テランの上空にてぶつかり合う大小二つの影。共に輝く竜の紋章を身に浮かばせ、目にも止まらぬ速さで飛翔しながら激しい戦いを繰り広げている。
「拳に紋章が……!? これは一体!?」
ポップの亡骸を側に深い悲しみに包まれながらも、レオナ達は上空で戦っているダイの異変に気づいて驚愕を隠せずにいた。竜の騎士の証にして力の根源たる、額に浮かぶはずの竜の紋章。それが今は、ダイの右手へと浮かんでいた。
拳に現れた紋章を中心として力が集束されたことで、バランを覆う竜闘気をも貫くだけの破壊力を与えている。予期せずともこの余りに合理的な現象は奇跡がなせる業か。
「おかしい……確かにダイはバランを圧倒している……だが、あれはなんだ?」
「バラン……。」
クロコダインとヒュンケルの二人掛かりでも全く歯が立たなかった相手が、今はダイの激昂に任せた攻撃によって守勢に転じる程に追い込まれている。しかし、同時に彼らはその戦況に対して疑問を覚えていた。
直接その強さを目の当たりにした二人から見て、今のバランは余りに消極的過ぎた。これが本当に、あれほどまでに無慈悲な強さを持ち、こちらに反撃の暇さえ与えぬ程の殺戮本能を持ったあの男なのか。
「ポップよ……お前がいなければ、ダイは…………」
そして何より、あれほどまでの殺気を漲らせ、怨恨のままに攻めたて続けるダイの姿を見たのもまた、初めてのことだった。不運なことに、彼には親友の死を受け止めきれず、憎しみを募らせるより他に己を保つ術を失ってしまったのだろう。
物言わぬ屍と化したポップを一瞥するも、仲間達には最早どうすることもできず、この戦いを見届けることしかできかなった。
「よくもポップを!! あんたがおれの記憶を消したばかりに!!」
大火の如く収まる所の知らない怒りを吐き出しながら、ダイは紋章を宿した拳を尚もバランへと叩きつけていた。怒りに任せて全開にされた竜闘気が幾度もバランを打ち据え、尽きることなく光輝いていた。
「やめろ! 私はお前と戦うつもりはない!!」
息子としてでも、勇者としてでもなく、ただの復讐者と化しているダイの姿を見て、バランは悲痛に叫んでいた。ただ目の前の敵を滅ぼすための姿の中で、人の心が再び表に現れていることに気づかぬまま、ただじっと耐え続けていた。
「黙れええええ!! ポップの仇だ!!!」
バランに戦意がないことにもお構いなしに、ダイの鉄拳が力任せに叩き込まれる。幼い少年の物などではない程の一撃に空中で踏みとどまることは叶わず、大きく体勢を崩していた。
「喰らえぇっ!!」
バランが吹き飛ばされたまま何もできないのを好機と見て、ダイは腰に帯びた一振りのナイフを乱暴に抜き放ち、逆手に持って大きく振り被る。強く握りしめた拳を通じて、その小さな刀身全体を竜闘気が覆い尽くしていく。
「アバン、ストラ……ッ!?」
それを己の最大の技と共にバランに向けて放とうと振るった瞬間、解き放たれんとした竜闘気が、ナイフそのものを砕いていた。
「パプニカのナイフが……」
ナイフがダイの手の中で脆く崩れ落ちていくのを見て、レオナは愕然としていた。それは頑丈な魔法金属を鍛えて作られたパプニカのナイフと呼ばれる品であり、その強度が並の武器を上回ることは授けたレオナ自身が一番よく知っていた。
それが全力のダイのただの一撃すら放つことすら出来ぬまま呆気なく砕け散ったのは、高められた竜闘気がそれ程までの力を発揮したと言うことか。何れにせよ、武器を失った以上、決め手となるあの技を放つことなど出来ない。
「……右手にそれだけの竜闘気を纏っている以上、そんなナイフでは耐え切れぬだろう。」
「……っ!!」
ナイフが砕けた事実に僅かに意識をとらわれていたのも束の間、バランが静かに告げる声と共に、ダイの体に一筋の剣閃が刻まれていた。反射的にかわしていなければ、そのまま胴薙ぎにされて真っ二つになっている所だった。
「真の竜の騎士の力を引き出せる武器は、この真魔剛竜剣しかないのだよ。オリハルコンでもなければ、暴走した竜闘気には耐えられないからな。」
竜闘気を全開にして戦えば、その威力故に並の武器では耐えることができない。それを受け止めるだけの強度を有するのは、神が授けたと言われる伝説の金属、オリハルコンであった。バランが手にしている大刀・真魔剛竜剣もまたオリハルコンから創られ、竜の騎士としての力を引き出せる唯一無二の武器にして、同時に地上最強の武器だった。
「……無駄な抵抗は、やめるんだ。」
ダイを斬り裂いたその切っ先を突きつけながら、バランは静かに降伏を呼びかけていた。必殺のつもりで放った斬撃には間違いはなかったが、それを押し留めている意思もまたバランの内にあるらしい。
だがそんなバランの言葉も、武器を失った窮地でさえも、ダイにはとっては全く興味のないことだった。
「ヒュンケルー!!!」
その左手を向けながら、彼は天にまで届かん程の大声でヒュンケルに呼びかけた。
「っ!?」
内なる怒気をまき散らすようなダイに一瞬誰もが、バランでさえも気圧される。その一瞬の間に、ヒュンケルが名工の剣をダイに向けて投げ渡していた。強烈な殺気を振りまきながらの叫びに、逆らうことはできなかった。
「ぬぅ……!」
オリハルコンでこそなくとも、魔剣と呼ばれるにふさわしい金属ならば、幾許かならば竜闘気を受けられる。だが、そんな儚い希望に縋ってまで復讐しようとしているのか。
「あんたは絶対に許さない!! あんたの都合のために、おれの仲間を!!」
「やめろ……っ!!」
怒りに歪み切ったままに右手の拳と左手の剣を振り回しながら責め立てるダイを前に、バランは悲痛に叫んでいた。その顔には、執拗に与えられた攻撃による痛みとは別の苦悶に耐えるような強ばった表情が浮かんでいた。
「竜の騎士は……人を不幸にすることしかできないのか!? ゴメちゃんも、ポップも……おれの母さんだって……!!」
怒りに我を忘れて、ダイは尚もまくし立て続けていた。ベンガーナで見た人々の畏怖の眼差しから始まり、立て続けに目の当たりにしてきた竜の騎士という種族の存在。
これまで様々な苦境を乗り越えてきた力も、守るべき者達を失う引き金となり、今のダイには忌むべきものでしかない。
「…………。」
己の運命を呪うダイの罵声を聞いた途端、愛する妻を失ったあの時を思い返された瞬間、バランの一切の表情が消えた。竜魔人と化してから発し続けていた殺気も引き潮の如く収まっていき、一瞬辺りを静寂に包み込む。
「っ!!」
「ダ、ダイ!!」
そんな様子に構わずダイが飛びかかろうとすると、不意に天から幾条もの雷が雨の如く降り注ぎ、辺り一面を焼き尽くした。その内の一つをまともに身に受けて、ダイは地面へと叩き落とされる。
「こ、これは……ギガデイン……!?」
今尚降り注ぎ続ける天雷の群れに、クロコダインはその正体を察することができた。竜魔人と化したからか、自分が相対した時のそれよりも遙かに強大なものとなった雷撃の呪文・ギガデイン。テラン中を焼き払いかねない程の威力となって、雷の驟雨を巻き起こしていた。
「いかんぞダイ……どうやらバランの逆鱗に触れてしまったようだぞ……」
「あの姿でギガブレイクを放つつもりか……!?やめろ、そんなことをしたらダイは……!!」
そしてその豪雷はやがて一筋の極大の光と化して、バランの真魔剛竜剣に降り注いだ。一度その身に受けたクロコダインの目に、それが先程の比ではないことを知らしめていた。
真なる竜の騎士、それも激昂により暴走状態に陥っているがために更に力を引き上げられているそんな状態で、必殺の一撃を繰り出そうものならば、何者も耐えることが出来ないのは火を見るよりも明らかだった。
「それがどうしたっ!! 今更そんな力なんかに、おれは負けないぞっ!!!」
「!?」
だが、起きあがったダイはそれほどの脅威を目の当たりにして尚も、右手の紋章を強く輝かせつつ今にも牙を剥かん勢いで、バランへと怒号を上げていた。
「ダイが……ギガデインを!?」
ヒュンケルから受け取った剣に、バランが放ったギガデインの雷光が爛々と煌めいている。ダイ自身の竜闘気と共鳴して残滓に過ぎないはずのその雷は、真魔剛竜剣に纏うそれと遜色の無い程の猛烈な金色のエネルギーと化して、炸裂寸前の状態で押し固められていた。
「無茶だ!!ダイーッ!!」
共に同等の力があれ、あの中に巻き込まれればひとたまりも無い。だが、クロコダイン達にはただ見守ることしか為す術も選択肢もなかった。
「ウォオオオオオオッ!!!」
天高く飛び上がり瞬時に地の利を埋めたダイに対し、バランはギガデインを纏った真魔剛竜剣を振り被り、全てを跳ね退ける勢いで猛進した。竜の騎士の奥義・ギガブレイクの構えから、常軌を逸した雷を束ねた一撃を渾身の力で振り下ろすと共に、全てを焼き尽くす一閃がダイへと飛来した。
「ギガデイィン、ストラァッシュッ!!」
同時にダイもまた、剣に全ての力を込めて、最大の奥義を放っていた。バランのギガデインを受け止めた上で更に高められた雷が、人間の編み出した奥義に乗せられて、闘気と共にバランへと向かう。雷を帯びた二つの竜闘気が互いに相殺しあう中で、二人の剣が互いにぶつかり合った。
雷鳴をも斬り裂かんばかりの剣戟がただ一度奏でられると共に、爆ぜる雷の中から光輝く二つの切っ先が宙を舞った。
「真魔剛竜剣が……砕けた……!?」
やがて地面に突き刺さった内の一つは、オリハルコンによって創られし刃だった。共にギガデインを上乗せされた竜闘気同士の衝突がその強さを上回ったためか、真魔剛竜剣が真っ二つに折れる結果となっていた。
「オレの、魔剣も……」
程なくして、落ちてきたもう一つの剣が、切っ先を大地に沈める。刀身こそ折れていなかったが、既に刃は潰れて全体的に朽ち果てていた。形を留めていられたのは、僅かにギガブレイクの威力を上回っていたがためか。だが、それも束の間、すぐにヒュンケルの剣は燃え尽きるように崩れ落ち、塵となって消え失せていた。
「……!? な、何っ!?」
己の剣の最後を看取り、ヒュンケルが目を伏せたその時、静寂の中で乾いた音が力強く辺りに響きわたっていた。爆発により吹き上げられた砂塵が晴れると共に、互いの攻撃に巻き込まれたはずの二人の姿が見え始めた。
「ま、まだ、戦おうと言うのか!?」
武器を失い、瀕死になって尚も拳で打ち合うバランとダイの姿に、クロコダインもまた呆気に取られていた。神々が遣わした最強の竜の騎士たる強さを支える秘密たる要素。生来備わっている不屈の闘志と勝利への渇望が、極限状態の二人を突き動かしていると見えた。
「このままでは……」
「誰かこの二人を止めて……!!」
激昂によりリミッターを失った今、彼らを止められる者はいない。仲間達の想いも空しく、二人は血みどろの戦いを始めんと同時に地を蹴っていた。
《我、数多の滅びを看取りし者なり。》
「!?」
刹那、クロコダイン達におぞましい声が脳裏に響き渡るような感覚が襲ってきた。老人のように低くも覇者の如く体の底に届くような重さがあり、まさしく本能的な恐怖をそのまま体現したようなものだった。
「な、なに……?」
「テラン城が……!」
一瞬思わず震え上がると共に辺りを見回す中で、忍び寄っていた異変が姿を現していた。いつからか視界を覆い始めていた黒い霧。それはテランの城の地下から湧き水の如く吹き出していたものだった。
一切の光を飲み込むそれは、闇の欠片とも形容できる程の歪さを帯びていた。
《生を望みし死せる者共に救済を、新たなる下僕達に我が祝福を与えん。屍共よ、汝等は今一度の復活を、滅びへの再生を成さん。》
暗い闇の中で横たわる少女の弱りゆく体全体に激しい疼きが走る。己の内から這い出ようとする何者かが、貪るように生気を喰らい、枯れ果てた魔法力をも絞り出そうとしている。
「…オ……ク…」
遠のく意識の中で、闇から響きわたる詠唱が向けられる先に漂う嘆きの感情を確かに感じ取れる。己の意思を越えて蠢く得体の知れぬ内なる存在に導かれるままに、少女はその手を伸ばして己自身も解していない言葉を口ずさんでいた。
『やめろおおおおおおおおおお!!!』
二人の竜の騎士の拳が重なり合わんとしたその時、黒い霧の中から少年の悲痛な叫び声が響きわたった。
「ポ、ポ……ップ……?」
それは、最早二度と聞けるはずのない人物のものだった。振り返ると、ポップの亡骸が、竜の騎士達に向けて手をかざしているのが見えた。
「これは、ボミオス……?」
「ポップ君!?そんな……どうして……!?」
息吹も鼓動も止まり完全に落命したはずの彼の声が聞こえ、呪文の力が発せられているこの状況を前に、仲間達は理解が追従せずに当惑していた。
放たれた鈍化呪文ボミオスの黒い光が網の如く降りかかり、バランとダイをまとめて絡め取りまとめて地面へと叩きつけている。本来のボミオスのそれを遙かに越えた束縛の大呪文が今尚も展開されていた。
「だが……あれ程の力でも押さえつけられぬのか……!?かくなる上は……」
「ヒュンケル!!」
それでも、鈍化の気を与える呪文の域を越えることは叶わず、増大する竜闘気により打ち払われようとしているのが見える。死して尚もダイを案じるポップの力も一時しのぎに過ぎないと見て、ヒュンケルはすぐに飛び出した。
「……!!」
その瞬間、不意にダイとバランの間を通って、ヒュンケルの目の前に一つの槍が突き刺さった。
「ラー、ハルト……?」
ボミオスの戒めの中で、それを目にしたバランが思わずその名を零していた。全霊を竜魔人としての力に捧げている中でも、己の最も信頼していた者まで忘れてはいないのか、僅かな間その目に戸惑いが現れていた。
「……どうやらお前も、二人を止めたいらしいな!」
「ヒュンケル? ……だが確かに、この機は逃せん!!」
死力を尽くした戦いの末にヒュンケルの剣に倒れたバラン第一の部下、ラーハルト。ポップと同じように、命を落としながらも主を守らんとする想いから、己の槍を最後の好敵手に託したのだろうか。槍を引き抜くと共に、石突を地面に突き立てると共に意識を集中すると、巨大な十字状の光が槍全体に伝播していた。
クロコダインもまた、立て続けに起こる不可解に首を傾げながらも、ヒュンケルに呼応して拳に力を込める。残された気力を振り絞り、闘気を極限まで練り上げていた。
「グランド、クルス!!」
「獣王会心撃!!」
竜闘気によりボミオスの黒光が弾け飛んだその瞬間に、二人の戦士の全力の必殺技が放たれた。衝突を前にして、二つの強烈な闘気の激流が眼前を横切り、竜の騎士達はその衝撃にたまらず地面に転がり落ちた。
既に最強の雷撃を纏った剣を交えた末に傷を深めている中で、弱りきった竜闘気でヒュンケル達の技をしのぎ切ることはできなかった。
「ぐう……っ、何をするん…………っ!!?」
自分達の戦いに横槍を入れたクロコダイン達を忌々しげに睨みながらダイが起きあがろうとしたその時、不意にテランの城から吹き出ていた黒い霧が一気に広がり始めた。
「なんだ……この感じは……?」
先程の比でない程の黒い濃霧に包まれて、この場にいる全員が例外なく違和感を覚えていた。その中で最初に目に映ったのは、ポップが放った極大化されたボミオスの黒い光の残滓が霧に触れると共に虚空に散っていく様だった。
「闘気が……消え失せた…………?」
「氷炎結界呪法とも違う?だとしても誰が……!?」
体中の力が抜けていく感覚と共に、クロコダインは闘気が練れなくなっていることに気がついた。あらゆる力を削ぎ落としていく人知を越えた現象に近しいものこそあれ、それを一体誰が引き起こしているというのか。
「バランと……ダイ君は…………?」
黒い霧は瞬く間に広がり、離れた位置にいるバランとダイをも飲み込んでいた。
「竜闘気も消えるのか……?この霧は一体?」
バラン達の纏う竜闘気に黒い霧が吸い込まれるように集まり、互いに打ち消し合っている。竜闘気が弱まるに連れて、額に輝く竜の紋章が薄れていく。
「竜魔人化が、解けた……」
やがて紋章が消え失せると共に、二人の竜の騎士の様子が変わり始めていた。
「…………気は、済んだか……?」
戦いの中で傷ついていたことも相まって、あの最強戦闘形態を維持できなくなっていたのか、いつしかバランは人の姿へと戻っていた。
「あ…………。」
ダイの右手の紋章もまた消えて、糸の切れた人形のように力なくその場にへたり込んでいた。先程までバランを憎んでいた激怒の表情はなく、身構えることすらせずただ呆然とバランを見つめている。
「大切な者を奪われた憎しみ、私が一番知っていると思っていたのだがな……。」
バランもまた戦意を失ったのか折れた大刀を収めて、静かにダイ達の下に歩み寄っていく。人間に愛する者を奪われた耐え難い苦しみを、自らの手でダイに与えてしまったことを深く悔いているためか、その表情には憂いが浮かんでいた。
「お前にだけは、同じ憎しみを味わって欲しくはなかった。だから……一度だけ、詫びさせて欲しい。」
「……え? で、でも……おれ、だって……!!」
一瞥しながら告げられたバランの言葉に、ダイは一瞬戸惑った後に、己自身もまたいたずらな私怨に駆られたことを思い返して狼狽える。
「……やはりお前には、紋章の性質は余りに合わないようだ。それもまた、人間の心なのか。」
そんなダイの態度に、バランは嘆息しながらそう評していた。元を正せば、最初の邂逅の時よりこちらがダイを奪わんとするために引き起こされた戦いのはずだった。だというのに、それを承知の上で他者を悪戯に傷つけたことを悔悟している。
普通ならば無闇に人を貶めることしか考えられない所で、過ちを過ちと認められる。理屈を抜きにした思いを表すダイの純真な心の起源を慮らずにはいられなかった。
やがて、歩みを止めたバランの足元に、ポップの亡骸があった。自分達を止めるために大呪文を使ってのけた彼も、自己犠牲の呪文を使った際から既に事切れていた。
その覚悟と死して尚も奇跡を引き起こして見せた執念に心打たれたように見下ろしながら、その拳を彼の目の前で強く握りしめていた。
「血……? いや、あれは……」
「ポップくんに何を……」
光輝く何かが、その手の内からポップの口元へと零れ落ちていく。
「ポップ、と言ったな。お前ならば、この竜の血できっとこれで蘇るはずだ。死の淵にあって尚、我らを呼び止めたお前ならば、な。」
皆が不思議そうに見守る中で、バランはポップに対してそう語りかけていた。竜の血と呼ばれたバランに秘められしもう一つの力を以て、蘇生を試みている様子だった。
『こ、これ……は……』
死したる者の意識を留め置く力があるのか、黒い霧の中から先程と同じようにポップの声が聞こえてくる。驚愕に染まるその声が次第に小さくなっていくにつれて、竜の血が注がれた亡骸に変化が現れていた。
「心臓が……!」
途絶えていた鼓動が再び脈打ち、冷たくなっていた肉体に熱が戻っていく。完全に止まっていた体もまたゆったりと呼気を刻み始め、急速に生気が戻っていく。
竜の血の奇跡がかった力により、ポップは完全に息を吹き返していた。
「バラン……、お前は……。」
死者を蘇らせる程の力に皆が圧倒される中で、クロコダインはバランに問いただしたそうに視線を向けていた。いかにポップに気をかけたと言えども、一体何の気まぐれで人間を助けたりしているのか。
ダイの親友を失わせ激情に駆らせた結果に対しての精算か罪滅ぼしか。いずれにせよ、ここでの戦いの中でバランは彼に対して強く心を打たれた様子だということは読みとれた。
「……確かにその紋章の力は、人を不幸にしかできないのかもしれん。竜の騎士とは、本来戦場にあってこそのものだからな。」
クロコダインに応えるわけでもなく、バランは踵を返して去り行こうとしていた。
竜魔人が示した最強の力は無論のこと、人を蘇らせる竜の血の奇跡にしても戦いを前提とした力であることは間違いない。戦いの中でダイが口走った、竜の騎士に纏わる不幸を否定することはできなかった。
「とうさ……」
それ以上言葉を重ねることなく静かに去ろうとするバランに、ダイは思わず引き留めるように声を絞り出していた。
「ダイ……。」
あの戦いの中にあっても、バランは最後の一合を交えるまでダイを竜魔人の力で傷つけることはなかった。生き別れてからの唐突な再会の中で何もかも分からずとも、バランの行動一つ一つがダイを思ってのことであると、潜在的でこそあれ確かに伝わっていた。
これが敵となっても手放せぬ親の情と言うものか。
「…………ディーノよ。」
「!」
ふと、バランが足を止めつつも振り返ることなく、ダイに呼びかけていた。
「笑った?」
その声は、先にも増して穏やかで真っ直ぐなものだった。
「いずれ、また会おう。」
最後に一言だけそう告げて右手を上げると、空からスカイドラゴンに跨った鳥人のドラゴンライダーが舞い降りてきた。騎馬共に痛々しい手当の隙間から覗かせる火傷の跡が目立ち、とても戦えるような状態ではなかった。
その背中には、テランへの街道で倒された魔族の戦士・ラーハルトが力なく横たわっていた。彼もまた、死してからも自分達を見守り、ヒュンケルに己の槍を託していた。その死に顔を一瞥して俯くバランが鳥人に命じると共に、スカイドラゴンはすぐに大空へと飛び立っていた。
彼らを乗せて雲に乗るように去り行く飛龍の姿を、ダイはいつまでも見つめていた。
未だに晴れない黒い霧の根源たるテランの地下。そこに突如として、足音もなく小さな影が降り立った。
「くくく、あの竜の騎士がこうも形無しになろうなどのう。」
この場で起きた一部始終を見届けた結果に満足したように、それはしわがれた声で笑い声を上げていた。城の者は皆少女により沈められ、彼の行動を見咎める者は誰もいなかった。
「よもやこのような異質な力を持ち得るとは、これは思わぬ収穫じゃわい。」
そして、霧の中心にいるその少女当人の近くにまで歩み寄っていた。致命傷を負い、意識を失ったまま氷の棺の中に横たわっている。触れるだけで凍てつく程の冷気が、何者も近づかせぬように渦巻いていた。
「そのようなもので身を守っているつもりか?ふぇふぇふぇ、愚かなことよ。」
だが、この場に現れた老人はそれに構うことなく手を伸ばしていた。毒々しい黒い爪が生えた深い皺の手を少女に向けて伸ばしていた。近づくにつれて氷塊を覆う冷気が牙を剥かんとするも、手に触れようとした瞬間に消滅していた。やがて渦巻く冷気の中に全身を置きながらも、老人が凍えることはなく、ついには氷の棺にまで至っていた。
重厚な氷の壁もまた、老人の手が触れた部位が素通りするように消えていき、ついには氷の中に閉ざされた少女の首を爪が食い込まんばかりの勢いでしっかりと握りしめていた。
「今度こそ役に立ってもらうとするかのう。気になることは山とあるのでなあ。」
死んだように意識を閉ざした少女から、微かな脈動が伝わってくる。一度は逃がした彼女を今度こそ手に入れたことに歓喜しながら、老人・妖魔司教ザボエラは空いた手を地面にかざした。
辺りに漂う黒い霧を更に集わせたような漆黒の渦が彼らを包み、飲み込んでいく。それが吸い込まれるように床に沈み切った後には何も残らなかった。
竜の騎士の戦いすらも鎮めた黒い霧もまた、その中心にいた少女が消えたことによってか、いつしか晴れ渡っていた。
▽次へ
□トップへ