第一章 誘われし者
第六話
 
 
 苔むした洞窟の奥深くで、頑なに道を閉ざす大きな扉。その鍵穴に、老人から受け取った鍵がレフィルの手によって差し込まれる。

「…開いた…。」

 洞窟の奥にあった大きな扉を固く閉ざしていた封印は盗賊の鍵によってこじ開けられ、軋みを上げながら扉はゆっくりと動き始めた。
「……光……。」
 開かれた道に広がる暗闇の中から、一筋の青い光がレフィルの視界に飛び込んでくる。
―あれが…旅の扉…?
 僅かな視界に差す光を頼りにそこまで足を進めると、四本の小さな柱の中心に、青空のような輝きを湛えた泉があった。不思議な力でも受けているのか、水面は絶えず渦巻いている。
―やっと着いた…。でも…
 アリアハン大陸からの出口、旅の扉へとついに到達した。しかし、レフィルはそれに喜びを感じることはなかった。
―これで…終わりじゃないんだよね…。
 この先に続くのはおそらく果てのない、苛烈な道。ここも所詮は通過点に過ぎないが、だからこそ、彼女には前に進むしかなかった。
「うわ…っ!?」
 泉へと足を踏み出すと、視界に薄い波が立って、泉を囲む柱がその波に攫われるようにして消えていく。気がついた時には、レフィルの体は渦巻く泉の中へと吸い込まれていた。

「こ…ここは……」

 一瞬意識が暗転した後に、再び薄い波が視界を覆う。今度は先とは逆に、波によって運ばれてくるように別の光景が形作られていく。いつしかレフィルはその中に身を置いていた。
「これが、旅の扉か……。」
 そこは、広々とした平原の中であった。後ろの茂みには旅の扉の蒼い光が静かに色づいている。空気の匂いも洞窟の中とは異なっていた。
「あの城は…?」
 沈みゆく夕日の右手に、石積みの塀で囲われた大きな城が目に映る。それは、アリアハンとは全く違う王城であった。それを見て、レフィルはアリアハンから遠く離れた地に足を踏み入れたことを改めて実感していた。

「…っ!!」

 不意に、背中に熱いものを感じてレフィルは反射的にその身をすくめた。
「…えっ!?」
 突然の痛みから起こる恐怖のあまり、レフィルは気が動転していた。それでもどうにか左手に剣を取りつつ振り返る…

「「「「メラ」」」」

 だが、彼女が剣を振るう暇すら与えず、そこにいた黒衣をまとった魔法使い達の手のひらから、無数の炎が飛び出してレフィルへと殺到した。
「…ぁ…っ!…いやぁああああっ!!」
 それを避ける術もなく、彼女は炎に包まれて、その内で恐怖に引きつった声で悲鳴を上げた。炎を遮るように差し出していた左腕に魔法使いの炎がぶつかって、それを焼き焦がしていく…
―だ…れ…か…!!助けて……!!
 執拗に放たれる炎を前についにその場にのた打ち回りながら、レフィルは必死にそう願っていた。

―誰が助けてくれるというの?
「……っ!!?」
―あなた、今一人じゃない。誰も助けてなんかくれないわ。
「…あ…あ……!!」
―見ていられないわ。一人じゃ何も出来ないくせに、どうして一人でいたがるの?
「…ぁ……っ!!」
―そもそも、そんなに死にたくないのなら…いつまでそうしているの?
「………!!!」

 意識すらも焼き焦がさんとする炎の中で、レフィルは闇の奥から更なる呵責の声を聞いたような気がした。



「「「「………。」」」」

 炎に包まれてもがき苦しむレフィルを眺めながら、漆黒の魔道士達は無言でたたずんでいた。

「…ホイ…ミ…」

 しかし…彼女は突然動きを止めたかと思うと、小さく呪文を唱えるとともに、炎に包まれたままゆっくりと立ち上がった。炎が覆う左手はだらりと下がったまま動かない。それに握られた剣を右手に持ち替えながら、レフィルは敵へと身構えていた。

「「「「メラ」」」」

 それを見ても特に慌てた様子はなく、魔法使い達は再びメラによる炎の雨を放った。
「「「「!?」」」」
 その時、レフィルを包み苛む炎の色が一瞬の揺らめきの後に…命を燃やし尽くす炎の赤から、全てを飲み込み無に帰す深い紫へと変わっていた。

「ギラ」

 直後、炎に包まれた左腕に、その炎が集って大きくなり…呪文が唱えられるとともに前方へと放射された。それは、魔法使い達が放ったメラの火球を容易く飲み込み、一瞬にして彼らへと至った。

「「「……!!」」」

 黒い炎に巻かれて魔法使いのうちの三人が囚われ、断末魔の悲鳴を上げながら闇の内へと帰した。
 残った一人が再び呪文を唱えようとする暇さえ与えず、レフィルは無慈悲に右手に握った鋼鉄の剣を以って一刀の下に両断した。彼もまた、切り裂かれた部分から黒い炎に包まれて、程なくして燃え尽きた。

―…痛い…苦…しい……
 視界がかすみ、全身を覆う重苦しい感覚の中、レフィルはよろめきながら旅の扉へと足を進めた。
―死にたく…な…い…
 左腕に負った大火傷は先程のホイミでも殆ど治らず、そこから脈打つような痛みがはしり、意識が揺さぶられる。
―…だ…れか…
 既にまともに周りを見る余裕すらない。歪み続ける視界の中で、レフィルはさまよい続けた。

―誰が助けてくれるというの?

「いや…。しにたく…ない…」
 あまりに大きな深手を負い、足も既に立つだけの力を出すのがやっとでいつ倒れてもおかしくない状態だった。彼女はただ、死の恐怖によって駆り立てられている。それだけが今の彼女を生かしているといっても過言ではない。

―今のままで、本当にあなたのお人生を生きられると思っているの?

「…わたしは…ま…だ…」
 本当の人生を見い出す時間すら与えられていない。レフィルは震える右手で握る鋼鉄の剣を杖に、やみくもに前に進み続けた。


「……せ!!」

「…………!!!」
 薄れ行く意識の中、レフィルの耳に、怒声とも悲鳴ともつかぬ男の叫びが届いた。
―あ…れは…!!
 同時に、歪みきった視界が開けてその光景が目に入ってくる。一体誰がそこにいるのかは知らない…だが、目前で命が奪われようとしているのは彼女にもすぐに分かった。
―…だ…め…!!
 死に対する恐れに囚われていた彼女には、それはあまりに衝撃的な場面であった。
―い…や…!!
 体の内側からの恐怖が震えになって、外側へと伝播する。それによって、レフィルは一気に現実の世界へと引き戻されていた。

「ま…まっ……て……!」

 そして…自身が思うままに…彼女は消え入りそうな声でそう叫んでいた…。

「…ぁ……っ!!」

 しかし、同時に全身に激痛がはしり、レフィルは一瞬で意識を奪われてついに力尽きた。

 その傍らには、土と血がこびりつき…すっかり汚れた鋼鉄の剣が地面に突き刺さり、静かに佇んでいた。