5.忘失の内に5

 武器を失い満足にその身を守るものすら持ち合わせていない完全に追い込まれた少女に向けて放たれた、処刑の呪術。暗黒闘気により魂を捉えて抜き取り、生ける屍と化さんと目論む中で、突如として異変が巻き起こされた。

「な、に……!?」

 吹き荒れる暴風により少女を羽交い締めにしていた牛人が弾き飛ばされて、デスカールが放っていた暗黒闘気の糸も残らず千切れ、脱魂の魔術も完全に霧散していく。そして、デスカール自身もまた、己を支える力を根こそぎ奪われ、たまらず片膝をついていた。
 吹き荒れる風に曝されると共に、体の力が急激に抜けていく感覚を他の魔族達も例外無く覚えていた。いつからかザングレイの手から逃れた少女の体から、先程の比較にならない力、彼女自身のものではない何者かの威光が撒き散らされている。

《全てを無に帰す。それが我が定めと知るがよい。》

 憤怒や憎悪のような感情を一切乗せぬ抑揚で、少女の内に封じられていた存在がそう言い放つと共に、天にどよめく黒雲が共鳴するように轟きを奏で始める。未だ吹き荒れる生気を奪う暴風を前に、魔族達は身動きが取れずにいた。

「しまっ……!!」

 急変した空の様子から危険を察知し、べグロムが焦燥と共に足掻こうとするも叶わず、次の瞬間に閃いた雷光にリントブルム諸共貫かれて燃え上がり、炎と共に跡形もなく虚空へと消え失せた。

「ベ、ベグロム……っ!?」
「ぬっ……ただの雷では、ない……!?」

 友が呆気なく消滅した様に驚愕する間もなく、雷は少女の傍らの地面を穿ち、その一点を中心とした爆発的な光の奔流が巻き起こされる。広がる光が地中から大地をめくり上げ、辺り一帯を破壊し尽くしていく。

「馬鹿な……!」

 残さず吹き飛ばされた大地の下から現れた白亜の城塞の一片を見て、魔族達はこの上ない程の戦慄を覚えていた。自分達が守る大地は人間はおろか、強大な力を持つ竜や魔族ですら侵し得ないもののはずだった。それがたった一撃の雷により破られ、その内を曝け出している。

「!」
「つ、剣……?」

 土煙が晴れ、露わになったその渦中に、一対の曲刀が突き刺さっている。それらは滑らかな曲線を描きながらも雷光そのものを体現したような形状を有し、虹のような煌めきを刀身に宿していた。
 その傍らには、呆然とへたり込むあの少女の姿があった。雷に巻き込まれたはずが、何事もないかのような状態でただその二つの剣を見上げている。それらはかつて、ベンガーナの森で悪魔達と交戦した果てに現れたものだった。このような場で再び顕現したことに、疑念を禁じ得ない様子で眺めていた。

「まだ生きていたか!」
「これ以上好きにはさせん!!」

 思わぬ災禍と化した少女を、これ以上生かしておいてはならない。ザングレイがその巨体に似合わぬ速攻の猛進をかけ、デスカールがその手のひらに集った暗黒闘気の塊を少女に向けて放つ。

「暗黒衝撃破を受け止めたか、だが!」

 先にデスカールの暗黒闘気が矢の如く少女へと突き刺さった。攻撃に特化するべく集束された暗黒闘気をかき消し切ることはできず、少女の体に猛烈な衝撃が走る。
 痛みつけ足りなかったのか残る気力を振り絞っているのかその一撃を耐えしのいだ少女に舌打ちしながらも、デスカールは再度同じ技を練り上げていた。今度はザングレイも追いつき、同時に攻撃をかけてくる。受け止められようはずもなく、まして逃げる暇もないのは明らかだった。

「馬鹿め! 女の細腕でその剣を操ろうというのか!」

 先程まで怯えていたはずの少女が、剣を前にして再び動こうとしている。身の丈すら超える程の大振りな得物に躊躇なく手を伸ばす少女に向けて、ザングレイは容赦なく斧を振り下ろした。
 危うく叩き潰されようとする所で剣が引き抜け、そのまま後転してかわしていた。

「遅い!!」

 それでも間合いは開かず、ザングレイの素早い斬り返しが少女を襲う。退路もまた、同時に仕掛けたデスカールの暗黒衝撃破により断たれている。
 持ち上げるのがやっとと言った重量の双製の大刀を抱えるようにして握り締めながら、少女はそのただ一つの希望に残る全ての力を賭けた。

「……っ!?」

 渾身の力で引き抜かれた二振りの剣が、少女の舞うように廻る動きに併せて振り抜かれ、その刃で阻むもの全てが断ちきられていく。振り下ろされんとしていたザングレイもその斧も、デスカールの放った暗黒闘気も、その一閃を境に二つに裂かれていく。押し潰さんと迫り来る脅威は、少女の技と大刀により残らず薙ぎ払われていた。

「み、見事……、だが……残、念、……だった、な……!」

 侮っていた少女にあっさりと倒されたことへの悔恨を露わにしながらも、ザングレイは嘲りの笑みを浮かべながら崩れ落ち、剣閃を境にして雷に焼かれて一瞬にして燃え尽きた。呆気なくこの場の魔族を葬り去れるであろう力への絶望がありながらも、それを見せる時期を誤った、と訴えかけているように見えて、少女に一瞬の不安が過ぎった。
 それでも、彼女にはこの場に与えられた状況の全てを利用して、敵を全滅させるより道はなかった。感じるままに二振りの刃の柄頭をつけると共に、双頭の剣へとその姿を変えていく。更に雷光が一つ迸ると共に、柄が変形して、上下の刃を弓状に支える形を取る。

「ブーメラン……!? 奴め、直接我らを狙おうと!?」

 それは、圏と呼ばれる柄を中心とした輪状の刃を持つ武器に酷似しており、剣とは別の扱いに特化した形だった。尚も浴びせかけられる暗黒闘気を払うように振るうだけで容易くかき消しながら、少女はその武器を大きく振り被った。

「デスカール! 手を貸せ!!」
「ガルヴァス様!」

 ザングレイをたった一太刀で葬り去ったあの武器をまともに受ければひとたまりもない。このまま投げ放たせるわけには行かないと知り、ガルヴァスは右手に大槍を掲げながらデスカールに呼びかけた。
 主の声に応えるように、デスカールが槍に己の持てる力全てを注ぎ込む。全霊の暗黒闘気を受けた槍が黒い輝きに満ちて投げ放たれ、少女が圏を放つ前にその眼前へと迫っていた。少女が普通に操れる重量を大きく上回っている中で、致命的な挙動の遅れだった。

「っ!?」

 その瞬間、不意に少女の手元から重みが消えて、体が宙に浮くような感覚に思わず悲鳴が零れた。圏が彼女の意思に反して独りでに動き出し、瞬速の槍へと叩きつけられる。槍に纏わりついた暗黒闘気を余さず喰らい尽くした後に二つに斬り払い、雷光により焼き払う。

「ぐおっ!!?」
「ガルヴァス様!!」

 電撃の残滓が離れたガルヴァスをも打ち据えて、追撃を遮る。魔族二人を跡形もなく消し飛ばした雷により彼もまた無事では済まず、発火した炎に包まれていく。
 その隙に少女は再び圏を持ち上げて、渾身の力を以て彼らへと投げ放った。迎え討たんと放たれる暗黒闘気を尽く打ち払いつつ、その刃がデスカールの体を縦に両断した。そのまま地面へと突き刺さり、現れたその時と同じような滅光が広がっていく。
 大地諸共魔族達を呑み込み、断末魔の叫びごと跡形もなく消し飛ばし、再び圏が少女の元へと戻ってくる。あれ程多くの攻撃に晒されながらも刃こぼれどころか汚れの一つもなく、この世ならざる煌めきを今尚も宿している。
 自分よりも格上の魔族達を残らず殺し尽くした人ならざる者の力。これがエビルプリーストが言及していた”悪魔”のものなのだろうか。

『貴様だけは……生きて、帰さん……!!』

 己のものではない力に不安を覚えていると、光の中に消えたはずのガルヴァスの声がどこからともなく聞こえてきた。気配を感じることが出来ずに慌てて辺りを見回すと、倒した魔族達の亡骸からそれぞれ宝珠が現れて、空に描かれた光の魔法陣の元に集い始める。

『ベグロム、ザングレイ、デスカール、滅びたか……』

 雷光により跡形もなく焼かれた三人の魔族の元からは宝珠が届かなかったことから、ガルヴァスはその意味を悟り、憎悪に燃えていた。残りの三人の宝珠が天に描かれた六茫の星の頂点に位置づけられ、円の中心に力を与えていく。

「これでは二度と蘇ることは叶わぬ。やはり貴様はここで殺しておかねばならぬ。」

 魔法陣に描かれた蘇生と再生を司る呪法により、滅びたはずのガルヴァスの肉体が一から再び生成されていく。再び地上に降り立つと共に、三つの宝珠が彼の元に集い、巨大な槍を形作った。
 戦場に滅びた部下達の無念を晴らさんとしてか、ガルヴァスは復讐の念を露わに振り上げた長槍の穂先を少女へと向けた。

「我らが生命を賭けし一撃で葬り去ってくれる。喰らえ、豪魔六茫槍!!」

 生命を迷わず投げ出したような捨て身の姿勢を示すような爛々と輝く炎に包まれた魔の者の技。自分達を否定するような凄まじい力に対する純然たる反発が、悪しき者に叙せられる彼らにも純粋な力を与えているのか。
 いずれにせよ、死力を尽くし切った彼女に、それにすぐに抗するだけの力は最早残されていない。再び縋るように圏に手を伸ばすも持ち上げることもこの場から逃げることすら出来ず、ただ迫り来る死の気配への焦燥が増すばかりだった。


「嬢ちゃん、危ねえっ!!」
「!」


 次の手を打つことすら許されず絶体絶命の状況に立たされた中で、不意に力強い男の呼びかけと共に、巨大な影が少女の眼前を覆い尽くした。翻される外套と共に、凄まじく巨大な物が振るわれる風切り音がすると共に、武器同士が交えられる甲高い轟音が鳴り響いた。

「……おいおい、とんでもねえのとやりあってたなあ、嬢ちゃんよ。」
「!!」

 振り返らぬまま語る男の声を聞き、少女は驚きながらもこの上ない程の安堵の余り緊張の糸が切れ、落涙していた。記憶を失い右も左も分からなかった彼女をずっと見守り、戦士としての成長を助けてくれた父親とも言える男。迷い人の町の有力者、カンダタの姿がそこにあった。

「っと、まだ安心するにゃあ早いみたいだぜ。いや、俺がいるから安心していい、か。ベホマ!」

 未だ敵が倒されていない中でも彼女が絶望的な状態の中でずっと耐え抜いてきた心情を察して、カンダタはおどけた調子で言い放ちつつ、己に呪文を施していた。
 ガルヴァスの放った奥義を受け止めた際にわずかに負った傷も、体の内にまで届く衝撃により負った痛手も瞬く間に完治していく。回復呪文の最上位に位置するベホマの呪文を、カンダタは事も無げに操って見せていた。

「貴様……何故魔族でありながら、我らの邪魔をする!」
「魔族だあっ!? 馬鹿言え、俺はれっきとした人間サマだっての!!」

 その巨駆と今し方操った高度な呪文故か、ガルヴァスでさえも人ならざる者と誤認し、邪魔立てに対し苛立ちを露わにしていた。だがカンダタは全くその言葉を予想していなかったのか、半ば怒鳴るように真っ向から否定していた。

「ふん……これだから異世界から来た人間どもは。虎の威を借る狐の如く増長しおって。」
「……あー、なるほどな。あんたもあのお調子者共に煮え湯を飲まされたクチか。見下すことしか出来ない哀れな奴らと言えばまあそれまでだけどよ。」

 直後の言葉で、ガルヴァス達がこれまでどのような不埒な者に遭遇してきたかを知ることが出来た。
 本来この世界に在らざる者達が、気まぐれの天恵の力を得たり持って生まれた特異な力を操り、暴利を貪らんとしている。そのような傲慢なる異世界からの人間の排除こそが、彼らの任務だったのだろう。
 同じ人間達を殺してきたとはいえ、その性質の悪さを理解しているからこそ、カンダタは同情さえするように嘆息していた。

「貴様等も同じことだ。そやつら同様、人間らしく惨たらしく死ね!!」
「……だったらしゃあねえな。恨みはないが、俺の可愛い弟子を可愛がってくれた礼もあるしな!」

 結局は相容れない存在でしかなく、互いに戦うより他に道はない。ガルヴァスが忌々しげに再び槍を生成すると共に、カンダタもまた右手に大斧を構えながら、左手を剣の柄に掛けて一心に引き抜くと共に鋼鉄に似た鈍い光沢を持った幅広の刀身が姿を現す。大振りな長剣でありながら、カンダタの体躯からしてみれば懐剣にも見えてしまうような大きさだった。

「悪いがとっとと終わらせてもらうぜ。こっちも時間がないんだよ。」
「抜かせ、その小娘諸共道連れにしてくれる!!」

 勝負を急ぐようにカンダタが構えると同時に、ガルヴァスが再び宝珠から槍を練り上げて投げ放つ。それに応じるように、カンダタもまた手にした斧を槍へと投擲していた。

「そのような斧で我が豪魔六茫槍を破れると思ったか!!」

 最後の執念からか凄まじい力が込められた槍が触れると共に、斧は跡形もなく粉砕される。尚も勢いを逸らされる事無く、業火を纏った槍がカンダタを貫かんと迫る。
 だが彼は全く動じた様子もなく諸手で剣を握り、交錯の瞬間に力任せにしゃくり上げていた。完全に弾き返されると共に真っ二つに砕かれた槍が宙を舞い、力を失って霧散していく。

「その剣は……!?」
「はっ、無敵のメタルキングに勝てるわけねえだろ!!」

 最後の切り札を剣一本で難なく防ぎ切られて失意すら感じるガルヴァスへと、カンダタは戦の高揚感そのままに叫びながら突進し始めた。
 人間の中でも最高の刀匠が手掛けた名高き品々の一つ、メタルキングの剣。その名を冠する最も硬質とされる幻のモンスター・メタルキングですら斬り裂いてみせた逸話より、その名を冠したとされる名剣だった。
 切れ味だけに留まらず、その恐るべき耐久性でも知られ、今もまた必殺の一撃を受け切って尚も刃こぼれ一つ起こしていなかった。

「ぐっ……なめるな!!」
「んな不完全な悪あがきなんざ何度でもへし折ってやるよ。行くぜ、魔神の斧!!」

 ガルヴァスも怯まずに抗しようとするも、本来の豪魔六茫槍の力でないことは既にカンダタに見切られていた。最後の力を振り絞って再び槍を生成して幾度も投げつけるも、カンダタが手にしたもう一つの武器、まがまがしい意匠の巨大な戦斧がその全てを薙ぎ払っていく。
 最後の一つを大きく跳躍してかわすと共に、自慢の戦斧・魔神の斧を頭上で回転させながら振りかぶり、全身全霊の一撃をガルヴァスに叩きつける。

「おの……れ……! この場でこのようなことを……して、ただで……済むと……思うな……っ!!」

 最早それを防ぐ術もなく戦斧により両断されながら、ガルヴァスは人間に倒される怨恨を露わに最期の言葉を吐きかけて、絶命した。
 残された六茫の槍も立ち消えて、この場を覆う魔の者の気配が完全に消え失せていた。

「!」

 ガルヴァスが生き絶える様を見届けた直後、少女の手元に残った曲刀の圏が雷光と化してその胸元に吸い込まれていた。

「それが、嬢ちゃんを守った力ってか……。なるほど、神父サマが動くわけだ。」

 役目を終えたとばかりに彼女の元に消えた、不可思議な武器の存在には、カンダタも気づいていたらしい。襤褸と化した神父の外套を衣代わりに纏っていることからも、少女の身に何があったかを概ね推察出来た様子だった。

「はっはっは、悪い悪い。ちょっと見ねえ間に色々成長してるみたいで何よりだぜ。……って、おいおい睨むなって。」

 度重なる受難により装備を全て失い、服として纏っていた神父から与えられた外套も殆ど襤褸に等しい状態にあり、あられもない姿を晒している。
 カンダタに悪気がないことは分かっていても、そんな有様をまともに見られて、少女にとってはただただ気恥ずかしいばかりだった。

「まあ今更あいつに礼を言うまでもねえだろ。お前さんとの仲だろうからよ。」

 寒さと羞恥に震える少女に外套を投げて寄越しながら、カンダタは空を指差していた。未だ雷を宿す雲の間から白く大きな影がこちらに向けて飛んできて、傍らへと降り立った。

『オカエリ〜♪ 待ッテタヨ〜♪』

 羽ばたきと共に冷たい風が少女の頬を伝う中で、剽軽な子供のような声が厳つい竜の口から投げかけられる。ドラゴンライダーとしての少女に従う白竜イースが、その眼前で愉快そうに佇んでいた。

「しっかし、よくここが分かったよなあお前。」
『ボスノ口笛ナラ聞コエテタンダケドネエ。ないすたいみーんぐ、ニモ間ニ合ワナクテ、カッコ悪カッタネ。』
「…………やはり、か。」
『ソユコト。』

 絶体絶命の中で少女が発した呼び声は確かにイースの元に届いていた。だが、今になってようやく駆けつけられたのはこの地を包む不思議な力がそれを許さなかったらしい。
 少女自身も憶えのある旅の扉の先に渦巻く濁流とその中で受けた黒い波動、狙い澄まされた暗黒闘気による攻撃。詳しい原因やカンダタやイースが同じ物を見てきたかこそ
分からなかったが、これ以上ここに居ては危険なことは間違いないのは理解できた。

『ジャ、行コッカ〜♪』

 すかさず有無を言わせず少女をカンダタ共々その背中に乗せながら、イースは力強く大地を蹴って飛び上がった。切迫した状況にありながら相変わらず何処か楽しそうに振る舞いつつ、為すべきことを為している。

『るーら』

 大きく翼を広げると共に、イースは呪文を口ずさみ、背に乗せた二人と共に光となって遙か彼方へと飛び去っていった。


 雷光と共に現れた一対の剣に穿たれた大地に現れた白亜の城の外郭。その床から現れた影から、何者かが静かに浮き上がってくる。
 満面の笑みが刻まれた仮面をつけた漆黒の道化師。その肩には巨大な刃を持つ鎌が担がれており、道化特有の滑稽な衣装とそれに反する死の匂いを纏ったおぞましき死神を容易く連想させる風貌だった。

《逃がすつもりは無かったのだがな。》

 共に現れた異形のモンスター・悪魔の目玉達が周囲を見渡し続ける中で、その内の一体が道化師に向けて、おぞましい声で語りかけていた。
 瞳孔が開き切った奥に、天蓋と幕で覆われた玉座の間に巨大な影が佇む様が映し出されている。その目に映る場の全てを他の者達と共有し、離れた場における会話も可能にする、この世界における悪魔の目玉達の役目だった。

「確かに聞きたいことも山程ありましたからねえ。あの剣が見事に妨害してくれてたのもありますが、全く残念ですよ。」

 悪魔の目玉の奥で、主たる者が不平を露わに嘆息しているのを見て、道化はそれに同意すると共にその意向に添えなかったことに面目ないとばかりに肩を竦めていた。
 この地に落ちた雷と共に現れたあの剣に込められた、魔の者ですらも瞬時に滅する程の桁外れの聖性。それが自分がこの場に現れようとするのを最後まで妨げていた。

「でもあれは無策で戦っていい相手じゃあない。死の大地を貫く程の力があっちゃ、なにが起こるか分かりませんから。」

 そして何より顕現と共に撒き散らされた破壊の暴風。あれも少女の内に封じられた悪魔たる者の力の一端に過ぎぬ可能性を否定できない。落とされた雷がもたらしたものだけでも十分脅威に値するだけのものだった。

《我が結界を砕くとは、竜の騎士共をも凌駕する力か。だが、あの娘自身はひ弱な人間に過ぎぬ。度し難きものよ。》
「ボクはそんなあのコの立ち回りが恐ろしいと思いましたけどねえ。折れた剣一本でガルヴァス君の手勢を三人も倒してしまったのですから。まるで自分より強い相手に対してとても戦い慣れてるようにも見えますよ。」
《ならばこそ、余自ら手を下さねばならぬのだろうが、機を逸したな。後は、お前達に任せる他あるまい。》

 魔の懐から逃したばかりか、この死の大地を守る七人の守人を残らず殺し尽くした被害。悪魔の力を借りたとは言えども、弱い人間の身でありながら足掻き抜いた様は見届けてきた。
 脆くありながらもしぶとく生き残り、あらゆる戦況を己の物とするような戦士。実力差のある相手ですら下す程の危険性を帯びている以上は早急に息の根を止めておく必要がある。それこそ大魔王たる主自らが手を下す程の価値すらある脅威と見なしていた。

「仰せのままに。しかし、勇者君達の大活躍のお陰で肝心の六大軍団があの有様ではねえ。ハドラー君についてはミストが追っているみたいですけど、バラン君までもがいなくなった今、六大軍団はもうガタガタだ。彼についても始末をつけなければならないでしょうし、他のメンバーだって動ける状態じゃない。まあ、それはバーン様にはどうでもよいのでしょうけれど、何よりボクの代わりになるような子は他にいないようですよ。」
《ふむ……バランも捨て置けぬ奴よな。》

 主・大魔王バーンと共に今し方去って行った脅威について論じる中で出たそうした結論と命令に恭順しながらも、道化は現状ではそれを為す術がないことを言及していた。離反と戦死によって散っていった六大軍団。その補完と鎮圧の役割を担う者達が足りない現状に置かれていた。
 特に、竜騎将バランが占めていた戦力は六大軍団随一であったからこそ、その離反は最悪の損失であり、すぐに対処しなければならない不安要素であった。

《いずれにせよ急がねばならぬだろう。我らの脅威と成り兼ねぬ以上は、な。忙しくなるぞ、キルバーンよ。》
「そうですねえ。これはもっと人手が要りそうだ。」

 みずぼらしい異世界の少女に過ぎないとは言え、目の前で鮮やかな結果を出されて捨て置けるはずなどない。抹殺にまで至らずとも、常にその動向を探ってその機を伺うぐらいのことは必要になるだろう。
 純然たる力だけに止まらず、更なる危険性をも秘めた存在を許すわけにはいかない。それが大魔王バーンの答えだった。

「……ふむ。スペードの2、の逆、か。」

 悪魔の目玉が閉じて、何者も見ていない中で、道化・キルバーンはおもむろに黒いカードの束を取り出して、無作為に一枚を引いていた。
 スペードの2の逆位置を示すカードが手に取られたのを見て、いつしかその傍らに乗っていた魔法使いの風貌をした子供のような一つ目の魔族がキルバーンへと笑いかけていた。

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