6.忘失の内に3

 炎と氷の弾と、光の矢がぶつかり合う戦場の中に、台車の転がる音が割り込んでくる。そこから発せられた氷の息吹が、氷炎の魔人へと吹き付けられると共に、更に槍が心臓を寸分違わず狙い飛来する。その文字通りの横槍により、屋敷の前で繰り広げられていた呪文戦は一端の終わりを告げた。

「よくぞ戻った、待っていたぞ。」

 ようやく目的地にたどり着いた所で、待ち人たる者が呼びかけてくるのが聞こえる。それは、ザボエラの研究棟に捕らえられた折りに助けに来たこの町の神父であった。
 捕縛者達との戦いの中で少女に関わる秘密の一端を知ることになり、彼女自身の行動の指針を大きく揺るがすことになった。上層部の者達は最初から”悪魔”の力に気づいており、それ故に少女を安全に監視できるような機構を数多く準備していた。
 様々な策謀の中に巻き込まれていると知れば、再会を純粋に喜ぶことは出来なかった。

「マジでここまで辿り着きやがった。……ん?」

 差し向けた大量の追っ手を残らず消し去り、見事にたどり着いた狙撃手の所業に驚嘆するのも束の間、魔人はその少女の姿を見て鋭い眼光を丸くするかの如く目を見開いていた。

「こいつは驚いた!! まさかてめえがこんな所に居ようとはなあオイ!! そりゃあ道理で手に負えねえわけだ!!」

 意表を突かれたような物言いで、魔人は何が可笑いのか少女を指差しながらひたすらに哄笑し続けていた。町の侵略を妨げたことなどどうでも良いように、ただその原因となったものが彼女自身であることが分かった歓喜に浸っている様子だった。

『知リ合イ?』

 一人で勝手に納得している様子の魔人を指差しながらイースが尋ねてくるも、少女は首を振るしかなかった。だが、彼が失った記憶の前にいる自分のことを知っているのは間違いがなく、それもまた穏やかなものではないことを知ることができた。

「まーた世界を滅ぼそうってか? 愉快なことだなァ、オイ!!」

 大笑いを続けながら、魔人は尚も言葉を並べ立てていた。世界を滅ぼしうるだけの力が本当に自分の中にあるのか。そして、それが何処から来る力なのか。少女の中に一瞬そのような疑問が浮かぶ。

「っても、何も覚えてないその体たらくじゃオレ一人を滅ぼすこともできやしねえだろうけどなあ!! この場で消してやるよォ!!」

 いつまでも悠長に構えているはずもなく、愉悦に満ちた表情のまま、魔人はすぐに襲いかかってきた。その燃え盛る左手で殴り掛かってくる所をすかさずイースが氷の息吹で迎え討つも、炎の拳の前に顕現した氷の盾が吹雪を取り込んでいく。

「んなチャチな武器でオレと戦おうってかぁ? なめんじゃねえぜ、かかかっ!!」

 同時に少女が荷台から高く跳躍して上方から槍を魔人に向けて投げつけるも、かざされた氷の盾によって防がれる。弾かれた槍はそのまま地面に転がり、盾に触れた切っ先が僅かに削ぎ落とされていた。

『しゃちょー、マダー?』

 魔人の放つ炎を相殺しながら、イースは戦場の周囲に注意を向けていた。自分達が駆けつけた所でこの戦況をひっくり返すには足りず、何よりカンダタが到着しなければ話が始まらない。

「今更助けが来たところで同じことだ、てめぇら如きが束になった程度じゃオレには勝てねえんだよ!!」

 戦力差と勝利への絶対の自負を前面に押し出し、魔人は標的を少女へと定めて躍り掛かってきた。マホステの力により結界の影響を受けていない彼女に希望を寄せていることを見抜き、早々に殺しに掛かる。

「!」

 その時、迎撃に移る少女が抜いた剣の刀身を見て、魔人は思わず目を細めた。切り札と目されている彼女に何の備えもさせていないはずがないと舌打ちするも遅く、そのまま拳を繰り出すしかない。
 大振りでありながら、間違いなく相手を一刀両断にせんとする必殺の一撃が、魔人の腕をあっさりと斬り飛ばした。

「……ハッ、そいつぁ流石に消せねえ、な。」

 少女が尚も斬り返してくるのを強引に距離を取ってかわしながら、魔人は己に降りかかった危険を確信し、危なかったとばかりに一人ごちていた。並の武器ならば最早恐れるに足りなかったが、メタルキングの武具が有する途轍もない頑丈さには敵わない。

「久々だぜ、オレにベホマなんざ使わせたのは。これだからこの自由な体も不便でしゃあねえってな。」

 魔人が斬り落とされた腕に意識を集中すると共に回復呪文の光が集い、灼熱の岩が生えるように再生させていく。危うく斬り捨てられようとしたことも、腕を斬り飛ばされたことも気にした様子もなく、彼は記憶を失った少女に感心してさえもいた。剛剣の力を借りたと言えども、戦士としての天賦の才を感じずにはいられず、かつて恐れた程の姿でこそなくともやはり十分脅威に値する敵手と認めざるを得ない。

「だが、今のてめえらじゃ氷魔塔を砕く戦力はねえ。残らず皆殺しにしてやるよォ!!」

 それでも、他にまともに戦える者が殆どいない現状をひっくり返す程ではない。呪文が効かず接近戦で分が悪くとも、手立てならば幾らでもある。叫びと共に竜の息吹にも匹敵する程の炎が、魔人自身の体から吹き出して少女に襲いかかる。

『ゲホッ、ゲホッ! コリャ参ッタネエ……』
「かかっ、んなその場しのぎが通用するかよ!」

 すぐにその意図を察したイースが少女の前に立ちはだかり、氷の息吹で防がんとするも弱体も相まって力の差により押し切られてしまう。炎を浴びてわざとらしく咳き込むイースを嘲りながら、更に追撃をかけていく。

『ワー!? ぎぶ、ぎぶーっ!!?』
「戦いにギブアップもくそもあるかって……っ!」

 結界による弱化に止まらず、魔人自体の地力も相まって圧倒されていく。ドラゴンに似合わぬ情けない声を上げながら防戦するイースの滑稽な様を嘲りながら猛追する所に、不意に横槍が入れられて魔人は思わず後じさった。

「ふん、どうせてめえらも散り散りに逃げるつもりはねえんだろうが、まとまった所でどうしようって?」
「ハッ、こんな姑息な手段使っておいて威張られてもなあ?」
「そういうてめえらはわざわざ死にに来てるとかバカの極みだろうが。」

 弱められた人間とは思えない程の強烈な一撃が氷の半身を襲ったのを感じて右を見やると、鋼鉄の剣を構え、不敵に笑う巨漢・カンダタと、それに付き従う若人達の姿があった。彼らに守られるように、生き残った人々がこの場に集っている。

「よくぞ耐えてくれた、皆の者。」

 その人々の盾となるように先頭に立つ者が戦場へと足を踏み入れながら、厳かな声で皆に労いの言葉を贈っていた。その屈強な体躯を包む真紅の厚手の外套と太陽を象った王冠、そして宝珠が埋め込まれた覇者の証たる長柄の王錫を手にした王たる姿。象徴としての域に止まらぬ品々を身に纏い、異界の王が悠然とその姿を現していた。
 纏った王衣から立ち昇る流れが結界の重圧を遮り、王を守護するように渦巻いている。豪奢な雰囲気は仮初めのものとばかりに、相対しているだけで吹き飛ばされる程の威風を放っていた。

「……チッ、本物のキングがノコノコ出しゃばるとかどんだけ切羽詰まってんだよ。」

 王自らが対峙する異様な現状を、魔人はチェスに準えて呆れたように嘆息していた。攻め手となる部下達の殆どは結界により力を奪われ、王の守護に守られた自らが動かざるを得ないこの状況こそ、この町の終わりを示す状況に他ならなかった。
 それでも、最後に何か足掻きを見せんとする様子を垣間見て、魔人は決して警戒を緩めることはなかった。

「王よ、よくぞご無事で。」

 予想より動きの速い敵の動きに、館と運命を共にしたとも覚悟していたが、民を束ねてこうして姿を現している。この町の最上の要たる王の帰還に神父は畏まり、頭を垂れていた。

「大神官よ、これで機は熟したのだな?」
「はっ、これを逃せば最早次は御座いませぬ。」
「心得た。皆の者よ、己が役割を果たすのだ!」

 僅かに交わす言葉で状況を把握したのか、王はすぐに民に呼びかけていた。それに呼応した者達がすぐに動きだし、また民を誘導していく。王自らは皆を守らんとするが如く魔人へと立ちはだかっている。

「嬢ちゃん、準備は出来てるか?」

 人々が動き始める中で、カンダタがすぐ近くに駆け寄り一言そう尋ねてきた。思わず頷き返すと共に、カンダタの視線が自分の体に向けられているのを感じた。

「……よく頑張ったな。後でウマいモンでもたっぷり奢ってやるぜ。」

 外套が焼けて防具や衣服も炎に舐め回された跡が残り、顔や肌も煤まみれになっている。満身創痍のその状態から無茶をしたことを見抜かれて咎められるとも思ったが、カンダタは気にするなとばかりに強く肩を取りながら労いの言葉を懸けてくるだけだった。不可思議な力があろうともかつてと変わらぬ目で見守ってくれる彼の存在は、少女にとってこの上なく安心できるものだった。 

「王サマは玉座に収まってりゃいいんだよ!!」

 王が魔人に錫杖を振るうと共に、その先端に取り付けられた宝玉が唸りを上げて、それを肥大させたような光球が発生し魔人に向けて投げうたれる。両腕を固めて受け止めて傷を負いながらも、魔人は怯むことなく反撃に転じていく。
 メラゾーマの炎を正面から受けるも、外套が残らず吹き払っていく。その焦熱にうめき声を上げるも、大きな痛手には至らずに民を守り続けていた。

「心に刻まれし数多の記憶よ、其は隔たりを紡ぐ道を成さん。」

 一進一退の攻防を前にしながら、少女もまた己の役目を果たすべく動き出す。カンダタの指示で刻み込んだ呪文の力を呼び起こす詠唱が、彼女の周囲に光の魔法陣を呼び込む。

「いいぞ、そのまま!」
「全員の魔法力を彼女の呪文に合わせろ!」
「この規模ならば抑え込めまい!」

 少女の呪文を見守りながら、民達もまた彼女の補佐に奔走していた。魔法の文字が描かれた巻物を開く者達、周囲に魔法陣を刻む者達、そしてそれに魔法力を注ぐ魔法使い達。力を失いながらも、皆が少女に共鳴して一つの目的に突き進んでいる。
 完成に近づくにつれ、魔法陣は彼ら全ての行動を包括し、皆の体が淡い光に包まれ始めた。自分の呪文を基点として町の者全員を救い上げる状況を実感し、少女は確かな手応えを覚えていた。
 己の命を懸けてでも、呪文を最低限しか使わぬ激戦を潜り抜けた果てに、皆へ希望を与えることができた。

「…………ちっ、やはりルーラか!! やらせるかよ!!」

 人間達が成そうとしていることの正体に気づき、魔人はすぐに阻止せんと両腕に魔法力を集中し始めた。狙いが瞬間移動呪文ルーラの極大化による生存者の一斉退避と知って、黙ってはいない。

「てめえらまとめて、消し飛びやがれ!!」

 既に王も離脱してルーラの恩寵に与り、魔人の所業を止められる者は誰一人としていない。集った魔法力が巨大な炎と氷を形作り、それが合わさって融け合う中で明滅する光の弓が炎の左腕に形成される。

「……あれは、炎と氷が……」
「ほう、この世界にはあんな呪文まで……」

 正と負のエネルギーを司る炎と氷の魔法力の共震により生み出される新たな力を本能的に感じ取り、皆が畏怖の念を覚えている。魔法に造詣が深く、この世界の理も容易く飲み込んだ異世界の者が興味深そうに眺めるも、その表情には未知なる危険性に対する警戒を隠せない。

「喰らえ……メ・ド・ロ・ー・ア!!」

 呪文を唱えながら光の弓を氷の指で一つ一つ掴み取るように触れると共に、一指一指に弓より引き出された光の矢が引き絞られる。引き絞る中で光の矢は弓からエネルギーを吸い込み続けて、限界まで肥大した瞬間、迷い人達に一斉に襲いかかった。

「くっ、だが遅い!!」
「今だ!!」

 飛来する呪文の力が迫る焦燥を露わにしながらも、少女の呪文の力もまた、町の者全員に行き渡っていた。それを確認した者の指示を受け、すぐに呪文の力の解放にかかる。

「束ねられし手を取り、皆を彼の地に誘わん。ルーラ!!」
「ちぃっ!!」 

 最後まで焦らずに正確に唱え上げられた詠唱が、町の者全てに施されていた呪文の力を発動させていく。少女の周囲の人々が次々に光となって飛び立ち、町の外へと弾き出されていく。

「消滅呪文……だと?」
「物質を問答無用で消滅させる力、のようだな。だが……」

 明滅する光の矢の軌跡を阻むもの全てが消滅し、抉り取られたような跡が残されている。町中が燃え盛る炎に包まれようとも罅の一つも入らず、頑強に造られた町の礎が容易く破壊されている。紙一重の差で肉薄した見知らぬ呪文の効力を上空より目の当たりにし、町の者達全てが圧倒されていた。

「……!」

 爪痕の如く刻まれたメドローアの呪文による五つの軌跡の真中に、一点だけ不自然に残されている箇所が見える。そこに立ちこめる紫の霧に包まれた場だけが残されている。その中心に立つ少女は、ルーラの呪文に拾い上げられずに魔人の前に取り残されていた。

「おいおい!? どうした嬢ちゃん!?」
「……何故、飛ばぬ? まさか……」

 マホステの力により、魔人の呪文は完全に遮られている。だが、それよりも少女だけが離脱できない事態になっていることに驚愕する他なかった。完璧に決まったはずの呪文が、彼女を運び出せぬはずがない。

「かかかかかっ、詰めが甘いんだよッ!!」

 高笑いを上げながら、魔人は未だに飛び立てぬ少女の足下を指差していた。炎を纏った岩で構成された巨大な手が、彼女の足を掴んで離さずにいる。地面の下からその姿を表したそれは、眼前の魔人の左半身に酷似した炎の岩石巨人・溶岩魔神だった。
 いつの間にか召喚された魔物の腕に囚われて、ルーラの光はその役目を果たすことなく霧散していく。

「……っ、何て野郎だ!! 最初から嬢ちゃんだけを狙ってやがったのか!?」
「いかんな……。」

 皆を送り届けんと集中しているその隙に、メドローアの呪文と同時にあの溶岩魔神を呼び寄せたのだろう。脅威と見なしている者を確実に葬る為の二重の策。未熟な少女に対してここまで過ぎた警戒を抱いているとは予測できずに焦燥に襲われるも、既に離れた彼らにはどうすることもできなかった。

『ボスヲ信ジルシカナイネ。』

 救い出された皆が少女の身を案じる中で、イースは主の危機に対して異常な程冷静にそう呟きつつ、町の上空に向かって飛び立った。己の為すべきことこそすれ、今飛び込んだ所で足手まといにしかならない。
 いずれにせよ、後は彼女自身にその命運を託すより他はなかった。




 足を掴む溶岩魔神に一瞬意表を突かれたものの、少女はすぐに背負った剣を抜いて足を掴む腕に突き下ろしていた。本能的に動く体に任せた一撃は、無敵と謳われた刃の力も相まってあっさりと灼岩の魔神の腕を斬り裂き、その縛を解く。

「てめえはこの場で消しとかねえと、絶対後々で困ることになるからなァッ!!」

 だが、既に周囲には無数のフレイムとブリザード達が囲んでおり、逃げ場は完全に失われていた。この囲いを破れるだけの力量は少女になく、そもそも度重なる戦いで消耗しきっている今攻められたらひとたまりもない有様だった。

「あいつはてめえに興味津々のようだが、んなこと言ってる場合じゃあねえ。面倒なことになる前に骨も残らず燃え尽きなぁっ!!」

 少女の存在を徹底的に否定しながら魔人が命じると共に、フレイム達が一斉に炎を吹き付けてくる。幾条もの炎が交わり合い、灼熱の波として少女を飲み込まんと迫ってくる。
 ルーラで逃げるだけの魔法力もなく、今更フレイム達を目覚めたばかりのあの力で消した所で大した意味もなさず、ましてこれだけ強大な炎を斬り裂ける者すらいるはずもない。
 最後まで諦めずに向き合う中で至った結論は、残された全ての力を振り絞り耐え凌ぐことだった。最早町の人々の為に魔法力を温存する必要などなく、僅かであろうと彼女に残された武器はそれしかない。イオラ一つも唱えられない程のなけなしの魔法力を全開にせんと念じると共に、極寒の吹雪が巻き起こされる。テランの戦いの時に生じた魔法力の際限ない暴走が、少女の感覚のみを頼りに意図的に起こされていく。

「んなメガンテみたいな真似をしたところで無駄だあっ!!」

 意識をはぎ取られるような痛みが起ころうが、体に力が入らなくなろうがお構いなしに、少女は迫り来る炎に対してひたすらに吹雪を巻き起こし続けた。魂の髄まで絞り尽くすばかりの捨て身の試みが功を奏したか、拮抗に持ち込むことは出来た。だが、当然少女自身の体力も意識も蝕まれていき、見る見る内に衰弱していき、最早身を削られながら命尽きるのを待つしかなかった。


《随分と、呆気なきものよ。》
「!?」


 自ら楔を引き剥がして内から湧き出る吹雪に翻弄される中で、ぶつかり合う炎と風鳴りの音さえも押しつぶす程のおぞましい声が少女の体に重く響き渡った。同時に、身体から噴き出し続ける吹雪が前触れもなく失われ、四方八方より迫る炎の波に呑み込まれた。

「オイオイ、聞いてねえぞ……」

 炎の海の中で焼かれた少女の悲痛な叫びを聞きながらも、魔人は気にも留めない様子で驚愕を露わにしていた。一瞬にして燃え尽きるような灼熱の内にあって尚も彼女の影は炎の中に確かに映っている。
 その不可解な現象の根元を知っているのか、魔人はこの上なく驚きながらも次に何が起ころうとしているかを知っているかのように落ち着いていた。

《我こそは、全ての滅びを見届ける者。》

 紅蓮の炎の中に突如として黒い霧が漂い始め、その中心でうずくまりながら苦痛に悶えている少女から、再び全てを制するような重い声が聞こえてくる。次の瞬間、その身体から更に噴き出すように黒い霧が広がり、炎を呑み込むように消滅させていく。

「何で、てめえまでそこに居るんだよ!?」 

 迫り来る霧から逃げるように後ろに飛びながら、魔人はそれが自分の危惧していたものであると確信していた。少女の足下で再び掴みかからんとしていた溶岩魔神が音もなく崩れ落ち、熱砂となって風塵と帰していく。

《そなた達も我が糧となるがよい。その悲憤と絶望の化身たる姿こそ、儂の生け贄にふさわしい。》

 更に辺りを覆い尽くす霧が、フレイム達のような邪霊や、溶岩魔神と氷河魔神達を包み込み、尽く消滅させていく。戦う暇さえ与えられず、魔人のしもべ達は瞬く間に塵と化して、虚空へと消え失せていった。



 炎に焼かれる感覚がいつまで経っても消えない中で、少女はひたすらにもがき苦しみ続けていた。恐慌から醒めて尚も、未だに燃え続ける激痛は続き、動くことすらもままならない。
 とうに燃え尽きていてもおかしくない中で、死んだはずの少女の五感は壊れたかのように炎の重苦を伝え続けていた。


『お前、噂の名無しの嬢ちゃんじゃねえか。おい、何でこんなところにいるんだよ?』
『とりあえず、あの魔物に殺されちゃった訳じゃないみたいね。』
「!」

 黒い霧の中で己を苛む炎の中で、不意にどこからともなく少女の心に直接語りかける声が聞こえてきた。それも一つではなく口々に訴えかけてくるのを感じられた。

『貴様の戦い、しかと見届けたぞ。貴様にならば、我らの無念を晴らすこともできよう。』
『でも、このままじゃあんたも……』

 その口振りから、彼らが元はこの町を守る戦士達であることを推察することが出来た。既に魔人の手に掛かり命尽きた彼らもまた記憶を失っていた少女のことを他人なりにも知っており、そしてその戦いに感服した様子だった。
 果てに今の窮地に追い込まれたことも先刻承知のことであり、憂いていたところだったらしい。

『俺らの分まで、生きろよ。なーに、こんだけあればみんなを助けられたお前だったらやれるさ。』

 死して尚も見守ってきた戦士達が、少女へと一斉に手を差し伸べてくる。思わずその手を取らんとしたその時、彼らは最後の力を光に変えて、少女へと送り始めた。肉体を失った死者達に決して触れることは叶わなかったが、代わりに託された力と餞の言葉により、今尚苛む炎の責め苦が溶けゆくように消えていくのが感じられる。
 いつしか身体から立ち昇っていた黒い霧もまた、少しずつ消え失せていくのが見えた。


《さあ、我が渇きを潤して見せるがよい。亡者共よ、人間達よ。そして滅びよ、我に成り代わらんとする愚昧なる道化共よ。》


 心身を襲う炎の呵責から解き放たれたその瞬間に、再び少女自身の内からあの声が聞こえてくるのを感じた。だが、黒い霧が消えゆくに従ってその声の重みは徐々に失われていく。
 呪詛とも賛辞ともつかぬ言葉が、炎も何もかも消え去ったこの場に山彦の如き残響を残していつまでも響き渡っていた。

「……おいおい。いつの間にんなバケモノに憑かれてるんだよ、てめえ。」

 この場を覆う重圧が去ったのを見計らい、魔人がその拳に力を込めながら苛立たしげに尋ねてくる。どうやら、彼が以前に遭った脅威たる少女の力に、あの黒い霧を引き起こす程の存在はないらしい。
 自身も混乱している中であれ、少女は無意識の内に言葉の一つ一つを逃さずに聞き取り、己に降り懸かった運命を推察し続けていた。

「……チッ、どさくさに紛れて逃げる力を蓄えてやがったとはな。」

 先に垣間見た死した同胞の力が自身の中に微かに脈付いているの感じ、少女はすぐに行動に移っていた。
 死そのものを与えかねない程の炎による激痛に反して、あの黒い霧が肉体そのものへの痛手を防いでいたのか致命傷には至っておらず、幾分負っていた火傷も綺麗に癒えていた。また、炎を防がんとするべく振り絞られた魔法力もまた僅かに戻っており、それらが彼らが託した生への希望であると解して、胸が熱くなるような感謝の念が浮かぶ。

「ったく、ここまで来て取り逃がしちまうとかよ。我ながらざまあねえぜ。」

 使い果たしたはずの魔法力を使い、ルーラの呪文を唱える少女を見て舌打ちしながらも、最早彼女を止める術がないと悟り、魔人は素直に拳を降ろしていた。
 すぐに呼び出せる配下も全滅し、自身も大呪文とあの霧により力を使い果たしつつある。今の満身創痍の少女ならば殺すことも容易いことだったが、このまま追いかけたとて、結界の外に脱出した者達からの手痛い報復が待ち受けているだろう。

「だが、これでいい気になんなよ? てめえが生きている限り何度でも殺しに行ってやるからな!! くはははははは!!」

 呪文の発動と共に飛び立たんとする少女に向けて、魔人は最後にそう言い捨てつつも、嘲るように高笑いし続けていた。生き残りを逃しはしたものの、彼らの抵抗を嘲笑うように町は徹底的に破壊し尽くし、力の差を思い知らせる結果となった。
 そして彼女の隠された力を知った以上その底を知り、その危険性から見過ごす道理もない。そのような鍵となるような存在だからこそ、この手で殺す価値がある。その瞬間の到来に愉悦を感じ、心待ちにしている様子だった。


『ふぇふぇふぇ。よくやったぞ、フレイザードよ。』

 
 少女が去った空を見上げる魔人に、不意にしわがれた声が背後から笑いかけてきた。

「ザボエラのジジイか……全く、あんたは暢気でいいよなあ。直接手を下す必要なんかないんだからよ。」
『安心せい、その分の見返りならばワシもしかと見届けたわい。ともかく、研究の邪魔になるあやつらを追い払ってくれて例を言うぞ。』

 聞き慣れているのか、魔人・フレイザードが呆れた様子で一息つくとともにそちらに振り返ると、そこには悪魔の目玉の瞳孔の奥に映る魔族の老人・ザボエラの姿が見える。悪態をつきながらも見事に戦果を残してみた様に、ザボエラは心底愉快に笑っている。

『何より、また思いがけぬものを見れた。あのしぶといゴキブリ共相手と考えれば上出来じゃよ。』
「ああ。だが奴を……いや、奴ら全てを生かしておいちゃならねぇのはよく分かった。あんたのための任務なら、最新式の生体牢ぐらい持ってきた方が良いと思うぜ。」
『ふむ、確かに用意しておくに越したことは無さそうじゃな。』

 この町に住まう者達は地上で安穏と暮らす人間とは比較にならぬ強さを持ち、戦況を一気に覆す脅威たる勢力に十分足り得ていた。まして、異世界より再び流れ着く折りに再びまみえることになったあの少女はその場の誰よりも明確に結果を示していた。記憶を失って尚も更なる力を得て、魔王軍軍団長とも謳われた者達を含め、数多の敵を葬り去っている。
 そのような脅威を持つ彼女を排するべきと唱えるも、彼らの力を利用せんとするザボエラの思惑にもフレイザードは理解を示していた。あれ程の存在を内包していると再認させられれば、研究者としての探求欲をくすぐられるのも道理なのかもしれない。

『まあ、基本的にはお前さんの好きにやればよかろうて。地獄より舞い戻って早々にこき使ってしまって悪いが、武勲を積めぬ今じゃからこそ、出来ることもあろう。』
「いや、これでもあんたには感謝してるんだぜ。元々死んだはずのオレに、この世界に居場所なんてありゃしなかったんだからよ。」

 この町を攻め滅ぼしたのはそもそもザボエラの指示によるものであり、利害の一致からフレイザードはその軍門に下っていた。好き放題に暴れている異界の者達の粛正や、ザボエラの手の下しようのない程の邪魔者の排除を主な極秘の任務として請け負い、それらを初めとした役割を果たしていた。
 一度勇者に倒されて死んだ以上は、時を経て再び蘇ったとて元の居場所に再び返り咲くことは叶わない。かつて有していた魔王軍氷炎軍団長というかつての肩書きも、敗者の汚名でしかなく死に値する罪過の象徴でさえもあった。
 そのような中でも大魔王への忠誠は薄れず、その機会を与えてくれたザボエラには偽りなく感謝していた。

 例えかつて欲した名誉が得られずとも、いけ好かない異世界の存在と大魔王に仇なす者を殺すことができれば、フレイザードにとってはこの上ない巡り合わせだった。
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