幕間.静穏の影で


 新たな祖国となった魔界の辺境の町を滅ぼされ、散り散りになった異世界の人々。その多くは、地上に住まう人間の国に身を寄せていた。
 各地に密偵として派遣していた者達の隠れ家や、彼らの手引きにより手に入れた土地や家屋に当面の拠点を置き、移り住むこととなっていた。異端者が紛れ込むに際して問題も絶えなかったが、生き残った人々はどうにか衣食住に困らない新たな生活を営むことが出来た。

「うーむ……やはりまともに暮らせるとこはねぇか。」

 無論、それに至るまでの経緯は様々でありながらも総じて単純なものではなく、カンダタ達もまた自分達が住むべき環境に悩んでいた。
 かつて勇者が仕え、救ったとされるカール王国。それはかつて、少女が密偵として調査していた国だった。バラン率いる超竜軍団によって蹂躙され、今では生き残りの一人もいない亡国となり、廃墟だけが残されている。田畑となるべき大地も尽く焼き払われ、この地を間借りすることも長い目で見なければならない様子だった。

「そっちも同じみたいだな……まあ、こんだけ荒らされてちゃ仕方ないけどよ。」

 調査の最中、報告に駆けつけてきた者達に向き直り、その様子から彼らが担っていた場もまた芳しくない結果であると察していた。民を失って営みを完全に止めてしまった国にその礎を求めることはやはり無理な相談だった。
 糧となるものを育むだけの地力を再び築き上げるための試みがまず必要になるが、予断を許さぬ今の情勢の中でそれだけに専念するだけの余裕はなかった。

「で、少しは息抜きになったかい?」

 結局今は調査が徒労に終わったと結論づけると共に、カンダタは彼らの内の一人を見やりながらそう尋ねていた。水掻きやゴーグルなどの水中探査用の装備や、船上での活動に特化した服装の一団の後ろから顔を覗かせる少女の姿があった。

「そうさね。名無しちゃんってばまだ若いってのにイイ体してて羨ましいよ。」
「ベストドレッサーコンテストでも良い線行くんじゃないのって。」

 口々に楽しげに語る仲間達の視線を受けて、少女は気恥ずかしそうに身を竦ませていた。冷たい霧が静かに渦巻くその最中に、海に濡れた白く艶やかな肢体が露わになっている。戦士として戦う中で引き締められながらも、均整の取れた女性らしい体つきだった。
 その身に纏う藤色を基調とした布地に氷の刺繍を縫い込まれた優美な水着に対し、手には三叉の銛を携えて足には水掻きを履いている。

「……はは、んな過激な格好してても結構イケてるってよ。けど、女として磨きが掛かってるってのは良いことじゃねえか。」

 色香を振りまく衣装を纏った身体と無骨な武器や道具を纏った手足の差異が、妙齢の女性と海の戦士の双方の雰囲気を醸し出している。気遣った少女本人ではなく、周りの者達の方が楽しげに語る有様に苦笑しながら、カンダタは少女が振りまく魅力を喜ばしく評価していた。

「アタシが仕立てた魔法のビキニだからね。細かいとこまできっちり拘ってるさ。」
「まさかこんなところでお前さんの悪ふざけが役に立つとはなあ、サリィ。」

 魔法使いが戯れに作ったのが発祥とされる魔法のビキニ。特殊な繊維で作られているとはいえ、水着の範疇を出ないそれに施されたささやかな細工により、防護性能を付加されたと言われる遊び心の産物だった。
 少女が纏っているのは、その中でも職人の女性にして友人であるサリィが好奇心と悪戯で作った特注の品だった。彼女の周りの白い霧もその産物であり、その水を操る力は水中において小さからぬ恩恵をもたらしていた。

「でも名無しちゃん、本当にちょっとはくつろげたのかい? アッサリやっちまったけど、シーライオンだのテンタクルスだの大物もいたから大変だっただろう?」
「おい待て聞いてねえぞんなこと。……まあどのみちバカンスってワケにゃいかんだろうけどよ。」
「まあなんっつーか、水練なんてやってねえだろうに、よくあんだけ動けたよな。まるで人魚だったぜ、お嬢。」
「あたしの道具だけじゃ、こうは行かないよ。やっぱタダモノじゃないね、あんた。」

 海中の探査の中で幾度か襲来してきた海の魔物達。その襲撃を退けながらも、カンダタ達が少女に望んだ休暇の道楽としては幾分波瀾万丈なものになった。それでも、様々な脅威に巻き込まれてきた彼女には、仲間達の十全な支援も相まって程良い刺激となる体験だった。
 装備に付加された水を操る能力を駆使して水流を纏って守りとなし、しなやかな身体で海を舞うように泳ぎ、襲い来た海の魔物達を翻弄していた。これまで戦ってきた魔物に勝るとも劣らない怪物相手に水中という異なる戦場で対峙することとなったが、少女自身の泳力も尋常なものではなく十分に相手の動きに追従していた。あたかも海に生ける人魚の如く泳ぎ回って、巨大なトド獣人や烏賊の怪物にも怖じずに立ち向かい撃退して見せた。
 装備を使いこなすだけの知識と練度、水中という特異な場での順応力。そしてこれまでの戦いで培われた地力がなせる技に、カンダタ達は可愛い妹分の成長を垣間見て喜ばしく思っていた。

「さて、腹も減ったし昼飯にでもしようぜ。」

 皆の働きを労うようにカンダタがそう告げると共に、このカール王国に集った迷い人達は歓談しながら思い思いの位置について包みを開き始めた。
 調査結果から思うところや、外の者から伝えられた近況、そしてこの国のかつての営みに馳せる想いが、綺麗に片づけられた廃墟の中に言葉として交わされていた。



 時を同じくして、優美ながらも幾分戦火の傷跡の残る城下町。その片隅にある真新しい宿が建てられて、僅かばかりの来訪者をもてなしていた。
 パプニカと呼ばれるこの地は、勇者の手によりようやく救われた王国だった。多くの国が魔王軍の脅威に晒されて、時には滅ぼされていく中で、勇者の後ろ盾も相まって間違いなく人類の中では最大の勢力を有していた。そのために人の行き来も以前にも増して行われており、敗戦国や滅びた集落から落ち延びてきた民や冒険者達が流れ着き、この宿の酒場にもまた多くの情報が飛び交っていた。

 その喧噪を壁の外に聞く執務室の中で、紙を手に取る乾いた音やペンを刷る音が静かに奏でられ続けている。その手を動かす傍らには、持ち寄られたとおぼしき報告書の山が積み上げられている。それらに目を通しながら、椅子に腰掛けた老人が慣れた手つきで手記へとペンを刻み続けていく。
 彼の眼前に控える三人の男達。気だるげに部屋の壁に寄りかかる鍔広の帽子と外套に身を包んだ旅人、忠義を示すが如くその巨駆をひざまずいている筋骨隆々の大男、そして仕事の手を進める男の背後で愉悦の笑みを浮かべる紳士。彼らの何れも、その人の姿に反したまがまがしい雰囲気を纏っていた。

「何かご不明な点は御座いますかな、契約者殿?」

 ペンが置かれたのを見計らうと共に、紳士が契約者たる老人に向けて質問を促していた。
 
「それには及ばぬ。どうやら早々に次の段階に動かねばならぬようだ。」

 全てを把握しているのかその言葉に首を振りながら、契約者はすぐに次の方針の始動を告げる。献上された数多くの情報を前にしても、既にその由縁を掴んでおり余人に尋ねるまでもない様子だった。

「そうせざるを得ないでしょうな。ただひとつ気になるとすれば……あの娘については如何なさるおつもりです?」

 彼の言が指す意味を解しながらも、紳士は穏やかながらもその声色に強い疑念を乗せて尋ねていた。

「それならば心配には及ばぬ。旨く事は運んでおるよ。」
「と、仰りますと……」

 有無を言わせぬような返答を求める意思を掲げる中で、あたかも自分の落ち度があるようにどこか申し訳なさも垣間見せながら優雅に首を傾げている。そんな紳士の様子を一笑にふしながら、契約者は更に言葉を続けていく。

「既に降魔の儀が為されたのはこの目でしかと確認した。後は魂の器となるものを準備するだけよ。おそらくは彼奴の肉体では満足せぬだろうからな。」
「それはそれは……。しかし降魔の儀など、一体誰がそのような大逸れたことを?」

 かの少女を中心として招かれた異変を見届け、予見されていた通りに事が運んでいくことを確認した以上、最初に定めた通りに動くだけのことだった。その一方で、それを揺るがした不安要素を埋めてみせたのは一体何者なのか。
 降魔の儀なるものも、決して容易いことではないのは、紳士が言うまでもなく、この場の誰もが承知していた。

「知れたこと。他ならぬ彼奴自身が楔を解いたのだよ。貴様が刻んだ傷跡を自ら抉り出して、な。」
「ほほう……。」

 それを為したのは少女の手によるものであり、奇しくも紳士の目論見を彼女自身が為した結果だった。自ら破滅への道を辿らんとする様を聞き、思わずその顔を微かに愉悦に歪ませる。

「では、我らが神の復活も近い、ということですな?」
「うむ。だからこそ、我らに仇なさんとする者達を残らず排除せねばなるまい。貴様等の活躍次第、ということにもなろう。」

 全ては自分達が崇める大いなる存在に捧げんがために。異世界に降り立った今も為すべきことは何も変わりはしない。
 大魔王と嘯き世界を支配している魔の者達と、それを倒さんと欲する勇者と呼ばれし者達。邪魔になりうる全ての者達を滅ぼし、新たな拠り所を築くことこそ、彼らの目指す所であった。

「仰せのままに。破壊の神シドーの加護があらんことを。では、どうぞご機嫌よう、我が主よ。」

 契約者に畏まって一礼しつつ、紳士は信奉する破壊の神の名の下にした祝福の言葉を餞に静かにこの場から踵を返していた。丁寧な言い回しに反して、興味が失せたかのようにあっさりとこの場から立ち去っているかのような悪意が垣間見れる。

「こうなっちまったからには俺も腹くくるしかねえかね、アトラスさんよ。」
「それがお前のためでもあるのだ、ベリアル。」

 契約者の話の内容を受けて、後ろに控えていた残りの二人が言葉を交わしていた。ベリアルと呼ばれた痩身の旅人が目深に被った帽子の陰から覗かせる表情は気だるげであり、声に乗せられる抑揚もまた他人事を語るそれだった。一方のアトラスなる巨漢は、仲間へと言い聞かせるかの如く答えている。最初から伏せられたままの両目共々、盲目的なまでに疑うことを知らぬかの様子にも見受けられる。

「機が熟した時、再び喚ぶこととなろう。それまでは引き続き、秩序を乱す輩を駆逐し続けるのだ。」
「仰せのままに、我が主よ。」
「……かしこまりやした。」

 異世界から流れ着く者達と、それによりもたらされた様々な技術。表舞台に立たんとする自惚れ者や、力を隠し切れていない間抜け。そうした者達は数いれども、全て悪戯に異質な力を見せびらかしている下らぬ存在であり、雌伏の時を過ごす契約者達からすれば不愉快でしかない。
 時に常軌を逸する程の強大な力を有する敵も現れたが、その殆どを滅ぼしてこの場に集っている。今後もまた、これまで通り傲慢なる者達に死の制裁を与えるだけのことだった。





 カール王国の城の近傍に位置する海に面した断崖。荒廃した地にあって、緑を残した数少ない場が昼下がりの陽光を受けて瑞々しく映えている。
 流れ行く雲が浮かぶ蒼天を見渡せる中で、いつしか冷たく薄い霧が漂い始める。それらが渦巻く中心に、霧の合間から白い肢体が覗かせて、草むらを静かに進んでいく。断崖の間近まで足を進める彼女の眼下に、不自然に盛られた土とその上に立てられた一面が丹念に磨かれた岩があった。

”勇壮なる騎士ホルキンス、ここに眠る”

 そう刻まれた文字ははっきりと読み取れる程深く岩肌に彫り込まれていた。間に合わせの墓石に懸けられたせめてもの慰めを前に、供え物の花瓶と砕かれた彼の者の愛剣が捧げられている。
 カール王国騎士団長・ホルキンス。密偵としてこの国に滞在していた少女にとっても、決して他人とは言えない恩人とも言える男であった。

『お前……生きていたのか?』

 仮初めの墓石にせめてもの祈りを捧げんとしたその時、
脳裏に直接語りかけて来る男の声が聞こえてきた。

「……。」

 それに対して驚くこともなく、少女はその気配の元たる墓石を静かに見据えていた。何かを訴えかけるかのようにその空間が揺らぎ、やがて男の生前の姿を形作っていく。
 超竜軍団の長をも恐れずに勇敢に戦い抜いた英雄・ホルキンスの姿が揺らめく影となって少女の前に現れていた。

『……オレに気づくか。もしやと思っていたが、ただ者ではないようだな。』

 不可思議な現象を前に動じなかった以前に、死者である自分の気配を明確に捕捉していたことに、ホルキンスはかつてを省みるように感心していた。
 最期を前に会った時も、戦火の中でも動揺をおくびにも出さず、冷静に状況を報告していたことからも、良い師と経験に恵まれていた事を垣間見れる。

『気に病むことはない。お前が異界の住人であろうが、我が国に見せた誠意は偽りなどではなかった。お前に自覚はないようだがな。』

 元よりこの国の人間などではなく、その存亡の危機に瀕しようが戦に殉じる義理はない。それでも全てを見捨てた結果から目を背けることは出来ず、滅び行く国の光景は未だに心の中に焼き付いていた。
 だが、払拭し切れない罪悪感に憂いを浮かべる少女を、ホルキンスが責めることはなかった。その根源となっているものは冷徹な密偵にさせきれぬ甘さであり、他者に報いんとする誠意に他ならない。
 勇者達に悪たる者と見なされつつある中でも、少女の中のその性質だけは変わっていなかった。

『寧ろ感謝しなければないのはこちらの方だ。お前達が訪れたお陰で、帰るべき町の礎が戻り、死んだ仲間を弔ってやることが出来たのだ。あのような者達もいたのだな。』

 カール王国にたどり着いた迷い人の町の者達が最初に行ったのは、魔王軍の侵攻により破壊された町の浄化と、犠牲となった者達の埋葬だった。瓦礫の山と化した廃墟をいつでも住民が戻れるように少しずつ整備していた。誰もいない町を間借りしていることを忘れず彼らなりにせめてもの礼を尽くした結果であり、それは他の流れ着いた力に溺れる無法者達にはない善意だった。
 荒廃を極めていた祖国に民が戻れる日も近いだろうことを予感し、少女達に感謝の念を表していた。

『しかし、あのバランに一矢報いた、とはな。お前ならば、奴も……』

 命奪われてようやく思い知ることになった竜の騎士たるバランの底知れぬ力。そのような恐るべき敵に対して虚を突いて一太刀を浴びせて見せたことに対し、戦士と言えども少女のものでしかない華奢な体に秘められた可能性を見て素直に感銘を受けている様子だった。
 この少女ならば或いはバランにも対抗出来るかもしれないと期待しながら、ホルキンスはいつしか静かに姿を消していた。


「……少しは落ち着いたみたいだな。」


 死した者の気配が消えたのを確認するのも束の間、離れた場から見守っていたカンダタの声が少女の耳に届いた。死者と話すと言う己ですら信じられない感覚から引き戻されて、ゆっくりとカンダタへと向き直る。

「ん? そんなことねえ? はっは、まあそりゃあそうだな。」

 独り言のように墓前で話続けていた少女を見ても、カンダタは特に怪訝に思う素振りを見せず、至って気軽に語りかけていた。未だに現状を受け入れられず戸惑いを見せながらも幾分落ち着いてきた少女の様子に、心からの安堵の表情を浮かべている。

「ホントこの短い間に随分と大変なモンをドンドン出してくから俺もびっくらこいたぜ。その死者と話せるとやらも、理屈はわからんが間違いじゃあなさそうだな。」

 戦士として成長するにつれて次々に発現していく特異な能力。強敵との力の差を埋めんと欲する意志に呼応するかの如く、幾つかの呪文や特殊な技の類を操れるようになり、死者の声を聞くなどこれまでになかった感覚も目覚めつつある。
 悪魔と呼ばれる内なる存在に影響されているのか、或いは記憶を失う前から持っていた資質なのか。

「まあ、呪われてようが自棄にならねえ辺り、お前さんも健気なもんだよ。」

 一つ間違えれば破滅的な命運へと引きずり込むであろう現象の渦中に巻かれても、それに諦観せずに抗い続けている。相変わらず気弱でありながらも、己や友を脅かす存在と戦うことを恐れない芯の強さに磨きをかけた様子だった。

「どうやらあの勇者サマが元魔王を倒したとかなんとかでちったあ時間があるようだから、ゆっくり頭ん中整理してこうぜ。」

 異世界人達を取り巻く争乱が起こる中でも、それを余所に本来この世界で起こっていた人類と魔王との戦いは続いていた。ダイと呼ばれたあの少年を中心とした一団が、魔王軍と熾烈な戦いを繰り広げた末に、ついにかつての魔王・魔軍司令ハドラーを倒したという噂が囁かれていた。
 その報告を受け、更に情勢を洗い出すべく各地の密偵達が動き出している。彼らが伝える限りでは今は双方に大きな動きはない状況だった。

 僅かに許された一時の平穏の中で、少女は療養と修行のために更なる旅に身を投じることとなる。悪魔と恐れられし力と如何にして向き合うか、そして友たる迷い人達のために自分に何が出来るのか。
 再び表舞台に引きずり出されたその時に至っても、明確な答えが出ることはなかった。

 記憶の彼方で与えられた宿命に翻弄される中での少女の目覚め。世界の変動はそこから更に加速の一途を辿り始めていた。
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