何処へと 第四話


 闇の手の者の妨害を受けることもなく、陸地に住まう魔物の群れを蹴散らすこともやはり容易いものでしかない。
 入り組んだ地形を進む中でも、十分に力を得たレフィル達を止めるには至らず、難なく終着へ至っていた。

「これが……。」

 険しい山々を下に望む頂に建つ、神々しいまでの清廉な雰囲気が辺りに漂う。石段の続く先に、日輪を模した尖塔と、雲があまねく空を描いたような台座が見える。
「ここが噂の場所か。」
「……息がつまりそう。」
 風雨に晒されながらも、あの奉物を置くべき祭壇まで続く白い石畳の道は苔生した様子一つなく、僅かに風化した跡を残すだけだった。どこまでも秩序に満ちているからこそ、長きに渡りその姿を残して”聖なる祠”と崇められるまでになったのだろう。

「精霊神の証が……」

 レフィルが携える黄金の紋章ーールビスより授けられし護符にはめ込まれた紅玉が光輝き始める。
「誰か、近づいている……?」
「何だと?」
 その様子を見るなり、レフィルはこの場に感じる別の違和感を憶えていた。
「一体誰が……まさか、ゾーマの手先が近くに?」
「わからない。でも、何だか嫌な予感がするんだ……。」
 ホレスでさえ感じ取れなかったものを、レフィルが察することができたーーその事実は闇と光の双方の大いなる意志に囚われている彼女ならではのものを裏付けているのか。
 
「邪魔したい人がいるみたい。やっぱりここには何かある。」

 ムーもまた辺りにあまねく違和感から、先に何者かが待ち受けている予感を憶えていた。
「ムー、あなたも感じるの……?」
「この祠そのものから、違う?」
「え、ええ。」
 自分が思うところと同じことを明確に言い当てられて、レフィルは口淀むばかりだった。魔法を操るものの端くれとしてか或いは特異な環境に置かれた境遇故か、磨き抜かれた感性を持つ彼女が言うのであれば、もはや気のせいと割り切ることなどできはしない。
「心の中までのぞかれてるみたい。」
「何だと?そうなのか、レフィル?」
「ええ、何だかすごく怖い……。」
 口々に不安を告げる二人を見ても、ホレスには彼女らが感じている程の切迫した雰囲気を察することはできなかった。
ーー……一体何が?
 辺りに差し迫る程に近づく魔物の気配もなく、聖地ならではの息苦しい清浄感も然して身の危険を覚える程のものではない。長き旅を経てきた中で培ってきた自分の感覚を過信していれば、今のレフィル達の意を汲むことも疑問に思うこともなかっただろう。
「大丈夫か?」
「ええ……」
「なんとか。」
 五感に訴えかけるものなき中で、二人を襲うものの正体を掴めず、疑念ばかりが膨らんでいく。尋ねてみれば探索に支障をきたすものではない様子だったが、不安は払拭できない。

「でも、いざとなったら動けるのはあなただけ。」

 自分達だけを狙っているかのような阻害感がどれほど大きくなるかも分からない。それの影響を受けていないホレスだけが、ムーにとっては保険であり、心の支えとなっていた。
「たぶん、だけど。」
「毎度のことだけどな……その多分ってのはどういうことだよ。」
 その中で、いつものように度しがたい一言を最後に続けるのを聞いて、ホレスは言葉を返さずにはいられなかった。
「だって、殺しても絶対死なないもの。あなたに対してはどんな障害も意味がないから。」
「おいおい、俺とて所詮は人間なんだぞ、まったく……。」 
 完璧に確実なものなどない中で、一定以上の信頼をおけるーー元より彼女が言う”多分”の意味はある程度分かっているつもりだった。それでも、面と向かって不死身と称されることに対しては決して良い気にはなれなかった。
 あらゆる死地を潜り抜けてきた中で心身共に更に磨きをかけたホレスには、類稀な生命力と精神力があった。故に、例えレフィルやムーと同じ感覚に囚われていようが、その程度の障害をものともしないだろう。

「……少なくとも、妖怪じゃないのは確か、だけど。」
「……。」

 呆れた所で更なる言い回しをするムーに、ホレスは完全に閉口してしまった。彼女が言う”妖怪”には、苦い思い出しか残っていない。
 明らかに人間離れしたあの巨漢の名が上がった以上、彼と並べて考えられていることには変わりはない。如何に人外と呼ばれようとも、破天荒極まりない彼と比較されることは金輪際考えたくもなかった。

「気を抜けないね……。」

 ホレスでも感じ取れない謎の気配。それがいきなり牙を剥いたときのことを考えると、如何にして対応するかも見えない不安に駆り立てられる。
「ああ、だからこそ先を急ごう。こんな所に長居は無用だ。」
 そんな彼女達の心中をすぐに察して、ホレスは促すように先に足を進めていた。ムーもまた頷くと共にただちに彼の後へとついて、聖地の奥へと走っていく。

『始まってしまうのね……。』

 レフィルもすぐに彼らを追おうとしたその時、脳裏に聞きなれた女性の声が響きわたる。
ーーえ?
 辺りを見回しても誰もいない。奥へと進んでいく二人もこの妙な気配に気づいた様子がない。
ーーこれは……?
 ふと、荷物の中から今自分の内に起こっている感覚と似たものを感じていた。
ーー光の、玉……じゃあ、この声はまさか……
 精霊神でも大魔王でもない。レフィルへともう一つの加護をもたらした者は他でもない……
 
ーー竜の……女王様?

 地上ーーレフィル達の住まう世界の守護者たらんとする至高の存在。神の遣いと謳われる、魔王さえも凌駕する力を有した高嶺の者。
 彼女こそ、レフィルとムーもその恩寵に与っていた竜の女王に他ならなかった。姿なき今も、間違いなくその者であると確信することができた。
『レフィル、どんなことがあっても、自分を見失わないで。それが、彼らの望みであり、最後の可能性だから……。』
「望み……?」
 こちらが声に気付いたのを察したのか、光の玉を手に取るレフィルに向けて、竜の女王の言葉が投げかけられる。
ーーそれに、可能性……。どうして、今になって……
 神器の数々を入手していく最中でも、これまで光の玉から声が届くことはなかった。全てを揃え、時が満ちた今だからこそ、伝えなければならないと言うことか。
 唐突に告げられた警鐘に対して不安を感じるも、意味する明確なところが分からない。それでも、これから待ち受ける現実を如何に受け止めるかによって、命運が大きく変わることは漠然とながら理解できてしまった。
 この身に抱いた闇と光の間にて、これまで抱いていた以上に自分の在るべき姿を決める来るべき時と知って、不安は募るばかりだった。

『今私にできるのはこれだけ。』
「!」

 戸惑いを隠せずに、ただ立ち尽くすレフィルに光の玉より優しく語りかける声が聞こえると共に、レフィルが背負った剣が淡い金色の光を帯び始めた。
ーー王者の……剣が……?
 思わず手にとって眺めてみると、鋼鉄を思わせる鈍色の光沢の刀身に、今しがた宿った黄金の光からのかすかな温もりが伝わるのが感じられる。そして何より、レフィルの手にこれまで以上に馴染む感触と、光そのものとなったかのように軽くなったような感覚を憶え、不思議な安心感を感じることができた。
 悪しき者達を討ち滅ぼすために作り出された王者の剣本来の姿からかけ離れているものでしかない。それでも、眩ゆさもない、ただ静かに辺りを優しく照らし出す穏やかな光に、レフィルは暫しの間見入っていた。

『忘れないで。決して世の理だけがあなたの運命を決めるわけではないことを……。』

 移った光が王者の剣の内へ完全に浸透すると共に、竜の女王がレフィルへと最後に優しく告げていた。
「女王、様……」
 呼び止める間もなく、光の玉より伝わる音は徐々に小さくなり、女王もまた語りかけてくる気配はなかった。

「わたしが、望む道……か。」
 
 ホレスもムーも既に先に足を進めており、何者もいない静寂が辺りを包み込んでいる。
 彼らが自分を救いたいと云う思いを余所にしたならば、自分はどこへ向かおうとしているのか。今度もまた結局は己だけの戦いとは成り得ず、一つの世界の期待を負っているという意識も払拭できない。
 最後に望むべきものが、一体何に成り代わるのか。今に至り、彼女の心の奥底で問いかけ続けられていた。


 門をくぐり抜けた先に続く回廊の中心、聖なる祠の象徴にして、虹の雫を呼び起こす力の拠たる祭壇。その麓に至ると、先に遠目から見えていた大空を象った台座が、暗天を臨むようにして架けられているのが見える。
 左右に分かたれた道の先、右ーー東に連なるより長き石段の先には山の間より出でる曙光を模した彫像が、左ーー西に位置する虹の位置にまで届く石段には雨雲を表したレリーフがそれぞれ刻み込まれている。
 いずれも、二つの神器を迎え入れるための台座を備えており、在るべきものが来るまでの時を止めているかのように、聖地の白い石の無味乾燥な景色の一部となって静かに佇んでいる。

「やはり、静かすぎるな。」

 祭壇を一通り調べ終わったのか、ホレスは二人の下へと降り立ちつつそう告げる。
「ネズミ一匹もいない。でも、何か変。」
「……うん、ここは一体……。」
 言わんとしていることを察して、レフィル達もまた頷き返していた。
 秩序溢れるばかりに清浄な地であることを差し引いても、それを保っている者の気配さえも感じ取れなかった。
「だが、さっきは確かに感じたのだろう?」
「間違いない。でも、やっぱり今は……」 
「ええ……。」
 先に感じた気配に対するレフィル達の反応は、監視者を見たという生易しいものではなく、明らかに命まで脅かされんばかりに差し迫った脅威に対する恐れだった。改めて問い返しても、その不安はまだ根強く残っている様子であると確信を深めることになった。
「またいつ現れるか分からない。早々に終わらせよう。」
 根拠のない嫌な予感とてこの二人が察したことならば、如何に鋭敏な感覚を持つホレスでも無視する訳にはいかない。
 嫌な気配より逃れんばかりに、レフィル達は手早く太陽の石を東の曙光の像に納め、雨雲の杖も雲の台座へと架けていた。
「太陽と……」
「雨が……」
 それぞれの神器を納めると共に、東の曙光の像から陽光が辺りを照らし、雨雲の杖からは静かに雨が降り注ぎ始めた。
「もしや、この虹が……。」
 そして、二つの神器の間に位置する大空を刻んだ壁面の中心に、虹が射し込んでいるのが見えた。稀に目にすることのある虹の彩りの数々に比べて、より鮮明かつ明瞭に、空に映し出されていた。
「後は……」
 神器より引き出された虹を、橋の礎として引き出すためために必要な雨と太陽は既に体言されている。最後に必要となるものは……
「精霊神ルビス様、虹の架け橋をわたし達に……。」
 成すべきことを理解したのか、レフィルはホレスとムーにそれぞれ一度ずつ頷きながら、ルビスより授かった不死鳥の紋章を手にとって虹に向かって掲げた。
「虹が、一点に……」
 すると、虹を映し出している空間そのものが壁面にある雫状の窪みに向かって集い始めた。その内にはめ込まれた透き通った硝子状の物質へと虹が集い、見る見る内に満たしていく。
「あれが、虹の雫……」
 虹を一心に受け、透明だった雫状の宝玉が七色の彩りを帯び始める。
 それは神話に語られし橋の礎ーー”虹の雫”に相違なかった。

 これで初めて、魔の島に続く道が開けた。

《聖域に足を踏み入れし者共よ。》

 そう思った矢先に、不意に天の方から重々しい響きの声が投げかけられた。
「……!」
 唐突なことに思わず仰天しながら、レフィルはすぐにそれが、虹の雫を作り上げたことへの賞賛などではないと悟った。
「ここにも敵が!?」
「ああ、少し事情が違うみたいだがな……」
 威圧的に投げかけられた言葉に込められた敵意。だが、辺りに立ちこめる清浄な雰囲気は微塵も揺らぐことはなく、他の何者かが進入した気配もない。
 聖地に宿った意思そのものが語りかけてくるものと知るに、然程時間はかからなかった。 
《汝らの内に宿りし邪悪なる意思、隠し通すことなどできぬ。》 
「邪悪……!?闇の衣のこと!?」
「ゾーマの力……。」
 次いで冷厳に告げられたのは、大魔王ゾーマからの干渉の影響だった。
「……お前らが言ってたのはこういうことか。ふん、精霊神の使い魔も融通が利かないことだ。」
 こちらの思惑を微塵も拾わずに言葉を続ける何者かへと、ホレスは失望を禁じ得ずに嘆息していた。まして、精霊神の導きあってここに至った以上、従うべき者が手のひらを返す真似をしているなど罠ーーもっと言うならば、裏切りに他ならない。
《己が内に宿りし闇を捨て去り直ちにこの場を立ち去れ、呪われし者よ。》
「……!!」
 そして、ここを訪れたレフィルに向けて、明確な拒絶の言葉が投げかけられた。
「こいつの言葉に惑わされるな。やるべきことは変わりやしない。」
「で、でも……!」
 二つの理ーー光と闇を擁している以上、どちらに疎まれても最初から不思議ではない。そう解しているからこそ、ホレスは狼狽するレフィルを冷静に宥めていた。
 それでも、最初から闇と向き合うがために、虹の雫を欲していた意義をを否定されようとしていることへの不安は募るばかりだった。
《己自身では拭い去れぬと言うのか。ならば、汝らが納めた神器より、神に近しき彼の方に捧ぐ道を紡ぐとしよう。》
 警告に応じぬ様を見てか、さらに冷たい抑揚で告げる声が響き渡る。
「紋章が……!」
 同時に、レフィルの不死鳥の紋章がその手を離れ、天高く舞い上がった。程なくして、二つの神器が更にその力を増し始め、驟雨と烈日とも言うべき強烈な理の中で更に鮮明な虹が形作られていく。だが、それの向かう先は虹の台座などではなく、暗黒の空を突き抜けた遙か彼方だった。
《もはや汝にもたらされるべき救いは、裁きをおいて他にない。覚悟を決めよ。》
 虹が天にまで届いたことで、全ての舞台が整ったのか、聖地に依りし者はレフィルに対して最後にそう告げていた。
「それが……あなた達のやり方だと言うの……!」
 裁きーーすなわちこの場で滅びる定めと明確に告げられて、レフィルはついに憤りを押さえきれなくなり、王者の剣を抜き放っていた。拒まれてもおかしくなどないことも最初から分かっていたが、大人しく定めを受け入れるつもりなどない。
 激情に任せて抜いたにも関わらず、王者の剣の刀身に宿る穏やかな光は変わらずあり続けていた。

『へっ、いきなり殺る気満々とはなぁ。そうカッカしてるとせっかくの美人さんが台無しだぜ?』

 いつしか、闇の帳を貫かんばかりに天に聳える虹の橋より、鮮やかな真紅のマントに身を包んだ黒髪の男がレフィル達の前に姿を現していた。
「その声……!?」
「…………。」
 聞き覚えのある声を前に、ムーは驚いた様子を垣間見せるように後じさり、レフィルもまた剣を構えたままながら、驚愕のままに目を見開いていた。
「おうおうおう、シケた面並べて御苦労なこったな。」
 訪れるなり、凍り付いたように動かぬ三人に向けて男はまくし立てるように軽口を叩き始めた。
 勇壮で精悍なまさしく勇者にふさわしい雰囲気とは異にして、その顔には嘲笑の念が明確に現れていた。
 
「やはりお前か、サイアス!!」

 既にこの旅を続ける中でも幾度となく噂に聞き、またその力に依るものと思しき惨状を精霊神の聖地にて目の当たりにしてきた。
 その大元たる者とついに目の当たりにする現実に、ホレスは心底忌々しげに顔を歪めながら相対していた。

「そう、元サマンオサの勇者・サイアス様とはこの俺様の事よ!!」

 魔王バラモスを倒す勇者となり、名声を残さんと欲したサマンオサの英雄。最後に出会ったのは、魔王との戦いの果てか。幕引きを飾っただけで、最後の手柄をかすめ取っただけと悔やむように去ったはずだった。
 あくまで飄々とした雰囲気を崩さずにいるあの頃と変わらずにあったが、今度は待ち望んでいたものへと至った悦びに満ちている。
 来るべき時を前に溢れ出る狂喜を全面に押し出しながら、サイアスは旧知の忌むべき者達へと名乗りを上げて、真紅の外套を翻した。
「!!」
 そうして、背にしなだれかかる外套に覆い隠された内側が露わになった。
「不死鳥の、紋章……」
「それって、まさか……!?」
 捧げられた太陽の石の光を照り返す蒼い光沢。全身を堅牢に覆う甲冑でありながらも、胸元の金の不死鳥の紋章を基調とした意匠が、優美さと神々しさを与えている。

「最後の神の武具、聖鎧・光の鎧か!!」

 それもまた、精霊神ルビスに纏わる者の証そのものを表しているとすれば、その鎧の正体もおのずと知れる。
 神話に語られる伝説の鎧ーー聖鎧・光の鎧に間違いなかった。
「どうして、あなたが……」
 悪しき者と宣告されると共に、裁きを下すべくここに訪れたのが。そして、何故正真正銘の神の武具を彼が身に纏っているのか。

「決まってらぁ、勇者サマだからだよ。」

 愕然とした中で、なけなしの疑念をぶつけることしかできないレフィルへと、サイアスは不敵な笑みを浮かべながら、それが全てと言わんばかりにそう告げていた。