6.忘失の内に1


 辺り一面の大海原の広がる空の上に、光を帯びた大渦が渦巻いている。その輝きは日輪と雲に紛れ、何者にも知られぬままに静かに在り続けていた。
 この地上と魔界を繋ぐ秘密の通路たる旅の扉に、一匹の白いドラゴンが飛び込み、吸い込まれていく。夜空のような亜空間を一瞬経て、ドラゴンを海上から魔界へと一瞬にして移動させていく。
 転移に伴う視界の歪みが完全に収まると共に、薄暗い鈍色の空に向けて立ち昇る煙が見える。その火元を辿ると、見慣れた城塞の町の変わり果てた姿があった。

「くそっ……もう来やがったってのか!」

 高く積み上げられた城壁の内側から黒煙と火が撒き上がり、魔界の空を紅蓮に染め上げている。住み慣れた町が焼き払われているのは間違いなかった。

『アレナニ……?』
「分からん……が、悪趣味な真似をしてくれるモンだなオイ。」

 唖然としたように振り向きながらイースが指差すその先には、城壁越しにも見える高さの尖塔が炎を纏いそびえ立っている。一体何を目的として建てられているのかは分からないものの、自分達の町がそこまで容易く蹂躙されているのは間違いなさそうだった。

「う……ぐう……! カ、カンダタ……!」
「!!」

 町へと急ぐその最中の道で、不意に誰かの悲痛で弱々しい声がカンダタ達を呼び止めた。路傍から顔を出している大岩に背を投げ出した、壊れた鎧を纏った番兵だった。

「おい、しっかりしろ!」

 すぐさまそこに駆けつけるも既に息遣いは弱く、最早手の施し様のない深手を負っていた。異界の者達の優れた技術で作られた甲冑があたかも脆い石の様に綺麗に砕かれ、衣類諸共焼かれた跡が覗かせていた。

「く、くそ!! ベホマも効かねえか!?」

 すぐに回復呪文を施すも、その傷を塞ぐことは叶わなかった。完治の呪文たるベホマでも、その効力は自然回復力に依存している。番兵自身が衰弱しているがために、回復呪文では再起させることが出来なかった。

「まだあの中に……だが、この状況じゃ……生き延びられ…………」
「……すまねえ、な。だが大丈夫だ。後は俺がどうにかしてやる。」

 既に手の施しようのない己の状態など構わぬように、番兵はただ町に残る生き残りの人々を一心に案じながら崩れ落ちる。今生の際にかけられるカンダタの言葉に安堵したように最後の力を手放して、そのまま動かなくなった。
 異界より迷い込み、魔族や竜族との度重なる厳しい戦いを生き抜き、町が築かれて尚も幾度となく迫る外敵を倒してきた番人。その実力は、カンダタも日頃から一目置く程のものだった。せめてもの手向けとばかりに亡骸を埋める中で、カンダタは己の言葉通りに全てが自分一人の力で収まる状況でないことを再認識していた。

「せめて生きてる奴だけでも全員連れてとっととずらかるぞ。どの道ここはもう駄目だろうからな……。」

 彼へのもう一つの餞にするべく、その遺言を果たしたいところでこそあれ、その二の舞となっては意味がない。自身も油断なく気を引き締めながら、カンダタは同行者達にも注意を促していた。

「早々にそいつの出番が来ないことを祈るばかりだぜ。」

 カンダタに呼びかけられて、イースの背から辺りの様子を窺っていた黒い外套の少女が顔を覗かせる。胸当ても籠手も含めて闇にとけ込むような黒を基調とした軽い装備に身を包んでいる。その背中には、カンダタが携えていた頑丈な業物、メタルキングの剣があった。
 剣を失った少女に贈られた、この上ない無二の剛剣。それを渡された意図を彼女自身痛感していた。如何に強力な装備があろうとも、それを上回る窮地があれば容易く命の危機に陥る。死線を潜り抜けたのも間違いなく紙一重と自覚できたからこそ、カンダタの憂慮も理解することができた。




 放たれた炎により荒廃した城塞の町の上空を舞う白き竜を追う、紅と蒼の炎の軌跡。次々と放たれる炎や氷を振り切るようにかわしつつ、竜の吐き出す吹雪の弾が次々と彼らへと撃ち込まれていく。
 炎に邪悪な意志が宿った魔物・フレイムを貫くと共に瞬時に冷気が内側から炎を打ち消していく。地獄の業火の如き炎を打ち消すだけの吹雪により、フレイム達は呆気なく消え去っていた。

『……ダヨネー。』
「んな事言ってる場合か、アレが来るぞ!」

 一方で、フレイムの特性を冷気に変じたような魔物、氷の悪霊・ブリザード達にはイースの氷の息吹は殆ど通用していなかった。同質の力を持つ彼らを強引に薙ぎ払うだけの力量の差を嘆くように嘆息するイースに、カンダタは呆れながらもブリザードを指差しつつ冷静に注意を促していた。

「ザラキ」

 追い縋ってきたブリザードの一体が呪文を唱えると共に、イースとその背に乗るカンダタへとその一部が腕のように伸ばされ、瞬く間に呑み込まんばかりに肥大していた。

『まほかんた』

 それが眼前に届かんとする直前、イースもまた呪文を以て応えていた。

『人ヲ呪ワバ穴二ツ?』

 首を傾げてイースがそう呟くと共に、呪文返し・マホカンタにより呼び起こされた光の球壁がブリザードの手を跳ね返し、そのまま己自身へと、そして仲間達へと差し向けていく。そして、死の呪文ザラキの力がブリザード達に一斉に食らいついた。
 吹き荒れる吹雪がブリザード達の根元を形作るものを消し飛ばしていく。源を絶たれて、彼らは文字通り息の根を止められる結末を迎えていた。

「こいつら、この世界のフレイムどもじゃねえな。」

 飛翔するイースに追いつく程の飛行速度に、その収束された息吹を耐えるだけの地力。地上で遭遇した者を凌駕するその力から、それらの魔物がこの世界で生まれた者ではないと知ることができた。
 冒険者にとって死神とさえ恐れられる、炎と氷の魔物達。その噂に違わない姿は、魔王軍の手下に成り下がったこの世界の彼らには決して見られないものだった。

『デモ、しゃちょーニハ楽勝ダヨネ?』
「……ああ、まだヤバいのでもいるってのか……?」

 その危険性を熟知しているからこそカンダタ達も、そしてここまで生き延びた町の戦士達も簡単に遅れを取ることはないはずだった。これ程の被害をもたらしたのは、更なる魔物なのかそれとも町の守りを何らかの形で弱めたのか。

「門が壊されてやがる。……この様子じゃ、中から出て来やがったな。道理でこんな奴らがうろついてるはずだぜ。」

 外敵の進入を阻む城壁の門が内側から倒されている。如何なる経緯かは知れずとも、敵が町の中から現れたのは間違いなかった。
 町全体を覆う退魔の結界も、フレイムやブリザード程度の魔物であれば近寄るだけで滅却されてしまう程の強力なものだった。それを破るとあれば、こちらの気づかぬ隙を潜り抜けて内部から破壊したと考えるのが自然だった。

「……む?」
『オット?』

 内部への侵略というこれまでにない事態に慎重に足を進める中で、不意にカンダタとイースに強烈な脱力感が襲いかかってきた。

「おい待て、どうなってんだ……? まさか……」

 己に降りかかった違和感に首を傾げ、しきりに手を握る中でそれが錯覚ではないと知らしめられる。

『……るかにトぼみおす、ソレニへなとすガ一度ニ掛カリ続ケテルミタイダネ。』
「……何だと? チッ、どうやったらそんなべらぼうな結界なんざ張れるってんだ……。」

 力を殺ぐ仕掛けの存在こそ明白であれ、その正体を今一つ察せぬカンダタに、イースは感じたことをそのまま言及することで説明していた。
 弱化の呪文ルカニ、鈍化の呪文ボミオス、そして奪力の呪文ヘナトス。その全てが一度に施されたことで明確に戦闘力を落とす、弱体化を狙った広範囲の魔法と見て間違いなく、カンダタも似たようなものは幾度か目にしていた。
 それでも、町や戦場全体を覆い且つこれ程の効果を与える代物など、余程力ある存在でなければ操れるものではない。今度の敵は魔王と呼ばれる者達にさえも匹敵すると、カンダタの本能が訴えていた。

「マホステ、か……なるほどな。」

 明らかな不調を覚えるカンダタとイースの側で、少女は自身の周囲を漂う紫の霧の動きを不思議そうに眺めていた。先のブリザードとの戦いで展開されていたマホステの力が、結界からの干渉を遮り少女への影響を抑えていた。

「まあヤツら相手にお前さんだけじゃ流石に心細いこったが、ちょいと無茶してもらうことになりそうだぜ。」

 あらゆる呪文を遮断するマホステも使い手を選ぶ代物であり、魔界を生き残ってきた者達でも使い手は五指に満たない程の希少な資質が求められていた。
 その中の一人、或いはこの状況では唯一希望となり得ると告げられるも、少女は今更怖じることなく頷いていた。



 店屋や家屋、露天商の広場が立ち並ぶ迷い人の町の市街も既に例外なく火の手が上がり、最早荒廃は免れなかった。その大通りの最奥に位置する一際大きな屋敷も戦禍に包まれていたが、未だ続く戦いの中で異様な光景が広がっていた。
 燃え広がる炎が館の半分を焼き尽くしている反対側には、巨大な氷河が覆い尽くしている。今も引き起こされる爆炎の傍らには消し炭と化したか、氷の棺の中で生き絶えているかの二つの末路を辿った犠牲者達、町を襲う脅威に立ち向かった異界の戦士達が命を落としていた。

「ちぇっ、半分は逃げちまったか。」

 それらの亡骸をつまらなそうに眺めながら呟く声が、そのモンスターの口から吐き棄てられていた。左の炎と右の氷でそれぞれの半身を構成された灼岩と氷塊の魔人が、その双手から呪文を放ち続けている。

「彼らもまた、希望を担う者。貴様如きに殺させはせぬ。」

 それらの氷や炎を次々に放つ光の矢で撃ち落としながら、最後の一人の男、迷い人の町の神父が魔人の前に対峙していた。息一つ乱さぬ様子ではあったが、結界の中では十全の力を振るえず、拮抗に留まっている様に不満を露わにしていた。

「……低俗極まりない人形如きが。我らの地に妄りに立ち入った報いは貴様一人では償えぬぞ。」
「けっ、何も出来ねえ癖に粋がってんじゃねえよ、クソジジイが!!」

 自らの不在を見計らって侵攻して町を焼き尽くし、多くの友の命を脅かして奪った敵に対し、神父は冷徹な表情の中に凄まじい殺気を込めた眼光を向けていた。
 そのように心底の苛立ちを覚えている神父の様子を、氷炎の魔人は実に愉快な面持ちで嘲り笑い、更に呪文を浴びせかけていた。
 


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