第三章 金色の王墓
第一話
 
 
 ロマリア王都を発ち、砂漠にあるイシス王国を目指して南東へと向かう途中にあったのは、噂に違わぬ盛況を誇る交易都市―アッサラームであった。西に広がる熱砂丘の余波を微かに受けているのか荒野の上にあり、緑豊かなロマリア地方と比べると些か色彩を欠いた趣きにも見えた。
 だが、北西のロマリアと南西のイシス両国、はたまた南の海路や東の山道―バーンの抜け穴から行き交う者達による物流は、この無味乾燥の地を明るく彩る程の恵みを与え、それが更に多くの人々を呼び込んで、膨れ上がり続ける賑わいを作りだしていた。世界中からそれぞれの文明が集い合うが故に、この地に来れば必要なものは大方揃うと言わしめる程の商業の要となり、それはかつての小さな旅籠の町だった頃の面影は殆ど残っていなかった。


 更に多くの人々の目を引き付けるべくして建てられた大衆の劇場の舞台の上に、踊り娘達が上がり始める。彼女達が纏っているのは胸元を覆うだけの衣装と踝まで届く長さの腰布という煽情的なものだった。舞台下に控える楽師達が打ち鳴らす打楽器の韻に合わせて目にも止まらぬ速さで歩を踏み、慌ただしくも円を描くように丁寧に腰を揺らす度に、踊り娘達のたおやかながら生気に溢れた若々しい体が妖しく蠢くように見え、客達の目を一層引きつける。
 そのくせ、上半身の落ち着いた動きと客席に向けて振り撒かれる笑顔が、この踊りを男を誘うための単なる情婦の舞などという下らないものに留めず、他を寄せ付けぬ己の意思さえも感じさせる。


―終わったか。

 忙しく掻き鳴らされる音楽が止むと共に、下の席の方で拍手喝采が巻き起こるのを耳にしながら、ホレスは心中でそう呟いていた。随所で酌み交わされる酒の芳醇な香りが漂う酒場のテラスの淵から、舞台の全様が見渡せる。それ故に、ここに集まる男共も少なくなかった。
 そんな彼らの歓声に一瞥すらせず、テーブルの上のコップを傾けて茶をすすりながら、手にした古びた本を黙々とめくっていた。

「面白いものを読んでいるのね。」

 喧噪の中で、一人の女性が声を掛けてきた。自分に何か興味を示したのか、近づいてきたのは小さな靴音ですぐに分かったが、どうやら話しかける機会を窺っていたらしい。
「……ん?」
 だが、ホレスは振り返る前に彼女の声を聞くなり首を傾げていた。
―この声色は……?それに……
 振り返ると、魔法使いの三角帽子を小脇に抱えた赤髪の女性が悪戯っぽい笑みを浮かべながら緑の双眸で見下ろしていた。人並み外れた聴力故に、その姿を見る以前にホレスは彼女の声色から微かに思い浮かぶものがあった。
「あら、私に何か見憶えがあって?」
 自分の姿を見るなり固まったように動かないホレスに、魔女は少々不思議そうにその顔を見返していた。特に悪い感情を抱いているわけではなく、余裕を感じさせる微笑みの表情を湛えている。
「いや、別に何でもない。これは俺自身の問題だ。」
「ふうん。ちょっと気になるわね。答えが見つかることを祈るわ。」
 目の前の魔女から連れ合いの少女のことを思い出したが、この程度は別に不思議なことでもない。己の裡から出た疑念がこれ以上話をややこしくする前に、ホレスは話を断ち切った。何を思っているかが気になったものの魔女もまたその意を汲んだ。

「それよりも、これが何か分かるのか。あんたも…その道に?」

 顔を合わせてすぐに話が逸れてしまったが、先程から魔女の視線はホレスが携えている古びた書物へと向けられている。今度は彼女がそれに何を見たのかを尋ねていた。
「ふふ、魔女の家系を甘く見ないで頂戴。とはいっても、それがイシスの旧言語のものとしか分からないけれど。」
「そうか。そこまで分かるなら、話が分かるかもな。」
 開かれたページに書かれている内容こそ分からずとも、それがどの言語で記されているかは道に通じる者ならば一目で察することができる。彼女もまた、専門性の高い教養を必要とする古の文字の解読に通じているのだろう。そう察するなり、ホレスは魔女を隣の席へと誘い、共に古文書を眺めはじめた。

「”まんまるボタンはおひさまボタン、ちいさなボタンでとびらがひらく。はじめはひがし。つぎはにし。”。」

 あるページに、そのような一説があった。側には黄色い三角形の何かを挟んで、地平線を表す線の両端に日輪を示す赤い円が描かれている。
「こいつは…歌か。この三角形は…やはりピラミッドか?」
「あら、ホントだわ。イシスに伝わるあの有名な歌じゃない。それがどうしてこんな本に?」
 それは、今も尚イシスの国で歌われている童歌の一つだった。東から昇り西に沈む太陽の動きを意識したものには違いないが、扉とボタンの意義は知られていなかった。扉の意味を蒼穹に準える説なども出てはいたが、裏付ける根拠は無いに等しい。
「俺の師が言うには、これは大昔の盗賊の手記らしいんだ。」
「盗賊の…とは意外ね。でも、案外あの歌ってこの盗賊さんが伝えたものだったりしてね。」
 そんな戯れが、盗賊の手記などにある意味を巡って、色々な可能性が思い浮かぶ。当時から伝わっていた歌をただ覚書しただけに過ぎないのか、それともこの盗賊が童歌に扮して己の知るところを残したのか。
「…ありえない話じゃないだろうな。そもそもイシス王家の歴史で、盗賊が上層部で暗躍していたという話もある。そのときに伝えられても可笑しくはない。」
「あら、そんなことまで知ってたの。今どきの子にしては勉強好きね。それともあなたのお師匠様がすごいのかしら。」
「……さあな。」
 彼自身が努力家なのか、それとも師に恵まれたのか。いずれにせよ自分なりに推論を組み上げられる程に色々と知識を集めてきたホレスの努力を見て、魔女は感心したように微笑んでいた。

「ところで、これって全部ピラミッドに関するものよね。噂だと、あの辺りは最近立ち寄った旅人達のおかげで大分探索が進んでいるって聞くけれど…。」

 今調べている文献が示すのは、イシスの王墓であり冒険者垂涎の宝庫であるピラミッドに関わるものである。だが、折角の宝庫も、掘り尽くされてしまっては意味がない。
「ああ、そうだったな。それでも行くさ。」
 その話はホレスも聞いていたらしいが、彼自身は元より尚も確かめに行くつもりだった。どのみち仲間達と共にイシスに向かうのであれば、ピラミッドもまた道中よりそう遠くはない。
「…ふぅん。でも、アレだけは止めておいた方がいいと思うわ。」
 無駄足になることも辞さない程の決意を聞いて頷きながらも、魔女は更にもう一つそう警告していた。

「黄昏の腕―黄金の爪…か。」

 それは、ピラミッドの中に納められるものとして、最も大きな謎を持つ品だった。故に、ピラミッドを知る冒険者で、その名を知らぬ者はいなかった。
「そう、それよ。それを求めていった人達に良い話は聞かないわね。…最近でも、考古学者の人が一人失踪したばかりですって。」
 ピラミッドの最後の秘宝たる黄金の爪と言われる所以、それは化の品を求めた者達が辿った末路にあった。ある者は罠にかかって命を落とし、またある者は亡霊に取りつかれたように気がふれてしまったり、いずれも真実を伝えることはできぬ状態にまで落ちてしまったという。
 そのように破滅をもたらす謎の秘宝としての悪名もあったが、古の祭器としての恩寵も知られており、今でも命を掛けてでも求める者が後を絶たないという。
「面白い。どのような罠かは知らないが、俺が全てを確かめてくれる。かのラーの洞窟にある罠と、どちらが恐ろしいか…見物だ。」
「…あらあら、止まらないわね。」
 そんな彼らと同じ道を歩まんとするホレスの心意気に、魔女は少々の呆れさえ感じさせる苦笑を零していた。確かに、悪戯に呪われた品と言われただけで引き下がっているようでは、何も解明することはできない。とはいえ、先人が辿った末路すら意に介さない姿勢を露にできるのは、何も知らない愚か者や根っからの命知らずの類の者達程度のものだろうか。
「お陰で色々と見えてきたよ。礼を言う。」
「ふふ、お役に立てたみたいね。健闘を祈るわ。」
 ともあれ、彼女と共に色々と話していたお陰で、ホレスはこの先の指針をよりはっきりとしたものにできた。感謝の意を述べるホレスに、魔女は優しく微笑みを返していた。それは、年下の弟妹を慈しむような優しげなもので、終始魔女に云われる偏屈で強烈なイメージとはかけ離れたものだった。

「私はメリッサ。またいずれ会いましょう、ホレス君。」

 彼女は席を立つと、再会を望む意を示すように自分の名を告げると、優雅な仕草で酒場から去って行った。
「…俺の名を知っていたのか。」
 一体いつの間に知ったのか。最初見た時に思わず浮かんだもう一人の魔女とは違った不思議な雰囲気だった。告げられたようにまたいずれ会いまみえることを望みたくなるような何かを、メリッサから感じずにはいられなかった。


 その頃、夕暮れのアッサラームの片隅にある武具店街にも、冒険者達はそれぞれの目的を以って訪れていた。破損した武具を打ち直したり、更に強い武具に買い替えたり、この通りを行き交う者達が絶える日はなかった。

「どうだい?お嬢さん。」
「………。」

 レフィルもまた、品揃えの豊富なこの町の防具屋に足を運び、己に合った品を見繕っていた。旅立ちから身に付けていた皮の鎧は元よりロマリア到達時点で幾分焼け落ちて、もはや防具としての役割を果たさなくなっていた。代わりの品を探している内にこの店へと至り、今も一つの品を試着している。
「重くないの?」
 新たな防具を纏うレフィルの顔を覗き込みながら、ムーがそう尋ねる。自身は改めて防具に頼るつもりはないのか、先程まで退屈そうに辺りをうろついていた。
「…ううん、このくらいならまだまだ大丈夫。」
 問われて全身にかかる重みを実感しながらも、特に苦しそうな様子もなくレフィルはそう返していた。
「へぇ…本当に着ちまいやがるの。ともあれすげえな、お嬢ちゃん。」
「いえ……。」
 逞しい体躯を得るまでに長い間自ら防具を作り続けてきた店主だったが、眼前の少女の姿を見て驚いた様子を隠せなかった。兜を除いた鋼鉄の甲冑一式―脚絆と小手、胴鎧、更には盾に至るまでの重装備を見事に着こなしている。
 確かに女性冒険者でも、力がずば抜けている者達はいる。だが、それ以前に自らの意思でこんな無骨な鎧を選ぶ少女を見れば、かなり不自然に思えてしまう。
「じゃ、お代は…2200ゴールドになるな。」
「はい。」
 ロマリア王の計らいのお陰もあってか左腕の傷も癒え、体力も大分戻ってきた今、この程度の装備ならば問題なく身に付けることができる。未だ旅の経験が未熟なレフィルにとって、こうした防具の存在はありがたいものだった。
「相場よりちょっと高い。だいたい200ゴールドくらい。」
 ふと、代金の支払いをしようとしたところで、ムーが店主へと一言そう告げた。
「ああ、お嬢ちゃんの体に合わせて少しいじったからな。差分の200ゴールドはその分だ。」
 唐突な一言に気を悪くするわけでもなく、店主はムーへと余剰の代金の内訳をそれらしく説明した。元々こうした鎧をそのままの形で売ること自体が珍しく、万全を期す品であればオーダーメイドを行うのが普通である。装備する者の動きの負担にならぬような工夫を凝らすことで補うことで急ごしらえをして見せたが、それもまた大きな手間となっていた。
「…しかし、鎧の相場なんてお前さんもよく分かるな。」
 それでも、鎧のタイプ毎に定められた相場を見抜いた小さな少女に、店主は感心さえしていた。
「カンダタに教えてもらったから。」
 すると、ムーはぽつりとしながらも自慢げにはっきりとそう返した。

「カンダタ…?」

 彼女の言葉に、店主は思わず首を傾げながらその名を反芻した。その途端、店の中にいる他の客からの視線がムーへと集中し、場の空気ががらりと変わった。
「…わ…わっ!?…な…何でも…ないです…!い、行こう、ムー!!」
 その意味を既に察したレフィルは慌てて店主に代金を支払うと、半ば引っ手繰るようにしてムーの手を引きながら、急いで店の中から去って行った。
「カンダタだって…?」
「ああ、確かにそう言いやがったよな?」
 直後、店内に先の少女を巡ってのざわめきが起こり始めた。
「…何だったんだ?ま、いいけどよ。」
 突然立ち去った少女と、それについてあれこれ言い合い始める他の客達の掛け合いを前に、店主はただぽかんとした様子で首を傾げていた。



「ムー、ダメだよ…迂闊にあんなこと言っちゃ…。」

 店の外で、レフィルはムーに諭すようにしてそう告げていた。義賊と称されているとは言え、世界的に追われている盗賊の身内であることが知られれば、ムーとてただでは済まない。
「でも、アッサラームではカンダタは堂々と歩いてる。」
「…そうなの?でも…だからって、あなた達は……」
 レフィルの心配をよそに、ムー自身は既にこのアッサラームの町をカンダタと共に歩んだことがあるらしく、特に目をつけられたこと等もなかったらしい。それでも、先の客達の視線から感じた殺気にも似た不快感から、迂闊にその名を出すのは控えた方がいいと、レフィルは本能的に悟っていた。


「なんだ、てめぇら。カンダタの手のモンか?」


 …が、既に遅かったらしく、不意に後ろから打ちひしがれたような男の声が聞こえてきた。
「…え?」
 振り返ると、やせ細った長身の男が、凄まじい形相でこちらを睨みつけていた。髪の毛はあれ、不精鬚も生え放題で、一見してそれらに手回しできぬ程に憔悴し切っている様子が感じられた。
「俺達はよぉ、あいつのせいで仕事が無くなっちまってんだよ。その責任、どう取ってくれんだ、ああ?」
「ち…違います!わたし達は…!」
 男の声に乗じて、周りからも次々とやつれた者達が現れ始める。どうやら、彼らは全てカンダタが台頭することによって大きく勢力を殺がれて、落ちぶれた盗賊らしい。今にも掴みかからんとする男を前に、レフィルは怯えた表情を露わにただ後ろに下がることしかできなかった。

「負け犬の遠吠え。」

 盗賊達が一斉に二人に敵意を向けたその時、不意にムーは感情を込めぬ冷たい口調でそう言い放った。
「…ムー!?」
「カンダタがいないところでしか威張れない。あなた達は何もしていないくせに。」
 レフィルが思わず止めようとするも、ムーは尚も彼らへと言葉を投げかけた。
「あなた達にカンダタを馬鹿にする資格なんかない。」
 そうさせたのは、ムーのカンダタに対する信頼故のことなのだろうか。カンダタを口々に呪うよその盗賊達に対して、無表情ながら微かに憤りを感じさせるようにねめつけていた。
「……この野郎、言ってくれるじゃねえか。」
「その言葉、あの世で後悔しやがれ!!」
 その態度が、当然相手の怒りを更に増長させることになった。盗賊達は一斉にムーに向かって躍りかかり、それぞれの武器を振り下ろした。

「うげっ…!!」

 だが次の瞬間、彼らは蛙が潰れたような声を上げながら宙へと投げ出されていた。
「……なにっ!?」
「力比べなら負けない。」
「…っ、理力の杖だと?舐めやがって!!」
 それを成したのは、ムーが渾身の力を以って振るった巨大な戦鎚のような得物―理力の杖だった。数多くの呪文を連続して唱えられるだけの魔力をそのまま己の力へと変換し、ただの一撃で暴風の如く空を圧して事もなげに敵を蹴散らしてのけた。
「ムー!」
 それでも、怨恨自体が大したものなのか、相手は一向に退く気配を見せない。今もまた一合交わさんとする両者の間へと、レフィルが割って入ろうとした…その時のことだった。

「……え?」

 突然、巨大な球状の光が空から流星の如く物凄い勢いでムーと盗賊達の間へと落ちた。

「うぎゃああああああああっ!!!」
「ぎょええええっ!?」

 次の瞬間、その一点を中心として眩いばかりの光が迸り、その直後に聴覚を失わせる程に凄絶な爆音が鳴り響き、天を突かんばかりの爆炎が立ち昇った。
「ば…爆発…っ!?」
 盗賊達を巻き込んで空高く吹き飛ばした爆発を前に、レフィルは思わず口元を抑えつつ後じさった。
「イオナズン……?」
 あわやというところで素早く後ろに下がって難を逃れたムーが、今一連の現象の正体を言い当てる。常に湛えられているはずの無表情から微かに目を細め、疑念を露わにしている。上級呪文の更に上を行く最上位の呪文の一つ、イオナズン。だが、それ程の呪文を一体誰が使ったというのか……

『ウワーハッハッハッハッハーッ!!女子供だてらに力任せたァええ根性しとるのォッ!!!』

 不意に、野太い笑い声がレフィル達の耳に入った。まるで大地を揺らすかのような大音声が遠くから響き渡るように感じられた。
「…!!?」
「下から…??」
 いや、実際に地面自身が大きく揺れているようだ。アッサラームの武具店街の大通りの一角が何やら動いている。先程の笑い声もまたそこから聞こえてきた。撒き上がる土煙の中に、巨大な影が徐々に上へと持ち上げられ続け、そして……


「このバクサン=ドンチュ、お主の剛勇振りィ!!しかァと見届けたぞォッ!!!ウワーハッハッハッハッハーッ!!」


 地鳴りが収まったその時になって、その男―バクサンはレフィルの傍らに隠れるようにして佇んでいるムーに向けて、賞賛の声を浴びせていた。
「……え…えぇえええっ!!?」
「妖怪……」
 上げられた一層大きな笑声と共に、巻き上げられていた土埃が一気に吹き飛んで、その全容が明らかになった。
 額の両脇を剃って頭頂に結い上げられた独特の髪形、一段と太い眉毛、大きく見開かれた目に歯をむき出しにして笑みを浮かべる口、豪快に生やされた口髭と顎髭。そのような強烈にして豪快な印象を与える顔に違わず、小山程もある巨大で筋骨隆々の体躯を持ち、縄程の太さを持つ止め紐と爆弾岩の刺繍を施された飾り布が特徴的な腰布のみを纏うだけの出で立ちは、一見すると鬼とも間違う程の迫力だった。
 そんな凄まじい雰囲気に圧倒され、レフィルはただただ驚き、ムーも肩を竦ませながら小さく震えていた。
「…な…何だぁっ!?バ…バクサンだとぉ…!!?」
 一方、盗賊達の方はこの男のことをよく知っているらしく、皆が恐怖に顔を引きつらせた。まるで取って食われるかのような怯えた表情から、彼らからは相当恐れられているようだ。全てを押し潰すような体格の大きさと、それに似合わぬ強力な呪文を操るだけの魔力の両方を兼ね揃えたとあれば、確かに無理はないが。

「ムムゥッ!!お主があやつの申しておったオルテガの娘かァッ!!よもや斯様な場で出会えるとはなァッ!!」

 ふと、大男―バクサンはレフィルの姿を認めると、巨人のような足取りでのしのしと近づき、その顔を覗き込んだ。
「…わ…わたしのことを…!?」
 彼の言い振りからすると、どうやら自分のことをどこかで聞いたらしい。
「おぉうっ、レフィル嬢ォッ!!己が運命を厭いながらも、前に進むその気概ィッ!!それを忘れるでないぞォッ!!」
「あ……。」
 心当たりがなく、曖昧に問い掛けて返ってきたバクサンの言葉を聞いて、レフィルはようやくその人物に思い至った。

―ふぅむ…じゃが、見たところ然程乗り気ではないようじゃな…。
―じゃが、それでも旅立とうとはええ根性しとるのぉ。

 アリアハン大陸から出る手段として魔法の玉を求めていた時に出会った、その道に長年身を置いてきた老人。皆が勇者を崇め立てたり陰で蔑む中で、レフィルの葛藤を正面から見てくれた数少ない人物であった。
―悪い人じゃ…ないみたいね……。
 そんな彼の知り合いだけあってか、豪放磊落でありながらも人の心を汲み取れる度量の広さもこの男―バクサンの中にも感じられる。そう思うと、何故か安心感すら覚えていた。だが……

「さぁてェッ!!ワシも一汗流すとするかのォッ!!!」

 不意に、バクサンは先程レフィル達に食ってかかった盗賊達の方に向き直りつつ、肩を回し始めた。全身の筋肉が踊るように幾度も収縮する様は、おぞましくも余人の目を引くには十分過ぎる程の迫力だった。
「お主らが抱きし妄執の念、それ程までに己の誇りを重んずるということかァッ!!それも見事なものよのォッ!!!」
「な…何言って…」
 どうやらレフィル達を助けるために割って入ったらしいが、何故かバクサンは敵であるはずの盗賊達に向けても賛辞のような言葉を投げかけつつ愉快そうに笑っていた。
「なればワシも、根性を見せねばなるまいなァッ!!ウワーハッハッハッハッハッハーッ!!!」
「く…来るか!!?」
 豪快な笑い声こそ相変わらずだが、威圧感は先の比ではない。いよいよこちらに来ようとする脅威に、盗賊達はぎこちなく身構えながら固唾を飲んだ。


「メガンテェッ!!!」


 …が、その一瞬立ち止まった瞬間に、バクサンは力強くそう唱えた。
「ちょ…!?メ、メガン……てぇえええええっ!!?」
 それを聞いた盗賊の一人の驚愕の言葉は、最後まで続かなかった。

「ぶるあああああああああああああああっ!!」

 呪文を唱えたバクサンの体から危うい程に強烈な光が何条も迸った次の瞬間、怒号や断末魔にも似た凄絶なまでの声を上げ、同時にこの上ない程の灼熱と暴風の奔流が迸った。
「メガンテ…ってそんな馬鹿なぁあっ!!?」
 メガンテ―持てる全ての命をエネルギーとして、敵を道連れにする恐るべき自己犠牲の呪文である。術者を中心とした大爆発、己の全てを賭けた一撃を耐え凌ぐ術はなく、純粋な威力ならば最強の呪文と言えた。
 だが、当然術者自身もただでは済まず、呪文の効力によって全ての命を吸い尽くされるか、或いは自らもその爆発で砕け散るか、二つに一つ―まさに、自己犠牲の呪文の云われに相応しい諸刃の剣だった。
「…ぎゃああああああっ!!」
「どぉわあああっ!!!」
 今もまた、盗賊達をその渾身の力が襲いかかっていた。彼らは身を守ることすらできずに爆炎に揉まれて上空へと吹き飛ばされた。
「わ…きゃあああああああっ!!」
「!!!」
 ある程度離れていたはずのレフィルとムーも…はたまた周囲で見ていた野次馬達も、暴風にあおられて大きく吹き飛ばされた。地に足をつけることすらままならず、ひたすらに地面に何度も体を打ちつけられながら、転がされ続けた。
 そんな途方もない程の奔流の中で痛烈に頭を打ちつけて、レフィルは意識を閉ざした。

「どっせぇえええええええいっ!!!」

 そして最後に、爆炎の中心から飛び出すようにして、筋骨隆々の大男が野太い叫び声を上げながら天目掛けて物凄い勢いで飛んで行った。自己犠牲の呪文を唱えたにも関わらず、五体はどこも欠いた様子もなく、体から感じさせる生気も全く薄れていない。

「己の全てを賭けてこそ、誠の漢と言うものよォッ!!ウワーハッハッハッハッハーッ!!!」

 悪夢のような光景を眼下に眺めながら空に消えていく大男が上げる笑声は、やがてアッサラームの全土にまで響き渡ったという。




「……。」

 遅れてこの場に辿りついたホレスは、その惨状を前にただ立ち尽くしていた。大した傷こそ負っていないものの、多くの人々が地に伏している。
 遠くからでも聞こえた馬鹿笑いと突然の大爆発の音、それがレフィルとムーを向かわせた武具店街の方からのものと察するや否や、彼はすぐにその場に駆けつけていた。
「レフィル、ムー……」
 倒れている者達の中から、彼はすぐに仲間の二人を探しあててその傍へとしゃがみ込んだ。鉄鎧を纏ったレフィルがうつ伏せになって目を回している。それなりの重量を持つ甲冑を着たまま転がされた跡が長く続いており、先の爆発の凄まじさを物語っているかのようだった。

「阿鼻叫喚……」

 遅れて弱々しく呟く少女の声が耳に入る。そちらにはムーが仰向けに大の字になって倒れていた。彼女もまた爆発に思い切り巻き込まれてしまったらしく、髪は乱れに乱れ、服も顔も土に塗れていた。顔に湛える表情はいつも通りの無表情であっても、視線は男が飛んで行った天の方を睨みつけるように向いており、不快感と理不尽さの間で葛藤しているようにも見えた。
「何がどうなって…こうなりやがったんだ………。」
 武具店街からの騒動に巻き込まれた二人を助けるべくそこに向かおうとした瞬間に空から降った巨大な光球とその爆発、そしてそれを放った張本人の豪快な哄笑、最後に見たメガンテの光。直接目にしていない以上子細は全く分からずとも、なまじ耳が良いばかりにここでの人々の絶叫は否応なく聞く羽目になってしまった。
 倒れた二人を助け起こして担ぎつつ、ホレスはこの狂想曲の如き一連の騒動の音を思い返してげんなりとしていた。