第二章 最初の出会い
第一話

「らしくない…」

 大きくそびえ立つ石積みの壁を通して、兵士達が慌しく駆け回る音が聞こえる。
「……こいつは…一体なんだ…」
 銀色の髪の青年は、手綱を引かれている馬の背に伏している少女の存在に疑問を感じて、怪訝な表情のまま首を傾げた。




「逃がさんぞ!!」

 ようやくロマリアから脱出に成功した矢先、一人の追っ手に追いつかれて戦いを余儀なくされた。

「バカが…」

 しかし、それも彼にとっては大きな障害とはなりえなかった。
「終わりだ…!」
「ぬ…ぬかせ…っ!!」
 追跡してきたところで矢で弱らせ、さらにその喉元にナイフを当てがることで、青年はその騎士を完全に制していた。

「………っ!?」

 だが、刃が敵を貫こうとしたそのとき、それを握る右手に一瞬強烈な衝撃が走った。
「な…に…っ!?」
 その耳には、金属がぶつかり合う音の残滓が未だ繰り返し鳴り響いている。いつしか彼の右手にあったはずのナイフは、遠くの草地に突き刺さっていた。

「ま…まっ……て……!」

 直後、どこからか小さく弱々しく誰かがそう叫ぶ声が耳に入った。

―…あ…ぁ……ホレ…ス……!
―…や……だ……!し……たく……い……!

―お…まえ…は…!?

 そこに立っていたのは、酷く傷つき…今にも倒れそうな旅人であった。全身、とりわけ左腕に炎で焼かれたような跡が残っており、地面に突かれた右手の剣は、血と土ですっかり汚れてその輝きは見る影もなかった。そして…その顔には死相と恐怖が映し出されている…。

「あれは…アリアハンの……」
「なに…?」

 抑えつけていた騎士が抗するのも忘れて思わずつぶやいた一言に、青年は怪訝に顔を歪めた。
「く……!今はこんな下らないことをしている場合じゃない!!」
 だが、すぐに我に返って、彼はすぐに傷ついた冒険者の下へと駆け寄り、手当をし始めた。
「あの剣さばき…、どこかで……。」
 一方、騎士の方は先程自分を救った一閃を、どこかで見たような気がした。


「誘いの洞窟…か。何だってそんなところから…。」
 今は封印されているはずの、ロマリアとアリアハンを繋ぐ古の道。やって来た方向からして、”彼女”はそこから来たと見て間違いなかった。
―女…それもたった一人で…馬鹿げている…。
 背は青年よりも少し低い程度で、冒険者として不自由しない程度にはある。だが、彼に応急処置を施されたその腕は、剣を振るうことを生業としている者にしては細い。
― 一体…だれがこいつをここまで追い詰めた…?
 外見こそ、冒険者然とした出で立ちではあったが、所々に幾分拙さが見え、経験不足を感じさせる。ほとんど普通の女性と変わらぬ彼女が、わざわざ好き好んでこのような場所にいるとも思えなかった。
「急がないとな…。」
 少女の衰弱の状態は次第に悪化し続け、青年が手を尽くした程度では時間稼ぎが精々であった。すぐに手当てをしなければ間違いなく死んでしまう。彼は逃げてきた先のロマリアへと、迷うことなく足を進めた。手綱を引かれて、少女を乗せた馬も、その後を静かに付いて行った。
「さて…。」
 やがて、ロマリアの側面の城壁の一角で、青年は足を止めた。
―今更手段を選んでもいられない。
 
 爆発音が響くとともに、目の前の壁が砕けて崩れ落ちた。
「…残り少ないか。まぁ、仕方ない。」
 手を掛けた袋の中身を改めつつそう呟きながら、彼はすぐさま馬へと跨り、一気にその中へと飛び込んでいった。


「今のは…一体…?」
 遠くからの轟音を聞き、ある男はそう口に出していた。
「落ち着いて!落ち着いてください!!」
 ロマリア城下の町外れにある小さな礼拝堂、その中に集う人々がざわめくのを必死に抑えようとするシスターの叫び声が響き渡る。

「…!」

 その時、入り口の方で大きな音を立てて扉が開かれる音が聞こえてきた。
―今度は…何が?
 誰かがこの中に入ってきたのはすぐに分かった。今の爆発と何らかの関係があることも大方間違いない。

「神父はいるか!?」

 続いて、礼拝堂にそのような声が響き渡った。声の主は、一人の少女をその腕に抱えた、銀色の髪をもつ青年だった。
「はい、こちらに。」
 自分が呼ばれたと冷静に理解し、男はすぐにその突然の訪問者へと応じた。

「急患だ!!すぐに手当てしてやってくれ!!」

 青年は訴えかけるような、そのくせあくまではっきりとした調子でそう告げてきた。
―これは…ひどい…。
 その腕に抱えられた少女の姿を見て、神父はまずそう思った。既に彼女の顔からは生気を感じられない。青年が施したのであろう数多くの適切な応急処置、それによる包帯などが、傷の深さを物語っている。
「悪いが俺が出来ることはこれまでだ。これ以上は邪魔になる…後は任せた。」
「!?」
 少女の身柄を預けるなり、青年は突然とんでもないことを言い放った。寄付のつもりだろうか、金貨の入った袋をその場に投げ捨てると、彼は本当にその場から走り去ってしまった。
「ま…待って下さ…っ!?」
 すぐに呼び止めようとしたところで、近くで金属音と、何かが壁に叩きつけられる音がした。
―剣戟…!?…そうか…そういうことか…
 神父はそれを聞き、すぐに状況を理解した。だが、今はそれに構っている余裕はない。

「…神よ!お力を!!傷つき倒れし者に、今一度生ける力を与えたまえ!」

 今は自分のなすべきことをするしかない。彼は倒れた少女のために、天へと祈りを捧げた。手にした十字架を掲げるとともに、彼女の体に光が帯び始める。
「このままでは…いけませんね。ですが…」
 消え入りそうなまでに儚く灯る生命の光。すぐにでも失われそうなそれを、神父はただ静かに眺めていた。
―神は自ら手を差し伸べる者を救いたもう。あなたも…きっと…
 死に向かう気配は未だに消えない。しかし、それに抗うかのように、光は弱々しくも灯り続けた。
「何をしているのです?あなた達もなすべきことをなさい。今すべきはこの方をお救いすることではないのですか?」
 死に瀕した少女を見守る一方で、神父は側で起こっている騒動に取り乱しているシスターや神官に向けてそう告げた。
「そうですね、ではお前達はこの方をお城の教会まで運ぶ準備をなさい。すぐに。」
「で…ですが!こいつもあの男の…!!」
「そのようなことはこの際忘れなさい。彼が何者であれ、その願いは間違ってはいない。それを助けるのが我々の役目でしょう。」
 狼狽し続ける部下を諭しながら、彼は再び少女へと意識を向けた。
―…しかし、彼は何故このようなことを…?
 目の前の少女が死に瀕していて、すぐにでも手を打たなければ死んでしまうのは明らかである。しかし、その一人のためにあの青年が自らを危険にさらしていることに疑問を感じていた。それが仲間ですらない、赤の他人を助けただけの話と神父が知ったのはまた後の話である。


「………。」
 夜、僅かに開いた上方の窓より冷たい風が流れ込んでくる。
―下らない…
 全身に刻まれた傷にその冷気が流れ込んで疼き、悲鳴を上げる、しかし、そのような中でも彼は表情一つ変えずにそこにたたずんでいた。

―いい加減吐いたらどうだ?楽になりてぇだろ?
―………。
―…まぁただんまりか。つーかなんだよその目は。バカにしてんのか?あぁっ!?

「ふん…。」

 乾いた音とともに自分を苛む皮の鞭の感触を思い出し、彼は小さく鼻をならした。
―いつまでこうしていれば良いんだか。まったく…俺としたことが。
 あの場で彼女を見捨てて逃げていれば、おそらくこのような目に遭わずに済んでいた。だが、どうしてか彼にはそうすることは出来なかった。
―これで…良かったのか。
 そして…そのような選択への後悔も、不思議なほどに感じられなかった。



 どこからともなく…祈りにもにた純粋な思いを込められた大勢の声が聞こえてくる…。
「…う……。」
 目を覚ましたとき、レフィルはそれが教会で奏でられる讃美歌の旋律だと知った。