第一章 誘われし者
「置きなさい、レフィル。朝ですよ。」
薄暗い部屋にあるベッドの中で眠っている者へと、女は優しくそう告げた。しかし、それでも…レフィルは目を覚ます様子はなく、静かに寝息を立てるだけであった。
「よっぽど寝つけなかったのね…でも、今日くらい早起きしたらいいのに。」
ゆったりとしたリズムですやすやと眠り続ける自分の子供の姿を、彼女は少し呆れた様子ながらも暖かな笑みを浮かべて見守っていた。
「あなたは私のかわいい子…いつでも愛してるわ…。だから…」
切なげにレフィルに小さくそう囁きながら、母はベッドの傍らにあるカーテンを開いた。そこから朝日が一気に差し込み、部屋を明るく照らした。
「あら…?いけないいけない。お肉焦げちゃうわね…。今日は大切な日だから頑張って作っていたのに。」
ふと、階下から流れる香ばしい匂いを感じて、彼女はレフィルのもとを離れて駆け足で部屋を出て行った。
「むぅ…いい加減もう少し静かに出来ぬものか…。のぅ…レフィルや…。」
騒々しい音を立てながら下の階へと慌しく下りていった母親に少々気が滅入った様子で、いつしかこの場に立っていた年老いた男はそう一人ごちた。
「…しかし、せがれのみならず…お前まで…」
彼はレフィルの近くまで歩み寄り…その寝顔をじっと見つめながら、しわだらけの顔を嘆かわしそうに歪ませていた。
「必ず生きて戻って来るんじゃぞ…。」
その哀しみを感じさせる様な声色で最後にそう告げた後、老人もまた階段を下りていった。
「……ん……。」
誰もいなくなった部屋の中で、レフィルは顔に当たった朝日の光を眩しく感じたのか、小さく声を零した。
―レフィル…いよいよですね…。
……。
―私はずっとあなたを見守って来ました。
…ずっと…?あのとき…も?
―はい。だからあなたがどのような心を持っているか…ようやく知ることが出来ました。
心…。
―あなたは人と触れ合うことをとても苦手とするようです。
……。
―あなたはとても優しい子です。でも、そのために自分の言いたいことを伝えられなくて、話が上手くできないみたいです。
…何を…言ってもだめだから…
―それで随分と大変な思いをしたのですね…。少なくともあなたはそう感じている…
……。
―ですが、あなたの気持ちを受け止めて、あなたの事を本当に大切に思ってくれる人もきっといるでしょう。そう思える様になった時、あなたはきっと…心を開いて笑顔でいられる、そう信じています。
大切な…人…。
―まずは一歩を踏み出すのです。さあ…目覚めの時間です…。
「……もう…朝…なんだ…。」
やがて、レフィルは深淵の闇を思わせる様な、深い紫の瞳を開き、ゆっくりとベッドから起き上がった。
「………。」
ベッドの傍らにおいてある青い耳飾りにその手を伸ばして掴んだ後、レフィルはようやく立ち上がった。