべながらも、行く手を阻む魔女を前に勇者の仲間達は手出し出来ずにいた。先の比にならぬ程に燃え上がる鞭も相まって、淑女然とした立ち振る舞いらしからぬ気迫を醸し出している。

「私もあなた達の事情をもっと知りたい所だけど、まだこの町を襲った脅威は潰えていないみたいよ。」
「……!? まさか……!!」

 そうしていとも容易く崩れ去りそうな静寂が暫し続いた中で、不意にメリッサが崩れた鬼岩城に向き直りつつ告げる。言わんとしていることにすぐに気づいたその時、彼女の手から炎の十字架が放り投げられて、莫大な魔法力と共に上空に浮かび上がった。

「グランドクルスだと!?」
「いや……一体何の魔法だ!?」

 光が紅蓮の刀身へ集約すると共にその十字状の輝きが空を染め上げるまでに高まっていく。ヒュンケルの放ったグランドクルスにも匹敵しながらもそれと異なる凄まじい魔法力を前に圧倒されるポップ達を後目に極みに達し、一気に解き放たれる。

「南天の霊鳥よ、浄化の炎で焼き尽くしなさい。」

 その先を導くように鬼岩城を指差してメリッサが静かに命ずると共に、翼を広げた鳳の如き光が瓦礫の山全体を烈日の如く照らし出していく。空間そのものを灼く程の光によって瓦礫が白く燃え上がり、炎のブーメランと同じような十字を描いていく。

「グランドクロス。」

 大地そのものに刻まれた巨大な炎の十字架が、メリッサの意思に呼応して集約された力を一気に爆発させる。巻き上げられる熱風が白炎を纏って天を衝く火柱となり、鬼岩城の亡骸を火葬するかの如く完全に消滅させていた。

「聖なる炎……?」

 マホカトールで消えずにいた鬼岩城の重圧的な気配もまた、炎に焼かれるようにして消え去っていく。魔の者の気配に対して完全に止めを刺したこの光もまた、強烈な聖性を帯びていることが見て取れる。

「バギとギラ……」
「大体そんな所ね。見ての通り、決め手としては使い物にならないけれど。」

 炎のブーメランが集めた閃熱の力と、メリッサが込めた風の魔法力。それらを十字の陣によって極限にまで高めた果ての大魔法・グランドクロス。絶大な力の代償として小さな儀式とも言える程の準備動作と大量の魔法力を要し、味方も巻き込みかねない程の有効範囲を焼き払うがために、一つ誤れば自滅にしかならない。その本質をすぐに解したポップに感心しながらも、彼女自身もこのような技を引っ張り出したことに苦笑していた。

「あれは……!?」
「やはり、あの程度じゃあくたばらねえってな……。」

 灰塵と帰した城塞を焼く白炎の中から、何者かがよろめきながらも這い出てくる。共に剣を向け合いながら対峙していた少女とダイもまた、その存在に気付いて驚愕していた。鬼岩城と運命を共にしていたとばかり思っていた白いローブの主魁の執念に、カンダタも呆れさえも見せていた。

『バカな……鬼岩城…………が……!』
「ミストバーン!!」

 死こそ免れたものの、白い衣も既に所々が破損して暗黒闘気の闇もすっかり薄れているのが明確に窺い知れる。最早立っていることすらもやっとな様子で、ミストバーンは魔王軍に降り懸かった災厄を前に茫然自失としていた。

「逃がさないぞ!!」
『……っ!!』

 立ち尽くしているところに、すぐにダイが剣を振り上げて襲いかかる。仲間達を傷つけ、パプニカを今一度荒廃へと導いた宿敵を見逃すはずもなく、その一閃はミストバーンを衣ごと引き裂いていく。

「覚悟しろ、ミストバーン!!」
『……くっ……やむを……えない、か……』

 肉体こそ刃が通らずとも、ミストバーンの本体たる暗黒闘気に与える痛手は決して小さなものではない。その正体を見抜いた者は異界の者達だけだったが、ダイも戦いの中の勢いのままに仕掛けてくる。
 このままでは勝てないと悟ったのか、ミストバーンは観念したように白い衣の留め金へと手をかけていた。

「気をつけて、まだこれで終わりじゃなさそうよ……。」

 脱ぎ去らんとする中から凄まじいまでの威風が吹き出してくる。如何なる理由かローブの奥に封じられた力を解放することで、己の身を滅ぼしてでも自分達を道連れにせんという思惑をメリッサは察していた。
 衰弱し切った者とは思えぬ殺気はこの場全ての者達に向けられており、一歩も退かぬダイの姿勢も相まって、更なる死闘への火蓋が切って落とされんとしていた。


「おっと、これ以上手出しはさせないよ。」


 その瞬間に、ダイとミストバーンの間に翻される黒衣が視界を覆っていた。

「消えた……っ!?」
「うおっと……!」

 思わず怯んでその足を止める中で黒衣が払われると共にその姿が消える。だが、戸惑ったのは一瞬の間であり、ダイの右手に収束した紋章の光が上空に向けて瞬時に解き放たれ、空に浮かんでいた声の主を穿たんと迫った。

「ダイ君もすっかり戦士の面構えになった、って感じだね。新しい剣も手に入ったみたいだしね。」

 おどけた様子で身をかわしながら、黒い道化師・キルバーンがダイを見定めたように一人ごちている。

「おいおい、お前ら二人揃って不死身かあ?」
「キミに言われたくはないよねえ、カンダタ君。」

 自慢の笑みの仮面はひび割れ、片腕を失う程深手すらも負っていたが、暢気なまでに全く意に介さずに振る舞っている。そんな彼と再び会いまみえたカンダタがあまりの頑丈さを前に呆れたように問うも、キルバーンからも全く同じ疑問を返されていた。
 如何にして絶望的な状況から生還してのけて、まして瀕死の状態で生きていられるのか。

「ともかくミストはボクの数少ない友人だ。こんな所で要らぬ失態を犯させるわけにはいかないからね。流石にここまで追い詰められたら、ミストも全力で戦わざるを得なかったよ。それがバーン様から禁じられていることだとしても、ね。」
『余計なことを……』
「あ、ゴメン。喋り過ぎちゃったかな?」

 そうして互いに不可解に思うのも束の間、キルバーンは饒舌に語りつつ、踵を返していた。その言葉から、メリッサが予見した通り、ミストバーンには間違いなく禁じ手と呼べる切り札が存在していることを知ることが出来た。
 ミストバーンに諫められて肩を竦めるも、更なる脅威があると知ってざわめく勇者達を不敵に見据えており、それもまたキルバーンの思惑通りのことのようだった。

「逃がすと思っているのか……?」

 ただ一人その言葉に惑わされぬかのように、ダイは残った二人の敵に殺気を向けていた。キルバーンが言及したように、苛烈な戦いの日々が未熟だったはずの少年を厳格な戦士へと成長させたことは紛れもない事実だった。

「まあ今日のところはここで失礼させてもらうよ。シーユーアゲイン!」
「待てぇ!!!」

 相手にする素振りすらも見せずにそのまま飛び去るキルバーンに対し、ダイは怒りのままに追いかけて、そのまま空の彼方へと消えていった。

「ダイ!? くそっ、落ち着け!! 人間を虫けらみたいに扱いやがってハラワタ煮えくり返ってるのはおれだって同じなんだよ!!!」

 止める間もなく飛び出していった彼に驚き、ポップは弾かれるようにして我に返っていた。義憤のままに飛び出した盟友を前にして、それ以上の行き場のない激情がこみ上げている。冷静に己の役割をこなしてきた中でも、悲劇の一部始終を目の当たりにして募る怒りを抑え続けていた様子だった。

「急げポップ! 恐らくこれはキルバーンのワナだ!!」
「任せろ! あの野郎、一人で突っ走りやがって!!」

 今もまた毒づきながらもあくまで冷静にダイの後を追っていく。仲間達が見守る中、ポップはトベルーラの呪文を唱えて飛翔し、凄まじい速度で追跡へと移った。
 それを最後に、この地を混乱に陥れた魔王軍の総大将二人とそれを打ち砕いた希望の勇者を巡る騒ぎはひとまずの終息を迎えていた。

「…………命拾い、したわね。」
「だな、あのちんちくりんがすっかりいっぱしの勇者になっちまいやがって。」

 敵として対峙することは避けられず、危うく一戦交えざるを得ない状況になったが、意外にも敵の存在に救われることになるとは予想できなかった。完全に竜の騎士の力を御しつつある勇者を相手にしては、今の少女達に勝ち目はない。

「でも、これからどうしたものかしら……あら?」

 勇者達の激動に気を取られている仲間達に踵を返して去り行こうとしたその時、不意に少女の足下から乾いた音が聞こえてきた。

「!」
「呪符のタロット、ね。」

 それが何であるかを知るより先に、思わず飛び上がるようにして後ずさる。そこには、何やら妖しい魔法力の光を湛えた黒いカードが落ちており、その力を発動した所だった。

「暗黒回廊……比較的新しい技術みたいだけれど。」
「あのフザケた道化師の置き土産ってとこか……。」

 旅の扉と根幹の原理を同じくする、黒く渦巻く魔法力の産物。別の空間に繋げられた一つの通り道ではあるが、常人が巻き込まれればその人知を越える程の魔法力の奔流により消し飛ばされてしまう。
 少女自身もまた神父によって送り込まれた不完全な旅の扉の内にてその恐ろしさは痛感していた。最後の最後で邪魔者たる自分達を抹消しようというキルバーンの思惑。

「逃がさないよ。キミには大事な用があるんだ。」
「!?」

 だが、その認識に捉われたことを嘲笑うように、不意に少女の背後から甲高い子供の声が囁きかけてきた。反射的に魔法の剣を引き抜いて突きつけようとするも遅く、向けられた小さな杖から発せられる魔法力が少女の体を強引に暗黒回廊の内に放り込んでいた。

「一つ目ピエロだぁ!?」
「いけない……!!」

 呪文を得意とする下級の魔物として有名な一つ目ピエロ。それは間違いなくキルバーンの手の者であり、少女を確実に暗黒回廊に落とすために放たれた刺客だった。熟練の戦士であるカンダタすらも欺くほどに気配を悟られることすらなく現れたそれに、皆が完全に呆気に取られる間に、少女は完全に暗黒回廊の内に呑み込まれて行った。

「嬢ちゃん!? や、野郎! どこ行きやがった!!」
『ボース、ドコー……?』

 すかさず後を追おうとするも、暗黒回廊はその中心を為す黒いタロットが燃え尽きると共に消え失せていた。一つ目ピエロもまたカンダタ達の前から既にいなくなっており、後を追うことすらできない。

「……仕方ない、わね。」

 動揺を押し殺すように暗黒闘気の残滓を見据えながら、メリッサは水晶玉を覗き込んでいた。全ての感覚を集中する中で再びその内に何処とも知れぬ場の光景が映し出される。
 洞窟の内に作られた大きな社の中に立つ一つの巨大な影。人ならざる出で立ちの中で双つの赤き眼光を輝かせてこちらを見下ろしてくる。

「……!!」

 そして、その先に広がる血溜まりの内に沈むように誰かが倒れている。立ち上がらんとしたのか、その細長い手が前に力なく投げ出されている。血塗れた指の先には、剣の切っ先が主を看取るように突き刺さり、鈍色の刀身全体に燃え上がる辺りの光景を照り返している。

「逃げて……!!」

 その行く手を追わんとして縋った先に更なる絶望を予見することとなってしまった。映し出された死の運命に最早自分達が介入することも叶わぬと確信し、メリッサには少女の無事を祈ることしか出来なかった。
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