8.龍神の息吹 4:届かぬ剣



 旅の扉を目前として立ち塞がるオリハルコンの駒達。不意を突いて城兵と僧正を仕留めた今も尚、その攻防は熾烈を極めていた。

 オリハルコンの人形を断ち切る要領を得て、攻勢に転じたカンダタに対して騎士シグマと女王アルビナスが向かい、それを援護せんとするメリッサに兵士ヒムが差し向けられている状況だった。

「そーらよっと!!」
「!」

 アルビナスがニードルサウザンド・ベギラゴンの驟雨を浴びせようとしたその時、カンダタは魔神の斧で勢い良く地面を打ち砕き、迎撃せんとするシグマごと大地を浮き上がらせた。体勢を立て直す暇も与えずそれをそのまま片手で持ち上げて、あしらうようにしてアルビナスに向けて放り投げた。
 降り注ぐベギラゴンの力を投げつけた大地そのもので尽く遮り、宙を舞うアルビナスをそのまま叩き落とす。

「くそっ、粘りやがるな。」
「それはこちらの台詞だ。だが、君達の不利は何一つ変わってはいない。」

 だが、彼らは巻き上がる土煙の中から五体満足の状態で再び現れてくる。並みの反撃を無力化し、二体を戦闘不能に追い込んだこちらの攻撃にも順応しつつあり、戦いは膠着状態に陥っていた。

「あの女もドラゴンもヒム相手には手も足も出ないみたいですね。武器を得ただけで勝てる気でいるなんて、とんだお馬鹿さんだこと。」
「……ちっ、そっちもいつまでも図に乗ってんじゃねえぞ。」

 オリハルコンの硬度を完全に圧倒することは出来ず、消耗戦になったら疲弊するのはカンダタ達の方が先なのは明らかだった。魔王軍の例に漏れず人間を見下す風潮を見せるアルビナスの嘲笑に、カンダタは若干苛立たしげに嘆息しつつ再び斧を構えた。



 一方で、メリッサとイースもまた、兵士ヒムを前に打つ手を失いつつあった。近接戦闘を得意とする兵士の名に恥じぬ武勇でこちらの炎の鞭にも全く恐れずに猛進し、強引に肉薄してくる。

「喰らえ!! ヒートナックル!!」
「くっ……!」

 迫り来るメラゾーマの炎を纏った左拳・ヒートナックルをとっさに引き抜いた氷の刃を以て迎撃するもあっさりと砕かれて、その勢いを相殺することは叶わず一撃がメリッサの体を掠めていた。
 

「スカラっつったっけか? んな小細工がオレ達に通用すると思ったか!!」

 軽く掠めただけであったが、その身に帯びていた賢者の衣、並みの鎧を上回る程の逸品がたやすく引きちぎられて、メリッサ自身にも痛手を与えている。スカラの呪文により付加された闘気による守りも貫く程の痛恨の一撃を与えたヒム自身は、手応えを感じて不敵に笑みを浮かべていた。

『アブナカッタネ。』

 一撃を受けたのと引き替えに辛うじて間合いを取ったメリッサを庇うようにヒムと対峙しながら、イースは相変わらず暢気な様子で出方を窺っていた。
 氷の息吹は通じず、爪牙による攻撃も効果が薄い。故にこれまで、守りの霧と強化呪文スクルト、時には竜の力と身を挺した防御に徹していた。


「かすり傷よ。辛うじて、ね。」
「!」


 拳が掠めて体に負った手傷を静かに一瞥すると共に、メリッサはイースに答えるように呟きながらヒムの左手へと視線を向けていた。
 同時に軋みを上げる音を感じてヒムが思わずその拳を見ると、先に炎の鞭で刻みつけられたものと同じような創傷が走っていた。斬りつけられたような形状から、それが氷の刃との交錯で生じたものと気づくのに時間はかからなかった。

「そいつらがデーモン族共が言ってた錬金術の武器か? だが、今更その細腕でオレらを倒せるわけがねえだろうが。」

 デッド・アーマーを紙のように引き裂き、魔装の金属を初め多くの魔法の産物を破壊してきた錬金術の武具。実績は、それを振るう魔法戦士の名声、そしてその力に溺れて増長した愚者の末路と共に魔王軍にも届いていた。
 本来この世界に無いが故に一時の優位を得て猛威を振るった代物、それが今メリッサの手に取られている。だが、オリハルコンの禁呪生命体にも刃を立てるだけの特異な性質を付加されていても、それ一つで致命傷を与えるには人間の魔女程度では困難な話だった。

「悪いけれどもう話してる時間も惜しいの。ここで消えたくなかったら道を開けて頂戴。」
「良く言うぜ、んな装備に頼らなにゃ戦えないような人間如きがよ。アバンの使徒共の足下にも及ばねえザコが、引っ込んでろ!!」

 それでもメリッサは決して臆した様子もなく、砕けた氷の刃へと魔法力を注ぎ込んで復元し、炎の鞭を手繰り寄せて再び構えていた。装備に頼っているだけの弱者と蔑むヒムを見返すその瞳には迷いはなく、一つ間違えれば即座に終わる勝負を前にしても恐れ無く振る舞っている。

『マッタク固過ギダヨ、色々トサ。』

 ヒムそのものの強靱さだけに止まらず、頑なに突破しようとするメリッサを諫めんともしているようにイースはふざけた調子でそう呟いていた。




 悪魔達を振り切った末にようやくたどり着いた地上への旅の扉。激戦の中で心身共に疲弊し尽くして、導かれるままに流されていく。
 星空の如く果てしなく広がる異空間の内にあって、向かいし彼の地からの風を受け、程なくして投げ飛ばされるようにそこへ転げ落ちていた。

「!?」

 だが、起きあがると共に、少女は己の置かれた状況を理解して愕然としていた。
 何処とも知れぬ洞穴に開けた、偉大な何者かを奉るような寺院。辺りにあまねく空気は地上のそれではなく、先程まで居た魔界の僻地から然程遠くないかつての竜の住処の内に引きずり込まれた様子だった。



「いらっしゃい、待ってたよ。」



 即座に魔法の剣を抜いて突きつけた先の壁から、あの道化師の声が聞こえてくる。
 
「こんな風にキミも妙なところでカンが良いからねえ。でも、ああすれば来てくれると思っていたよ。疑いもなく、ね。」
「……。」

 即座に潜伏を見抜いた少女の直感の出鱈目な的確さに仮面の下で失笑しながら、謀略を仕掛けた張本人・死神キルバーンが姿を現す。
 地上へと続く旅の扉にかけられた戒め。少女が力任せにこじ開けたそれは入り口に過ぎず、その奥に仕組まれていたこの場への歪みに続く道だった。

「おおっと。」

 あっさりと誘い込んだ結果に満足したように嘲笑しているキルバーンへと、少女は無表情で魔法の剣を振り抜く。避ける気もないように棒立ちの彼を魔法力の刃があっさりと一閃した。

「……。」
「話はまだ終わっていないのに、しょうがない子だねえ、全く。」

 斬撃に込められた凍気によって、その身体が解れるようにして消滅していく。魔法の類によって作られた幻・仮初めの肉体に過ぎない様子だった。

「まあ、今更知っても冥土の土産ぐらいにしかなんないけどさ。」

 崩れ逝く己の身体も気にもとめずに既に役目を終えたようにキルバーンの幻影は暢気に振る舞っている。どう足掻こうとも最早その術中から逃れることは不可能と言わんばかりに、死の宣告を遺して死神の幻影は静かに消え去っていた。
 通ってきた旅の扉は完全に消失して、洞穴の出口も見当たらない。退路を断たれた今、ただ一つ続く最奥への道を進む他に少女に行く先はなかった。

 巨大な竜の足跡が深く刻まれた寺院の石畳。それは決して古いものではなく、辺りには元の姿が窺えぬような原型を留めぬ骨や血の跡が、焼き付けられているかの如く散らばっている。数多の犠牲者の死屍累々形跡を残しているにも関わらず、それもこの荘厳な景観を濁すことなく溶け込んでおり、禁域たる所以を否応なしに少女へと示している。
 やがて行き着いた先には、奉られるかの如く積まれた墳墓とその上に立つ小さな社、そして内に納められた小さな竜の石像が見えた。



『キルめ、一体何を考えていると言うのだ。』



 不意にその石像から眼光が迸ると共に、突然そこから一人語散るおぞましい声が洞穴全体へと響き渡った。

「!」

 同時に、辺りに凄まじい重圧的な雰囲気が漂い始め、少女も思わず気圧されて反射的に後じさっていた。

「…………。」

 この場全てを覆い尽くす程の圧倒的な邪悪なる存在。近くで朽ち果てていた哀れな犠牲者も、その神威とも言うべきものによって滅ぼされたと言わんばかりに、途方もない程の大きさの怪異が確かにこの場に存在している。
 社に佇む竜の彫像もまたその存在を垣間見せる象徴でしかないとはっきりと察し、今にも狂騒に陥ってしまう程の本能的な恐怖の余り戦慄を抑えられない。

『まさかその程度の力を目当てに貴様を呼び込んだとでも? ヤツらしくもない。』

 先程斬り捨てたキルバーンの幻影も竜の彫像の主からすれば児戯にしか見えていないのか、それを滅した少女に対して、引いては招き入れた彼に対する失望を露わにしている。

『貴様もこれまで妄りに魔界に踏み入れし愚かな人間共と何ら変わりはないと見える。』

 既に少女と同格に近い相手も幾度も見てきたのか、侮る所か最初から眼中にすらない程にしか認識していない様子だった。絶対の自信を醸し出すも、慢心による評価など最早大した揺るぎも与えぬ程に一縷の隙も見い出すことが出来ない。
 未だ見えざるその竜像の主に言葉を返す前に封じられてしまう程に、少女はその威圧感に中てられていた。

『まあ、よかろう。ヤツの目が曇ったか否か、オレが試してやる。』

 使い魔たるキルバーンの無能と少女の期待外れの有様に嘆息しながら、竜像は明確な殺気を彼女へと向け始めていた。それに呼応するかの如く、墳墓の一部たる土塊が大きく練り上げられて、巨大な竜の姿をした傀儡と化していく。
 単なる岩の紛い物とは思えぬ程の重圧を有し、城塞程の巨躯を誇る竜。それは、先程まで剣を交えていた強大なデーモン族の長や、竜の騎士バランすらも遙かに上回るまでの力を振りまいている。ここに至るまでに見た亡骸はこの竜の手によって滅ぼされたのか。

『封じられたこの身であろうと、貴様等人間如きにこの冥竜王ヴェルザーを討てはせぬわ!!』
「!!」

 創り出した分身を駆り、封じられし竜の王は少女へと怒号を上げていた。

 肉体を失って尚もそのような絶大な力を持つ分身を作り出せし存在は、十数年前に何者かの手によって葬り去られたはずの巨悪、冥竜王・ヴェルザーだった。
 大魔王バーン最大の好敵手にして竜族を束ねて魔界を二分する程に震撼させたその名は迷い人達の耳にも届いている。それが思わぬ形で立ちはだかったことに少女は驚愕すると同時にようやくその恐怖の正体を知ることが出来て、全てに納得が行っていた。
 本来人の身で会いまみえるはずもない、神に近しき魔王に位置する者達。本能的に感じていた、人間の身ではどう足掻こうとも決して届くことのない絶望的なまでの力の差の根源。どうあってもここから生還出来る道理はなかった。

「バイキルト!」

 体に刻みつけられた動きに導かれるままに魔法の剣を取り、恐怖で縮んだ心を奮い立たせんとバイキルトの呪文を唱え、そのまま一閃する。斬撃に込められた魔法力が疾風の如き魔法力の刃を形作り、一筋の傷をヴェルザーの巨駆に刻みつける。

『どうした? 仮初めの肉体一つ崩せぬか?』

 禁呪生命体と本質的に同じ性質を持つヴェルザーの傀儡。これまで仕留めてきたデッド・アーマーや地獄の鎧のように、ニフラムや凍てつく波動により構成する暗黒闘気を滅却したり核を直接破壊するなどの対処法がある。
 だが、今対峙しているその巨駆と絶大な存在を前にはいずれも矮小なものでしかなく、大した痛手を与えられなかった。

『貴様が如何に妙技を持とうが所詮は人間。その貧弱な肉体一つで我らに抗おうなど無駄なことだ。』
「…………。」

 例え大きな隙を晒そうともかすり傷にすらならぬ程に小さな力しか振るえない少女に退屈しているように、ヴェルザーは悠然と佇んだまま動こうとしない。いつ見切りをつけて叩き潰しに打って出るかも知れぬ焦燥の中で、ここが自身に与えられた最後にして唯一の好機と見て、少女は覚悟を決めて意識を集中し始めた。
 かつて魂の剣を突き刺された際に味わった魂そのものを引き裂かれるような激痛。自らの存在そのものの内に封じられた、悪魔の軍勢や魔王軍の強者すら瞬時に葬り去った聖性を秘めし雷と双製の大剣。冥竜王を屠り得る最後にして最悪の一手を少女がその魂から抉り出すと共に、雷光が洞穴内全てに閃く。

『むっ……?』

 突如としてどこからともなく現れ、縦横無尽に駆け回る白い雷が寺院の参道を、竜像の社と墳墓を、ヴェルザーの傀儡を、そして少女自身をも打ち据える。この場に立ち込めていた魔界の空気の淀みやヴェルザーの重圧を押し流すが如く極寒の暴風が吹き荒び、ヴェルザー自身もその異様な状況に思わず気を取られていた。

「……。」

 自ら呼び寄せた災厄の残滓に牙を剥かれて、到底己の手で御し得るものでないとその身を以て再認させられる。それでも、浅からぬ手傷を負いながらも少女の双手には確信した通りの重みが伝わっていた。

『何だ、その剣は……? まさか……』

 虹の如き光沢を照り返す艶やかにして重厚な刀身の二振りの大刀。この場に振りまかれている清浄なる光の根源をそれらから感じ取ったのかヴェルザーが思わず後退したのを見て、少女はすぐに空高く跳躍して頭上から一心に斬りかかった。

『……ぐぬうっ!!』

 雷光を纏った刃が岩石の傀儡の体を鋭く斬り裂き、その力を直接叩き込む。魔王軍の将軍と謳われた者達を灰も残さずに消し飛ばした一撃により、込められた暗黒闘気諸共滅却していく。

『おのれ、ぬかったわ……!!』

 致命傷には程遠くも聖性は十分効果覿面だったのか、ヴェルザーの傀儡が大きく体勢を崩す。しかし同時に、最初からその武器一つだけで魔王に連なる者達を倒せるとは期待していなかったものの、このまま戦っても勝ち目がないことも明確になった。
 長引く前に何としてでも活路を見い出すしかないと己を奮い立たせ、少女は再び雷の双剣を振り上げた。

「……!」

 だが、ヴェルザーが立ち上がる前に追撃をかけようとしたその瞬間、不意に手の内から剣の感触が消え失せていた。掴んでいたはずの剣が切っ先から光の粒と化して解れるようにして消滅し、少女の内へと還っていく。
 最初の幾許かの時に痛感した力の差を更に広げられることになり、途方もないまでの落胆が芽吹いていた。明確に分を弁えているからこそ、あの剣を除いては最早戦いにすらならないことを悟るのは避けられず、今にも恐怖に駆り立てられようとしていた。




《そして、全ての望みはここに潰える。》




 心身の均衡を必死に保とうとする中で、この時を見計らっていたかの如く、突如として悪魔の囁きが少女の耳に届く。おぞましく響く冷笑が、恐慌寸前の不和を呼び水として一気に心に浸食した。



「……!!?」



 他愛もないはずのその一言が宿した得体の知れぬ力が少女の体までも蝕み始める。超克し続けている恐慌とはまた別に現れた黒い霧がその胸元から全身に纏わりつき、込められた呪怨が少女の感覚を狂わせて衰弱させていく。
 あの剣の更に奥に眠っていた只ならぬ悪魔が秘める、それに勝るとも劣らぬ存在の大きさ。魔王にすら通用する聖性の内にあって尚も色褪せぬ恐怖。そのような神にも近しいような脅威からの宣告が、呪いにも等しい災厄を少女にもたらしていた。

『……ふん、貴様も所詮は力に振り回されし人間に過ぎぬ、か。それだけの剣を持っているならば或いは、とも思ったが。』

 乾坤一擲の勝負に出た結果、結局己の身を滅ぼすことになった少女の有様を見て、ヴェルザーは失望の念を露わにしていた。
 これまでも数多くの強者気取りの無謀者と邂逅して来たが、傀儡にこれ程の痛手を負わせた者は少女が初めてであり、それに少なからず関心を抱いていた様子だった。

『まだ抗う気か……血迷ったか? いずれにせよ無駄なことよ。』

 ヴェルザーに嘲笑されようとも、はたまた絶望に打ちひしがれる間もなく、少女はメタルキングの剣を引き抜いた。バイキルトにより引き出された力だけを頼りに弱った体を駆り立てて、捨て身の覚悟で構える。
 逃れることも力を交えて渡り合うことも出来ない以上、死中に活を見い出すより他に術はない。最早躊躇う理由もなく、全霊をヴェルザーに向けて最後の一撃を放った。

『その身に合わぬ力に驕ったことを後悔するのだな!!』
「…………!!!」

 だが、その刃はヴェルザーを斬り裂くことは出来ず、繰り出された反撃をまともに受けて、全身が粉々にならんばかりの衝撃が少女の全身に襲いかかった。


 骨は砕かれ内蔵は潰され、断末魔の叫びとばかりに血飛沫が舞う。あたかも体が脆くなったかのように、竜王の一撃だけで全てが失われていく。
 最早立つことすらままならぬまま墳墓を転げ落ちてその麓に倒れ、少女は己の流した血溜まりの海に沈んだ。

 傍らに突き刺さったメタルキングの剣に手を伸ばすも、全身に走る焼けるような激痛と意思すらも遂行出来ぬ程の虚脱感の中で満足に動くことが出来ず、瞳に映る巨竜の姿を前にしても何も出来ない。
 全てを失う直前にありながら、この地獄のような重苦は少女に明確に刻まれ、尚も迫り来るヴェルザーへの恐怖も膨れ上がり続けていた。

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