5.忘失の内に3

 神父の手により投じられたイオナズンの光がもたらす無数の爆発。一つ一つが雷の如き轟音と破壊をまき散らし、鉄壁の守りを失った者達諸共その場全てを打ち砕いていく。

「往生際の悪い盗人共めが。」

 束の間の優位を崩されて大呪文による攻撃を許して尚も小賢しく生き延びている敵の気配を察し、神父は忌々しげにそう呟きつつ、再び呪文を練り上げていた。見据える先には歪んだ色彩の光の膜がイオナズンの爆炎と拮抗していた。

「司教……殿?」
「仕方ない奴じゃのう、お主も。」

 我に返ったエビルプリーストに、ザボエラは小馬鹿にしたように嘲り笑いつつ、手にした巻物を放り捨てていた。びっしりと刻まれた呪文の文字が光輝くと共にそこから紙面が燃え広がり、一瞬で消え失せていた。

「このマジックバリアがなければ、お主を見捨てざるを得ない所じゃったわい。」

 二人を囲むように張り巡らされた魔法力を帯びた光の膜。それは、あらゆる攻撃呪文による被害を和らげる力を持つ、マジックバリアによるものだった。マホステとは異なり完全に打ち消す程ではないものの、瞬時に味方全てを守る程の展開力が強みであった。
 ザボエラのそれは巻物を媒体として発動されており、制約も幾分あるものの、神父の放つ常軌を逸したイオナズンを無力化する程の効果を発揮している。

「しかし、先程のあやつの力はまさか……」
「そう、ワシが求めていた最大の目的はそれじゃよ。」
「!」
「戯けた力が支配するこの世界を、根底からひっくり返しうる一番の近道は、そこの小娘に秘められたその力にこそあるのだよ。」

 間合いの外からの剣閃による一撃に乗せられた不可思議な要素。浴びせられた者に施された呪文を残らず無に帰したその現象を、ザボエラは他の彼女の戦いにおいても確認していた。この世の摂理に位置するはずのかの神秘の力をもかき消して見せたことで、文字通り理を変革する様を期待を確信へと変じていた。

「ふん、やはり生かしておいては危険なようだな。魔王の目を引くのは本意ではないが、貴様にはこの場で消えて貰おうか。」

 饒舌に語るザボエラの様子から、少女の持ちうる可能性を解した上で執心している様子が見て取れる。再び練り上げたイオナズンの力を右手に掲げながら、神父は射殺すような視線を彼らに向けていた。
 少女を鍵としているのは、異世界の者である自分達も同じことである。それを阻もうと言うのであれば、尚のこと排除するだけのことだった。

「それは、困るのう。」
「!」

 だが、明らかな劣勢にありながらも、ザボエラは相変わらず小馬鹿にしたような振る舞いを崩さずに、嘲りの笑みを深めるだけだった。
 同時に、神父の足下に黒く渦巻く闇が大きく口を開け始めた。

「……暗黒回廊、か。貴様如きが何故そのようなものを操れる?」

 辺りの全てを吸い込むような暗黒回廊と呼ばれた闇の大渦。その正体と性質を知っているからか神父はその引力に逆らっているものの、その場しのぎでしかないのか既に引きずり込まれるのは免れない様子だった。

「流石にこればかりは、自力で再現は出来なかったわい。」

 焦燥こそなくともこの状況に深い疑問を露わにする神父に、ザボエラは答えだと言わんばかりに首飾りを手に取っていた。鍵を簡素にしたような形状の紅玉の目玉と白金の翼の装飾が成された小さな道具が、その鎖に繋がれている。

「……最後の鍵!! そうか、所詮貴様は盗人に過ぎなかったと言うことだな、滑稽極まりないぞ!!」

 それを一目見て、神父は全てに合点が行ったように嘲笑の声を上げていた。あらゆる扉や封印を解くとされる伝説”最後の鍵”。その真価を発揮することで得られる恩恵は、ただの鍵による役割を遙かに凌駕する。

「くくく、この程度のものなら最初から幾らでも作れるわい。マネマネ銀さえあれば、幾らでもな。」
「簡易錬金の秘術か……尚更要らぬ真似をしてくれたな。」

 そしてそれを手に入れたのは、錬金術を利用した手法によるものと伺い知ることができた。
 簡易錬金の秘術。それは、錬金術を発動させるための触媒や装置を集約したいわゆる錬金釜と呼ばれる物を利用し、原石の精錬ばかりではなく様々な物品の生成や強化をいとも容易く行える代物だった。法則の解明こそ苦難を極めるものの、材料と設備さえあれば原料の組み合わせに応じた品を複製でき、上質な錬金釜を用いれば瞬時に幾らでも生成できる、簡易でこそあれ非常に潜在的な可能性に富む手法であった。
 伝説の品を軽んじる発言や先に用いたマジックバリアの巻物のことも相まって、ザボエラがそれを手段としか見ていないのは明らかであり、捨て置けば思わぬ禍根になるだろう。

「まあよい。これ以上ワシの研究を滅茶苦茶にされてはかなわんからな。お主らの同胞諸共、消えてもらうとするかのう。」
「!」

 闇に逆らうだけで動けぬ神父に嘲るように告げられるその言葉を聞き、少女は衝撃のあまり目を見開いた。
 時既に遅く、ザボエラの息の根を止められなかったばかりか、仲間の異世界人もその魔手に落ちつつあるらしい。ザボエラ一人の手によって、或いは自分一人の失敗のために、皆を危険に晒してしまったことに、心底の憤りを禁じ得なかった。

「ふん……遅かった、か。」

 神父もまた、想定していた最悪の事態が現実のものとなったことを悟り、険しい表情を浮かべていた。

「だが、何を差し置いても、そなたは我ら全ての希望なのだ。」

 留守の間に迷い人の町の襲撃を受けたことにより、少女の救出の代償に他の仲間に犠牲が出てしまうのは避けられないだろう。それでも神父は、少女を責めることもなく、己の責務を投げ出したと悔いることもなかった。
 自分ですら知らない資質に、それこそ神父が今し方見せた圧倒的な呪文を越えるものがあるとでもいうのか。自覚なく多くの仲間の命運を左右してしまったことに、少女はこの上なく愕然としていた。

「必ず、生きてまた会おうぞ。」

 いつからか己が希望とされていることに困惑する少女を余所に、闇に身を委ねるように吸い込まれながらも最後に彼女に向けて膨大な魔法力を解き放っていた。
 マホステの霧により弾かれながら足下の床に集まり、光の渦を形作っていく。

「旅の扉だと!? まさか結界の中でそのような真似を!!」

 迷い人の町で管理者として賞賛を集めている神父の力、旅の扉が少女を周囲の空間ごと吸い込んでいく。だが、その顕現した扉は著しく安定を欠き、雷光のように幾度も明滅を繰り返しては急速に薄れ始める。やがて少女を完全にその内に吸い込んだと同時に、役目を終えたとばかりに虚空へと消え失せていた。
 この地に予め張り巡らされた結界の力により抑え込まれながらも強引に引き起こされたその現象に、エビルプリーストは畏怖の念を抱いていた。

「ふん、生半可に悪あがきをしおって。そのような荒技では何処にとばされるか分かったものではないというに。」

 一方ザボエラは、少女を失ったことにすら気もくれずに、旅の扉が刻んだ痕跡を見やりつつ呆れたように嘆息していた。強引にこじ開けられただけで安定性も方向性もない空間の濁流を招いたに過ぎず行き着く先はおろか、無事に出られるかどうかさえも疑わしい。
 そのような理も強引でねじ曲げんとするなど、力任せで愚鈍な手段でしかなく、ザボエラは神父への失望の念を露わにしていた。

「まあ良い。当分あやつらに用などないじゃろうからな。くっくっく……」

 研究施設を破壊され、貴重な試料たる少女まで奪われながらも、ザボエラは終始落ち着き払った振る舞いを崩さずにいた。自分達の手に負えぬ強大な敵の襲撃を予見して用意周到な準備を怠らず、見事に相手の力を引き出した上で撃退に至らせた。
 力をもったままこの世界に渡ってきた異界の者達を恐れずに、逆にその全てを己の物としつつある。その姿通りの小柄で非力な老人でも権威を借って空威張りするだけの小心者でもない、新たな脅威が表舞台にその姿を現そうとしていた。




 神父の開いた旅の扉に引きずり込まれて、夜空と星々の如き暗闇と憐光の広がる空間へと少女は投げ出されていた。幾度かその恩恵に与ってきた、異なる場同士を繋ぐ道たる場だが、彼女の良く知るそれとはいささか様子が異なっていた。
 刹那の間にもう一つの入り口に至るはずが、いつまで経っても出られる気配はなく、方向性のない激流の中で翻弄され続けていた。マホステの霧は絶えず少女に牙を剥かんとするそれらを遮り続け、少しずつ消え始めている。このまま何も出来なければ、その魔法力の産物によって八つ裂きにされるのも時間の問題だった。
 何者も長きに渡り存在出来ない空間にあまねく幾つもの光の渦の中に、それぞれ異なる光景が映し出されている。地上や魔界で見慣れている様々な場が、目まぐるしい速度で明滅している。それらこそが出口となり得る場であると察するも、一つ誤ればそれに粉々にされてしまう程の危うさもまた本能的に感じ取っていた。
 どのみち死を待つのであれば、その中に飛び込むことで活を見い出そうと決めるなり、少女はすぐに動いていた。

「イオラ」

 唱えられた呪文が、辺りの空間を吸い込んで少女の指先に光となって集っては弾け、幾条もの矢と化してそれぞれの渦を射抜く。さながら生きた蛇の如く食らいつかんとした光の幾つかは扉をすり抜け、異空間の先へと消えていったが、残りは渦巻く光に阻まれてその場で爆ぜ散っていく。撃ち出した魔法力の行く末を感覚で追い、呪文が通過したものが多いものを絞り込んでいく。
 程なくして撃ちだした全てが阻まれることなく過ぎ去ったものを感知して振り返ると、そこにはより安定して収束された光の渦が佇んでいた。そこから冷たい外気が流れ込み、確かに外に続いていることを知らしめてくる。その確証を得たと同時に無秩序に荒れ狂っていた濁流が一斉にそちらに向かい始め、少女もまた吸い込まれていく。
 
『何奴だ。余に弓引きし者よ。』
「!」

 その瞬間、上方に位置する光の渦から身をも凍り付くようなおぞましい気配がすると共に、黒い閃きが少女の目に映った。反射的に破邪の剣を取ろうとするも追いつかず、そのまま心臓にあたる位置に何かが突き刺さるような衝撃を受け、視界が白転した。



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