4.黒き胎動4

 目映いばかりの閃光が天を衝くと共に、大地を穿つ音が轟きとなって辺りを揺るがす。凄絶なまでの光と轟音と共に、その猛威によって巻き起こされた奔流が熱を帯びた暴風となってテランの地に吹き荒れる。
 全てが収まったその時には、巻き上げられた湖の水が降り注ぐ雨音だけが奏でられていた。

「これが……ドルオーラ……だというのか……」

 意識を取り戻すなり、文字通り天地に渡り引き起こされた変動を目の当たりにして、クロコダインは愕然としていた。テラン城の目の前が強大な力によって穿たれて、底知れぬ程の深い窪みを形作って、周囲の大地にも亀裂が入っている。
 それをなしたのは地上の調停者たる竜の騎士、その更なる荒ぶる化身たる竜魔人だった。竜闘気砲呪文・ドルオーラ。魔法力により圧縮された竜闘気を撃ち出す、それだけの単純な攻撃呪文がもたらした結果は、何者も抗し得ない破壊の力だった。闘気の、生命エネルギーの集束を主としたクロコダインの新たな力を嘲り笑うように、竜闘気による同じ理念に基づく秘伝の力はただその爪痕を残していた。
 駆けつけてきたヒュンケルも他の皆共々ドルオーラの余波に巻き込まれ、意識を手放している。最早バランの所業を止められる者は、誰一人としていなかった。

「ま、待って……。ダイ、くん……」

 降りしきる雨の中で、城門より去ろうとする者達が水に溢れた地を踏みしめる。その足音を聞いて、レオナは傷つき動かぬ体で必死に這いつくばりながら、彼へと手を伸ばしていた。

「うるさいな。やっと父さんに会えたんだから邪魔しないでよ、お姉ちゃん。」
「!!」

 だが、その手は他ならぬ守るべき者の手によって乱暴に振り払われていた。最早彼・ダイにとって、レオナらは自分達の仲間であった頃の記憶などなく、押し込めていた憎くもさえある者達でしかない。自分とは全く違う姿と化したバランの強い思いと額の紋章に導かれるままに、疑問を抱くことなく付き従っている。

「ディーノが戻ってきた今、最早用はない。道を開いた”彼女”に免じてここは退くとしよう。」

 ただ一人の息子を奪還するという目的を果たした今、既に戦う必要性はなかった。憎き人間を滅ぼすための戦いに転ずるつもりだったが、テランの兵達を無力化してくれたあの少女を思い返して剣を収めんとしていた。

「……!! あいつ……!!」

 バランにとって功ある者、すなわちそれはレオナにとっては想い人たるダイを奪わんとするこの上ない仇だった。バラン自身の口からその事実を改めて聞き、その災厄を招いたことに憎々しげな思いがますます胸を駆け巡る。
 そんなレオナを後目に憤怒に苛まれながらも、背中の翼を大きく広げたバランがダイを連れ去っていくのをただ見ているだけしかできない。

「何でこうなっちゃうのよ……!!」

 如何に勇者がために抗おうと、それを邪魔する動きが絶えず、そのためにバランの思惑通りになってしまった。絶望のあまり慟哭を上げるレオナの目から、涙が止めどなく流れていた。
 羽ばたきと共に空へとバランの体が浮き上がり、程なく空の彼方へと飛び去って行った。

「あーあ……やっぱり、こうなっちまうのかよ。」
「!!?」

 だが、彼ら人間が視界から完全に消えようとしたその時、バランの頭上から落胆したような声が投げかけられた。同時に、その声の主のものと思われる両手の指が、頭を強く掴んで締め上げ始めた。

「ルーラ、だと……? ……バカな!? お前のどこにそんな力が……!?」
 満身創痍にして、先の時間稼ぎの戦いで魔法力の大半を失っているのは明白であり、ましてテラン全域に張り巡らされたルーラを妨げる力場により、発動さえも出来ないはずだった。それらを超えるだけの力を強引に発揮してまかり通って見せたとでも言うのか。不可能故に全く予想していなかった状況にバランは完全に呆気に取られていた。

「ポ、ポップくん!?」
「あ、あれは……メガンテか!?」

 彼の頭上を取り、思わぬ不意討ちをかけたのは、消耗し尽くして戦闘不能にまで追い込まれていた魔法使い・ポップだった。その姿を認めたレオナとクロコダインは、彼が何をしようとしたのかを察して恐怖に凍り付いていた。
 幾ばくかの魔法力により己の持てる生命エネルギーを爆発力に変換する攻撃呪文・メガンテ。唱えたら死を免れぬ凄絶さ故に自己犠牲の呪文として広く伝わる忌むべき力だった。

「悪いなおっさん……、オレ達からダイを、何よりダイからオレ達をあんたに奪わせる……わけにはいかねえんだ……」

 過度に痛みつけられたためか死への恐怖からか、ポップの体は戦慄しており、その声も弱々しく掠れていた。それでも、バランを掴む手は竜闘気に覆われた表皮に食い込むように離れず、不気味なまでに目映い光に覆われていた。

「や、やめてよお兄ちゃん!! どうして、そうまでして、ぼくを父さんから引き離すの!?」

 全てを忘れてただの幼子となっても、ポップが何をしているのかを察したのか、ダイは怯えた声で喚きだした。あの強烈な指先の光が危険なものであると、目にして伝わってきている以上に潜在的に感じ取り、放たせてはいけないとダイの本能が警告していた。

「……お前、本当になにもかも忘れちまってるままなんだよな……。けど、分かるだろ……?ヒュンケルも、クロコダインのおっさんも、姫さんだって……お前を……守るためにボロボロになってるんだぜ……。お前は……今だって、一人なんかじゃあねえんだ!!」

 父を襲う暴挙を止めようとしながらも戸惑いを見せるダイに対し、ポップは下方を一瞥しながら訴えかけていた。
 そこに倒れ伏しているのは、自分を閉じこめていた者達だった。だが、その様な認識しか持てないはずの相手を見ている内に、別の感情がこみ上げ始めてくる。
 竜魔人という全く敵わない相手に逃げることなく立ち向かい倒され、今尚死に瀕してもダイを取り戻さんと悔しげにこちらを仰いでいた。そして、死を賭してバランに挑まんとするポップに呆気に取られて焦燥を露わにしている。

「……!!」

 そんな人間達のために戦う者達の姿を目の当たりにして、ダイの中に大きな衝撃が走る。彼らの様に全てにおいて追いつめられて尚も諦めぬ心を、何処かで己の中に刻み込まれたような気がしていた。
 そうして突然己の中からこみ上げてくる押し流されんばかりの思いに、ダイは息苦しそうに顔を歪めていた。

「……この子を取り戻すために自らを犠牲にするつもりか? だがそれはお前とて……っ!?」
「そんなことは……覚悟の上だ!! もうこれしか、手が残っていねえんだから、な!! おれの命で……勇者サマを救えるってなら……安いモンだろ……!」

 固く頭を掴まれたまま振り払うことも出来ないバランに、ポップは己にも言い聞かせるように饒舌に語っていた。既に生命力をメガンテの呪文で費やしつつある中で、語る言葉の源泉となった最期の執念だけで支えられていた。

「ダイ!! お前は世界の希望である前におれの最高の友達だ!! だから、お前は……おれの分まで、お前のやりたいように……生きてくれ!! お前の……人生なんだからよ!!」

 己に残された力を振り絞りつつ、ポップは唯一無二の親友たるダイに向けてせめてもの餞の言葉を告げていた。勇者としての活躍を始める前からの盟友であり、互いに気心を許せる掛け替えのない存在だった。
 命を捨てるにあたってその永遠の別れに際して沸き上がる悲痛な想いのあまり、涙が溢れ返る。
 やがて、ポップの指から放たれる光がその強さを増し、周囲に暴風が巻き起こる。

「だからって、死のうとなんてしないでよ!! ポップ!!!」

 その猛威に巻かれて地上に向けて落下しながら、ダイはバランと共に光に包まれたポップに向けて無我夢中に叫んでいた。

「あばよーーーーっ!!!!」

 最早メガンテの呪文が止まることはなく、断末魔の叫びと共にポップはバラン諸共膨れ上がる爆発の光にに飲み込まれていった。命と引き替えにしてもたらされるエネルギーが、絶対的な破壊の力となって天高くまでを焼き尽くす。


「うわああああああああああああああああ!!!!!」


 ようやく親友と思い出した少年が迎えた壮絶な最期を目の当たりにしたダイが上げる慟哭が、吹き荒れる暴風とメガンテの轟きと共にテランの地にいつまでも響きわたっていた。

「ポップくん!! そんな……こんなことって……!!」

 爆発に吹き飛ばされ地上に落ち行くダイの眼前に立ち上る巨大な火柱。自己犠牲の肩書きの通り、圧倒的な爆炎を引き起こした代償に仲間が命を失った様を直視して、レオナはその余りに理不尽な結末に肩を震わせていた。
 
「!」

 しかし、絶望にとらわれているのも束の間、羽ばたきの音と共にポップが遺したメガンテの炎が内側から吹き払われて、跡形もなくかき消されていた。

「メ、メガンテが……!!」
「バランはまだ生きている!!」
「ポップ……!! お前の最後の一撃はバランには……!!」

 再び大きく翼をはためかせながら、炎の中から竜魔人バランが一行の前へと舞い降りる。体中に幾つもの傷を残しながらも、体の内から発せられる威圧感は些かも変わりない。
 大きな犠牲を払いながらも、結局バラン自身には然したる痛手を与えられなかった事実を前に、クロコダイン達は傷つき倒れ伏したまま無念の意を表していた。

「くっ……何て奴だ……!! 何故……こうまでしてお前は……!!」

 軽微な傷で流石のバランも直接メガンテを受けて無傷では済まず、掴まれた指の跡から僅かに青い血を滴らせつつ、振り解かれて力なく地面に倒れたポップの亡骸を見下ろしていた。予想を逸しながらも結果として大した抵抗にならなかった。にも関わらず、その目的は未だに見えない。
 
「バラァアアアアアアアアアン!!」
「……っ!!」

 その疑念が脳裏をよぎった瞬間、激昂したダイの怒号と共に、猛烈な衝撃が襲いかかってきた。

「くそっ、やはり記憶が!!」

 幾分の手負いとはいえ竜闘気を打ち破る程の一撃に驚く間もなく、バランはその一つの事実を悟って舌打ちしていた。
 ポップにとってはあの自己犠牲の呪文ですら、ダイの記憶を呼び覚ます手段に過ぎないのかもしれないと薄々感じてはいた。冒険の中であの生命を燃やさんばかりの光を心の奥底に否応なく刻みつけることとなったが故に、記憶の引き金となったと曖昧に推測するに留まっていたが。

「よくもみんなを……ポップを……!!」
「…………。」

 いずれにせよ、記憶を無くしたはずのダイは、ポップの仇としてこちらに牙を剥いているのは間違いなかった。先程までの無邪気な様から転じて、純然たる殺気をその光輝く拳に乗せて襲い来る我が子を前に、それでもバランは静かにたたずんでいた。 


 外で幾度も放たれた破壊の力の余波を受け、地下牢の石壁全体に亀裂が入る。今にも崩落しそうなテランの地下の最奥の血塗れた瓦礫の中に、彼女は力無く横たわっていた。

「ホイ……ミ……」

 残された気力を振り絞り回復呪文を唱えるも、致命傷を負った少女自身の体には大した効果はない。クロコダインから受けた必殺の一撃で砕かれて、生命力を失うように冷たくなっていく。魔法力についても、先程の戦いの折りに引き起こされた冷気によって無尽蔵に消費され、心身共に疲弊し尽くしている状態だった。
 このまま何も出来なければ、死を迎えるのも時間の問題だった。

『……はは、まさか、こうなっちまうなんてな……。』

 薄れゆく意識を留める中で、不意に聞き覚えのある少年の声がどこからともなく聞こえてきた。
 感覚がおぼろげになりつつある中でも、誰もいない空間に物音一つないのは分かりきっていた。それは幻聴とも違う、理を逸した要素を通じて、ベンガーナで邂逅した勇者の仲間のポップという魔法使いが訴えかけるものだった。
 程なくして、それが冥界へと旅立とうとする者の遺恨のなせる業であると感覚的に察することになった。あのダイという少年を守る以上はバランとの戦いは避けられない。人知を越えた彼に一介の戦士が叶うはずもないのは、ここにまで響く幾度もの力の応酬の名残たる轟きも物語っていた。

『やっぱダイはすげえよ……けどよ、このままでいいのかよ……。』

 恐らく死んでしまったのであろう彼の音無き声を通じて、語られる言葉からは今尚続く戦いの激しさを汲み取ることができた。今戦っているのは、共に竜の紋章を宿したこの世界の最も優れし者同士だった。直に刃を交えたからこそ、その尋常ならざる強さは心得ており、この場全てを巻き込んだ死闘になることは容易く想像がついた。

『相手は……親父さん、なんだぜ……』

 死に瀕する中で更なる苦境が訪れることも予測しながらも、ポップが零した思いもまた察していた。記憶を封じ、今尚反目しながらも、バランとダイが唯一無二の肉親であるという事実は変わらない。それを自分の仇として本気で殺そうとしている姿を目の当たりにしての嘆きが、その声に乗せられていた。

『……様……』

 死に逝く者の声に耳を傾けていると、また別の声が少女に届いていた。

『……ません……。……様は、あなたを……ずっと……』

 ポップのものとは違い、遙か彼方から聞こえてくるそれは、消え入りそうに小さく、微かにしか聞き取れなかった。だが、彼もまた死にきれずして憂いを表している様子だった。
 死に瀕したが故に死に逝く者の声が聞こえているのか、或いはそれが失われた記憶の産物によるものなのか。何れにせよ、そのようなものを明確に感じ取っている己の状態に少女は困惑を覚えていた。

 いつしか地下牢全体に、外からの光さえも遮る程の漆黒の濃霧が立ちこめていた。


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