第一章 誘われし者
第四話
 
 「もう起き上がって大丈夫なの?」

 清々しい空気が漂う朝、レーベの宿屋の前…出発しようとするレフィルを呼び止めながらシンは心配そうな様子で彼女にそう尋ねていた。
「…大丈夫よ。大したことない怪我だったから…。」
 キラーエイプとの戦いで全身を圧迫された痛みはまだ残っているものの、問題無く旅を続けられる程度にまでは回復していた。
「そっかぁ、レフィルさまって勇者だもんね。」
「………。」
 シンが明るく言った言葉に、レフィルは顔を背けていた。確かにあのとき深刻な傷を負わずに済んだのは奇跡というべきものであった。しかし、それを裏付けたのは肩書きに過ぎない勇者の称号などでは断じてない。同じことが起ころうものなら次はおそらくないだろう。
「元気でね!」
「…うん、ありがとう。」
 父と母を失った悲しみを感じさせない表情で送り出そうとするシンに、レフィルは頷きつつ踵を返して出発した。
―この子が元気でいられるのは…やっぱり…
 目を覚ました時も、彼は至って快活に振舞っているように見受けられた。悲しみすら打ち消す程の力が自分に…否、”勇者”にあるものなのだろうか。自分の考えが全く及ばない所で働くそうした力に、レフィルは少し不安になっていた。


「ここか…。」

―ん?何の用だい?
―あ…あの…、実は…
―ああ、魔法の玉…ね。…ったく、あの偏屈ジジイが。
―…え?
―……いや、まぁ…あんまオススメできねぇけど、無いことはないぜ。まぁ…他にそんなモン作るヤツなんかそもそもいねぇし…。
―……?
―北のはずれに行ってみな。まぁ…一応用心しとくこったな。

 誘いの洞窟を開く鍵となる魔法の玉について聞いて回っている内に、レフィルは辺鄙な所に建つ小屋の前へと足を運んでいた。
「気をつけろ…って、まさか…」
 ルイーダの酒場の冒険者達も、製作過程での過ちに巻き込まれて重傷を負っている。ここでも魔法の玉を作っているとあれば…

「…っ!!」

 そう心配している側で、不意に目前の小屋の上のほうで閃光が走り、程なくして大爆発が発生した。
―…し…失敗…!?
 今の衝撃で二階部分が瓦礫を撒き散らしながら砕けて半壊するのを見て、レフィルは緊張を深めていた。

「う…うぉおお……」

「え…っ!?た…大変…!!」
 不意に近くでうめき声がしたのを聞きつけて振り返ると、一人の老人が苦しそうに悶えながらうつ伏せになって倒れていた。
「だ…大丈夫ですか!?」
 酷く慌てた様子で、レフィルは老人の下へと駆け寄った。その体を改めてみると、幾分出血はしていたものの、幸いにも命に別状はなさそうだった。
―よかった…大丈夫…。
 おそらくこの老人が魔法の玉の製作をしていたに違いない。だが、今の状況でこの程度の傷で済んでいるのは奇跡と言えるだろう。

「ようやく…完成……じゃ…。」

 ふと、倒れ伏しながら老人がうわ言のようにそう呟く声が聞こえてくる。
「…え……??」
―か…かん…せい??
 爆発で壊れて吹き飛んだ家を見ている限りでは、今の老人の”完成”の意味は誰しも理解に苦しむだろう。レフィルもまた例外ではなく、きょとんとした様子で老人を見て、首を傾げていた。
―…それよりも…
 だが、今はそのような心配よりも先にするべきことがある。
 
「ホイミ」
 
 レフィルは老人の体に手のひらを当てて、そこに意識を集中しながらそう唱えた。
「おお…回復呪文か……。」

 呪文

 魔法の発動方式の中でも一般に広く知られているもの。
 多くは呪文の名を唱えることで発動する様々な事象を指す。
 ・生物の自然治癒力を高めて傷の治療を行なう回復呪文ホイミ
 ・火の玉を発生させる火炎呪文メラ
 この他にも数多くの呪文が存在している。

「ありがたや、大分楽になりましたぞ。」
「よかった…」
 ホイミの呪文によって傷の治療を行なうレフィルに、老人は感謝の意を述べた。そこからは危険な実験を平気で行なう程の偏屈とも言うべき姿は感じられない。
「ふむ…、しかしそなたのような女子が何を求めてここまで来たんじゃ?見たところ冒険者ではあるようじゃが…」
 爆発事故がいつ起こるか分からない魔法の玉の製作などしていれば、誰も近寄って来なくて当然である。その中で、彼女はここに赴いた。余程のことがあって来たのだろうと思い、老人はそう問いかけていた。

「誘いの洞窟に…」
 
 その問いに、レフィルはそう答えた。
「ほぅ、かの旅の扉でこの大陸を出ようというのか。それはまた大層な話じゃの。」
 今まで存在自体が確認されずにいた誘いの洞窟の旅の扉、アリアハンに閉ざされた冒険者達がそこに活路を見い出したのに倣って、レフィルもまた同じ道を辿って来た。魔法の玉は彼らが至ることが出来なかったその先を切り開くために必要不可欠であり、彼女はそれを求めて自分を訪ねた。…大方そんな所だろう。
「わたしは…勇者オルテガの娘として、魔王バラモスを倒さなければなりません…。」
「…なんと!オルテガとな!!?」
 レフィルが少しためらいながらオルテガの名を出すと、老人は声を上げて一瞬驚きを露わにしたが…

「ふぅむ…じゃが、見たところ然程乗り気ではないようじゃな…。」

 すぐに彼女の表情からその気持ちを察して考え込むようにしながらそう呟いていた。
「……。」
 年の功とでも言うべきか、どうやらこの老人は人を見る目が優れているらしい。心中を言い当てられて、レフィルは黙ってうつむいた。

「じゃが、それでも旅立とうとはええ根性しとるのぉ。」

 しかし、直後に彼はレフィルに意外な言葉をかけていた。
「…え?」
 老人は、無理矢理ながらも動こうとしている彼女の姿勢を肯定的に捉えているらしい。今の自分の心を察して尚も、そうした優しい言葉をかけてくれる者は他に果たしてどれだけいるのだろうか。
「よろしい。少し待っていなさい。」
「……え?」
 ふと、老人は不意におもむろに立ち上がると、崩れかけた家の方に向かって歩き出した。そして、瓦礫の中に埋もれている何かを拾い上げた後、こちらに戻ってくる。

「これが、先程完成したばかりの魔法の玉じゃ。」

 そして、彼はレフィルへとそれを見せた。
―本当に…成功してたの……?
 先刻の爆発を見る限りでは、どう見ても失敗したと思うのが普通のことである。しかし、その中でも製作は成功していることは、その手のひらの中にある紐のついた赤い玉が物語っている。
「…でも、これは…」
 そのような品だからこそ、レフィルはそれを受け取ることがはばかられた。
「なぁに、道具は使うためにあるものじゃろうて。」
 だが、老人は特に気にした様子もなく、レフィルへと魔法の玉を手渡した。
「あ…ありがとうございます…」
 本来なら、危険を冒してでも自分で作らなければならない品であった。それをこうも簡単に手に入ったことは幸運に近く、老人には感謝しなければならないだろう。
「それと、これも持っていくがよい。」
 魔法の玉を大切そうに抱えているレフィルに、老人は続けて懐から別の品を取り出してレフィルへと手渡した。
「鍵?」
 それは、かなり複雑な構造をした鍵と呼ぶべき形状をした小さな金属片の塊だった。
「そう、盗賊の鍵じゃ。なぁに、知り合いから貰ったものでな。使い道もなかったもんでそろそろ処分しようと思っていた品じゃ。」
―知り合い…?
 レフィルは老人のその言葉に引っ掛かりを感じた。呼び名から連想される効果、どのような鍵でも開けてしまう程の力があるとすれば、悪用すれば大変なことになることは目に見えている。そんなものをわざわざ他人に譲ろうという知り合いが一体どこにいるというのか。
「かつて、誘いの洞窟の旅の扉は開かずの間に閉ざされたと聞いておる。必要があれば使いなさい。」
 そのような心中のレフィルを横目に、老人は言葉を続けていた。最初の壁以外にも、障害はまだある…盗賊の鍵は、それを切り開きうる手段であると言いたいらしい。
「ど…どうしてここまで…」
 魔法の玉のみならず盗賊の鍵をも、何故見ず知らずの自分へと譲ろうとしているのか。レフィルにはそれが分からなかった。
「そなたのような素直で優しい娘が悩んでおることを見過ごせる程非情にもなれまい。」
 だが、老人の理由は至って単純なものであった。
―こんな人も…いるんだ…。
 自分を勇者であるとも冒険者であるとも思わず、ただ一人の少女として見てくれる。そのような人物はこれまでも数少なく、この後も中々出会えないだろう。彼女は目の前の老人との出会いに感謝していた。
「気をつけるのじゃぞ。」
「…はい。おじいさんも…お元気で…」
 受け取った二つの道具を荷物の中に丁寧にしまい、レフィルは老人へと礼を告げ、彼の家を…そしてレーベの村をも後にして、誘いの洞窟へと向かった。

「さぞや長い忍耐の時を過ごしてきたのであろうな。のぅ…」
 一人残された老人は、壊れた小屋の前で大空を見上げながら誰かに告げるかのようにそう独り言を呟いていた。空には白いものが不思議な動きで軽やかに舞っていた。