3.破魔の天雷4

 どれほど倒し続けても一向に現れ続けるばかりか、狂喜を深めるばかりの悪魔の軍勢。ガルダンディーもラーハルトも、衰えることを知らぬ彼らの勢いを前に困惑を深めていた。
 
「おい、ボラホーン。あの小娘は?」
「……んん?何処に失せおったかな?」

 その戦いの最中、いつしか帰ってきた僚友を見るなり、共にいたはずの少女の姿が見えないのをいぶかしみ、ガルダンディーが尋ねると、彼−ボラホーンはわざとらしく首を傾げてみせていた。

「んなこと言って、てめえが置き去りにしたんじゃないだろうな。」
「ふん、知らんな。己のドラゴンを見捨てて逃げようなど見下げ果てた奴よ。」
「は?あの甘ちゃんがんな大それた事するわけねえだろうが。やっぱりてめえ……」
「敗者の弁は聞きあきたぞ、ガルダンディー。そこで倒れるなら所詮ただのニンゲンだということだ。」
「んな下らねえ幕引きで勝負を逃げようってか?てめえ!」

 一度破れたが故に汚名返上を求めるガルダンディーと、名声に妄執するボラホーン。負けたが故に復讐を求めるにしてもその手段の卑劣さと回りくどさを罵り合うその真っ向から対立する思惑から、互いに一歩も譲らぬ口論を繰り広げていた。

「……落ち着け二人とも。どうやら我らとてあの小娘に構っている暇はないようだぞ。」
「そのようだな……。」
「むう……。」

 だが、ラーハルトが冷静に注意を促すと共に、二人もそれに頷くと共にこれまでにない敵の気配を感じ、途端にその余裕の態度を消して構えていた。

「うぬ等が、竜騎衆か?」

 振り返ると同時に、遙か高くから遠雷を思わせる程に響きわたる低い声が耳に入ってきた。

「……く、こいつは…………」

 現れたのは、先程まで相手をしていた悪魔達よりも際だって大きい体躯を持つ、真紅の一つ目の巨人だった。

「は、はぁあああ!?」
「くっ、なんてヤツだ……」
「バカな……」

 近くにある樹林の一つそのものを引き抜いて、その巨大な身の丈を越えるそれを軽々と振るってみせる。常軌を逸したその光景を目の当たりにして、流石の歴戦の戦士達も絶句せずにはいられなかった。

「ワシは大巨人アトラス。我らが契約者殿の命によりお手合わせ願おう。」

 ただ殺戮本能に任せて襲いかかってくる他のモンスターと違い悠然と、それでいて対峙するものを今にも押しつぶさんとする威圧感が振りまかれている。威風堂々とした態度で、大巨人アトラスは呆気に取られる三人の竜騎衆に向けて名乗りを上げ、大木をそのまま振り降ろしていた。



 大木をそのまま切り出されたような巨大な棍棒が叩きつけられると共に乾いた音が鳴り響き、地面に剣の切っ先が突き刺さる。
 緑色の体皮を有する一つ目の巨人−ギガンテスからの痛恨の一撃を捌ききれず、身代わりとなって受けた破邪の剣が半ばから砕け折れる。剣の末路を一瞬看取るも、それに囚われることはせずに飛びかかり、折れた剣の切っ先をその目に向けて突き立てる。窮鼠猫を噛むかの如き一撃を前に、ギガンテスは致命傷を負って激痛にのたうちまわった。
 共に戦う者とはぐれて−或いは見捨てられた以上、速やかにこの戦場を抜けなければならない。キメラの翼や思い出の鈴を初めとする道具を取り上げられた今、その足で逃げ延びるしかない。折れた破邪の剣を鞘に収めると共にもう一つ帯びていた得物・バトルアックスを手に取りつつ、その歩を森の外へと早めていた。
 途中で幾度か起こった悪魔達との戦いで魔法力も尽き、手傷も幾らか負い、確実に状況は悪化の一途を辿っていた。

「これはこれは。まだこのような場所に生き残りがいようとはねえ。」
「……っ!?」

 極力気配を隠しながら脱出を試みる最中、不意に背後から気取ったようなささやきが聞こえてくると同時に、鳥肌が立つような悪寒が全身を駆け巡った。
 すかさず戦斧を振るうも空を切り、その先にあった木が切り倒される。

「ほほう。その細腕でこれだけの芸当ができるとは、相変わらず対した一族ですねえ。ですが……」

 倒れようとする木の先に立ちつつ、その芸当に興じるかのように称えながら、右手をかざす。あたりのあらゆるものが吸い込まれて、そうして凝集した空間が光輝いている。

「イオナズン」

 そして、呪文を唱えると共に右手に集めた光を倒れる木に向けて解き放った。爆裂呪文と呼ばれる類の最上位に位置するイオナズンの力が木にぶつかる直前で爆ぜて、瞬く間に辺り一帯を飲み込む爆発となって広がった。
 少女の覆う紫の霧が広がる爆風をかき消して、彼女への熱と暴風をことごとく遮っていく。だが、爆発で砕かれた木の断片はそのまま雨の如く少女に飛来して、その柔肌を切り刻む。
 急所を貫かれることはなかったが、一度に広範囲の攻撃に対してこの鎧では対応できず、まともに木々の欠片に傷つけられることとなってしまった。既にホイミでも治らないような傷を無数に刻まれている。

「マホステなどの力に頼ろうとするあたり、やはり全てお忘れのようですねえ。」

 激痛に耐えきれずに片膝をつきホイミで回復を試みようとする少女の前に降り立ち、襲撃者はその無様な姿に辟易するように肩を竦めながらまくし立て始めた。
 先程まで戦っていたシルバーデビル達と同じく、類人猿に蝙蝠の耳と翼が付加されたような悪魔の類ではあるものの、その体色は毒々しい紫を基調としたものであり、体躯も彼らのそれよりも逞しくまがまがしさを帯びていた。

「それともその枯渇した状態だから捌けなかったとでも?それなら覚えているでしょう?私ですよ、バズズ。三大魔天が一人、バズズですよ??」

 回復呪文だけでは治癒しきれない程の深手を負い、満足に動けずにいる少女に聞かせているつもりなのか、バズズと名乗った紫の悪魔はひたすらにまくし立てていた。

「私達は貴女方に煮え湯を飲まされたというのに。我らの主神と原初の神たるあの方もさぞや憤慨なさっていることでしょう。」

 記憶を失う前から自分を知っているかの物言いと、彼らの崇める神々という大それた存在についての言及。取るに足らない芝居がかった抑揚で語るバズズの長々しい話の中でその言葉を拾った時、少女の思考の全てがそれらへと向けられた。

「どうにもあの竜騎衆なる自惚れ屋の集まりが目障りでしてねえ。いっそのことこの場で潰して差し上げようと思ったら思わぬ収穫ですよ。」

 悪魔達にとって、ベンガーナの市街や人間よりも、ガルダンディーら竜騎衆こそが目障りらしい。魔王軍の誇る六大軍団最強を誇る超竜軍団、その上位に位置する勢力の存在に幾度となく戦っている事実からも伺えた。
 だが、その目的すら差し置いても少女を見つけたことに狂喜している様子だった。

「!」

 残った僅かな魔法力でホイミを唱えて少しでも逃げようとしている所で、バズズが立ちはだかり、その首を左手で掴んでゆっくりとその顔の前に持ち上げる。息苦しさの中で、猿人らしい険しい顔つきに不気味な笑みが満ちているのを目の当たりにする。そして、その右手にまがまがしい青の憐光を帯びた切っ先が見える。

「この”魂の剣”で直接その魂を抜き取らせて頂きましょうか。我が主に捧げるためにね。」

 柄より先が静かに燃える青い炎のごとき揺らめきを帯びた刃となっている剣−魂の剣。それが心臓めがけて突き立てられたその瞬間、体中を引き裂かれるような常軌を逸する激痛が襲うと共に、己の体から意識が剥離していくような感覚を覚える。 

「さあ、その存在をこの剣に宿されるがよろしいでしょう!!このか弱き人間に宿りし者よ!!」

 天の遙か彼方にまで木霊せんばかりの甲高い己の断末魔の叫びを薄れゆく意識の中で聞く中で、バズズが更に深く剣を突き刺し、少女の体を貫く。淡い光が傷口から零れ落ち、そしてその光と同じ金色の稲妻を思わせる輝きが刀身全体を覆っていた。
 彼女の内から吸い上げられていく光を見て満足げに笑みを深めながら、バズズは魂の剣を一気に彼女の体から引き抜き、抜け殻のように力なくうなだれる体をゴミのように放り棄てる。
 そして、彼女から抜き取った光輝く剣を掲げながら、バズズは歓喜の叫びをあげていた。


《……呼び醒まさんと欲するは、何奴だ?》
「!!」


 だが、次の瞬間に少女の方から聞こえてきたおぞましいまでの威圧感が込められた声を前に、バズズの顔に驚愕の表情が張り付く。次の瞬間には、手にした剣から金色の光が天に向けて放たれ、辺りが灼熱の炎に包まれると共に空を覆い始めた雷雲から無数の雷が森全体に向けて降り注いだ。

「「!」」

 遠くから聞こえるこの世の物とは到底思えない女の悲鳴を聞くと共に、三人の戦士と一人の巨人の動きが止まる。

「な、なんだあ!?森が丸ごとぶっ飛ん……、ぐあ……っ!!」

 不意に落ちる雷により、次々と森が焼き尽くされていくのを目の当たりにして驚愕するのも束の間、ガルダンディーは相棒のルード諸共雷に打たれ、燃え盛る森の中へと墜落していった。

「ぐおお……お、おの………れ……!!」
「……ぐ……はっ……!!」

 残りの二人の竜騎衆達もまたその雷を凌ぐ術はなく、束の間の兆候を感じた時には既にその身を焼かれていた。

「むう……この力は……!」

 だが、雷が襲ったのは竜騎衆の三人だけではなかった。その周りでは悪魔達が残らず降り注ぐ雷の餌食となり、跡形もなく消滅していた。先程まで死闘を演じていた巨人・アトラスにも雷が打ちつけている。
 同胞達が呆気なく消え去る雷の力を目の当たりにして怖れを覚えるも、自らはその雷を幾度も受け切っていた。

「バズズ!ベリアル!無事でいるのだぞ!!」

 突如として訪れた脅威を前に、もはや互いにこれ以上戦いを続ける余裕はない。仲間の名を呼ぶ巨人の姿はいつしかその場から薄れるようにして消え去っていた。

「何故……オレ達に……雷が……!?」
「一体何の悪夢だ……、これは……っ!!」

 アトラスだけでなく、他の者達も退いたか焼かれたか、敵手の姿が消えていく。 敵味方の区別もなく、これだけの強者達を一瞬で葬り去ってのけたこの雷は一体何なのか。その疑問を抱いたまま、ボラホーンとラーハルトは力尽き、地面に倒れ込み意識を手放していた。



 時を同じくして、樹林に注ぐ落雷の嵐を遠くに見えるテランの山林地帯にある洞窟前に、一際大きな影が佇んでいた。

『……!!』

 その身を起こすと同時に鎖の擦れ合う音が鳴り響く。金属で拵えられた首枷を付けられた白い竜の子・イースが、洞穴の入り口に繋がれている。

『……ボス、ナンカ痛ソウダナー……。』

 天にあまねく黒雲にも、そこから巻き起こされる雷にでもなく、イースの薄紫の瞳孔は燃え盛る森の方に向けられていた。離れ離れになった主人のことを案じて、その身に味わう重苦のように感じているのは確かだったが、その割にはどこか不可解で、なによりも暢気な雰囲気だった。



 幾度も響きわたる雷鳴が小さくなり、やがて辺りに静寂が戻る。樹林を焼き尽くしていた炎もいつしか消え失せ、辺り一面が灰塵に覆い尽くされている。そのくせ炎に焼かれた後とは到底思えない程の冷たさを帯びた雰囲気が漂っていた。


「おやおや……よもや貴女の魂すら抜けていないとは。」


 息苦しさと共に目覚めるなり、バズズが怪訝な表情を浮かべながらこちらの顔をのぞき込んでくる姿が目に映る。
 少女自身も魂の剣に貫かれて命を落としたとばかり思っていたが、貫かれたはずの心臓から、己の鼓動を感じていた。しかし、意識が引き剥がされるような激痛を感じてから、体が己の物でないような違和感を覚えていた。

「どうやらこの魂の剣程度では役者不足のようですねえ。これでも上澄みの力でしかないということですか……。やれやれ全く、末恐ろしい。」

 呆然と見上げる先にあるバズズもまた、先の雷に打たれて深手を負っている様子だった。魂の剣を握る右手を初め、随所が炭化すらしている程の己の状態をも省みずに言葉を並べ立てている。そのバズズの言葉から汲み取れたのは、彼の魂の剣では少女とその内に存在する何者かの魂を奪うことができない、と言った程度のことだった。

「これを見て下さいよ。この魂の主が携えていた武器ですよ。まさか魂の剣からこんなものがでてくるなんて前例がなかったもので、ええ。」

 言葉を続けるバズズが指差す先に、二振りの肉厚の曲刀が岩石に突き刺さっている。真紅とも藍ともつかない艶めかしい光沢をもち、その重厚な刃であらゆるものを斬れそうなこの上ない業物であることを感じ取れた。
 そのようなものが、己の中に封印されているのは如何なる経緯に因るものなのかを、バズズは概ね見当がついている様子だった。

「何より、まさかその中におわしていようとは。なるほど、契約者殿は既にお見通しだったようだ。どうやら貴女は凄まじい器をお持ちのようですねえ。」

 魂の剣にこれだけの力を持たせる存在を宿すなど、人間にできるものではない。彼女自身に一体どのような資質があるのか、それとも秘法を施されたのか。いずれにせよ、魔の者を封じるがために育て上げられたとバズズは推察している様子だった。

「しかしまあ、よくこのようなものを封じようとか思えましたねえ、かつての貴女方は。あんな無謀のためにあれ程の犠牲を払ってまで。逃げておけば助かったやも知れないものを、これだから人間は度しがたい。」

 そして、その根幹となる出来事にも立ち会っていたらしい。今起こったものの比ではない災いそのものに直面し、それを封印した者達の存在が、バズズの発言から示唆される。その当事者、それも器−生け贄とされているような話を聞かされて、少女は絶句していた。
 この封印と関わりのあることを思い出すことも出来ずにいるが、確かに今この場に起こった災禍の正体を他に説明できる存在もない。

「さてさて、どうやら厄介な者が現れたようですので、今日の所は失礼いたします。魔天バズズでございました。どうぞご機嫌よう。」

 己の本当の姿への疑念を強く脳裏に焼き付けている少女を横目に、バズズは彼女の後ろを眺めながら、別れの言葉を切り出していた。すぐに追わんとするも、既に地の中にとけ込むようにして消え去っていた。


「……ただの戯れ言とは思えぬな。」


 直後、背後に聞こえる足音に気づき振り返ると、いつしかそこに、大刀を背負った武人−超竜軍団長バランが佇んでいるのが見えた。
 いつからバズズの言葉を聞いていたのか、少女と残された双剣を見て、先日よりも油断無い様子で対峙していた。己自身の物ではない力に対して畏怖の念を抱かれることこそ、少女にとっては返って恐怖であった。

「……ああ、こちらも思わぬ脅威だったよ。注意すべきは獣王クロコダインのみと思っていたが、アバンの使徒、と言ったか……。」

 一方で、バランもまた手傷を負い、疲弊を隠せぬ様子であることに気がつき、怪訝に思い尋ねると、彼も予想外の伏兵に遭ったことを聞かされた。直接剣を交え、圧倒的有利と思えた相性すらも跳ね退けて結局勝てなかったバランが、自分の時とは比較にならないダメージを受けている。

「そう、お前にも、やってほしいことがある。我が息子を……ディーノをこの手に取り戻すには、お前達の力が必要なのだ。」

 目の前の少女が脅威となり得ると知りながらも、竜騎衆達もこの悪魔達の牽制の最中に思わぬ痛手を受けている。そして少女もまた、イースや自身のためにバランの命に従わなければならない。
 やがては排斥しなければならないという危惧さえも垣間見ながら、バランはその脅威を抱えた彼女を用いることを考えざるを得なかった。
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