7.王都に集う5

 本能の感じたままに魔法の剣を斬り返した先に見えた黒い道化師・キルバーン。少女からミストバーンを庇うように立ちはだかったのも束の間、すぐに踵を返してその肩を貸して助け起こしている。

『逃ゲチャウノ?』

 警戒して出方を伺う中で、いきなり逃げの手を打つ彼の行動にイースが間の抜けた声を上げている。少女に反撃を許して武器を失ったにしても、不自然なまでに素早い判断だった。

「カンダタ君然りハーゴン君然り、ボクらにキミ達の力はつくづく相性が悪いみたいだからねえ。」
「!」

 傷を負いながらも顔を覆う笑みの仮面そのままに愉快そうに語るキルバーンの言葉。人々を支えてきた重鎮たる二人の名を聞いた途端、少女に凄まじいまでの激情が募った。

「そう……あなたがおじさま達を……。」

 彼らを災厄に巻き込んだのが目の前の死神のような男であるとメリッサもまた容易に悟っていた。自慢するように語られて不快に思うと共に、それが罠に近しい意図によるものと推し量る。

「イオラ」

 だが、少女は激昂に任せてすぐにキルバーンへと牙を剥いていた。放たれた爆裂呪文の光がその退路を塞ぐように背後に回り込み、黒い道化の服を焦がしていく。そして、振りかぶられた魔法の剣に、これまでに無いほどの莫大な魔法力が集い巨大な光の大剣が形作られて、キルバーンを断じんと幾度も斬り下ろされた。

「……おっとっと、流石に歓迎はされない、か。」

 雨の如く繰り出される全霊の斬撃を、キルバーンはミストバーンと共に紙一重でかわしつつ、一瞬の隙を突いて間合いを引き離していた。

「じゃあここらで失礼させてもらうよ。」
「待ちなさい! ……このまま諦めてくれるわけも、無いわよね。」

 あたかも最初から相手にしていないかのように完全に逃げに徹して逃げ去るキルバーンを追うも、すぐに見失ってしまう。
 まだ鬼岩城が残っている以上大勢は決したとは言えず、この場で総大将たるミストバーンを倒せず、更に苦境は続くことだろう。

『ドウスル、ボス?』

 彼らを追うにしろ、戦線を離脱するにしろ、急ぎこの場を離れなければならない。メリッサが魔法の絨毯を広げて乗るのを後目にイースも少女を背へ誘いながら、判断を仰いでいた

「そうね、だったら先を急ぎ……っ!?」

 最早迷う暇などなく、少女はすぐにイースを駆り、メリッサもまたそれに付いていこうとしたその時、三人の眼下に目を疑う程の光景が飛び込んできた。

『ネ、ネエ、アレナニ……?』
「……まさか、さっきのは進化の秘法で……?」

 少女の体の内に封じられていた二振りの巨剣。それを天高く掲げた炎の如き外皮に覆われた有角の巨人の姿を前にして、メリッサは事の顛末を知ることとなった。

「……何を始めようと思っているの?」

 少女に憑いた悪魔の力を人間の手で御しうるはずはないと推察していたが、それが更なる禍根を生む禁術・進化の秘法によるものとは思いがけぬことだった。今は絶体絶命の窮地にあっての最期の足掻きがきっかけだったが、これだけの巨悪を生み出す力を悪辣なる者が逃すはずもなく、いずれは使われていたに違いない。
 進化の秘法に少女の内なる悪魔達。それらをはじめとする災厄を控えさせている思惑が、清廉なる迷い人達の間で渦巻いているのを悟りながら、メリッサは人々の元へと降り立つ少女へと続いた。

**


 降りしきる雨から遮る傘下にあるが如く、雷撃の被害を免れた街中の一角。溶岩の流れた跡の描く渦の中心に、人ならざる怪異の息吹が繰り返されている。

《依り代たる己自身すらも標的と為すとは……。》

 その手に取られた雷光を帯びし双剣から、魔神の声が聞こえてくる。変わらず感情を乗せぬ中でも、予想の上を行く王の意図に対して驚嘆を禁じえない様子だった。

『どうした、貴様の力はその程度か?』

 聖なる雷に打ち据えられた跡を幾つも刻まれながらも、その尽くが再生し続けており、今にも崩れ落ちん程に焼き尽くされたとは思えぬ程の覇気が王の巨駆より発せられている。問いかけるようなその言葉にもまた、まるで苦痛を感じた様子はなく、周囲全てを震撼させていた。

《どうやらお前の望みは叶えられぬようだ。今のこの力だけでは、お前を葬ることは出来ぬ。》
『…………。』

 既に役目を終えたとばかりに、魔神は王に対して静かに告げていた。悪しき存在を滅ぼすために自らもそれを御しうる異形と化した王の思惑が、逆に聖性すらも跳ね除けてしまう更なる存在を生み出す結果となってい。

《帝王に仕えし者達よ。我が真なる力を以て、この者を……》
「ま、待て!! まだ話は終わって……!!」

 本分を果たせずに終わることを善しとしないのか、民達へと道を示すように何かを語るも、その全てを聞き届けられる間もなく魔神の宿りし刀身が王の手を離れ、いつからか遠くに降り立っていた白き竜の足下へと突き刺さった。

「な、名無しの嬢ちゃん!?」
「巫女殿!!」
「ま、まさかお前さんだったのか……。」

 背に乗る少女が触れると共に、魔神の双剣が雷光と化してその胸元へと吸い込まれていく。それが滅び行く故郷から多くの迷い人達を救った名も無き竜使いの少女と知るなり、騒然となっていく。
 その帰還に歓声を上げるか、得体の知れぬ力の主と知って困惑するか、様々な思いが人々の間で渦巻く中で、少女は異形と化した王を静かに見上げていた。

『……そなた、か。』

 少女の姿を認めたのか、異形の王がその体を屈めていく。熱気を帯びた呼気がゆっくりと刻み、その風貌に似合わぬ程に穏やかに語りかけて来る。

『悪いが、これも、我が、定め、なのでな。』

 己の身の中に封じられた魔神を何の断りもなしに引き出したことを問わんとしたが、最早王の意識は深き眠りの内に落ちようとしていた。その中で絞り出すように語られる言葉は、知らずに最後の災厄に巻き込まれた少女を慮る意志を伝えていた。
 絶望的な窮地に陥ったことは周りの人々の様子からも伺い知れるも、魔神の力を外から操る術は一体誰が示唆したものなのか。少女の内にその一抹の不安が強く焼き付いていた。

「やっぱり、進化の秘法みたいね……。」

 溶岩すら貪り尽くして己の糧となし、巨大で邪悪なる姿へと変貌した王の姿を見て、メリッサは遠くで感じた凶兆の予感が確信に変わったのを感じて憂いを露わにしていた。

「お前の推察通り、今の陛下は不死なる邪神・エスタークの再来でしかない。やがてその御心も消え去り、完全なる邪神そのものと成り果てるだろう。」
「……そこまで分かっているのなら、尚更信じられないわね。わざわざこんなものまで持ち出すなんて。」

 人の子に過ぎない王に伝説の魔神を御す力を与えたのも、かの秘法の一つの産物でしかない。進化の秘法たるものが真に禁術と恐れられているのは、その強靱な肉体が必ず災いの糧となってしまうことにあった。

『時満ちるまで、決して余を目覚めさせては……ならぬ。さもなくば、この異世界は、破滅に向かうことと、なろう。』

 世界すら滅ぼす絶大な力と引き替えに、心身を共に邪神のものと化すことは決して避けることは出来ない。魔神により自らを葬る試みも決定打とはならず、再生により消耗して眠りにつこうとするに止まっている。

『大魔王の脅威を退け、生き延びるのだ。我らの、祖国への鍵は、救世の……』

 最後に民に全てを伝える間も与えられず、王は深き眠りに落ちようとする中で熱気により溶融した地面に沈んでいった。

「陛下……!」

 不死の邪神の肉体を手に入れたことで、王自身の存在はこれを最後に完全に失われることになる。これまで異世界からの迷い子たる自分達を率いてくれた王が去り行く様を、民衆は悲痛な思いの中で見守ることしか出来なかった。

「更なる試練とは……まさか。」
「王様……いいえ、邪神エスタークをあなた達の手で討たなければならない、ということでしょうね。」
「……。」

 完全にその姿が地中へと消えたその時、王が秘法を操る前に残した最後の言葉が思い返される。この場を生き延びたとしても、その代償として自分達に訪れる試練の意味をようやく痛感することとなった。
 主を失ったのは勿論のこと、魔王軍すらも退ける程の力を有した世界を滅ぼし兼ねぬ怪異を打倒しなければならない。

「名無しのお嬢……。」
「あんたが……戦うってのか……?」

 例え更なる災いを残す結果となっても、迷い人の町の人々の命は今も尚繋がれている。魔神の力を宿す少女自身の危険を承知の上でこの作戦に及んだ王の意図を推し量り切れずにはいたが、あくまでも民のためを思っての行動であるとは少女も理解していた。
 己が傷つき、いつ再び同じ目に遭うか分からぬ不安を植え付けられたが、仲間のために戦わんとする王の意志を継ぐ道を、少女は選択していた。

「気をつけて。何故進化の秘法なんかが使われたか……、っ!?」

 進化の秘法を操った王自身の意図はともかく、わざわざ世界を破滅させる程の代物を持ち出させたのは一体誰の差し金によるものなのか。王に進化の秘法を授けた不穏な思惑の存在を伝えようとしたその時、地響きが轟き始めた。

「いけない、もうここも危ない!!」

 音の元を辿り向き直った先に、町を破壊しながらこちらに迫る城塞の巨人の姿が見える。鈍重な風貌に似合わぬ程にこちらに凄まじい速度で迫る鬼岩城を察知して、メリッサはこの場全ての人々に対して注意を促していた。



 思わぬ伏兵たる少女の手により痛手を負い、キルバーン達が引き上げた鬼岩城の天守。そこもまた、異界の人間一人を葬るために放たれた罠によって無惨に焼け崩れかけていた。

「……おや、まさか彼女の方から出てきてくれるなんてね。」

 彼の侵入者の手により一刀両断にされた玉座に身を委ねるミストバーンに向き直りながら、キルバーンがパプニカの町の一点を指差す。瓦礫の上を飛ぶ白き竜と魔法の絨毯がこちらに向かっていた。

「でも、仲間の居場所を自分から教えるなんて、まだまだ詰めが甘いねえ。」

 彼女らの飛び立った先にその仲間たる迷い人の民衆がいることをキルバーンは既に見抜いていた。守るべき存在の場所を知らせてしまう本末転倒な有様を笑みの仮面の下で苦笑している。

『見つけたぞ……小娘共が!! 』
「お、おい!? ミスト、落ち着きなよ!!」

 だが、ミストバーンは少女の姿を見つけるや否や、すぐに烈火の如き憤怒を露わに鬼岩城を彼女達へ向けて動かしている。諫めるキルバーンの声も届かず、ただ少女への殺意に駆り立てられていた。




 見渡す限りの廃墟の中で未だ逃げまどうパプニカの人々の姿も少なくはない。何より親愛なる者を奪われ、人間全てを皆殺しにせんと迫る魔王軍の思惑を看過することは出来ない。
 ミストバーンらが逃れたその時より、少女はそれを阻止するために、すぐにでも追撃をかけるつもりだった。

「少し、ゆっくりし過ぎたわね……。」

 迷い人達を率いし王の壮絶な末路を看取る間に、パプニカに攻め入った魔王軍の最後にして最強の戦力たる鬼岩城が再び動き始めてしまった。カンダタや聖なる雷によって破壊されて大砲も残らず沈黙しようとも、その巨駆一つでこの町全てを滅ぼすことなど造作もない。

『ケド、コッチニ来テルミタイダネ。ラッキー?』
「ええ、余程大事な体だったみたいね。」

 だが、今は他に目もくれずに完全にこちらに注意を向けている様子であり、図らずも引きつける狙いは叶っていた。
 その肉体は何らかの秘術によって守られており、少女の力を介して以外では傷つくことはなかった。それ程の備えをしている以上は何かしら重要なものであり、自らの暗黒闘気を以て秘することもまた道理とも窺い知れる。

『貴様らは生かしてはおけん!! ここで砕け散れ!!』
『ア、マズイ。』

 浄化呪文トヘロスによって闇を照らし出したメリッサも、肉体そのものを斬った少女も、ミストバーンにとっては他を差し置いても許し難い存在らしい。その怨恨に応えるように、鬼岩城は一瞬にして少女達の上方に迫り、その拳を打ち下ろしていた。
 予期せぬ程の速さで捉えた一撃を前に、イースは回避を試みるより先にそれが失敗に終わるとあっけらかんと口ずさんでいた。

「バシルーラ!」
『!!』

 その瞬間、メリッサがイースに向けての呪文を唱えていた。叩きつけられようとした瞬間、イースと少女の体が消え去って拳は虚しく空を切った。

「『まずい』じゃないでしょ、相変わらずねえ……。」

 己と主の命に関わる危機を前にしても暢気な姿勢を崩さぬイースに呆れたように苦笑しながら、メリッサは呪文の成功を確認して胸をなで下ろしていた。
 瞬間移動呪文ルーラの流れを汲む、強制転移呪文バシルーラ。その力により、少女達は岩石の拳の直撃を免れて何処かに消え去っていた。

『コッチコッチ♪ コッチダヨ♪』
『……!! おのれ……!!』

 不意にミストバーンの上空から楽しげなイースの声が届いてくる。からかうような口振りに更に苛立ちを増してすぐにはたき落とさんと鬼岩城の拳が振り上げられるも、十分な高度を保ちながら飛び回るイースに届くことはなかった。

「ミスト! 後ろ!!」
『何……っ!?』

 そちらに気を取られている間に、キルバーンが突然何かに気づいたようにミストバーンへ警鐘を鳴らしつつ、その背後から現れた光の刃をとっさに引き抜いた細剣で受けていた。

「空飛ぶ靴、身につけていてくれたのね。」

 イースの背にその姿はなく、鬼岩城の動きが一瞬止まっている。共に旅する中で少女の身の安全を祈って贈っていた品がここで実を結んだことを、メリッサは嬉しそうな様子で眺めていた。

「……ちっ、やっぱりキミ相手じゃタダじゃ済まないようだね。」

 空飛ぶ靴なる魔法の道具に秘められたルーラの応用とも呼ぶべき力により、突如として鬼岩城に降り立った少女。僅かな間であれ二人の敵の傍らに潜んだことを感心し、魔法力の剣で負った傷が自身にも確実な痛手となっていることを実感して、キルバーンは彼女を厄介な相手と油断無く見据えていた。
 
「しっかし、キミって結局何者なんだろうねえ? 一応ダイ君なんかと違ってれっきとした人間でしょ?」

 最近も大魔王の膝元にて秘められた魔神の力を解放することで魔王軍の軍団長すら全滅させる被害をもたらしていた。そして今はミストバーン、キルバーンの両名を相手にただならぬ傷を負わせている。それ程の脅威でありながらも、その中心に立つのがあくまで人間ということを、キルバーンは非常に興味を抱いている様子だった。

「でも、もうそろそろ限界じゃないかね?」

 が、それ故にいたずらに恐れることはなく、人間であるが故の弱さにも着目していた。雷を招いた魔神の力を引き出されただけに留まらず、魔法の剣を用いた全霊の攻撃を幾度も繰り出したことによる魔法力の枯渇により、既に少女の技は徐々に精細を欠き始めている。
 ミストバーンが駆る鬼岩城がその腕を強引に少女目掛けてねじ込まんとするのに押されて、少女はすかさず脱出する他はなかった。

『オカエリー。……モウ魔力切レ?』

 鬼岩城から落ちていく少女を急降下して救い上げながら、イースもまた既に少女が疲弊の極みの内にあることを悟っていた。

「潮時ね……。」

 時間を稼ごうとも、鬼岩城を止めるだけの力は少女にもメリッサにも残されていない。戦いの中で、最早この場から逃れることにも必死な状況に陥っていた。

 

「おい、奴ら大礼拝堂に向かっているぞ!?」

 時を同じくして、鬼岩城に追われた少女達が礼拝堂に向かう様を見て、アバンの使徒達は愕然としていた。

「しまった!! あの中には姫さん達が……!!」
「いけない……!」

 当初の目的であるサミットの場として選ばれたパプニカの大礼拝堂。集まった王や将軍達は未だ逃げることなく留まっている。あのまま巻き込まれれば、瓦礫と運命を共にすることとなるだろう。

「んな結界にいつまでも負けてられるか!! おっさん、ヒュンケル、来てくれ!!」

 町全体を覆う結界によってルーラの呪文は封じられていた。だが、その力を破れると確信したのか、ポップは魔法力を練り上げつつ二人の戦士を招き寄せていた。

「ルーラッ!!」
「待って!! 私も……っ!?」

 そして、その手を取ると同時にすぐに呪文を唱えていた。抑えつけんとする結界の干渉を打ち破り、クロコダインとヒュンケルと共にその身が浮かび上がっていく。
 思わず追いかけて来たマァムの手を振り切るように、三人はルーラの導きにより大礼拝堂へと瞬時に至っていた。

「ポップさん!!」

 鬼岩城を面にするテラスへと降り立ったポップ達に気づき逃れる機を失った各国の首脳達と、占い師の少女・メルルが駆けつけてくる。皆無事を喜ぶ暇もなく、全てを破壊する更なる脅威を前にした戦慄に包まれている。

「諦められっかよ……! ここで奴の思い通りにさせたら、世界はオシマイだ!!」

 この場に集った王達を失えば、人々に拠り所はなくなってしまう。統制を失った人間達に魔王軍と戦えるはずもなく、このまま世界は滅ぼされてしまうだろう。

「すまねえ、二人とも……!!」
「気にするな。お前の思った通り、オレ達でなければ奴は止められん!!」
「後は最後まで抗するまで!! 行くぞ!!」

 まさに巨人に挑む小兵さながらに、死出の旅にも等しい程に絶望的な戦い。それでもヒュンケルもクロコダインもポップの判断を信じて、迫り来る鬼岩城に臆することなく向き合っていた。

「何としても食い止める!!」

 ヒュンケルが気合いと共に槍を床に立てて意識を集中させるにつれて、穂先に光輝く闘気が十字の形に集っていく。力強き命がそのまま燃え上がるかの如く、その輝きは更に爛々と増し続けていく。

「グランドクルスッ!!」

 力の漲りが頂点に達したと同時に、ヒュンケルは鬼岩城の足を目掛けてそれを解き放った。己の闘気を極限まで解き放ち、十字状の光として放出する必殺の奥義・グランドクルス。まともに受ければ何者も耐えられぬ程の凄まじい一撃だった。

「くそっ……この、程度か……。」

 全霊を擲つ奥義を放ってヒュンケル自身もただでは済まず、その場に崩れ落ちて意識を失っていた。鬼岩城の脚部を大きく抉り取り、バランスを崩すことには成功していたが、その足を止めるには至らない。

『終わりだ! 人間共!!』

 そして、鬼岩城は大礼拝堂にまであと一足の所にまで至っており、その右腕は既に首脳達の控える部屋目掛けて直接放たれていた。天を衝かん程の建物であれ、巨人の一撃を受けてはひとたまりもない。

「そうはさせんぞ!!」
『!!』

 その絶体絶命の状況において、真っ先に動いたのはクロコダインだった。その手で王達を屠らんとした狙いを幸いとして、飛びかかるように魔神の金槌を真っ向から振り下ろしていた。
 獣王会心撃の力をそのまま武器に纏い、一心に叩きつける剛力の衝撃が岩石の拳全体を伝い、鬼岩城の肩の根本にまで亀裂が走っていく。

『ク、クロコダイン……!!』

 次の瞬間、その右腕は一気に崩落し、岩石の山と帰していった。仮初めとはいえかつての僚友たる、剛腕を誇りとするリザードマンの武人が成した力技を前に、ミストバーンは怒りすら忘れて圧倒されていた。




 鬼岩城に追い詰められ、たどり着いた大礼拝堂を前に少女達はなすすべもなく留まるしかなかった。いたずらに上昇すれば礼拝堂諸共打ち砕かれ、下手に動こうものならばその足により踏み潰されることは免れない。まして、未だ人々が逃れている中に再び舞い込むわけにもいかなかった。

「動きが、止まった!」

 そうして完全に退路を断たれていた中で、巨大な十字状の光に腕全体を破壊する程の恐るべき一撃が大礼拝堂の内側・先に見えたルーラの光により誘われた戦士達の手により放たれて、鬼岩城を確実に破壊している。

「行くわよ!」
『いえっす、まーむ。』

 操者たるミストバーンが衝撃を受けているのか、城塞の巨人は完全に動きを止めており、これを逃して次の好機はなかった。その僅かな間を縫ってメリッサが魔法の絨毯の高度を引き上げるのに倣い、イースもまた一気に舞い上がった。鬼岩城と礼拝堂の間を抜けて、大空を目指して上昇していく。

「抑えて、今の私達にはもうどうすることも出来ないから……。」

 自分もまだ一矢報いねば、とばかりに魔法の剣に手をかける少女を、メリッサは悲痛な思いで宥めていた。このまま戦った所でこの大礼拝堂は鬼岩城によって破壊され、自分達も巻き込まれてしまうだろう。 

「これまでか……!!」
「ダイ……!!」

 魔法の絨毯と白き竜が上空へ飛び去ろうとする中で、再び鬼岩城が大礼拝堂を破壊せんと拳を振り上げる。再びクロコダインが身構えるも、先の交錯で受けた衝撃により深手を負っており最早抵抗する力は残されていない。
 ルーラも唱えられぬまま最期を悟ったのか、ポップは思わず人間の希望たる最強の勇者にして無二の盟友たる少年の名を無意識の内に呼んでいた。


「マホカトール!!」
「……!」


 その瞬間、呪文を高らかに唱えるレオナの声が礼拝堂の頂点から聞こえると共に、礼拝堂の内側から光の幕が広がって鬼岩城の拳を受け止めた。


「!!」
『ボス!?』


 同時に、外周を飛び回っていたイースの背に乗る少女にもその光の結界が牙を剥き、拒絶するようにその場から弾き飛ばして空中へと投げ出していた。

「これは聖なる結界……まさか、あの子の中の悪魔の力に反応して……っ!?」 

 イースと自身には何ら影響を及ぼさなかったことから、メリッサは今襲い来た光の性質を察していた。この世界で特に強力な聖性を秘めた破邪呪文・マホカトール。邪悪なる者を拒む力を有するその結界に弾かれた原因は、先に町に降り注いだ悪魔の力が間違いなく関わっている。
 だが、それに気を取られている暇もなく、メリッサは己の上空に小さな影が現れるのを感じ取った。

『まほかんた』
「イース!?」

 それが向けてくる敵意を感じ取ったイースがすかさず呪文を唱え、メリッサを庇うように躍り出る。

「ギガ、デイィン!!」

 呪文を跳ね返す光の障壁がイースの前方に顕現したのとほぼ同時に、上空より少年が裂帛の気合いを以て呪文を唱え上げるのが聞こえて来た。
 魔神によって呼び寄せられた雷雲が少年の意思と魔法力に呼応して一斉に雷鳴を奏でると共に、光の驟雨が礼拝堂の周囲に打ちつける。撒き散らされた雷は鬼岩城に殺到して食らいつき、その崩壊を更に早めていく。

『ウギャ!!』

 その矛先は、イースとメリッサに対しても向けられていた。マホカンタによって雷を跳ね返すと共に、すかさずメリッサに牙を剥くそれを己の身で受け止めて、イースは苦痛に悶えていた。

「……くっ、イース!!」

 体勢を崩して一気に高度を落とすも、途中で辛うじて立て直して墜落だけは免れている。雷の雨の中を必死に掻い潜りながら、メリッサはすぐにその側にまで絨毯を駆った。

『ゲホッ、ゲホッ! 死ヌカト思ッタ……』

 ただ一時とは言え、イースのマホカンタは一度あの呪文を返した際に完全に無力化され、その身を呈してメリッサを庇わざるを得なかった。

「あの子は……!?」

 あらゆる呪文を跳ね返す鉄則すらも覆す力に驚嘆するのも束の間、メリッサ達は雷の届かぬ場にまで退きつつ、少女の姿を探して辺りを見回した。
 立ち込める土埃で地上の様子は見えなかったが、大礼拝堂の周囲に突如としてこの舞台に現れた者達の姿を目にすることとなった。

 破邪呪文マホカトールを唱えたレオナ姫が大礼拝堂の最上からパプニカの町を見下ろしており、その傍らには額に光を湛えた少年が、雷を纏った小振りな剣を手に鬼岩城に向けて凄まじい勢いで突進していくのが見えた。

「ミストバァーンッ!!!」
『おのれぇえええええええ!!!』

 少年のものとは思えぬ吼えるような怒号と共に剣を振り上げ、ヒュンケルのグランドクルスにも匹敵するだけの闘気を身に、鬼岩城の中心へと向かっていく。何もかもがままならぬミストバーンの憤りのままに繰り出される岩石の拳も砕け散り、その胸元へと大きな風穴が空けられる。


「大地、斬!!!」


 そして、中心部にあたる位置に向けて、手にした剣を全力で突き立てた。

『ダイ……、貴様ああああああああああ!!』

 中心部を基点として、鬼岩城全体に落雷の如き縦一文字の亀裂が生じ、半ばから真っ二つに分かたれていく。崩れゆく城に巻き込まれて、ミストバーンは怨恨を露わにしながら為す術もなく瓦礫の中へと消えていった。

「や、やった……! すげえぞダイ、姫さん!!」
「見事だ……。」

 大礼拝堂に張り巡らされた破邪呪文の結界を為したレオナと、救援に駆けつけたダイが振るった竜の騎士たる力と新たなる武器。苦しい戦いを耐え抜いた果てに、二人が身につけた更なる力を目の当たりにすることになり、ポップもクロコダインもひたすらに感銘を受けている様子だった。

「これが勇者の力か……!」
「これならば、大魔王も……!!」

 そして、この場に集まっていた王達もまた、勇者やレオナを初めとして、その仲間たるポップやヒュンケル、クロコダインも大魔王に立ち向かうに足るものと確信するように頷き合っている。逃げ遅れて大礼拝堂に身を寄せていたパプニカの人々も、今一度パプニカを救った勇者に対して惜しげのない歓声を上げ続けていた。



 乱雲より轟く雷鳴は鬼岩城の瓦解と共に止み、代わりに人々の歓声が辺りにこだましている。その周囲にはマホカトールによる聖なる結界が張り巡らされ、盤石なまでの聖域と化して魔王軍の何者も近づくことが出来ない。

「あれはオリハルコンの剣……? それにさっきの呪文……。」

 民達の湛える声に気恥ずかしそうに応える少年・勇者ダイが手にしているその身の丈に合わせて作られたであろう白銀の剣。それが伝説に詠われし神授の鉱石・オリハルコンで作られたものと、メリッサにはすぐに知ることが出来た。
 名高き刀匠によりその手に合うように鍛え上げられた最強の武具。世界の調停者たる竜の騎士の血脈も相まって、鬼岩城すらも歯牙にかけぬ程の恐るべき力を発揮している。

『雷撃呪文ぎがでいん。正真正銘ノ勇者ダネ。』
「でも、何故そんな勇者様が私達を……。」

 そして、この世界においては竜の騎士しか使えないとされる最強の攻撃呪文・ギガデイン。そのような天そのものを左右する程の力を操り、人々を救わんと活躍する様は、間違いなく人々の希望たる勇者の姿であった。
 だが、その勇者がこちらにも攻撃を仕掛けて来たのは一体如何なる理由があってのことなのか。悪魔の力の理解への是非がどうあろうとも、余りに躊躇いなく自分達を焼き尽くそうとした様には疑心を抱かずにはいられない。

『今ノボスハ、勇者ノ正真正銘ノ敵ナンダヨ。』
「敵……? やっぱりあの力が……」

 かつてバランによってイース共々捕らえられた時、その解放を条件として少女はダイの身柄を確保しようとした。図らずも魔王軍の尖兵として以上に勇者に仇なす敵としての行動となっており、バランですら見込んだ力が更なる禍根を生み出す結果となったのは皮肉な話だった。

「見つけたぞ!!!」

 マホカトールの結界に弾かれて何処かへと姿を消した少女の姿が、ダイの怒号と共に再び露わになる。空跳ぶ靴のお陰で辛うじて生きてこそいたが、上空から落下した衝撃は殺し切れずに軽からぬ痛手を負っている。

『アーア……見ツカッチャッタ。』
「…………。」

 魔法の剣を杖によろよろと立ち上がる少女を睨みつけるパプニカの民衆を見て、イース達は落胆を隠せずにいた。希望である勇者が敵と見なした以上、最早この町に少女の味方は一人もいない。

「間違いない、やっぱりお前があの悪魔達を!!」

 少女の姿を見て何を確信したのか、ダイは再びオリハルコンの剣を引き抜き、激昂のままに襲いかかってきた。

「いけない……!」

 城塞すらも一撃で木っ端微塵にした程の斬撃が少女の元に迫ろうとしている。とっさに彼女を救い出さんとメリッサがルーラの呪文を唱えた瞬間には既にその目の前にまで鬼神の如き殺気を纏った少年が迫っており、二人纏めて一刀両断にせんとその剣が振り下ろされた。


「どりゃあっ!!」
「!?」


 その瞬間、裂帛の気合が聞こえると同時にダイの左から唸りを上げて迫る巨大な斧が飛来してきた。反射的に斬り払おうとする間も与えられずに凄まじい重量と一擲の威力でその場から弾き飛ばされ、たまらずに地を転がされる。

「もう……無事だったなら、もっと早く助けてくれればよかったのに。」

 少女を助け起こしながら、メリッサはその戦斧が飛んできた方を見やり、少し不満そうに語りかけていた。憮然と腰に手を当てる仕草で睨むも、どこか申し訳なさそうに俯いてる様子も見受けられる。

「はっはっは、悪い悪い。まあ流石にいっぺん死にかけてたから勘弁してくれや。」
「ずっと心配してたわよ……全く。」

 キルバーンの手にかかったと知っていて尚も、メリッサは最初からその生存を信じて疑わなかった。だが、彼女の想定していたような完全に無事な姿などではなく、その身に纏った衣は焼け焦げて使い物にならなくなっており、陥穽の内で受けた苛烈な攻撃を物語っている。
 抹殺者の魔手を潜り抜けて再び戻ってきた屈強の巨漢カンダタを前に、少女は無意識の内に涙を零していた。

▽次へ □トップへ