第三章 金色の王墓
第三話
長い砂漠の道のり―無味乾燥に続いてきた砂丘が、不意にその趣を変え始める。
「着いた……。」
「そのようだな…。」
砂漠の果てに最初に見えたものは、空を照り返すようにして蒼を返す水と、その周りに生い茂る緑だった。乾きの砂地の中で求めていたものを体現したような潤いが、そのオアシスから見受けられる。
「ありがとう…みんな。」
ついに目にすることができた光景を前に感ずる心そのままに、レフィルは後ろを振り返りつつ、礼の言葉を告げていた。
「本当に、思わぬ助けだったな。」
それを向けられたのは、緑の甲殻を纏った甲虫の群れだった。本来砂漠の脅威であるはずの彼らであったが、ムーによる一方的な虐げを前に窮していたところでのレフィルの介入で一命を取り留めたことが、その本能に訴えかけるものがあったのだろう。
砂漠を駆けまわる足となって自分達を運び、この地にまで導いてくれた地獄のハサミ達もさることながら、仮にも勇者と呼ばれているレフィルが魔物達に見せた情け深さに、ホレスは純粋に驚いていた。
元より自分も無駄な戦いを避ける性質であり、カザーブの道中でも魔物を深追いする真似は避けていた。それに従う姿勢を見せていた時点で、あるいは薄々感づいていたのかもしれない。
「しかし、これがあの……。」
「ええ…。」
地獄のハサミ達が砂漠へと帰っていくのを見届けた後、三人は改めて黄砂に広がる緑の大地に目を向けた。初めて目にする砂中の楽園は、噂に違わぬ素晴らしいものであり、感嘆の声を零さずにはいられない。
「砂漠の王国、イシス。」
微かに揺らめき始める昼前の砂の上で、ムーは汗一つかいた様子もなく赤みすらささない涼しい顔で、ただ一言そう呟いていた。
オアシスを背に、一つの王宮がたたずんでいる。四方を高い城壁に囲われて、そのすぐ内には大理石の柱が立ち並んで、城内に続く回廊を形作っている。正門よりその柱に囲われた砂の広場を経て行きつく先にある本殿は、古の文が刻みつけられた石壁が厳かな雰囲気を醸し出している。
だが、その内へと立ち入ると、そこには地より与えられた潤いを余すことなく利用した、泉水を囲う花壇が見えた。砂漠を生きる者達ならではでの知恵が作り出した、生を育む機構の成せる業であろうか。ともあれ、それが見せる美景はまさに、外の無味乾燥な砂の大地とは対照的な華やかさであった。
王権の象徴たる謁見の間もまた、絢爛と言えずとも質素で上品な趣だった。女中達が手塩にかけて世話を続ける花々が生き生きと映えて、微かな彩を添えていた。
「そうですか。やはり……」
その玉座に慎ましくたたずむ者が、前に控える者からの報告を受けてそう応えていた。彼女こそ他ならぬ、美貌の噂の元となっているイシスの女王であった。その仕草と同じくして、砂丘を思わせる落ち付いた色のローブに身を包み、銀のティアラを額に戴いている。誰もが見惚れる程の姿形の美しさもさることながら、それとは違う古を司る神秘的な雰囲気を纏っており、それが皆に褒め称えられるものとなっていた。だが、今の女王の表情からは、途方もない悲しみを微かに感じることができた。
「あのお客人が道を開いてくれたまでは良かった。ですが、その奥に進んで生きて帰った者は一人もおりませぬ…。」
「……。」
先日に訪れた旅人の手によって探し当てられた道より、更に多くの得る物があった。だが、その一線を越えた先にあったのは確実な破滅だった。
「これ以上の捜索は、悪戯に犠牲者を増やすだけですか…。」
「陛下の心中お察し申し上げます。皆、次こそは真なる”黄昏の腕”を見れる、と心待ちにしておりますからな…。王墓に自ら足を踏み入れた者達も…。未だ、その遺志を継がんとする者達も後を絶えませぬ。」
彼の者が開いた道の先に見えたのは、多くの者達を引きつけて止まぬ秘宝―”黄昏の腕”の存在だった。黄金で拵えられた神の手を模した祭器は、外来者だけに留まらずイシスの民にとっても長らく待ち望んでいたものであり、それを求めて王墓の探索に出た者は数知れないが、真実に至ろうとした者の多くが死に至っていることから、同時に彼らを拒む呪いの存在も囁かれていた。
それでも今も尚、足を踏み入れる者は絶えず、王墓の内に晒した屍をそのまま墓標となす話は消えることはなかった。
「伝統ある太陽祭のためとはいえ、尊い命を失うことはあまりに悲しい。私からも申し上げなければならないでしょうか。」
「……それがよろしいでしょう。ですが、今の彼らに陛下のお言葉が届くかどうか……。」
旅人の一助となるとまでされている女王の名においても、もはやこれ以上犠牲者を出してはならない。黄昏の腕を求めることを禁ずればそれも叶うかもしれない。だが、それだけでは伝説によって今も尚勢いを増しつつある者達の心が静まることはないだろう。
何より、宝物がこの地に戻ることによってもたらされる結果をまみえたいと願う心は、女王自身もまた同じであった。
「陛下、アリアハンからのお客人がお見えになりました。」
結論を出しきれず、膠着の内の静寂に包まれようとした時、侍女の一人が静かに女王の傍らへと寄り、知らせをその耳の内に収めた。
「会いましょう、お通しして。」
それに対してすぐに、女王は迷うことなく指示を返した。元より謁見は、旅人に顔を広く知られる程に開かれたものであった。ましてそれが、約束されたものであるならば尚更だった。
程なくして、兵士の案内を受けて三人の旅人達がこの場を訪れた。
「ア、アリアハンより参りました、レフィルと申します。この度は…、お招きに与り恐悦至極に存じます。」
最初に口を開いたのは、鉄の鎧をまとった長身の少女―レフィルだった。公式での言葉遣いを未だ解していないのか、まだ言葉に淀みが見える。
「よくぞおいで下さいました。勇者レフィル殿。ロマリアでのお話はお聞きしておりますわ。」
「ろ…ロマリアでの話って……。」
「ええ。七日もの王位就任、とても好評だったとか。私も是非お目にかかりたかったですわ。」
「そ…そんな……。」
ここに至るより前に、既にロマリア王国からもレフィルが訪れる知らせは、既に女王の耳に入っていた。その際にか、レフィルが短い間ながらもロマリアの女王となった話も届いていたのだろう。微笑ましくその話を語る眼前の麗人を前に、レフィルは怖れ多そうに肩を竦めていた。
「あなたもまた、かつての盟主たるアリアハン王国に選ばれた者。やがては救世主となる道を歩まれるのでしょうね……。」
「………。」
与太話が過ぎた所で、女王は真顔へと立ち返りながら話の流れを変えた。世界中を収めてきたという古の栄華からは程遠くも、未だ大きな力を持つ国であるとされているアリアハン王国。その国の勇者とされた以上は、相応の働きが期待されることは疑いようがない。
「旅人を助ける者として、我がイシス王国もあなた様のためにできる限りの力を尽くしましょう。そして、無事にその宿命を終わらせられることを心からお祈りいたします。だから、どうかご無理はなさらないで。」
「は、はい…。」
課せられた責務を確かめるような言葉の中で、その中に置かれている自分を労わる女王の心の内を知り、レフィルはそれに応えるように深く一礼していた。それでも、何か引っかかるものを感じたのか、その声に乗せられる力は消え入るように小さなものだった。
「……まず一つ、あなた方に謝らなければならないことがあります。」
「…?」
唐突に、女王は表情から笑みを消しつつそう告げていた。
「残念ですが…あなた方が求めている魔法の鍵は、今この国にはありません。先にこの国に大恩をもたらした旅人が出発する折に、お礼の品として差し上げてしまったのです。」
「…え!?」
このイシスを目指す指標としていた魔法の鍵は、別の何者かの手に渡ってしまったという。それを聞いて、レフィルは思わず目を見開いた。砂漠越えの日々を過ごしてまで求めていたものが、既にここにはない事実を前に驚きは隠せない。
「彼の名はサイアス。あなた方も或いはよく知った名であることと存じます。」
「サイアスさん…って、じゃああの時にはもう…。」
その鍵を手にしたのは、奇しくもロマリアの王位に就いていた時に出会ったあの男―サイアスらしい。そうなると、既にその時には魔法の鍵を手にしていたことになる。この現実を前に、一足では済まない大きな遅れを取らされた気分にさせられる。
そもそも一国の勇者と言えども、国宝にあたる魔法の鍵をおいそれと手にすることなど元より怖れ多い。それを譲渡する気にさせる程の力が、そのサイアスという男にあるのだろうか。
「ご期待に添えずに申し訳ありません。ですが、代わりにあなた方の道を違う形で開いて見せましょう。」
「…女王様?」
落胆したところで、女王が謝意と共に告げた申し出にレフィルは思わず顔を上げた。
「五日、お待ちなさい。そして五日後の満月の夜、またおいで下さい。」
不思議そうな表情を返すレフィルを可笑しく思ったのか、女王は再び微笑むと共にそう約束した。
「…??わかりました。」
一体五日の間に何があるのか。それよりも、魔法の鍵がない今になっても、自分達の助けとなる術を持っているということが気に掛かる。一瞬言葉を詰まらせたが、レフィルはすぐに了承の意を述べた。
「では、お行きなさい。」
「はい。感謝いたします、女王陛下。」
五日後の夜に差し伸べられる手がどのようなものであれ、わざわざ駆け出しの自分に対する手向けを別に用意させることは実に恐縮極まるものであった。優しく送り出さんとする女王の言に一礼を返すこの時も、後ろめたさを感じずにはいられなかった。
「レフィル、ムー。お前達は先に宿に行ってくれ。」
謁見の間を後にしようとしたその時、不意にホレスは二人にそう告げていた。
「…え?」
「俺はまだ、確かめたいことがある。」
「…?は、はい。」
何か気に掛かることでもあったのか、今にも女王に尋ねんとするホレスに首を傾げるも、それを止める理由などなく、まして何を以って不可解と取るかすら分からない。レフィルは曖昧に頷きながら、ムーを連れて女王の御前から一足先に去って行った。
「何か?」
この場に留まらんとする意思が唐突であれ、彼には彼なりの考えというものがあるのだろう。この場にただ一人残った客人となったホレスへと、女王は用件を促すようにそう語りかけた。
「ピラミッドの、そして黄金の爪についてできる限りのことを教えてほしい。」
「!」
それを受けてホレスが返した言葉に、女王の傍らに立つ大臣が思わず眉をしかめた。
「…あんた達の話は先程遠くから聞いていた。祭器…と聞いたからには、流石に持ち出すわけにもいかないだろうが、それでも俺自身の目で確かめてみたい。その黄昏の腕とやらも。」
「…お…恐れ知らずな。我らの話を盗み聞きして口を挟んだだけに留まらず、あんな場所に自ら赴かんとは…。」
続けられる言葉からも彼が言わんとしているのは、つい先程論じていたイシスの王墓―ピラミッドの謎の件であることは明白だった。他国の旅人の分際でこのような話に首を突っ込んでくる不敬もさることながら、その話を聞いて尚も彼の地に向かおうとしていることに、途方もない程の呆れが込み上げてくる。
「ふふ、噂通りの勇猛ぶりですね。ノアニールの英雄、地獄耳のホレス殿。」
怒りすら感じさせるように肩を震わせている大臣をよそに、女王は云われに違わぬ彼の特性を間近に感じたことを面白く思ったのか、苦笑を零していた。
「…英雄なんてガラじゃない。それより、俺にも聞かせて頂けないか?」
砂漠を越えた先にまで自分の噂が通っていることを意外に思いながらも、”英雄”という言葉はどうしても性に合わなかった。ただ一人のつまらぬ存在のために引き起こされた事件に巻き込まれただけで賜われるものであれば苦労はない。
それよりも、アッサラームやこのイシスの地で聞いた話だけでなく、王家の者しか詳しく知らぬ伝承もまた、今のホレスが求めて止まぬものだった。
「いいでしょう、お教えします。」
ホレスの申し出を、女王は実にあっさりと受け入れた。この王国が擁する情報は、皆が思っている程閉ざされたものではなく、また伝え聞いた事実を語ることなど造作もないことらしい。
「ですが、ピラミッドに向かうのであればひとつだけ約束して下さい。必ず生きて戻ること。よろしいですね?」
それでも、やはり自ら死地への道を指し示すことには変わりないと感じているらしく、女王はそう続けていた。
―保証はどこにもないが…そう簡単に死んでたまるか。俺の旅はまだ始まったばかりなんだからな。
口上は厳命そのものであったが、それを語る女王の心は懇願にも近かった。どうあってもピラミッドに向かおうとするのを止められない以上、後は生還を願うしかない。その心を察するまでもなく、ホレスもまた王墓の礎となるつもりなど毛頭ない。それが例え死地と呼ばれる場所であろうとも、何も変わりはなかった。
「勇ましいことですね。では私も、あなたが黄金の腕を求める最後の者となるべくできる限りのことを致しましょう。」
肯定を意味するように小さくも力強く頷いてみせたホレスの意を汲んで、女王もまた真剣な面持ちに立ち返ってそう告げた。これまでにピラミッドへと挑む折に謁見を望む冒険者は数知れなかったが、彼程強く秘宝への執念を見せた者はいなかった。
或いは彼がこの止まらぬ流れを変えてくれるかもしれない。だからこそ、初めて自らも動かんとしていると、彼女は心のどこかでそう感じていた。
オアシスから連なる水路が、街全体を潤すように敷かれている。未だに温度差が厳しい気候であれ、それが大きく和らげられているのはこの水の流れの賜物だった。
日干しされたレンガの外壁に泥を塗ることにより、一見すると大地と一体となったように見える独自の造りの家屋が立ち並ぶ中で、アッサラームとはまた違った喧騒が見える。外から出入りする隊商との物のやり取りや、外からの冒険者がイシス固有の文化を眺めたりと、実りに乏しい砂漠の地らしからぬものがあった。
「これで、いいだろうな。」
その喧騒が宵の中へと消えんとする頃、ホレスは宛がわれた部屋の中で荷物の中を改めていた。ここに至るまでに見聞きしてきた情報をまとめた手記や応急処置用の薬草、組み立て式のクロスボウの部品と矢束、野営用のテントやカンテラなどが所狭しと収められている。傍ら置かれている止め帯にも、爆弾石入りの袋や大振りのナイフ、鎖鎌などの道具が取り付けられている。
そして、イシスの城下町で目にしてきた商店の内より、掘り出し物として売られていた品が手の内で弄ばれている。灯された蝋燭の灯を受けて眩い程の光沢を返し、互いにすり合う度に冷涼な響きの音を奏でる四枚の刃。それは、投じて獲物を穿てばそれでよし、かわそうものなら再び使い手の下に戻る、ブーメランと呼ばれる特殊な投剣だった。鋼鉄ではないにしろ、刃を成せる程の強度と靭性を持った金属で拵えられたそれらを迂闊に操ろうものなら、自らを傷つけることともなる。もっとも、使い方を心得ているのであれば、さしたる問題ではないのだが。
「さて…」
出発の準備は既に整った。後するべきことも特にない。
「レフィル、ムー。俺は明日から暫く金色の王墓―ピラミッドに向かおうと思う。だから、お前達は俺に構わずイシスでゆっくりしていくといい。」
準備に苦心した末に肩を落としながら、ホレスは同じ部屋でそれぞれ時を過ごしている二人の仲間へとそう告げた。
「ピラミッド?お宝たくさん?」
すると、まず返ってきたのはベッドの上からの少女の声だった。そちらを見やると、腹這いになって寝そべりながら、ホレスが携えている書物の一つを読んでいるムーの姿があった。相変わらず表情は読めないが、向けられる双眸から感じられるのはこの上ない好奇に他ならなかった。
「え…?」
そんなムーの反応を見て、レフィルは思わず目を瞬かせていた。客室毎に用意されたティーセットのカップに告がれた薬草茶をすすりつつ、心身を休めていたところであった。アッサラームでのならず者達、死出の旅路にも近い砂漠の道、そして王城での謁見と、気苦労が重なってきた中ではうってつけの休息だった。
「ピラミッド…って、あの…」
「ああ。ここから北にある、イシス王家の墓のことだ。お前も、ここの連中からちらほら聞いてると思うがな。」
「そ…そうですけど……」
新たな宝の噂が広まってからこのかた、ピラミッドを目指す旅人達は未だ絶えない。その彼らの話から、レフィルもピラミッドについての概要は知っていた。与えられた五日の猶予を、その王墓の散策に使わんとするのがホレスの意思なのだろう。それに関して何かを問いたくなったその気持ちは、結局言葉にはならなかった。
「私も行く。」
レフィルが迷いを露にうつむいたところで、ムーはホレスへと唐突にそう申し出ていた。
「……おい、あそこがどれだけの人死にを出したか分かっているのか?」
「あなたも分かっていない。たぶん。」
「……多分かよ。」
それを拒むように、ピラミッドの恐ろしさを再認させようとするも、逆に自分にも指摘されてみて、ホレス自身もまだピラミッドの罠についての認識の甘さを否定できずにいた。試練と称されて明記されている一部の罠ですら、まだ実感しているわけではない。
「でも、一人じゃ……」
「俺が勝手に行くだけだ。」
「………。」
危険な場所と分かっていて、そこに向かわんとするのを留め置かずにはいられずに告げられようとしていたレフィルの言葉は、冷徹にも思えるホレスの一言に遮られていた。あるいはそのような場だからこそ、友を巻き込む訳にはいかない、という矜持もあったのかもしれない。
「ともかく、砂漠越えで疲れたろう。今日はもう休んでおけ。」
悲しげな表情を湛えつつ沈黙を返すレフィルにかける言葉に窮したのか、ホレスは最後に気遣うようにそう告げていた。孤独であったが故に、今共にある仲間に対して強く抱かれる情の強さはホレス自身も知っている。その意思を頭ごなしに否定することなど、彼にはできなかった。
「ホレスさん…。」
支度も仕上げに入って荷物を纏めて部屋の隅に置くホレスの背中を見ながら、レフィルは消え入るような声で思わずそう呟いていた。互いに矛盾した思いが交わらずにいることに、釈然としないものを感じてならなかった。
夜が明けて、東の地平から曙光が再び砂漠を照らし出す。全てが大地の影に覆われた夜から、再び朝へと移ろうとしている。光が差すと共に、砂丘のそれよりもはるかに大きい三角の影が西へと大きく傾いでいく。その裏で日の光を受けて白い輝きを見せる姿は、一見すると巨大な黄金の山に間違う程に優美なものに見えた。
全体が金で拵えられたかのような王家の墓―金色の王墓。それが、ピラミッドのもう一つの云われであった。
「結局ついてきたのか…。」
王墓の南に佇む巨大な門を前に、ホレスは後ろを振り返りつつ呆れたようにそう呟いていた。
「お宝、お宝。」
そこには、理力の杖を肩に担ぎながら、そう口ずさむ赤髪の少女の姿があった。やはり感情を出すことすら忘れたように無味な表情であったが、それが逆にその天真爛漫な振舞いを前面に押し出しているようでもあった。
「遊びに行くわけじゃないっていうとウソになるが…物見遊山に行くんじゃないんだ。命にも関わることを努々忘れるなよ…。」
「む…」
今にも小躍りを始めようとした所でホレスから煩く言われて、ムーは水を差されたように唸りを上げて押し黙った。ホレスとて、興味がなければこのような危険な場所を訪れたりしない以上、自らの興味のままに向かうという戯れとなんら変わらぬことなど承知していた。それでも、標なくして足の赴くままに進まんとすれば、道に迷って脱出できなくなることもあるだろう。
だからこそ、弁え所が明確ではないムーに、ホレスは一抹の不安を覚えていた。
「レフィル、お前も無理はするな。所詮は俺の私用なんだからな。」
「………。」
そしてもう一人、ホレスは未だ悲しそうな顔を隠せずにいるレフィルへとそう告げた。宝という響きに釣られたムーとは対照的に、彼女は責任のようなものを背負い込んでしまっているために、ここまで付いてきている。それでも、結局邪魔にしかならないのではないか、という漠然とした不安もあった。
「じゃあ、行こうか。」
「は、はい!」
そんな不安を他所に、ホレスは二人を促すように告げて、門へと手をかけていた。誘う仕草の中に、共に行くことを認めてくれたような気がして、レフィルの表情は微かに明るくなった。
「レミーラ」
門の中に広がる闇へと踏み入ると共に、ホレスはまず、そのような言の葉を紡いでいた。
「…え?」
すると、ホレスの目の前に眩い光を発する玉のようなものが現れて、一瞬にしてその光が辺りに広がって行った。それにより、闇に閉ざされていたはずのピラミッドの内部がより明るく照らし出される。
「ホレスさんが…呪文を?」
「ああ。俺が使えるのはせいぜいこれ位のものだ。」
今ホレスが用いたのは、暗闇が支配する洞窟や地下を歩む際によく用いられる灯明の呪文―レミーラである。だが、それ以上に、レフィルにはホレスが”呪文を使った”という事実の方が大きく、驚きを隠せずにいた。呪文がもたらす光に一点の解れもなく、目の前に浮かぶ光球の如くまさに完璧と言える発動だった。
「…………。」
だが、それを面白くなさそうに押し黙りながら眺めている者がいた。
「…ムー?」
半ば睨むようにしてレミーラの光を見つめている少女の様子を不思議に思い、二人は振り返って立ち止まった。その視線は、術者であるホレスにもまた向けられている。不意に、砂漠を踏みしめるようにしてホレスの下に歩み寄り、背伸びするようにして顔を間近にまで近づけた。
「な…なんだ?」
顔と顔とが触れ合わんばかりの近間から睨みつけられて吸いつくような緑の双眸に視線を合わせながらも、ホレスはただただたじろぐばかりだった。一体自分が何をしたというのか。
「私の株を奪わないで。」
すると、間近でねめつけながら、ムーはホレスへとそう言い放った。
「負けず嫌いめ……。」
その言葉で、彼女が言わんとしていることを解すると共に、同時にそのような小さなことに拘る様に呆れさえも覚えていた。
数多くの呪文を使いこなすはずの魔法使いが、呪文一つ操れないような冒険者に後れを取ることは、考えるに難いことではある。だが、それに拘るあまり、今のように絡まれてはたまったものではない。
魔法使いを自負するあまり、負けず嫌いな一面をより強く見せつけるムーに、ホレスはげんなりとした様子で嘆息した。